第10話 不穏な空気が漂っています①
ガーデンロンド魔帝国におけるイエローアイズ領の領都ロアニールは、エリシュメシア王国と国境を面している。
その為、同国が魔族領に進攻する際の軍路の一つとなっており、かつこの街が鉱山街として大量の資源があるという点においても、この街を攻略するのは、王国側にとって悲願であると云えよう。
そのような激戦区にロアニールは在りながら、王国側は、この街の城壁にたどり着いた事すらなかった。
街に辿り着くまでの間に、多くの兵士が魔族に討ち滅ぼされ、イエローアイズ家の捕虜として、捕獲されていた。
王国の敗因は、堕天のザンドルドという厄介な魔族が、この街を治めているからである。
王国側も、幾多の戦術を用いて、彼に対抗しようと試みた。
しかし、隼より速く飛行するザンドルドを落とす事は未だ叶わず、結局は一方的な負け戦になってしまうのが常だった。
ゆえに、王国はロアニールを攻略する為に、領外からではなく、領内から街を扇動する事に方針を転換した。
王国は捕虜の一部に破壊工作を主とする工作員等を紛れ込ませ、時間を掛けてロアニールを攻略する事にしたのだ。
当作戦が開始されて、1年の年月が経つ。
捕虜となった者同士のネットワークや反乱戦術も確立し、後は事を起こすだけ。
そのような環境の中で、『とある男』はロアニールの一角で、今日も反乱の準備を進めていた。
あともう少しで、事は完成する。
男に残された最後の仕事は、伝書鳩で王国と連絡を取り、反乱を起こす日を狙って、領外からも侵攻を起こすという、両面作戦の日程調節だけだ。
そんな中で、一人の馬鹿貴族が無理難題を持って、その男の元までやってきたのだ。
「アイゼンよ。
兵士を出せ!
今からイエローアイズの一族を襲う!」
アイゼンと呼ばれた男は、その貴族の言った事を理解するまでに、暫くの時間が必要だった。
ロアニールで反乱を起こす作戦が最終局面を迎えようとしている今、下手に魔族側を刺激する事はない。
この貴族は、何を言っているのか――と。
「マカド子爵様。
あっしにもできる相談と、できない相談がありやす。
そいつぁできねぇ相談にあたりやすなぁ」
「ふ、ふざけるなっ!
冒険者風情が、誰に口を利いているのだっ!
貴様ら平民は黙って私の言う事を聞いておけばよいのだっ!!」
アイゼンは、腹の底から湧き上がる怒りを、歯を食いしばって押し留めた。
この反乱作戦は、王国が依頼を出した重要案件だ。
平民の冒険者クラン『ビースト』の頭領であるアイゼンは、身分こそ低い位置にあるが、この反乱における権限は彼に一任されていた。
ゆえに思う。
作戦の遂行を困難にしてまで、そんな危ない橋を渡る訳がないだろう――と。
「マカド子爵様。
よく考えてみてくだせえ。
ザンドルドは非常に力を持った魔族でさ。
現在、あっしの傍に居る兵士は破壊工作を得意とする者ばかりでして、総出で当たっても、あの魔族に勝てるとは思いやせん」
アイゼンは口調こそ丁寧な対応を取っているが、内心はマカド子爵に対する怒りで、爆発しそうであった。
それも仕方がないと云える。
この貴族は作戦の遂行になんら貢献しない爪弾き者であるのに、口先だけは一丁前のお荷物だ。
そんな存在が、自身が総括する重要作戦を、窮地に陥らそうとしている。
もしこの話を切り出したのがアイゼンと同じ平民であったなら、彼は即座にその者の首を跳ねたであろう。
「う、うるさいっ!!
貴様の意見など聞いてはおらんっ!!
きっとロイ伯爵は殺されてしまった……。
あの魔族の事だ……。
次は私を狙うに決まっている!
私にはもう時間が無いのだっ!!」
「……ちょっと待って下せえ。
子爵様、何かしたんでやすか……?」
そうして、子爵は事の経緯を話し始めた。
堕天のザンドルドが娘を連れて、街にやって来た事。
堕天のザンドルドから罵倒された事。
その罵倒に我慢できず、堕天のザンドルドに反抗した事。
その反抗により、堕天のザンドルドから威圧を受けた事。
――――そして、堕天のザンドルドの娘を人質に取ると仄めかした事。
アイゼンは子爵の話を聞いて、この貴族に再度の殺意が芽生えた。
堕天のザンドルドが娘を大切にしている事は、反乱作戦の中枢にある者にとっては、周知の事実だ。
そんな中で娘を人質に取るとなどと口に出せば、堕天のザンドルドに殺されても、文句はいえないではないか。
「……子爵様。
いったい何故そんな行動をしたんですかい……?」
「正義の為だ!
あの魔族は、我々が決めた条約を無視して、捕虜に強制労働を科している!
私とロイ伯爵が声を上げたのは、正義の為なのだ!!」
その言葉を聞いて、アイゼンは無意識に剣の柄に手を掛けている事に気づいた。
咄嗟に自制心が働く。
だめだ、殺すな――と。
一呼吸、二呼吸置いて、アイゼンは柄から手を離す。
ロアニールの街にはこの二人以外にも、少なからず貴族が存在する。
いくら王国から作戦の遂行について統制権を与えられていても、貴族殺しは極刑を免れ得ない。
そのような理性を総動員させて、アイゼンは子爵に対する殺戮衝動を、必死で押し留めた。
「……正義の為に、子供を人質に取ろうとしたんですかい……?」
「そうだ! 何が悪い!
子供であっても魔族は魔族だ!
人質とする事に、何の問題があるのだ!!」
アイゼンはマカド子爵が語る内容を理解できずにいた。
正義の為に、子供を人質に取る。
どう考えても矛盾していないだろうか?
この貴族を何故ザンドルドが殺してしまわなかったのか、アイゼンは不思議に思い、そして、殺されなかった事を残念に思った。
「私がこの街に幽閉されてから1年だ!
いいか、1年だぞ!?
私はもう限界だっ!!
兵をあげて、あの野蛮な魔族を殲滅させるのだっ!!」
「……もう一度言いやすが、ザンドルドは非常に力を持った魔族でさ。
オマケに向こうには、魔眼のローザと、鬼人セリカまでいやがるんですぜ?
現在の戦力では、総出で当たっても、あの魔族に勝てるとは思いやせん」
「だったら、我々の案を採用すれば良いだろう!」
「……娘を人質に取れと?」
「そうだ!
娘を人質に取り、あの野蛮な魔族が慌てたところを狙って、首を跳ねるのだ!」
その言葉を聞いて、アイゼン以下、その場に居た彼の配下全てが、「そんな簡単に上手く行くはずがない」との共通認識を抱いた。
むしろ堕天のザンドルドなら、街の人間をしらみつぶしに殺して回るくらいは、するかもしれない。
1年もこの街に居て、何故そんな事も理解できないのかと、アイゼンは不思議に思った。
「……子爵様。
確か、子爵様にもザンドルドの娘と、と同じくらいの歳の娘がいやしたね?
子爵様は子供を人質に取る事に、抵抗がないんですかい……?」
「だーかーらぁっ!!
魔族の子は魔族だと言っておるだろうっ!!
これ以上私の命を拒むと、不敬罪で首を跳ねるぞっ!!」
アイゼンはその言葉を聞いて、マカド子爵の説得を諦めた。
アイゼンはこの貴族を生きながらえさせた神に、文句を言ってやりたかった。
アイゼンは思う。
……だめだ、もうこの貴族は俺では説得できない。
かと言って、この貴族を殺す事もできない。
結局は兵を出して、この馬鹿貴族の言う通りにするしかないのか――と。
「……デミオ。
ザンドルドの娘が今どこにいるか、掴めてやすかい……?」
「お、お頭っ!!
や、やるんですかっ!?」
「……子爵様の命令でさ。
戦闘経験がある者総出で娘を誘拐しやす。
兵士を集めて下せえ」
――――そうして、アイゼンを中心とした、シルビアを誘拐する計画が突如、立ち上がった。
内乱作戦が最終局面を迎えたこの時期に事を起こせば、作戦自体が気泡と化してしまう可能性も考えられる。
アイゼンは子爵から与えられた下策を拒否できず、速やかにシルビアの誘拐を実行する羽目になってしまった。
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