五 開花 – bloom –

 驚異なる脅威にさらされることなく、平穏無事な市民らが憎たらしく思えるほど、空は晴れ晴れとしており、風は心地よいほど快適で、おれと後藤の間には冷静な時間が流れていた。

 遠くのほうから日野子さんと松本が駆け寄ってくる。そして、その後ろからはこの愉快にはそぐわない百崎の殺気立った目があった。


興醒きょうざめだ」


 そう言い、奴はおれたちの間をズカズカと通り過ぎる。このねじくれた心はどうしたものかと呆れるばかりだが、ともかく大事にならなくて済んだことに変わりない。

 構えるおれたちに向かって、百崎は少しだけ冷静に言った。


「結局なんなんだ? オレは誰も殺せなかったわけだ? しかも女だ。女があんなにブンブン物振り回して、オレと互角たぁ……だのに、殺してくれねーんだなぁ、畜生め」


「ただちに去れ。貴様に用はない」


 後藤の声が鋭く切り込む。下手に刺激しないよう無感情だ。

 百崎は顔をしかめ、たんを吐き捨てた。そして、人混みの中へ消えた。


「あのままでいいのか?」


 それを訊いたのは松本だった。後藤は「あぁ」と言い、なぜかおれを見やる。


「百崎は天狗が飼う。そういう呪いをかけられたから、もう誰も殺せない。だろ?」


 まったく、後藤の見立て通りである。おれはニヤリとぎこちなく口角だけで笑った。

 しかし、ひとつ気がかりなことがある。


「高尾は、どこに行った?」


 おれは改めて訊いた。しかし、全員が首を横に振ってしまう。誰も行方を知らぬようだ。

 そもそもこの場は、あいつに天誅を下すための舞台。そこに美影や百崎をおびき出して、一気に叩く。霊能者による弔い合戦は終息に至った。決して無事とは言えない、変えられなかった未来の結末。

 ゆえに後藤は気まずそうに口を結んだままだった。日野子さんも全然喋ってくれない。


「……笑ってくださいよ、日野子さん。あなたは笑顔がいい」


 しかめっ面は可愛くない。彼女は小さく口元を緩めた。愛想がない。でも、一度気が緩んでしまえば眉間のシワは伸びてしまうのだ。

 そんななか、松本がなにかを捉える。すると、お梅ちゃんが足をもつれさせながらバタバタと走ってくる。


「はぁ、はぁ……ようやく見つけましたぁ……んもう、みなさん! 私が子どもだからって遠慮しないでください!」


 どうやら怒っているらしい。頰をぷっくり膨らませる愛らしい紅ほっぺに、おれたちは素直に「ごめんなさい」と謝った。


「って、一色さん!? 生きてらしたんですか!」


 意外そうに驚きを口にするお梅ちゃんの辛辣なこと。

 おれは口の端を引きつらせた。


「どうも、生きててすいませんねぇ」


「いえ、そんなそんな! ご、ご無事で、なによりでしたぁ……っ」


 お梅ちゃんは両眼を潤ませ、たちまち滂沱に涙を流した。決壊した涙腺を止める気はなく、彼女はしゃくり上げて泣く。そんな無邪気な少女の頭をポンと叩き、おれはゆるゆるとしゃがんだ。

 そして、手を握って――力を込めて、開く。

 生き生きと艶やかで可愛らしいちりめん細工の梅が現れ、お梅ちゃんは「わっ」と口をあんぐり開けた。


「涙が引っ込んじまったな。よしよし」


 花飾りを渡すと、彼女は嬉しそうにはにかんだ。可憐な乙女に怒りや涙は似合わない。その方がずっといい。


「梅――」


 珍しく後藤が申し訳なさそうに言った。

 これにお梅ちゃんは涙をぬぐいながら首をかしげる。


「はい、なんでしょう?」


 後藤がなにをしようとしているかは、なんとなく悟れる。おれは「おい、後藤」と口を挟んだが、先ほどお梅ちゃんが言ったことを思い出し、すぐに引き下がる。


「横江美鳥の居場所を探ってほしい」


 その頼みに、お梅ちゃんは素直に「はい!」と承諾した。

 両耳に手をあてがい、瞼を閉じる。このざわめきの中でひとつの呼吸を捉えるかのように、しばらく息をひそめる。


「――美鳥さん。その方、いまはもうここにはいないようです」


 お梅ちゃんは息を吐くのと同時に言った。


「どっちに行った?」


 後藤が訊く。すると、お梅ちゃんも心得たようにきっぱり素早く判断する。


「西です」


「わかった」


 そう言い、彼は日野子さんを見た。


「おまえと松本は梅を連れて帰れ。一色、来い」


「おう……って、なんでおれだけ……?」


「さっきまで黙って隠れてやがったんだ。ちったあ働け」


 淡々と暴言を吐きやがる。だが、言い返しようがない。おれは頭を掻いた。

 見た目には大した怪我もないが、日野子さんも松本も疲弊ひへいしているようで、そんな二人をお梅ちゃんがおろおろと労わる。

 後藤がくるりときびすを返すので、おれは彼らにろくに挨拶もできず、一同はひとまず解散となった。

 周囲の着飾るひとびとは、おれたちのこのボロボロな姿を見て、眉をひそめたり振り返ったりしてきたが、一切構わず颯爽と風を切る。そんな後藤の後ろから、おれは「なぁ」と思い切って声をかけてみた。


「おまえ、どこで気づいたんだ?」


 兼ねてより気になっていた。

 おれたちはあの夜、別れたっきりなのだ。それなのに、まるで示し合わせたかのように息ぴったりにあんな大舞台をやりきってしまった。おれの居ぬ間に天神さまと打ち合わせでもしたのだろうか?

 そんな阿呆なことを考えていると、後藤は振り返りもせず、ぶっきらぼうに言った。


「最初から」


「最初? ったく、おまえの最初っていつなんだよ」


「………」


「出た。そうやってすぐ逃げるっちゃけん。ここまでおれの人生に干渉しとってなぁ、その態度はないっちゃなーい?」


 わざとらしく頓狂とんきょうな声で言ってやり、ようやく肩を並べて歩く。ちらっと様子を見てみると、後藤はわずらわしそうに睨んできた。しかし、なにも言わず。

 ひとの波がまばらになってくるにつれ、おれたちは早足になった。道端で屋台をしているアメ屋やもち屋の前を通り過ぎれば、いよいよひとの流れがなくなる。ざわめきも後方へ遠のいていく。

 おれは咳払いをした。


「……なぁ」


 もう一度声をかける。すると、彼は「ん」と短く返事した。やけに低音なものだから、もしかするといままでも風に紛れて聞こえなかっただけだったのかもしれない。


「おまえの兄貴ってさぁ、死んだのか?」


 若干、訊きにくい件ではある。しかし、こちらの静けさとは打って変わって、後藤は「あぁ」とあっさり返した。


「五年も前の話だ。それがどうした」


「いや……それがどうしたって。そんな言い方なかろうが。ちょっと気になってよ」


「あんたが気にすることじゃない」


「いやいやいや、ここまできたら話してもらいたいねぇ。黙っとったら、周りに言いふらしちゃるぞ」


 意地悪に言ってやると、彼はますます嫌そうに顔をしかめた。顎を引き、制帽のつばで目元を隠してしまう。しかし、その口は意外と素直に過去の話を始めた。


「〝俺の人生の誤算は、おまえの能力を認めたことだ〟」


「は……?」


「それが、兄貴あいつの最期の言葉だった」


 随分と湿っぽい出だしに、おれは間抜けに「はぁ」としか言えない。


「あいつは根っからの科学者だった。医者の息子のくせに、霊能力の研究に没頭していた。それもこれも俺が生まれたせいだった。母親は非凡人の俺に執着していて、兄に関してはまるで見えていないかのようだった。それでも、あいつは俺に優しかった」


 淡々と吐き出される家庭事情なのに、この十数年を語るには十分なものだと思えた。

 後藤は自分のことでさえ面倒そうに語る。つまらなさそうに、諦めたように。


「俺がどうして他人の死を回避できる術を知っているか、わかるか?」


 急に問われ、おれはしばしの沈黙に徹した。

 思考する。と、行き着く答えがあまりにもむごたらしいので、おれはすぐに考えるのをやめた。ブルブルと頭を振る。

 それを見てか、後藤はふっと小さく笑った。


「兄で実験したからだよ。あいつがそれを望んだ。俺もそれに乗った。そして実験は成功した。なんどもなんども、繰り返して得たのは未来を変えられるという希望。引き換えに兄は病んでしまった。その絶望も一度に知った」


 それがどうして美影泰虎を恨むきっかけになったのかは定かではない。

 あの悪意の女は、いったい後藤の家族にどんな干渉をもたらしたのだろう。外から甘い言葉で後藤の母や兄を追い詰めたのやもしれない。それも、後藤祥馬という年端もいかぬ少年を盾にして。


「きれいごと言うつもりはねーけどよ」


 おれは堪らず言った。なにも考えず、ただただ口走った。


「きれいごとじゃねーけど、恨みや悪意ってのは無益だとおれは思うぞ」


「まぁな……でも、それが人間の生きるかてになり得ることもある。でなきゃ、俺も生きていたかどうかわからん……結局、俺も他人と変わらん有象無象のひとつでしかない。特別なんかじゃないんだ」


 それはいつかこいつが言っていたものだった。

 天才のくせに控えめなやつだ。そんなだから、凡人のおれがかすんでしまうんだよ、と、おれはどうにも口惜しくなって歯噛みした。


 足元を見る。すると、不自然なほど鮮やかな血痕が点々とあるのに気がついた。

 おれたちは同時に顔を見合わせ、頷き合って血痕をたどる。

 冷たい切妻造きりづまづくりの商家の裏側を行けば、血痕の間隔はかなり狭くなった。どの家も祭りで出払っているのが幸いしてか、騒ぎにならなかったらしい。

 高尾の死体は川を挟む間も無く、道の端にあった。あれから少し自力で歩いたのか、美鳥に支えられて歩いたのか判然としない。が、いずれにせよ彼の死体がそこにあるということは、美鳥とはすでに今生こんじょうの別れを済ませたあとなのだろう。


「――後藤よ」


 おれはすっかり冷えた口をまごつかせながら言った。


高尾こいつがやったのは、結局なんだったんだ?」


 あの憎たらしい悪意の女が言うには、この男は人殺しはしていないのだ。後藤もそのことについては知らなかったんだろう。てっきり、おれたちは高尾がミズキ殺し、すなわち霊能者のかたきなのだと思っていた。しかし、それもまたすべてのうちの片側しか見えていなかっただけなのだ。

 やがて、後藤は思案げに切り出した。


「――こいつがそうさせたんだろうな」


「だれに?」


「美鳥に」


 その見解に、おれは背筋が冷えた。


「じゃ、じゃあ……高尾ん家の下女殺しは、美鳥が……?」


「かもしれない。考えてもみろよ。用意周到なこの男が、自らの手を染めてまで下女を殺すか?」


 確かに、あの天狗の小屋でも、こいつはしきりに「デタラメだ」と言っていた。


「あれは本当だったのか……」


 しかし、後藤は「いや」と煮え切らない。


「あるいは高尾が美鳥に指示したかもしれない。あの女、よほど思いつめていただろう? 殺しまでさせといて、つれない態度にやきもきしていたんじゃないか?」


「はぁ……おっかねぇ」


 真相がわかったところで、この男を裁くことは土台無理な話だ。仮に美鳥が実行犯なら裁かれるべきは美鳥であり、高尾は逃げおおせることができる。

 愛する者のために邪魔者を殺すのか、愛したいがゆえに邪魔者を殺す。この世で一番恐ろしいのは、もしかすると愛なのではないだろうか。

 美影もそうだ。あの女は、心の底から人間おれたちあわれんでいた。それが歪んだ形で悪意を生み出したわけだが……


 ふと、高尾の指を見る。高尾の左手の小指が不自然に千切ちぎれている。そのおぞましさに視神経が触れた瞬間、おれの喉は不甲斐なく締め付けられた。異常性を感じる。やり場のない思いが一度に押し寄せ、息をするのも忘れてしまう。


 そんなおれたちの背後から、この空気をかっさらうかのごとく調子外れなへべれけ声が聞こえてきた。


「ちょいと、お二人ィィ」


 振り返る間もなく誰なのかすぐにわかってしまう。言わずもがな、あのひょっとこ面をつけた堕天狗もとい禁書貸本天空商會がぬっと姿を現した。


「貴様、あのときはよくも逃げやがったなッ」


 おれは思わず拳を振り上げた。しかし、その手はうまく落ちることはなく、すぐに勢いをなくしてしまう。憎たらしいが、結果的に天神さまの望みを果たしたので責めるに責められない。

 この天狗、あの見世物小屋を作って百崎を操作していたところまでは良かったのだが、美影の姿にビビってしまい、未来人とともに姿をくらましたのである。

 天狗は反省の色を浮かべることなく「にひひひひ」と不気味に嘲笑した。


「その男、こっちにくれんかいなァァ? 欲しいなァァ。ワシ、その男が欲しいィ」


「なにも俺たちの所有物じゃない。煮るなり焼くなり、好きにしろよ」


 にべもなく後藤が言う。

 すると、天狗は嬉しそうに「んぅ」と肩を震わせた。


「よしよし。こいつはワシがいただこう。クソ忌々しい〝れーのーしゃ〟だが、人間の肉は派手に売れるんでなァァ。うひゃひゃひゃ」


 気味が悪い奴だ。

 そうこうしているうちに、高尾の死体は天狗が軽々担ぎ上げた。そして、引いていた荷車の中に放り投げる。戸棚のようなそれは、奥が真っ暗でなにも見えない。そこに高尾が吸い込まれていく。あっと思ったときには遅く、彼の姿はすでに暗闇の中へ消えた。扉がバタンと音を立てて閉まる。

 高尾譲ノ助という人間は、この世から消えてしまうのだろうか。埋葬まいそうもされず、人知れずひとびとの記憶から消えていく……それが、彼のつぐないとなるのか。

 彼の死によって悪意が拡がらないことを願いたいが、それを心配するほどおれは偉くないし、義理もない。


 感傷に浸る間もなく、天狗が「んーんー」唸る。なにやら慌ただしく懐から帳簿表のようなものを引っ張り出した。随分と古めかしい綴じ本である。そこからなにをするのかと思いきや、おもむろに一頁だけをビリビリ破った。後藤の胸に紙を押し付ける。


「んぅ」


 だが、受け取らない。訝っていると、天狗は「んもー」と苛立たしげに唸った。


「察しが悪いなァァ。それ、おまえさんに返してやっからよォォ、もうワシの商売の邪魔してくれんじゃねェェぞォォ、次は確実に殺すからなァァ」


 強引に押し付けられ、後藤は渋々受け取った。その脇からひょっこりと紙を見やる。下手にのたくったような文字で名が記してあった。


「そんぢゃ、あばよォ」


 顔を上げると、天狗はすでにその場から消え去っていた。

 まったく、のらりくらりとしやがって。まるでぬらりひょんではないか。奴は天狗じゃなく、そういう大妖怪の類ではないかと思う。神さまを手伝ったり、こっち側についたかと思いきや消えてしまう。もう二度と会いたくないものだ。


 後藤は天狗から返されたという紙をぐしゃぐしゃに丸めた。

 目の端でちらりと見えたのだが、見間違いじゃなければそこには「後藤天助てんすけ」という名が記されてあった。なんの因果か、おれの名前と一文字違いで同じとは。


「……いまさら帰ってきてんじゃねーよ」


 彼がそう口走ったのを、おれの耳は聞き逃さない。

 後藤はくるりと踵を返した。言葉もなく、それからずっと押し黙ったままの背中は、憑き物が落ちたように丸まっている。その背中を思い切り叩いてやると、予測していなかったのか、彼は大仰に肩を震わせた。


「なぁ、坊ちゃん。うどん食いに行こうや。腹減ったろ?」


 しかし、返事の代わりに鳩尾へ一発、固い拳骨げんこつが入った。


おごれ」


 その声はいつもと同じく、感情を押し込めるかのような冷酷無情であった。

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