二 饗宴 – party –

 生の松原から野方のかたまでの道中は十郎川に沿って歩けば良い。

 ざらついた潮の町から静謐せいひつな山間部へと様変わりするその中腹で、緩やかな流れとともに一人の少女の亡骸なきがらが草木の間に挟まれて漂っていた。細い髪が川の流れに従っているも、彼女を押し流す勢いがない。それほど氾濫はんらんしにくい川から、少女の死体が上がったという恐ろしいニュースは瞬く間に町を駆けずり回った。


 誤って川に流されたとは言い難く、自殺か他殺かが囁かれる。身元はすぐに判明した。その娘は名をミズキといい、その地では長く続く高尾酒店の下女だった。水流でボロボロになった着物は生前、奉公ほうこうに出る前に母親から渡されたものだったらしい。

 彼女は高尾家でよく働いた。真面目で機転が利き、堂々とした物言いをする根っからの生真面目である。その細やかさは、他の下働したばたらきらにもハキハキと指摘するほどのものだったようだが、なぜか彼女が知り得ない秘密をも知っていたりするので、うとましく思っていた者もいたらしい。


『あんたが隠しとうもの、あたしは知っとるけんね』


 それが彼女の口癖となり、下女たちの不正や近隣からの噂や評判、さらには悪徳な客の思惑までもが筒抜となり、いつしか高尾家の奥方、かえ子に気に入られるようになる。働き始めてわずか二年、十四歳にして帳簿ちょうぼまで任されるようになった。周囲からは「女にしておくには勿体ない」と言われることもあったそうだが、そこでも彼女は堂々としていたという。


『あたしはなんも偉くなか。ばってん、曲がったことが大嫌いやけ』


 それ故に、彼女は殺されたのだろう。

 主人である高尾穣ノ助の不義を黙って見過ごすわけにはいかなかった。

 また、可愛がってもらっていた奥方のヘソクリ場所まで暴いた彼女の実直で真面目な働きぶり、見方を変えれば非情な正義感は、高尾の焦燥を煽るには十分だった。

 ミズキは誰であろうと、不正を許さない。異質とも言える。

 そんな彼女を誰もがおそれた。安易にクビにしようものなら、家の事情が外部へ漏れる危険がある。


 そんなギクシャクとした日々にうんざりしていたことは言うまでもなく、その頃より高尾自身も己の才能に気がついた。

 ある日の新聞で「霊能者」という言葉を見つけた彼は、自身の才能を疑った。彼はそれほど強い力を持っていたわけではなく、ただ単純に直感が優れていただけだった。例えば、試験問題を指でなぞれば作成した人物の記憶を読み取ることができる。意識すれば克明に脳内でヴィジョンとして浮かぶ直感能力は、ごくたまにしか使ってこなかった。また、大人になってからは使おうとはしなかった。それがなくとも、だいたいの状況は把握ができるようになったからだ。

 もしかすると、自分も霊能者なのかもしれない。そんな期待をしたすぐ、彼はミズキも疑った。


 ――彼女は他人の思考が読めるのではないか。


 その直感は見事に当たった。周囲の目を盗んでミズキが身につけていた衣服を触ると、やはり彼女の正体を探ることができた。ミズキも同じく霊能者なのだ。彼女の物に染み付いた記憶がそう伝えてくる。


『こいつは、面倒だなぁ……』


 始末するほかあるまい。

 彼の決断は素早かった。

 ミズキはがある。それは確かに強い力ではあるが、反対に素直な殺意や悪意は読めないという弱点である。単純に殺意を持ったままで近づけば良い。彼女はなんの疑いもなく接するだろう。

 少女を一人殺すのに、時間はあまりかからなかった。所詮はか弱い娘。簡単にねじ伏せることができる。

 家を空けることが多かった高尾だからこそ、夜更けに少女を遺棄するのも容易いものだったろう。彼女がいなくなったことで清々せいせいしたのは、家の者全員でもあるから、頑なに口を閉ざすのも無理からぬ話である。こうして高尾家の下女、ミズキはあっけなく人生に幕を閉じた。


 しかし、そこからも高尾の苦難は続いた。

 刑事からの聴取はまだ耐えうる。ひと一人殺すのだから、それくらいのアリバイ工作は入念である。しかし、そんな彼でも予想だにしなかったのが宮木梅だった。


 ***


 モノクロームで繊細な活動写真がガラガラと音を立てながら、天井に悲劇を映し出していく。

 高尾穣ノ助の裏の顔がいくつも暴かれていくようであり、一体いつどうやって撮影したのか疑問を投げかけたくなるほど完璧な出来具合だった。

 しかし、当の主人公である高尾は至極不満げに肩を落としている。イライラと眉間をつまみ、そして一息。彼はゆるゆると口元を隠し、思案げに言った。


捏造ねつぞうにもほどがありますよ」


「えぇ? そうなんですか? おかしいですねぇ〜」


 マントの男も依然として調子を崩さない。

 双方、意見が食い違う。まったく、どこまで往生際が悪いのだろう。


 高尾は今度は腕を組み、真面目に言った。


「違いますね。そもそも、僕はミズキを。アリバイだってあるんです。僕はその日、天神町に来ていましたし、目撃証言もある」


「おいおい。霊能者のあんたに、普通のアリバイが通用するとでもお思いかい? それはそれはなんとも日和見ひよりみが過ぎるってもんですよ。笑えねぇー」


 マントの男もなかなかに挑発的で、いまや舞台上にふんぞり返っている。


「……あぁ、まぁ。そうでしょうね」


 高尾の顔が不愉快を訴えた。彼は口の端をひくつかせ、激昂を噛み殺しながら切なげに言った。


「霊能者というのは、なんだか魔法使いのように思われていますね。偏見というやつです……僕は万能じゃない。瞬間移動やら記憶操作ができるんなら話は別ですが、僕は霊能者と呼ぶには器が小さい」


「ほう? 意外にも自己評価が低いですね。似合いません」


「千里眼のあのひと――ほら、有名な女のひとです。彼女が死んだのは、世間が狭すぎたからです。あのひとはもっと大きなものを秘めていた。でも、彼女にはこの世が合わなかった。だから死んだ。そうやって、己に区切りをつけることができますか? 僕にはできません」


「だから、あんたは他人を殺すほうを選んだってことかい?」


 高尾の主張は揺るぎない。断固として認めない。これではが狂ってしまう。

 マントの男は口惜くやしげに歯ぎしりした。


「さすがさすが。まぁ、お口が達者のようで。そうやって命拾いしてきたんでしょうなぁ。ますます気に入らねー」


 マントの男は映写機を乱暴に叩いた。すると、天井の映像が切り替わる。

 そこには後藤祥馬の顔が大きく映し出された。


 ***


 高尾の行く手を阻むのは、後藤祥馬の純真無垢たるまっすぐで偏った正義感と、宮木梅の素直すぎる地獄耳だった。弱者に耳を傾ける梅の耳は、高尾が行きつけにしている商店ではそれなりに有名だ。

 そして、彼は偶然にも知ってしまった。梅が両親に訴えるその内容を。


「向こうの川で、女の子の悲鳴が聞こえたの!」


 それは紛れもないミズキ殺害の証言だった。


「〝助けて〟って、苦しそうだった。ねぇ、あっちの村でなにかあったんでしょう? 絶対そうに違いない! だって、あの子の声がもう聞こえない!」


 しかし、両親は聞く耳を持たなかった。「そんなことは警察に任しぃ」と冷たく突っぱねるだけ。梅の証言は確かに有力ではあったものの、効力は弱いと見えた。そして、ミズキ殺しを独自に追いかけていた後藤と松本に協力を持ちかけ、高尾は梅に近づこうと企んだ。ミズキだけでなく、梅までも葬ろうとしたのである。


 宮木梅をさらうのに失敗した高尾は卑怯にも裏から手を回し、無害なふりをして堂々と宮木梅に接触した。それがあの奪還作戦の模様である。

 どこまでいやしいのだろう。

 己の罪を隠すため、さらに罪を重ねるその悪行。まさに外道の極みである。


 ***


 高尾は首を横に振った。


「違うと言ってるでしょう。どこまでひとを馬鹿にすれば気がすむんですか」


 その声は怒りも含むが、犯人らしからぬ余裕さが窺える。不自然だ。犯人ならば、もう少し慌ててもいいものを。これだけの証拠を揃えても、まだ不十分だというのか。

 それは、マントの男も感じているようで、彼は指をパチンと鳴らした。

 ポスターの裏からするすると鉄檻が現れる。その中には、あの獰猛たる悪鬼羅刹な虐殺人間、百崎調が血に飢えた獣のごとき残忍な顔つきでいた。いまだ支配から逃れられない百崎は白目のままで凶暴に唸る。檻をこじ開けようと踏ん張る姿は、本能がそうさせているかのように思える。


「コロしたい、コロしたい、コロしたいコロしたいコロしたいぃぃぃ……たのむからシんでくれ、シんでくれシんでくれ、シね、なぁ、シんでくれよぉぉ、オレにコロさせろぉぉぉ……ッ」


 夢うつつにしては物騒だ。いくら世を震撼せしめし念力者とて、呪術を張り巡らせた天神さま様直々の強力な檻からは逃げ出すことができないようだった。さすがは天神さま。容赦がない。

 これに高尾は、疲れたようにため息を投げた。

「なるほど。どのみち弁明は無意味というわけだ。最初から僕を殺す気なんだ。君も後藤くんも。そうなんだろう? そいつを使って。君たちの行いは矛盾している」


「どうでしょう? まぁ、彼はどうやらあんたみたいなのを排除したいと願っているようだし、あながち間違いじゃあないかもしれませんねぇ。それくらい、あんたはやらかしたってことで、素直に白状したらどうなんです? デタラメだという証拠を提示してもらいたいねぇ」


 マントの男はちろりと赤い舌を出して警告した。まったく、これのどこが愉快な方法だ。この場にいたら、野次やじをぶん投げたい所存であるが、あいにくこの舞台は彼らのものなので、とやかく口を出すわけにはいかない。


「帰ります。こんな馬鹿げた見世物は生まれて初めてだ。ここの興行主には苦情を出しておくというだけに留めておきます」


「あれま。本当に帰るんですかぁ? 外に出らんほうが身のためだと思いますけどぉ?」


 なおもマントの男が引き止める。まったく、これでは往生際が悪いのはどっちだろう。明らかにマントの男の分が悪い。

 高尾は小屋の外へきびすを返した。愛しの美鳥と再会を果たすため、彼は勝利の笑みを浮かべる。

 外へ足を踏み出す。

 瞬間、彼の耳に警告の声が突き刺さった。


「高尾さん! !」


「え――」


 耳に届くのが遅かったのか。それとも、警告が遅かったのか。否、どちらもこの場では対処のしようがなかったかもしれない。

 小屋を出た瞬間、後藤の警告よりも先に、高尾の喉と胸には鋭い短刀が突き刺さった。彼がすべてを把握する間もなく、眼前には精巧な顔立ちの女が朱い下弦の三日月を浮かべて立っていた。


「あぁ、済みません。邪魔だったものですから」


 そう幽かに言い、女は高尾の体を奥へトンと押しやった。

 短刀は正確に彼の喉笛と心臓部を突き刺しており、また、予期せぬ場所から出現した。彼もなにがなにやらわからず、目を見開いたまま、口からは無様に血を吐き出して後ろへ後ろへと倒れていく。

 その様子を、後藤と松本、日野子さんの三人が凝視していた。


「高尾さん!」


 すぐに駆け寄ったのは日野子さんであり、次に松本だった。追っ手だと思っていたこの三人が、まさか身を起こしてくれるなどとは思わなかったのか、高尾は不審そうに彼らを見やった。しかし、息も絶え絶えで、彼の声は言葉にならない。

 一方、美影はその様子をなんの感情も込めずに一瞥すると、小屋の中へさっさと入ってしまった。


「ねぇ、祥馬さん! こうなるってわかってたのに、どうして……!」


 日野子さんの感情的な声は、一気に辺り一帯へ響いた。小屋の外に押しやられていた美鳥までもが人垣の中から割って這い出てくる。


「や、やだ、そんな……そんな! 嫌よ、穣ノ助さん!」


 彼女らの悲痛な叫びに、後藤は苦々しく唇を噛むだけ。彼の目には、高尾の死が刻まれていたはずである。それを防げなかったことは悔しいだろうが、しかし冷酷無情な彼は努めて静かに、息を殺すように言った。


「これが、こいつに相応ふさわしい死に方だろう」


 取り乱した美鳥の叫びだけが、祭り囃子ばやしの中を駆け抜ける。

 地獄よりも地獄。よりにもよって、この祭りの最中で死人が出るなど前代未聞だ。

 しかし、これで役者は揃った。いよいよ、ここからが禍々しき宴の大詰めである。


「さぁ、お遊びはおしまいです。この世ならざる未来人貴方にはたっぷりとお礼をしなくてはなりませんからね。貴方こそがこの時代の均衡を崩しているのですから」


 その言葉とともに、小屋が一気に音を立てて崩れた。バラバラともろくも舞台は形を失っていく。幕やポスターがあられもなく引き裂かれてしまい、中にいたマントの男が両手をあげて出てきた。

 美影泰虎は手で触れずとも〝言霊ことだま〟だけで建物をも崩してしまう。その脅威にはさすがの未来人もお手上げのようらしい。

 彼はマントを翻した。すると、彼は姿を消した。否、背景に溶け込んで見えなくなった。


「……まぁ、いいでしょう。さぁ、狂気よ。いまこそ目覚めのときです。いつまで眠っているつもりですか? とてもとても楽しい宴の時間ですわよ」


 絶望的な口上が放たれる。

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