一 開演 – start –
ヤァ、みなさん。ご機嫌麗しゅう。地獄での生活は案外悪くはないもので、まこと絶景であり、また人間のありとあらゆる裏側が見えております。
これよりお見せしますは、彼らの全容。霊能者による霊能者の弔い合戦の一部始終。この玄洋に生まれししがない凡人、一色天介がみなさまを安全に地獄へお連れいたします。
ともかく、順序よく話を進めていこう。
さて、現世はいまや絶好の快晴で祭り日和である。ちぎった
ここに一組の男女がある。白昼堂々の逢瀬には呆れたものだが、どうもそれは横江美鳥が強引に誘ったような節があった。
高尾穣ノ助の顔色はそぐわず、どうにも不満げである。そんな彼の態度にも美鳥は恋する乙女のごときうっとりとした眼差しで見つめていた。美影の手に堕ちた彼女の愛情はとどまることを知らない。
「ここ最近、お忙しそうで寂しかったんですからね。今日はゆっくり楽しみましょ。ね、穣ノ助さん」
「昨日も会ったばかりだろう? 僕は君をそんなに
「わたしのことを一番に考えてくれないと嫌なんです!」
彼女は有無を言わせぬ迫力で言った。この我の強さに高尾は呆れてうなだれた。
「だから、こうして君を会うために毎日時間を作ってるんじゃないか」
「それくらいのことはしてもらわないと困ります。わたしにあんなことまでさせておいて、避けるなんて許しませんからね」
美鳥は朗らかに言った。その瞳に一瞬だけ銀色の光が宿ったことを高尾は気づいていない。
快楽と欲求を手にした者は、とにかく調子に乗りやすいもので、彼もまた彼女との時間を楽しんでいた。彼女のワガママはいまに始まったことはないのだろう。
「美鳥」
高尾が呼ぶ。
やはり、愛した女には甘くなる。
射撃の露店で高尾は金を払い、彼女がせがむキャラメルの箱を撃ち落とした。
「すごいわ、穣ノ助さん。お見事です!」
「これくらい普通だ。ほら、やる」
そのぶっきらぼうな仕草は、あどけない少年のようにも見えよう。彼は女を相手にするときは気が緩む。所有物にくらい気を許せなくては、代々続く酒問屋を守る当主は務まらないのか。美鳥を
美鳥は嬉しそうにキャラメルの箱を開け、豊かな唇に吸い込んだ。口の中でころころとキャラメルを転がして大事に大事に食べている。それを見て、高尾は冷やかして鼻で笑った。
「そんなのの、なにが美味いのやら」
「穣ノ助さんがわたしにくださったものですから、美味しいんですよ。あぁ、わたし、今日はとても幸せです。ずっとこうしていたいなぁ」
「いつまでもこうしてはおられんよ」
「また、そんな意地悪を。そう言ってわたしの気を引きたいのね」
「そういうわけじゃないよ」
「どうだか。貴方はいつもそんな風に連れないから、わたしはいつも迷ってしまうんですよ?」
「へぇぇ?」
高尾は試すように嘲笑した。そして、美鳥の鼻の頭を指で弾く。
だが、その瞬間、気を緩めていた彼の双眸がたちまち険しくなった。周囲を警戒し、なにかを探すように視線を這わせる。
「穣ノ助さん?」
美鳥も不安げに訊ねた。しかし、彼女の問いには答えず、高尾はひとが変わったようにイライラと舌打ちする。このところ、彼はいつもそうだ。なにかを読み取っては、身を隠そうと
美鳥の手をぐいっと掴むように引き寄せた。その強い力に美鳥は今度は不審げに訊く。
「ねぇ、穣ノ助さん。どうなさったの? なにか、後ろに……?」
「しっ。あんまりキョロキョロするな」
高尾は短く警告した。どうやら、彼は背後にひそむ刺客に気がついていた。人混みに紛れようとあっちへこっちへ美鳥を連れまわす。浴衣の彼女は足取りがおぼつかず、忙しなく小走りでついていく。
「穣ノ助さん、待って。足がつっちゃいそう」
細長い舞台と
誰かがシャボン玉を作っているらしく、きらびやかでメルヘンチックな空間を演出する。さながらつぎはぎの
観客たちの高揚を誘っているのかいないのか、舞台裏からはスロウなアコーディオンの音色が聴こえてくる。
「さぁぁ〜、
威勢のいい芸人の口上が飛び交う。調子外れのへべれけのようにも聞こえるが、歌うようでもある。なんとも不可思議で異様な声音に、客席はまばらに拍手した。やがて、その拍手は一体となって大きな音となる。口笛をピィィッと鳴らす男や、歓声をあげる女子供などなど、老若男女が顔を綻ばせてワクワクと胸を高鳴らせていく。
「きゃあー! 穣ノ助さん! わたし、こういうのダメなの」
しかし、そう言う美鳥の顔はさほど怖がっているようには見えなかった。むしろ、彼の反応を楽しむくらいの余裕がある。
高尾はやはり苦々しく口を引き結び、小屋の外を見やった。尾行者はいない。それを確認したところで、見世物もいよいよ始まるといった具合に盛り上がりを見せた。客が一斉にどよめく。
ひとりの芸人がマントをまとい、顔半分を仮面で隠した出で立ちで登場した。それに合わせ、舞台裏のアコーディオンにちんどんが重なり、チンチロ、ドンドン、ロローンと不協和音を響かせる。
「心臓の弱い方はいまのうちに回れ右! それ以外の方は、ほらほら、こっちへ来なすって。まぁ、お代は見てからということで、ね。はい。それではそれではぁぁ〜、怪奇な世界へ、いぃ〜ざぁ〜
マントを翻すと、芸人の姿は消えた。やれやれ、みんな揃って楽しそうで、地獄のこっちとしてはちっとも面白くないのだが。
舞台が暗がる。
美鳥はワクワクと好奇心に顔を綻ばせる。高尾は背後を気にするばかりで、せっかくの珍妙な蛇女の蛇食いから目をそらしていた。世にも美しき美女が生きた白蛇を食らう姿はとにかくおぞましい。見るものの目を引きつける不思議な魅力がある。
またも暗転。
お次は寝ぼけた双子の男女がだんまりのまま息ぴったりに空中回転を繰り出す。火を食べる男や、動物の鳴き声で喚く女など、次か次へとこの世の奇妙な人間たちが天井から吊るされた
そんな時、高尾は小屋を覆った布を触り、突如としてハッと振り返った。おそらく、追っ手の姿を読み取ったのだろう。彼は触れたものに宿った意識や記憶をたどって探り出す。追っ手が小屋に触れたような気配を感じたようで、美鳥の手を取った。
「穣ノ助さん、どうなさったの?」
「いいから」
名残惜しそうな美鳥の声も聞かず、高尾は人混みをかき分けて小屋の出口を目指した。しかし、一向にたどり着く気配はない。むしろ、出口が遠ざかっているようである。
「なんだ、これは」
いくら歩けども歩けども、観客たちからぎゅうぎゅうに押しつぶされてしまうばかりで、二人は前へ進むことができなかった。さながら夢の中を歩いているよう。そんな高尾に、あのマントの芸人が舞台から声をかけた。
「旦那、なにかお気に触ることでもあったんで?」
振り返ると、観客全員がこちらを見ていた。一気に視線が集まり、高尾と美鳥は顔を強張らせる。
すると、マントの男がストンと地面へ滑らかに降りてきた。ゆらゆら、ゆらゆら、近づく。
「つまらなかったんですかぁぁ〜? しかし、こっからが本番なんですよ〜ぉ。なんとなんと、大トリは巷で噂の虐殺人間だぁ!」
高尾の顔が引きつった。眉間は険しく、ただただ言葉を失っている。美鳥は高尾にぴったりくっついて、終始不安そうにしていた。そんな彼らに対し、マントの男は大仰に両手を広げて言った。
「そう、世は空前絶後の霊能者ブームッ! 千里眼、念力者、はたまた未来霊視、サイコメトリなどなど多種多様揃えておりまして〜、そして、なんと言っても目玉はあらゆる物体を捻り潰す驚異の念力者、その名も百崎調! 全国津々浦々あちこちを転々とし、世を震撼させる恐るべきサイコな男でございます!」
そして、彼は簡単に人混みをかき分けて、いまや顔面蒼白な高尾の目の前までゆらゆらと歩み寄った。
「どうです? ご興味ありますか? それとも、悪意をばら撒く尼のほうがお好みですか? ねぇ、人殺し霊能者さん」
仮面の下からじっと見つめるマントの男のシニカルな笑み。それはどんなに凶悪な者さえも凍りつかせるほどの威力があったかに思われた。
案の定、高尾は口の端を震わせる。
「興味、ね……ないですね。それに、この僕が人殺し? デタラメにもほどがある……」
しらを切るつもりの高尾である。そんな外道に、マントの男は深く詰め寄った。高尾の襟をつかんで低い声で唸る。
「ネタは上がってんだ。おとなしくそこで、あんたのこれまでをとくと
その声に、高尾は美鳥を突き飛ばした。
「美鳥! 君だけでも逃げろ!」
「穣ノ助さん!」
小屋の外へ突き飛ばされた哀れな美鳥は、顔に恐怖を浮かべて小屋の中へ戻ろうとした。しかし、そこはもぬけの殻。
高尾とマントの男は小屋の中にいるが、この布を境に空間が閉ざされているようだった。
「美鳥の声が聞こえん……ここは、さながら天狗の店かな? まったく、化かされたよ」
高尾は無表情に言った。
「さすがさすが、探りのサイコメトラー。状況把握がお得意のようですねぇ〜」
「もしかして、あんたが天狗かな?」
「いやいや、違いますよ。私はどこぞの代行天狗です。それよりも、だ」
マントの男がひらりと舞台に上がる。観客はいない。鉄檻に閉じ込められた芸人たちもいない。いるのは、マントの男と高尾のみ。その異空間にて、これより開演するは
心臓の弱い方は回れ右。しかし、それでもこの世の真実を知りたいのならば、そのままとくと御覧じろ。この男の哀れで真っ赤に血濡れた悪意を。
「それでは、世にも奇妙な悪意の物語、これより開演いたします!」
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