三 衝撃 – impact –

 松林を抜け、平面な砂道を行く。荷車が行き交うのんびりとのどかな先は田畑と山。海から遠ざかったここは緑が豊かな土地であり、近くに飯盛山いいもりやまがそびえ立つ。山門村やまとむらの南方へ行けばそこは壱岐いきという土地で、村の合間を流れる十郎川じゅうろうがわに沿って歩く。長崎の壱岐島とは無関係であることは、子どものころに親父だったか先生だったかに聞いたような。いささか記憶が曖昧だ。


 後藤祥馬は、制帽を深くかぶって外に出てきた。おれが出たあと、やけにのんびり優雅にうどんをすすっていた。そんな彼を待ち伏せし、尾行しようとするおれもおれだが。

 彼が川沿いを早足で行くのを後ろからそろそろと追いかける。

 身を隠すには家の壁を使わなければならないほど、十郎川のあたりはのっぺりと平べったい。やがて、川を渡ってさらに南にある野方のかた方面へ突き進んだ。そして、道中にある天満宮てんまんぐうへ立ち寄った。

 こんなところにやしろがあるのかと感心しながら様子をうかがう。小さいながらも堂々とした石造りの参道と鳥居とりいがあり、そこで後藤はお参りをしていた。

 そして、くるりと振り返って参道を引き返す。慌てて木陰に隠れ、難を逃れたおれは息を殺して引き続き彼のあとを追い続けた。


 野方から戸切とぎりへ村々を転々とする彼の動向はどうにも不自然だ。一体どこまで行こうとするのか。もしかすると、かの霊能者が集う住処すみかか。そうなれば一石二鳥だ。彼の素性をよく知れるし、あわよくば「本物」と謳う輩と相見えることができる。そこでおれは、あの鼻持ちならん霊能者風情に「インチキだ」と人差し指を突きつけたい。


 忘れもしない明治四十四年、一月。御船千鶴子が自死したというニュースは、奇術師として実に興味深い一件だった。彼女のトリックを見破ることが叶わなかったのは誠に残念だ。いつかはきっと対峙し、その正体を暴いてやるものだと思っていた。

 だが、彼女の登場よりも前に世間では催眠術さいみんじゅつが大ブレークしていた。とにかく本物の力に惹かれる。しかし、その大半がインチキであり、トリックによるものだとわかってからは憧れも半減してしまう。

 いずれにしても、奇術師と霊能者は相反する生き物なのだ。となれば奇術師の運命に従い、後藤のトリックを見破るのが努めだろう。


 後藤はそれから細い川に沿って人目をしのぐように歩いた。だんだん周囲が静かになり、見回せば品のいい宿場が軒を連ねる。酒屋さかや質屋しちや醬油屋しょうゆや味噌屋みそや染物屋そめものやといった由緒ある家々を見送ると角にぶち当たってしまい、やつの姿を見失った。


「ばれたか?」


 ひっそりとした町では気配を消すのも一苦労。尾行がばれていたとあれば、それはすでに尾行ではない。もう一つ角を曲がり、そこでも見当たらなければ諦めようとすんなり思い立つ。

 おれはそっと抜き足差し足で角を曲がった。袋小路ふくろこうじ

 思わず息を殺す。なんと、その真ん中に後藤が待ち構えていた。


「結局、あんたの未来は変えられんらしい」


 彼はなにやら嘆息たんそくして言った。その言葉の意味がわからず、おれは首を傾げて眉をひそめる。

 その瞬間、あっと思った時には遅く背後からなにか重いもので殴られ、目の前が急に暗がった。

 崩れ落ちるおれを見るのは、光のない陰った眼だった。お天道様の光を浴びる様はいかにも後光を従えた観音を思わせるが、その実、観音というのは閻魔大王という裏の顔を持つ。


「他人の道に踏み入れたのが悪ぃんだ」


 冷酷無情な声が割れた脳天に突き刺さる。

 他人の道、か。そりゃあ、確かに他人が歩く道に断りなく踏み込むのは野暮だろう。

 道は己のためにあるのだと思う。だが、その道は舗装されたものとほど遠く、むしろゴツゴツと足場の悪いものでしかなく、一度踏み外せばヘドロのごときドロドロの底なし沼へ足を取られて身動きもままならない。ぬかるみから這い出したとて、どうせ草むらに隠れてしまった道を探さなくちゃならず、いつしか道なき道に迷いこむのだろう。まったく、これではいつまでたっても正しい人道に乗ることができないじゃないか。畜生め。

 いや、もしくは。己がたどった軌跡を振り返ることができるだけ、まだマシなのだろうか。あーあ、なんて嫌な妄想をしているんだろう。おれらしくもない。

 というのも、おそらくだがおれはいま、恐ろしく腕っ節の強い大男に殴られた。赤い痛みが脳の髄でほとばしるような感覚を覚えた最中である。


 一体全体、どうしてこうなるに至ったのか――思い返さずとも、己がたどった道を振り返れば容易にわかることであり、それまでの軌跡が走馬灯そうまとうのように駆け巡ったころには地獄一丁目まで片足をつっこんでいた。

 自業自得とは、まさにこのことである。


 ***


「――よぉ、また会ったな」


 眠りから覚めてすぐ、おれは口の端をめくりながら憎々しい声で言った。後頭部に鈍痛がある。手をやってみれば、ぬるりとした生暖かい不気味な感触が。

 最後に見たのと同じように後藤祥馬は、虫けらを相手にするかのようにおれを見やっていた。

 てめぇ、よくもおもいっきりやりやがって。紳士らしからぬ罵倒が脳裏をかすめる。


「ふん、ようやく化けの皮がはがれたか」


 冷酷無情な声がそう言った。どうやらおれの口は理性と反して罵倒していたようだ。

 聞き苦しいことこの上ないが、少々ご容赦願う。


「あーあ……さすがにこいつは悪いわ。ここまでするこたぁなかろうが。てめぇはおれを殺す気か、このすっとこどっこいの、くそったれが」


「死にはせんから安心しろ。あとで縫合ほうごうでもなんでもしてやる」


 やつの口は氷よりも冷たい。寒気を覚え、おれは身震いしたがそれを誤魔化すように苦笑を飛ばした。

 どうにも話が見えん。思考がままならん。それもこれも頭がかち割れたせいだ。怒り狂った母ちゃんでさえ、息子の頭をかち割る所業に至りはしなかった。


「口で抑えらんねーなら、力でねじ伏せるってか。頭がぶっ飛んでやがる。世間知らずのボンボンかと思いきや、冷徹不良少年かよ」


 皮肉たっぷりに言ってやると、彼は鼻を鳴らして目の前にしゃがんだ。

 ここでおれは、ようやくあたりを見回した。ここはどうも下水くさい。伏した直後は静かな町家に囲まれていたはずだ。室見川むろみがわの橋下だろうか。水流がうるさく、あののどかな十郎川とは似ても似つかぬ広い河川敷である。倒れた場所からそう遠くないと判断して、すぐに思い当たったのが室見川だった。それはともかく。

 背後を向くと、そこには後藤と同じ制服を着た大柄な男がいた。丸太のごとき太い腕。これなら一度殴られて死ななかったことが奇跡に思えた。この男を不気味に見やりながら、おれは果敢にも諸悪の根源に食ってかかった。


「あーもう、やっとられんばい。ヘラヘラしとったら逆上のぼせやがって」


 おれはよろよろと立ち上がった。ふわふわと意識が飛びそうになりつつ、意識を取り戻すのを繰り返す。そうして血が上ったまま後藤の胸ぐらをつかむ。


「これが人間のやることか? あぁ? なんとか言えや」


「あんたが悪い」


「おうおう、まだ言うかい。その涼しい顔を今すぐにでもぶん殴ってやってもいーんやけどなぁ」


 しかし、威勢はそう長くも続かない。脳天をぶち破られ、出血多量である。グラグラと視界が揺れるも、はらわたもグラグラ煮え返っているおかげで、どうにか意識をつないでいる。


「動きを封じてまで、おれをほうむ魂胆こんたんか。そこまでやって、どげんかなるんか」


「あんたは見せしめだからな。ひとを愚弄ぐろうしたものがどうなるか、その格好のえさとなってもらう」


「はぁ……?」


 逆上と血の逆流のせいだけではなかろう。彼の言葉は荒唐無稽こうとうむけいで、やはり道筋が見えなかった。

 こいつ、会話ができんのか。話が通じん輩は一定数いるというが、こいつもそのうちの一人か。


「いかん、話が見えん」


 しかし、何がしかの見せしめとして利用されることだけはわかる。

 おれは回らない頭を転がすように、背後の木偶でくぼうを睨んだ。


「おい、しゃんと話せ。貴様ら、さすがにここまでの所業は警察に訴えられても文句言えんやろーが。その校章が泣くばい」


 制帽の校章を指すと、木偶の坊のこめかみがわずかに動いた。元は藩校だった名門校の学生が暴行で訴えられては世間体も悪かろう。おれの嘲笑的な声に、木偶の坊はちらりと後藤を見た。それだけで彼らの力関係が推察できる。


「あー、君。この坊ちゃんと話してはらちがあかんし、君が話しぃ」


 少しだけ威圧を落とし、後藤から離れて木偶の坊に言う。すると、彼は真一文字に結んでいた口を解いた。


「実は……」


「松本、黙ってろ」


 すかさず止めが入る。


「でも、後藤」


「話したところで凡人は理解できん。この世はそういうやつばっかりだ。この男もそういう類なんだよ」


「やかましーわ。未来だか死期だか知らんが、おれの過去は見えんとやろ? じゃあ、その減らず口を閉じて座っとけ」


 ぴしゃりと言うと、後藤は腕を組んで不機嫌に鼻を鳴らした。じりじりと嫌な威圧を向けてくる。薄暗い橋下も相まって、後藤のギラついた両眼が獣のそれを思わせる。しかし、そんな目はおれも知っている。

 松本と呼ばれた男子学生は、その体躯とは裏腹に狼狽ろうばいの顔で後藤とおれを交互に見た。しかし、どこから話したものかわからないようで、結局は口を閉ざしてしまう。

 おれはズキズキと痛む頭をなでながら、仕方なしにため息をついた。冷静を取り戻そう。


「はぁー、やれやれ。じゃあ、こっちから質問しよう。松本くん。君は、この坊ちゃんの力を目の当たりにした?」


 その問いには小さな首肯。松本は制帽に隠れようと、つばを傾けた。


「じゃあ次に、君は坊ちゃんから弱みを握られている。自分の死期……いや、家族の死期か、それを言われて信じている?」


 首肯。


「……はぁ、外道め」


 なんとも嘆かわしい。あんなに大きなことを豪語していたくせに、結局は暴力に頼り、人を脅してカツアゲまがいの襲撃とは。ここでおれは、後藤が語った唐人町の怪人を思い出した。なるほど、合点した。

 後藤は表情を変えず、ただこちらをじっと見つめるだけ。手の内を明かしたいま、隠し立てするものはないのだろう。一方でその沈黙は相棒の松本を責めているように思えた。彼はデカイ図体をしていながら悪人になりきれないようで、なんだかそれに親近感を覚えたおれは場違いなほど朗らかに笑った。おれもまた筋金入りのお人好しなのだ。


「いやいや、松本くんは優しい子やんな。人質に取られたのは親父さんか、お袋さんか、はたまた兄弟か」


「……妹です」


「妹かぁ。それは一大事やなぁ」


 おれは松本の肩を叩いた。しっかりとした厚みのある肩がびくりと震える。


「人質とは人聞き悪い」


 やがて、後藤が苦々しく言った。その顔は松本のような慈愛も憐憫れんびんの欠片もなかったが、体面を守るための言い訳ではなさそうだ。続いて彼は口を開く。


「松本の妹はじきに死ぬ」


「………」


 前言撤回。


「なぁ、それを兄貴の前で言わんでよかろうが。貴様の辞書には道徳という文字はないのか」


 ないなら可及的かきゅうてきすみやかに加えておきたまえ。


「いや、後藤の言うとおりなんです」


 言い争いが勃発ぼっぱつしかけた直後、松本が割って入った。情けなくゆるゆるとしゃがみこみ、半ば土下座のようにうずくまる。その情けない姿を見て、おれは「おろろ?」と大して感情を込めずに相槌を打った。


「妹は昔から体が弱くて、日に日に衰弱しとります。それは後藤が見ずとも明らかでした。だから、そこに驚きはなく、当然とも言える」


「おい、当然とか言うな。諦めんなよ」


「ただ、問題はそこじゃなかとです」


 慰めの言葉はすかさず振り払われた。妹の一大事よりも問題にすることがあるのか。おれは釈然とせずも先を促した。ともかく話を聞かねば先へ進めない。


「事の発端は、妹でした。あいつの幼馴染が、どうやら霊能者らしいんです。その子、宮木みやぎうめというんですが、なんでも耳が良すぎるようで」


 なんだか話が突飛な方向へ向かっているような。しかも、新たな霊能者が登場とは想定外だった。

 おれは絶え間無くくる頭痛に耐えながら話を詳しく聞いた。でなければ、死んでも死にきれん。その淡い願いが届いたのか、松本はせきを切ったように思いの丈をぶちまけた。


「宮木梅と連絡が取れんとです。それを妹が心配しよる。このまま見つからんかったら、死んでも死にきれんって」


「要するに、霊能者の幼馴染が行方不明だと。それで、この霊能者坊ちゃんと一緒に探し当てたと。しかし、一筋縄じゃいかんから何某かの見せしめの人員が欲しかった。じゃあ、なんだ。おれは霊能者を愚弄する者を懲らしめるためのってわけか?」


 皮肉めいて言うと、松本は姿勢を正して頭を下げた。


「申し訳ありませんでした。僕も後藤も逆上せとったんです。どうか、ここは僕に免じて勘弁してください」


「はぁ……」


 所詮は学生。立場が悪くなると困るのは明白だ。暴行を見逃せと言うのはわからなくもない。しかし、おれは眉をひそめた。


「……まぁ、おれは紳士なんでね。喧嘩は嫌いだ。ただ、ここまで人をコケにしといてタダで済ませるわけにもいかん」


 わずかに凄んでみせると、松本は緊張気味に全身を硬直させた。覚悟を決めた男の目をしている。


「殴ってください。それで気が済むんなら」


「お、言うたな。んじゃあ、歯ぁくいしばれ」


 松本がハッと顔を上げる。その刹那せつな、おれは渾身こんしんの一撃を食らわした。村では負けなしの悪童と名を轟かせたおれのパンチを舐めるなよ。

 ガツンと顎に命中する。しかし、この一撃は出血多量なおれを昏睡こんすいさせる威力があった。

 一度ならず二度までも。今度こそは地獄の鬼たちも現世げんせへは帰してくれないかもしれない。

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