二 警告 – warning –
世は大正。明治の
おれも新聞の紙面で知ったのだが、いわく千里の
しかし、御船千鶴子は死んだ。彼女は世間からインチキ呼ばわりされ、自殺をしたらしい。むごい死にざまだ。なんとなく自分の首元にも寒気を覚える。
それもこれも目の前に
後藤祥馬と名乗る死神は、かの千里眼をも
本当にそんなことが可能なのだろうか。いや、霊能力なんてものが存在するのか。御船だって、その力が証明できないから自死を選んだのではないか。
後藤はじっとりとした目つきだった。
「……ほんとかぁ? じゃあ、おれの死期は見えるかい?」
「死が近い人ほどより鮮明に見えるものであって、あんたは全然、これっぽっちも見えん。長生きするんじゃないか」
「はぁー? ますます不審だねぇ。そうやって言い逃れる腹づもりだろ? おれは騙されないぞ。もう二度と、誰にもな」
力強く言うと、後藤はこれ見よがしに盛大なため息をついた。そして、ぐいっと身を乗り出して威嚇する。
「いいか、ペテン師。あんたみたいな
千里眼の女――彼もまたおれと同じく
詐欺師というのは、いつだって凝り固まった心に滑り込む。そのためならば、顔を偽ることくらい造作無いことだろう、と、おれはねじ曲がった思考をこねくり回した。
しばらく、互いに睨みをきかせて
そのちょうど、店主がうどんの丼を二杯、かしわ飯の皿を抱えてきた。
「はいよ、うどんとかしわ」
「おう、ありがとさん」
しばし休戦といこうか。
おれは
互いに無言でうどんを食う。
「――なぁ」
先に言葉を発したのはおれだった。かしわ飯に箸を差し入れた直後である。
「どうも君は、おれがアコギな商売をしていたら困るらしいな。こんなのが世にはびこるのが許せんと、そう言いたいわけだ」
「あぁ」
「そういう
かしわ飯を口に放り込む。噛むとじゅわっと甘辛い
「
「ほう……同胞となぁ。ってことは、君以外にも霊能者的な輩がいると」
「あぁ」
意外とあっさり白状してくれる。
彼は堂々とした面持ちで、しかし熱々のうどんを恐れるようにちまちまと、なおも続けた。
「特異な才を持って生まれたからには、世のため人のために尽くしてこそだ。そんな未来ある人間がどうして自死をせねばならん。世間の傲慢さや無知、才能を食い物にしようと企む卑劣な人間が善人を殺すんだ」
その言葉は力強く、悔しいことにおれの胸にもサクッと突き刺さった。卑劣な人間が善人を殺すという
「じゃあ、なにかい。君はあの御船千鶴子が善人だと知っていたの? 面識は?」
「ない。でも、俺にはわかる」
「うーん? 根拠もなしに、新聞で読んだだけの上っ面じゃないかね。君の言葉はご立派だが、それでも
所詮は口先だけの
「――なぁ、後藤くん。あんまり他人に指図するもんじゃないよ」
汁をすすり、一息をついてからおれは重く言った。
「百歩ゆずって、おれはいいけどさ、他の詐欺師に食ってかかると痛い目にあう。これは君のためを思って言ってるんだよ」
「俺はあんたみたいに
彼はきっぱりと言った。その揺るぎなさが、いまとなっては危なげにかつ
無意識にため息が出る。すると、ほのかにいりこ出汁の匂いがした。
「わかったら、二度とここらへんで商売するな」
後藤が言う。ここまでは、彼のその正体不明な正義に恐れをなしていたが、おれはとっくに調子を取り戻し、薄ら笑いを返してやるくらいのことはした。
彼は非常に素直だ。さもなくば、とんだ
「別に君だけの道じゃなかろうに……へいへい。わかりやした、そのお言葉、しかと胸に刻んで明日を生きよう」
「誠意が見えん」
「あは。誠意なんざ、母ちゃんの腹ん中に置き忘れてきたわい」
「はぁ、まったく。いい加減、学んだらどうだ? そんな自堕落な生き方はせず、大の男なら真っ当に生きてみろ」
「君は、おれのなんなのよ?
論争は互いに一方通行だった。そうなれば論争など激しく不毛だ。早々に辞退する。
このうるさい小鼠をどう黙らせようか――あ、そうだ。
おれは挑戦的にパチンと指を鳴らした。
すると、彼は眉間にしわを寄せたまま黙った。その間、わずか数秒。すかさず、おれは内ポケットからピストルを抜く。
引き金を引いて、
「悪く思うなよ」
バチッと弾く破裂音が鳴る。銃口からは花びらと紙吹雪が噴射された。なんてことはない。ただの
「ははっ、
「……びっくりしてない」
しかし、言葉とは裏腹に声には悔しさと恐れが混じっていた。なんだか初めて人間らしい反応をする。これが愉快で堪らない。おれは口元を押さえてクスクスと笑った。してやったり。わはは。ざまぁ。自称霊能者も所詮は人の子なのだ。
「いやぁ、いいもんを見た。よく出来てるだろう?」
ピストルを優雅にポケットへ仕舞うと、後藤は「悪趣味」と、それだけを投げつけた。その声にはたっぷりの憎悪が込められている。
***
「
まったく、どいつもこいつも「男なら、お国のためにより良い仕事に励むべし」だの「働かざるもの食うべからず」と言う。それはしがない農民家族、
また、おめおめと帰郷してからは、こうして
だからいまさらなのだ。
こんな学生に
「――君、未来を見るとか言ったな。その割には大したことないんじゃないの? おれがいつどこでなにをどのように物事を動かすのか見破れそうなものを」
「だから、俺が見るのは人の死だ。その人に降りかかる不幸だけ……と言っても理解出来んだろうがな。あの千里眼も、出来んときは出来んと、
「君にはそれがわかっていたと?」
「あぁ」
「
未来の証明など、不可能である。それは、うちの阿呆な弟たちでも、なんなら口がままならん末の妹でさえわかることだ。
もう一度言うが、未来の証明は不可能である。
「それは
きっぱり断言すると、後藤は汁の一滴を悔しそうに舐めた。そう見えた。
「霊能者を名乗るのなら、出来んときは出来んなどと言ってはいけない。いつでも出来るようにしておくのが一流だ。君が思っているよりも人間は邪悪に出来ているんだから、せいぜい足元を
「じゃあ、あんたはいつでもその〝魔法〟とやらを使えるとでも言うのか」
彼は丼を台に置き、静かに問うた。
おれは澄まし顔をつくると、傍にあった湯のみを引っつかんだ。腕を伸ばし、湯のみを遠ざけて持つと、トントンと伸ばした腕を片方の指で叩いていく。手首まで到達した瞬間、湯飲みの中で「チャリン」と銅貨が落ちる音がした。
おれは無言で湯のみの中を彼に見せた。
「こいつのタネがわかるかい」
訊くと、後藤は形のいい太眉を寄せた。しばしの思案。
「……手先は器用なんだな」
ようやっと口から出たのは、負け惜しみの一言だった。どうやらタネはわからなかったらしい。
「その器用さを他のことに役立てようとは思わんのか。くだらない遊びはやめて、まともに働け」
「この
「あんたのそういう姿勢が気にくわんだけだ」
言い争っても
おれは湯のみをドンと置き、やかんから茶を乱暴に注いだ。そして気前よく、銅貨を台の上に置いた。店の奥から店主が
「さて、うどんも食ったし。そいじゃあ、そろそろこの辺でお
後藤はこの銅貨を見やり、
なんなんだ、こいつは。急にしおらしくなりやがる。最初はおれの技を完全に再現していたくせに。
預言者になる気はないが、おれはなんだかこれから起こる目先のことに
「では、後藤くん。またどこかで会おう」
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