第一章 我ら、誇り高き有象無象なり
一 奇縁 – fate –
九月と言えど、この黒松をもいなす潮吹き荒れる玄洋の土地は目に染みるような熱風を巻き起こしていた。セミはまだまだ現役であり、トンボの
さて、もじゃもじゃの黒髪から汗が
いつまで経っても陽が高く、地熱がむわむわと靴底の中を蒸し上げる。ふと、
背広の上着を脱ぐ。しかし、
銅貨をつまみあげて
おれは帽子をゆっくりと持ち上げた。すると、銅貨は
「もっとすごいものをお見せしよう。誰か、お札を持ってる方はいますかな?」
「これならどうだ」
その声と共に差し向けられたのは、一枚の白い絵葉書である。
なんと。この少年もおれと同じ絵葉書を持っていたとは。フーディーニ大先生を知るとは恐れ入る。
おれは面食らいつつ絵葉書を受け取った。
「さぁ、
なんとも
「さて、この中におわします奇術師の紳士。私のまじないで消えてしまいます。うにゃうにゃうにゃ、あぁ、
もちろん、当てずっぽうのまじないだ。極めつけに「えぇぇい!」と奇声をあげてみる。千里に
田んぼで親父の仕事の手伝いをしながら歌を歌っていたのが功を奏した。つまらん仕事の中でささやかに楽しもうと
そんな思いを
偉大なる神もとい奇術師大先生の姿はどこにもない。きれいさっぱり。
すると、驚きが大波となってたちまち黒松を震わせた。それは膨大な
「これが異端なる魔法。今世紀最大の異端なる魔法である! 私には、神の力が備わっているのです!」
陽光にさらすように封筒を高く掲げ、声高に言えばやんやの喝采。いい舞台だ。最高に上機嫌である。客も楽しい、おれも楽しい。ならば良し。
その勢いのまま、ささっと帽子を観客に突き出した。
「ささっ」
すると、子どもたちは途端に
おぉ、
だが、帽子からあふれるほどの
「ありがとうございます! ありがとうございます! 玄洋の魔術師、一色天介です。以後、お
まぁ、お代にもよるのだが。なんて
淡い期待は黒海に沈みゆく
そんな時。
「おい」
冷酷無情な声がした。
「おや」
おれは紳士らしく素っ頓狂に驚いた。そして、喉を整えて帽子を差し向ける。
「あぁ、そうだ。君からはまだ
「ペテン師にくれてやる金などない。恥を知れ」
それは凛と端正な面持ちで、氷点下にも及ぶだろう冷ややかさ。笑顔でかたどったおれの横っ面に叩きつけるように彼は言った。
それはまごうことなき、まっすぐな事実である。事実を追及されては、ペテンに生きると誓い、愛は
***
絵葉書を返してやっても、木台を片付けても、彼はただただそこに突っ立っていた。いかにもその姿は、かの
ともかく。
こうもガンガンに見張られちゃ、忍びなくなる。まっすぐな
ただでさえお
「えーっと、君。腹減ったろ? うどん、食いに行こうか」
〝
店の横で商売をしているので、店主から睨まれないように毎日朝、昼、晩はこの〝やまと〟でうどんを食している。これが意外と食べ飽きない。まぁ、腹が膨れればそれでいい。
「うどん二つ、あとかしわ
「腹は
「じゃあ、かしわはひとつね」
店主に注文すると、入口から手前の席に座る。坊ちゃんも
彼は制帽を取り、脇に置いた。すると、
品定めしていると、冷酷無情な彼が話しかけた。
「あんた、生まれはここなのか」
おれは頬杖をついて調子よく答える。
「あぁ。生まれも育ちも
「ふうん……ともかく、俺が言いたいのは一つだけ。さっさと
「はっ、健全ねぇ……親父の背中を見て同じ道を歩むのなんざ、よっぽどつまらん人生だと思うね」
そうして、おれは高らかに言った。
「この世は目覚しい文明社会。日に
「神はともかく、そうしたところで、あんたは楽にはならん」
大口を叩けばすかさず毒を投げつけてくる。彼のまっすぐな目に、おれはあからさまに
「人の道は生まれた瞬間に決まるものだ。それを勝手にねじ曲げるのは、どこぞの
「……まぁ、学生さんにはわからんよ」
人生の先輩らしく上から物を言ってみる。この世の
「だってよ、つまり人間は
「思わん。嘘にまみれて生きたいとは思わん。あんたが歩むべき道筋はそこじゃない。素直に〝奇術だ〟と言えばまだ救いがあったはずだ。それをわざわざ偽る必要がどこにある?」
坊ちゃんの
「君は、あれのタネがわかったのかい?」
負け惜しみが過ぎるが、おれはなおも食い下がる。
すると、彼は涼やかな目で胸ポケットから、あの絵葉書を取り出した。おれは背広の内側に仕舞っていた封筒を彼に差し出した。
大小異なる三枚の封筒がおれたちの間に広がる。彼は、その中心に絵葉書を置いた。外側から紙を折りたたんでいくこと数回。何重にも折りたたんでしまい、絵葉書は見えなくなった。そうして上から手を重ね、指をピーンと伸ばした状態を保ちながらひたすらなでる。
そして、閉じた紙をゆっくり開いていくと……絵葉書はなくなっている。
ここまで、おれの技そのままだ。すかさず紙の封筒をひったくると、おれは開いた紙を裏返した。なんてことはない。この仕掛け、つまりは裏表どちらにも観音開きになる封筒である。表側に絵葉書を仕込んで折りたたんでいき、開くときにさりげなく裏返せばいいだけのこと。
一度見ただけで技を盗まれるとは思わず、おれは当て付けのように絵葉書を彼に向けて飛ばした。しかし、冷静な態度を心がけた。だいたい、こんなよちよち歩きの学生
「……そういや、坊ちゃん。その絵葉書、よく持ってたな。男児なら健全に女の絵葉書でもこっそり本に忍ばせて
「失礼極まりない発言には目を
「じゃあ、なんて呼べば?」
「俺は
「ふうん。んじゃあ、後藤くんよ。あの絵葉書はどこで手に入れたんだい?」
すると、後藤少年は目を細めた。
「実は先日、
後藤の言い草から、ただならぬ正義感の
「君のそれはなんなんだ? 正義の押し売りじゃないか? この
「そんな大層なものは持ち合わせていない。俺はただ、守りたいだけだ。特異な能力を」
その彼の声は一層、熱がこもっていた。
特異な能力とは、なんぞや。
「魔法なんて代物じゃないが、俺は特異な能力を持っている。もちろん、本物の」
「へぇぇ。それはまた。一体どんな力をお持ちで?」
「人間の死期。あるいはその人間の未来だ」
彼は恥ずかしげもなく、至って冷静にかつ簡潔に答弁した。その言葉があまりにも涼やかで、当然のごとく爽やかに耳元を流れていくので、脳内でそれと
やがて、おれは喉をひっくり返すように、ただただ
「しきぃ?」
なんと、この正義漢は天使などではなく
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます