僕と彼女と願いと使命 ー4ー
「……どこに行くんですか? 栞」
いてもたってもいられずに家から飛び出した私は、すぐ呼び止められた。
葵姉だ。こんな状況なのに落ち着き払った声で、走り出そうとした私に声をかけてきた。
振り返る。
それだけの動作なのに、私の目からぽろぽろと涙が落ちていく。
葵姉は私が開け放ったままにしていた玄関の前に立っていた。
昨夜、江宮神社の拝殿と本殿が焼け落ちたときからずっと、その険しい表情を崩していない。いつもはバカみたいに脳天気な笑みを浮かべているくせに、今は誰よりも厳しかった。
私がこれ以上進み、江宮神社の最奥に行くことを許すつもりもないんだろう。
それでも私は、明日葉姉を追いかけずにはいられなかった。
「ダメだよ葵姉、やっぱりダメだ!」
私はたまらずしゃがれた声を吐き落とす。
「こんなの、ひどすぎる。このまま明日葉姉が力を使ったら、明日葉姉が自分の願いを叶えちゃったら、明日葉姉が消えちゃう。それは明日葉姉にとって、死ぬことと同じなんだよ!」
「……それが、明日葉さんの選択だったんです」
人は生まれるときも場所も、関係さえも選ぶことはできない。
だけど、終わりは選ぶことができる。
決して許されることではない。それでも明日葉姉は、選んでしまった。
一度きりで終わりの選択をしたにも関わらず、二度目の選択をすることができる場所にいる。
そして、今まさにその選択が実行される。
明日葉姉が願ったこと?
明日葉姉が選択したことへの罰?
神々の場所を直すために?
正直、私にはすべてがどうだっていい。
ただ、嫌だ。
「それじゃあ明日葉姉はなんにも救われない! 葵姉だっていつも言ってるじゃん。この世界を訪れる旅人は、旅を楽しく素敵なもので終わらせて旅立たなきゃいけないって!」
私たち旅人を迎える一族が、ずっと昔からつないできた決まり事。
どんな人たちがどんな願いを持ってやってきたとしても、その旅を、楽しく素敵なものにしてもらえるように努めること。
連綿と受け継がれてきた約束事だ。
私たちはそのためにはいくらでもお金を使う準備ができているし、無償で手助けができるならなんだってやるのだ。衣食住の確保などは当たり前だし、願いを叶えるための協力だっておしまいない。
この江宮島で旅人を笑顔で迎え、そしてまた旅人を笑顔で送り出す。
神様に導かれてこの世界にやってきた迷い人にも笑顔になってもらう。
私たちにできることは、それだけ。たったそれだけなのだから、絶対に守らなければいけないのだ。
だけどもうすでに一人。
つい先ほど、一人の旅人が旅を終えてしまった。
私や葵姉がいない場所で。
それ自体は珍しいことでもなんでもない。
旅人はふらりと現れ、ふらりと消えていく。
そのことについては、悲しくはあるけど私だって受け入れている。
けれどその旅人は、結弦は、絶対に笑顔で旅を終えてなんていないのだ。
だから悔しく、申し訳なく、辛いのだ。
私がどれだけ言葉と気持ちを吐き出しても、葵姉はそっと目を伏せながら首を振る。
「いけません。栞、あなたが行ったところで、なにも変わりません。この世界の誰も、明日葉さんを救うことはできない。江宮島から江宮神社がなくなるわけにはいけないんです。だからこそ、明日葉さんも覚悟を決めたんです」
「そんな覚悟いらない!」
悲鳴にも似た声が漏れ、再び涙が舞う。私の頭はずっと熱を帯びている。
「誰かが、明日葉姉が犠牲にならなきゃ神社を続けられないのなら、神社なんてなくなっちゃえばいいんだ!」
本来、神職の家に生まれた人間なら絶対に口にしてはいけない言葉だ。
それだけのことを吐いたのに、葵姉はまゆを少し動かしただけで、私を叱ることはしなかった。
それが逆に、頭に血を上らせた。
「明日葉姉は、いつも笑って、いつも誰かのためになにかをしたいって考えてた。誰よりも優しくて、誰よりも明るく強くあろうって、そうやって生きてきたのに!」
明日葉姉がなんで、自分の世界で自殺という選択したのか。私に詳しく話すことはなかった。たぶん、私がまだ子どもだから、暗く嫌な話を聞かせたくなかったのだ。
でも、江宮島で私と一緒に時間を過ごしてくれた明日葉姉は、絶対そんな選択をする人ではなかった。
あの人を、そんなになるまで追い詰めた人たちが、世界が、私は嫌いだ。
「お金が必要なら私が稼ぐ。神社はまた建て直せる。神様の場所はなくならない。けど、けど明日葉姉の命は一つだけ、今この世界にあるだけなんだよ!」
私が叫ぶと同時に、ずっと高くにある山頂付近が、淡い光を帯びた。
もう時間は残されてない。でも、今なら、もしかしたらまだ……っ。
「明日葉姉は絶対に消えさせない。力も使わせない。明日葉姉は、この世界で生きていけばいいんだよ。時間は、あまりないかもしれないけど、それでも私が、絶対なんとかするから――」
言って、私が走り出そうとしたときだ。
「――あなたには、無理ですよ」
非情な言葉に、私は、次の足を止めた。踏み出せなく、なった。
いつもあまり感情を読み取らせることのない笑みを貼り付けた顔。
それでも今は、感情が消え去った明確な空虚だった。
「あなただけではありません。私も、この世界の誰にも、神様にだってきっと、明日葉さんは救えない。自分を救うことができるのは、どんなときも自分だけ。私たちがどれだけ力を尽くしても、世界の理は越えられない。私たちは絶対に、明日葉さんを救うことはできないんです」
奥歯がぎりっと音を立てる。
言われなくたって、わかっている。
私が今、明日葉姉のところに行ったところで、なんの意味もないって。
邪魔にしかならない。困らせるだけ。わかっては、いるのだ。
でもそれなら、明日葉姉は、あまりにも悲しすぎる。
私たちと同じように生を受けたはずなのに、その行き着き先が、こんな終わり方なんて。
許されないことをしたのは間違いない。
でも、本来は後悔の時間さえ与えられないにも関わらず、明日葉姉は悔いる時間を半年以上も強いられた。
辛く、悲しい。
神様なんて、いるわけないって、思えるくらいに。
もうなにもかも嫌になって、それでも立ち止まることもしたくなくて、参道を前に倒れ込みそうになったときだ。
「でも、大丈夫ですよ」
その言葉の意味を、私はすぐに理解することができなかった。
葵姉は笑っていた。どこか安堵した、いやでも、初めからすべてわかっていたような、そんな笑みだった。
自らの手首を見下ろしながら、葵姉は続ける。
「この世界の誰にも、明日葉さんは救えない。救えるのは、明日葉さん自身が結んできた強いつながりだけ。そして世界の理を超えるほど明日葉さんのことを思っている、あの子だけですから」
言われて気づく。
葵姉の、さらに私の手にも。
いつの間にか、一筋の緑が伸びていた。
そしてそれから、もう一本――
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