僕と彼女の願いと使命 ー3ー

「あんたたち……本当になにやってくれてんのよ……」


 机に両肘を突いて頭を抱えた葉月が、この世の終わりのように呻いている。


 しばらく頭を冷やせと詰め込まれた一室。教員棟三階にある会議室である。外には教師数名がばっちり監視に付いており、怒り狂った教師の一人に鍵までかけられた。


 長机の一つに、右で僕が苦笑し、左に陽司が大仰に座り、真ん中の葉月だけが死んでいた。


「青春っていいねぇ。俺の好きなラノベ的展開だ」


「あれを青春と捉えられる陽司にはびっくりだけどね。葉月、ごめん。悪いけど今、僕もすごくいい気分だよ」


 葉月を挟んで、僕と陽司は笑い合う。


「あんたたちに同意なんて、初めから求めちゃいないわよ……」


 呆れたように言葉を漏らす葉月の目元は、散々泣いたあとで赤く染まっていた。頬の腫れも相まってひどい状況だ。


 突然始まった大乱闘。廊下にひしめき合う生徒たちを押しのけて駆けつけた教師陣に、事態は収まった。 


 もっとも僕と、それと陽司も口だけは恐ろしいものがあったが、殴りかかってくる彼らにやり返していただけだった。押さえつけられていたのは富岡たちだけだ。


 短い間にずいぶんぼろぼろになってしまった富岡たち。僕も溜め込んでいたものはあったし、陽司も相当腹に据えかねていたようだ。迫ってくる彼らに遠慮なく顔面や腹に拳やら蹴りを叩き込んでしまった。


 富岡たちは未だ暴れていたが、我に返った生徒たちも協力して教師たちとすぐに連れていかれた。


 もちろん、僕たちも。


 机を窓から投げ飛ばしたのは紛れもなく僕で、それは自分から申し出た。さらに富岡たちはあちこち怪我をしているのに対し、僕と陽司はぴんぴんしていた。初めから見ていなければ、僕たちが一方的に富岡たちを殴っていたと捉えかねない状況だった。


 それに異を唱えたのは葉月である。


 事情すら聞かずに頭ごなしに僕と陽司を責める教師陣に、葉月がぶち切れ。

 これまで僕のことでなにもしてこなかった担任を無能だの役立たずだのと、仲のいい友だちが面食らうほどの罵声を連射。僕たちを押さえる教師につかみかかったのだ。


 我慢していたものがすべてあふれ出したのか、泣きじゃくりながら暴走する優等生に先生たちも呆気にとられていた。


 おかげで、主犯である僕と陽司が二人がかりで羽交い締めにして押さえ込む事態に。


 そして大混乱に陥り事態が滅茶苦茶。とりあえず会議室に押し込まれ、今に至る。


 保護者に連絡を取っているから待っていろとのことだった。

 この時間に両親が来られるとは思えない。たぶん姉さんに連絡が行く。迷惑をかけてしまうだろう。申し訳ないとは思うが、でも、不思議と姉さんは怒らないだろうなと、心の中で笑ってしまった。


「だいたい陽司、あんたこんなことしてサッカー部はどうすんのよ。大会出られなくなるわよ」


 僕は目を剥いた。たしかにそうだ。サッカー部に所属する陽司が暴力沙汰を起こせば、サッカー部は大会出場資格を失う可能性がある。無関係なサッカー部員までも被害を受けてしまう。


 しかし、陽司はあっけらかんと笑う。


「サッカー部はもう辞めたぞ。先週な」


 ぽかんと口を開く僕と葉月。


「そろそろ我慢の限界だなーって思ってたからな。事前に退部届は提出済みだ。部に所属したままじゃ、さすがに問題起こせないからな」


 問題を起こす前提で思考している友人は、それでも笑う。

 喧嘩の憂いも後悔もまったく感じていない姿に、僕も笑わずにはいられなかった。


 暴行沙汰になると見越して部活を辞めるとは、狡猾なんだか考えなしなんだかわからない。


「つうか、葉月まで怒られたのは自己責任だろー。なんでお前まで先生につかみかかってんだよ」


「そ、それは……っ」


 葉月はばつが悪そうに口の中でもごもごと言葉を潰す。いつもは綺麗に整えられている栗色の髪はぼさぼさで、しなしなと力を失っていく。


「わ、私は結弦みたいに隠すつもりもなかったのよ。次の授業の先生は臨時で、信頼できる先生だったからその先生に直接見てもらうつもりだったの。そしたら隠すこともできずに大問題にできたのに!」


「安心して、十分大問題になってる」


「ぶっ飛ばすわよ!」


 悔しげに歯がみする葉月はむきーと頭を抱える。


「ぶたれたあとも残って、机もいい感じにわかりやすくて完璧だったのにいいい!」


 まあそうなればたしかに、いじめの問題は表沙汰にならざるを得ない。葉月はやると言ったらやる子だ。本当に大問題にするつもりだったのだ。これまでは僕が目立たないように立ち回っていたから隠せていただけだし。


「あんたたちが暴れたおかげで私たち三人まで絶対罰受けるわよ。お、お父さんに怒られるぅ……あわわわわぁ……」


 しかし珍しく葉月が弱っている。これはおもしろい光景だ。口に出そうもならパンチが飛んできそうだけど。


 葉月のお父さんは教育委員会で仕事をしている。その娘が暴力沙汰に関わったとなれば問題だが、僕らはともかく葉月は被害者であることは誰の目にも明らかだ。問題ないだろう。


 僕は深々と息を落としながら、椅子の上で姿勢を正した。


「ごめんね、二人とも」


 僕が言葉に、陽司は笑い、葉月は憮然として鼻を鳴らした。


「なに謝ってるんだよ。葉月はともかく、俺は好きで喧嘩したの」


「別に、私だって二人になにも言わずにあれこれしたのは、悪かったし」


 僕は首を振る。


「そうじゃなくて、これまで、二人にひどいことをしてきたのを、謝りたい」


 陽司と葉月はそろってきょとんと首を傾げる。


「わからなかったんだ、ずっと。僕が富岡たちからわざといじめを受けていたの、二人が止めようとしてくれていたのに、僕はそれを聞かなくて……。二人に嫌な思いをさせてきたって、今まで気がつかなかったんだ」


 本来それは、友だちだからわかること。つながりがあるからわかること。

 でも僕は中学時代、周囲から犠牲になることを強いられた。友だちであった人たちから、守ってくれるはずの担任教師から、僕さえ痛みを被っていればみんな幸せでいられるんだと。君ならやれると。君が必要なんだと。


 もしかしたら、当時はつながりなんてなかったのかもしれない。友だちなんて本当はおらず、先生は僕に興味なんてなかったのかもしれない。クラスメイトたちも僕の痛みを理解してなくて、僕一人の犠牲で問題はなかったのかもしれない。


 でも、高校では違った。なにを思ったのか、僕の側にいてくれる友人が二人もいたのだ。

 僕が間違いなく友人だと思っていて、うぬぼれでもなければ二人も僕たちのことを友人だと思ってくれている。そんな、暖かい関係。


 姉さんも僕が涙を流していることに心を痛めてくれた。僕がどんな生活をしていても気にしていないと思っていたが、ちゃんと僕が起きて高校に行っているかなども気にかけてくれていたのだ。


 そして、ここではない、夢の中だけで出会うことができたあの少女。

 最後まで僕のことを心配してくれて、一緒に悲しんでくれて、僕に多くの気持ちと思い出をくれた、ひまわりのような少女。


 言いようもない感情とともに、口元に笑みが浮かぶ。


「これまで二人のことや、周りの人のことを考えないで、好き勝手にやってきて、本当にごめん」


 謝らなければいけないと思っていた。こんなタイミングになってしまったのは情けない限りだけど。


「結弦、あんたやっぱり変わったわね」


 穏やかに、葉月は笑った。


「前まではもっと冷めたやつだったのに」


「俺たちとの間にも距離作って、変な気を回してたしな」


 散々な評価ではあったが、正論過ぎて苦笑してしまった。


「……ちょっと前までは、本当にもっと冷めたやつだったと思うよ」


 この数ヶ月。


 多くの出来事がはっきりと自分を変えていった。

 目に見えないだけで、世界には数え切れないつながりがあるんだと教えてくれた。


 無意識に、左手首を触れる。

 旅を始めてからずっとともにあった僕の御守は、役目を終え、あるべき場所に還った。

 なにもないことに違和感を覚えるほどであるが、これが正しいことなのだ。


 旅の始まりが出会いであり、旅の終わりが別れだった。

 ただ、それだけなのだ。


 言い聞かせるようにうそぶき続ける言葉が、心にぽっかりと空いた穴をかすめていく。


 大丈夫。僕は、大丈夫。


 たとえもう会うことはできなくても、つながりは、今もあるのだから。


 右手が、胸元のシャツへと行く。ここにも今、なにもない。それでもここには僕と彼女のつながりが、たしかにあった場所。


「これからは、もっと二人のことを考えて――」


 言葉が途切れる。


 胸元をつかんだその手が、明確な存在に触れた。

 なにもない場所をつかんだにも関わらず、手のひらの中に、なにかがある。

 覚えのある肌触り。チャリと金属が触れ合う音が耳を撫でる。意識すると、首に金属特有のひんやりとした感触が走る。


 震えて勝手に開いた手のひらには、ダブルループのネックレスが握られていた。

 

 弾かれたように立ち上がった。


 陽司と葉月が驚き、眉をひそめながら僕の手のひらをのぞき込む。


「ど、どした突然……ん? ネックレス? 今日はそんなのつけてたのか?」


 つけていない。つけていたはずがない。たしかにここ最近ブレスレットはずっとつけていた。アクセサリー程度なら校則で許されているから。


 だが、そういう話じゃない。


 このネックレスはそもそも、この世界の代物ではない。ここに存在するはずが、僕が手にしているわけがないもの。


 夢や幻ではない。たしかにネックレスはここに存在している。二つの輪を組み合わせて作られたデザイン。心地よく冷たい感触。なにもかも、あの世界で感じたもののまま。

 あの少女がプレゼントしてくれたものに違いなかった。


 なぜこのネックレスがこの世界に存在しているのか。なぜ急に現れたのか。

 いかなるものであっても、旅人は御守以外のものをあの島から持ち帰ることはできない。

 僕がベッドで目を覚まし、今に至るまで確実に存在していなかった。


 それなのに、なぜ、今。


 手のひらにたしかな存在を落とすそれは、ただじっと、僕を見つめていた。なにかを訴えるように、なにか求めるように。


 ネックレスを前に動けなくなっていると、葉月が興味ありげにネックレスを見やる。


「ダブルループのネックレス。結弦にしてはずいぶんおしゃれね。意味もロマンチックだし、私も好きよ」


「……どういうこと?」


 僕が知らならいことが意外だったのか、葉月は首を傾げる。



「ダブルループの意味は、二つの輪は決して離れない、、なのよ」


 

 記憶の中の彼女は、いつも笑っていた。


 命を絶つきっかけとなった自らの過去を話すときでさえ、こともなげに、思い出話に花を咲かせるように。僕に自分を大事にしろとばかり言うくせに、自分だって誰かのために自分を犠牲にしていた。


 あの世界に導かれたお礼にと、あの世界になにかを返したいからと、誰かを助けていた。


 耳の奥に、パンパンと、乾いた拍手の音が響く。


 そんなわけはないのに、その音は、たしかに――



『結弦くんが痛いのは、私も、痛いよ……っ』



 僕は、あんなことを言ってくれた、あの子に……。



「――まだだ」



 気づけば、それは漏れていた。あふれ出した自分の声は、情けないほど揺れている。

 まぶたは熱を持ち、心が喉の奥から込み上げてくる。流れ出した熱が頬を流れ、ネックレスの端を揺らした。


 視界のすみで、突然のことに二人の友人が驚いて目を見開いている。


「まだ、僕の、僕たちの旅は、終わってない……っ」


 終わりじゃない。これで、終わっていいはずがない。


 首から提げたネックレス、そして二つの指輪を握りしめる。


 不意に、なにかを感じた。


 窓の外、晴れ渡った空に目がいく。


 なにかがあったわけじゃない。音がしたわけでも、なにかが見えたわけでもない。

 ただ、なにか、呼ばれた気がした。後ろ髪を引かれるような、そんな感じ。


 ずっと前にも、覚えがある感覚だった。


 流れ出した涙を袖で強引にぬぐい去る。


 絡み合う二つのリングを握りしめ、そしてこの世界でたった二人の友人に向き直る。


「葉月、陽司」


 困惑している友人に、僕は初めて、を口にする。

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