旅の終わり ー2ー

 高校から帰宅した僕は、早々に江宮島にやってきた。


 姉さんはここ数日部屋に閉じこもっており、ほとんど姿を見せていない。押しのアイドルが引退したファンのような奇声が、時々部屋から聞こえてくる。発狂しかけているがかろうじて生存の確認はとれていた。


 きっと僕が自室で昏睡状態になっていたとしても気がつくことはないだろう。明日も平日なので高校はあるが、最悪サボってもいい。


 今日は明日葉との約束の、デートの日だ。


 思えば、かれこれ江宮島にやってくるようになって三ヶ月。それなのにまだ、まともに江宮島で遊ぶということをしてない。

 江宮島という場所で僕らに退屈な時間などほとんどなかった。なにかしらボランティアや畑仕事、旅人お仕事ばかりで一日が終わるほどだ。


 この世界にやってきたばかりのころは意味もなく江宮島を探索していた。だけどあれは江宮島で遊ぶなんてこととはかけ離れている。ただのヤバいやつだ。


 江宮島にあてがわれたベッドで体を起こし、部屋につるしていた服に着替える。といってもこの世界にやってきたときからほとんど変わらない格好だが。

 黒の半袖パーカーにカーキ色のカーゴパンツ。左手には僕をペリドットのブレスレット、それから明日葉からプレゼントしてもらったダブルループのネックレスを首にかける。


 デートということなので、本当は服などもあれこれ準備をしようとしていたのだが、事前に釘を刺された。他でもない明日葉に。


「べ、別にそんなかしこまらないでほしいので。私も普段通りにするし、なんか力入れちゃうと、緊張しちゃうから」


 と、やけにかわいらしいことを言われてしまったのだ。そう言われてしまえば僕に反論する余地などなかった。


 だというのに、裏切られた気分だった。



「……ねえ、なんでそんなにおしゃれしてるの?」


 リビングで待っていた明日葉を見るなり、僕は自分の目が死んだのを感じた。


「え……、どこか変?」


 自分の格好を見下ろしながら不安げにきょろきょろとする明日葉。


 白のトップスの上から空色のサマーカーディガンを羽織り、下は丈の長いフレアスカート。服装に頓着せず、隣に立つ人の服が瞬間的に変わったとて気づかない自信がある僕でさえ、わからないはずもないほど見たことがない服。気合いを感じる。長く流れるような亜麻色の髪は、いつも顔の横で結んでいる髪飾りでハーフアップにまとめられている。髪型すら違う。顔も普段はほとんど化粧っ気を感じさせないが、今では薄く化粧されており、幼げな顔立ちもどこか大人っぽい。


 ただでさえ、明日葉は顔立ちもいい。クラスでは目立たないが、目をとめれば美少女みたいな立ち位置の子だ。この子の横に野暮ったい自分が歩いているのを想像すると、とてもやるせない気分になる。


「とりあえず、服を買いにいってくるね」


 と家をマッハで走り出そうとする僕の腕に、


「いやいやいや! まだお店やってる時間じゃないから! ごめんなので! 服勝手に準備して本当にごめんなので!」


 明日葉がしがみついて制止するので、とりあえず床にうずくまって悶絶するだけに留めた。


「葵さんと栞ちゃんは?」


 気を取り直して姿を探すが、家の中に静まりかえっている。一切の気配を感じさせない。


 明日葉は少し肩をすくめて笑ってみせる。


「二人とも急に用事が入ったみたいで、今朝早くに家を出たよ」


 葵さんはともかく栞ちゃんまでいないのは珍しい。まだ中学に登校する時間でもないはずだが。いつもはこの時間帯ならどちらかはいたのだが。


「というわけで、私たちもさっそく行きますか。デート」


 ショルダーポーチを肩にかけながら、明日葉は少し照れ恥ずかしそうに笑う。そんな姿に僕の体まで火照ってしまう。


 予定は私に任せてくれていいので。


 明日葉からそう言ってくれたのは非常に助かった。甲斐性なしで申し訳ないが、ただでさえデートなどという華々しいものとは無縁の生活を送っている。江宮島での生活が長い明日葉の方が予定も立てやすく、雰囲気のいいお店も知っている。


 伏見さん宅から出ると、そのままつい、日課である参道に足を向けてしまう。


「そういえば、今日は参拝どうする? その格好で登るの大変じゃない?」


「舐めてもらっちゃ困るので。参拝くらい楽勝です」


 ピースサインをしながら自信満々に胸を張ってみせる。


「だけど、今は江宮神社の拝殿付近には入れないんだ」


「入れないんだ? なんでまた」


「昨日の夜遅くに、参道の一部? が崩れちゃったみたいでね。登れなくなってるので。もう業者の人が入ってるから、今日の夕方くらいには使えるようになるって話だよ」


 たしかに江宮神社は敷地の大部分が山の中。崩落や土砂崩れも十分にあり得る話だ。もしかしたら葵さんや栞ちゃんがいないのも、それが関係しているのかもしれない。


 明日葉はにこやかに笑い、僕の手を引く。


「だから今日はこっち。また夕方、一緒に参拝してほしいので」


「うん、わかりました」


 明日葉に導かれ、江宮島の町の方へと足を向ける。

 ただ途中、足を止めて、なぜか江宮神社まで続く参道を見上げてしまう。


 今日は、なにか、いつもと違う気がした。

 


「それで、本当によかったの?」


「ふぁにがなので?」


 口いっぱいにフレンチトーストを頬張りながら、かわいらしく首を傾げる明日葉。

 朝早くにやってきたのは、江宮島に古くからある老舗カフェ。古民家を改修して作られた雰囲気のいいカフェで、軽食やスイーツを提供する江宮島屈指の人気店らしい。混雑する時間帯であればお店に入ることも困難らしいが、早朝も早朝なのですんなり入ることができた。


 ちなみにこの店、葵さんが作るスイーツが置かれているそうだ。このフレンチトーストも葵さんのレシピで、食後特別に葵さんが仕込んだケーキも出してもらえる予定だとか。朝からてんこ盛りだが、明日葉が楽しみにしてそうでなにより。


 まあ、それはともかく。


「なにかしてほしいことありますかって話の答えが、僕みたいなやつとのデートなんて」


 明日葉は口いっぱいに頬張ったフレンチトーストをもぐもぐしたあと、ナプキンで口元をそっと拭いた。


「もう、まだそんなこと言ってるの? いい加減観念して付き合ってほしいので」


 ぷくーっと頬を膨らませる明日葉。


「いや、別に嫌がっているわけじゃなくてですね」


 なんと答えていいかわからず、情けなく喉の奥で言葉が混じる。


 なにかしてほしいことがないか。

 その問いに正直、僕自身明日葉になにを言ってもらえれば満足だったのか、明確な答えはない。明日葉が今なにかを望んでいるものがあるのなら。そう考えての問いだった。


 にもかかわらず、その回答が僕みたいな冴えないやつとのデートなんて、罰ゲームといっても差し支えない。


「結弦くんがなにをそんなに卑下しているのかは知らないけどぉ。私だって誰かをデートに誘うなんて初めての経験なんです。まあ恥ずかしさがないと言えば嘘になるけど、これまで一緒に旅をしてきた相手を誘うことは、別に不自然なことではないと思うので」


 微かに頬を染めながら、まくし立てるように明日葉は告げる。さっきから視線があまり合わないところを見るに、明日葉も緊張しているのは本当なのだろう。


 じっと見つめる僕の目に気づいてか、明日葉は恥ずかしそうに視線を窓の外へと逃がした。


 カフェ自体が山の側部に作られており、窓の外はそのまま山々に囲まれる蒼海を一望できる。ここのカフェが人気の理由である。


「私も高校生になってから、誰かと仲良くするってほとんどなかったので。男の人はもちろん、女の子ともね。だから歳が同じ人と一緒に出かけたり遊んだり、デートをしたりってこと、一度でいいから経験してみたかったので」


 明日葉は向こうでの生活のほとんどを、アルバイトや家事などの時間に充てていたと聞いている。暴力を振るう義父や働きづくめでふさぎ込んでいた母親。自由に遊ぶ時間も、余裕も存在しなかったのだ。


 江宮島の外に広がる海を眺める、明日葉の横顔。笑顔ではあるものの、読み取れる感情は少ない。それでも、明日葉は楽しげな笑みを浮かべて僕に向き直る。


「だから結弦くん、今日一日、私の初めてのデートに付き合ってくれると、嬉しいので」


 眩しいほど真っ直ぐに、飾りっ気ない素敵な笑顔とともに、明日葉はそう言った。

 どこか寂しさを思わせる所作に、僕は吐息が漏れそうになるのを必死に堪える。

 そして、精一杯笑ってみせる。


「わかりました。ではこんな僕で申し訳ありませんが、遊びのお相手、勤めさせていただきます」


「はい、そうしてください」


 芝居がかった演技で満足そうにうなずき、そして特製カフェオレを一口飲む。


 しかし突然、僕の鼻っ面にぴっと指を立てた。


「だけど一つ訂正」


 僕が首を傾げてその先を待つと、指を立てたまま視線を逸らし、熟れたリンゴのように顔を赤くした。


「わ、私が結弦くんを誘ったのは遊びじゃなくてデートっ。誰でもよかったわけじゃなくて、結弦くんだから誘ったので。その意味を考えて相手をしてほしいのでっ」


 明日葉はそう言って、自分と同じくらい、きっと僕を赤面させた。

 


 江宮島の歴史は古く、信者仏閣などの文化財を主とした観光地の印象が強い。訪れる人の多くは、やはり本土では見られない歴史的施設を見に来る人が多い。


 しかし、デートスポットとしての施設もばっちり用意されている。


「スナメリかわいらしいなぁ……」


 僕は思わず声を漏らしてしまう。


 分厚いアクリルガラスの向こう側で、体をぷくぷくさせたスナメリがこちらを見ながら頭を振っている。スナメリは日本に生息する体長二メートル弱の小さなイルカ。陸上ほ乳類にはないかわいらしさが間近で見られ、感極まってしまう。


「思ってたよりも大きいので」


 隣で明日葉も興味深そうにのぞき込んでいる。


「やば……持って帰りたい……」


「……持って帰ってどうするつもりなの? 結弦くんも時々びっくり発言するので」


 どん引きされるのも仕方ないと思うが、きっとスナメリをこれほど近くで見たらみんな同じことを考えるに違いない。そうだそうなのだ。


 江宮島の街外れ、海に隣接するように作られている水族館は、予想の何倍も楽しい施設だった。存在は知っていたのだが、観光客向けの施設だと考えてほとんど近づくことをしなかった。


 明日葉はずっと行ってみたかったそうだ。だけど申し訳ないが、明日葉よりも僕の方が楽しんでいる気がした。


「タチウオって、本当に立って泳いでいるので」


 食卓に上がっている姿だけは想像できない、生きたタチウオの泳ぎ方は斬新だ。水面と直角に立って泳いでいる。


「うん、いいよねこの子。ロマンがある。タチウオ、かっこいい」


「……結弦くん、今までで一番テンション上がってない?」


 博物館が嫌いな男子なんていません。僕はもともと博物館が大好きなのだ。中でも動物園や水族館、植物園など、生きた自然を見られる博物館は、年何度も足を運ぶ。


「僕、動物が好きなんだよ。今は姉さんと二人でマンションに住んでるんだけど、実家では犬を飼ってるよ。雑種なんだけど柴犬みたいな顔してる」


「へえそうなんだ。私はグッピー飼ってたので」


「グッピー! それはまたいい趣味をお持ちで」


 僕たちの会話は広がっていく。


 普段、ほとんど自分たちの世界での話をすることはない。明日葉のことを知る前も、知ってからもそうだった。


 お互いのことを深く知ったところで最後、虚しくなるだけだと避けてきた。


 もしどこかでなにかが違っていたら、僕と明日葉は、自分たちの世界でこんな風にデートをする。そんな未来も、あったのだろうか。


 この世界に来ることもなければ、つながることがなかった二人の歪な旅人。

 不完全で異常なつながりで成り立つ僕らの関係なのに、そんなあり得ない明日を描いてしまった。


 

 海鮮料理を提供している有名な老舗料亭で、僕はあなご飯、明日葉はしらす丼を昼食にした。材料自体は市場に行けば売られているものではあるが、やはりプロの味は違う。どうやってこんな味を生み出しているのかわからないほど、おいしく素晴らしいものだった。


 昼を過ぎてからは、観光客でごった返す商店街を二人で歩いた。今日は江宮神社に登ることができないからか、いつもより人が多かった。至るところで江宮島に参拝できないことを残念がる声が聞こえる。それほど観光客から興味を持たれ、島民にも愛されている。


 街はこれまでもよく来ていたが、明日葉とのデートという目線で見ると商店街はまた違って見える。


 近海で魚介類を使った出店。貝殻やパワーストーンを使ったアクセサリーショップ。おもしろおかしいスイーツ店。ご当地キャラクターの着ぐるみで練り歩く集団。


 この島を訪れて三ヶ月。


 それでもまだ、この場所は僕の知らないことであふれている。

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