旅の終わり ー1ー

 ホームルームを終了するチャイムが響き、僕は手早く荷物をまとめて席を立った。


 すぐに教室から退散しようとしている僕のところに、すかざす葉月がやってくる。


「結弦、今日はもうすぐ帰るの? このあとカラオケ行くんだけど、一緒にどう?」


 葉月はそう言いながらも僕の腕をがっつりつかんでおり、暗に逃がさないぞと脅していた。

 少し離れたところで、おそらく一緒に行くであろう葉月と仲のいいクラスメイトも視線を投げている。


「ああ、ごめん、本当は行きたいんだけど、今日はこのあと外せない用事があるんだ」


 腕をつかむ指を一本一本丁寧に外していく。


「なんだ。てっきりもっとふわっと適当な理由で断ると思ってたのに。あ、彼女だ」


 思い当たったという風に葉月が目を輝かせる。


「彼女じゃないけどね。次は行くから、今日だけはごめん。誘ってくれたのは本当に嬉しいよ」


「……次は来てくれるつもりなんだ」


 意外そうに目をぱちぱちとさせた葉月だが、しかし満足そうに笑みを作った。


「ならよし。今日は勘弁してあげる。来週から夏休みなんだから、絶対引っ張り回すからね」


「お、お手柔らかにね」


 期末考査を終え、いよいよ夏期休暇を控えている。もう残り数日の簡単な日程をこなせばそのまま夏休み。葉月たちのカラオケは、考査の打ち上げも兼ねているのだろう。


「でもいいの? こないだ僕、結構派手なことしちゃったけど」


 江宮島のことで頭がいっぱいだった僕は、つい衆目の中で富岡に対して手ひどい対応をしてしまった。

 あとあと面倒なことになるかと思ったが、特にこれといってなにも起きてない。逆にそれが不気味なのだ。


「大丈夫じゃない? 友だちはむしろかっこよかったってハスハスしてたけど」


「……それはそれで大丈夫?」


 葉月は軽く周囲に視線を配ると、そっと僕に耳打ちしてきた。


「ここのところ、あいつら結弦になにもしてきてないの?」


「……ここ数日はなにもないんだよね。わりとホントに」


 僕も声を落として返す。


 嘘でも誤魔化でもなく、ここ何日か富岡たちが僕に絡んでくることが一切ない。


 葉月越しに見える富岡は、いつもつるんでいる二人と適当に雑談しているだけ。意識がこちらに向いている風でもない。


 僕が明確に富岡を拒絶、抵抗の意を示したその日から、つまらないいじめごっこはぴたりとなりをひそめている。クラスメイトの衆目で明確に突っぱねたことで、僕をターゲットにしにくくなったのかもしれない。机やロッカーなどの僕の身の回りについても、これといった嫌がらせもない。逆に違和感を覚えるくらいだ。


 しかし今は、葉月や陽司だけでなく、他のクラスメイトも僕を気にかけてくれている。今回のカラオケに関しても、以前ならクラスメイトが拒否反応を示しそうなものだ。


「ま、そういうわけで僕のことは気にしなくていいよ」


「なによそれ。私らは、あんたがバカなちょっかいかけられてるから友だちやってんじゃないんだからね」


 言いながら、ぽかりと僕の腕が小突かれる。葉月らしいストレートな言い回しではあるが、突然の言葉にきょとんと呆けてしまう。


 僕の様子には気がつかなかったようで、葉月は腰に手を当てて肩をすくめた。


「まっ、いいわ。もし次、なにかやってきたら私に絶対言って。つい何日か前に、今後結弦にバカな真似したら許さないって、あいつらにも言ってあるから」


「僕の知らないところでなに恐ろしいことしてんの君……」


 さらりとされたカミングアウトに頭を抱えてしまう。


 富岡たちが絡んでこないのもそれが原因なのだろうか。そんなことで大人しくする連中とは思えないけど。


 葉月と別れ、僕は荷物を持って教室を出て行く。


 最後に、廊下側の席に座る富岡がちらりと視線を向けてきたようだが、僕は気づかないふりをした。


 あとは夏休みだけを控える身。はつらつとした生徒たちが我こそはと帰宅するなか、僕もゆっくりと歩いていく。


 突然、うなじにラリアットをくらう。


「おい結弦、カラオケ行こうぜっ」


「そんなナカジマくんみたいなノリで誘われても、さっき葉月にも断ったよ」


「なんだよーつまらない展開だなー」


 口を尖らせながらも不満を露わにする陽司。エナメルバッグを背負っており、すでに帰る気満々の格好だ。


 昇降口から外に出ると、僕はグラウンドに目をやった。


「というか陽司、サッカー部はどうしたの? テスト終わって練習始まってるでしょ?」


「ああ、いいのいいのそっちは。大丈夫大丈夫」


 超適当にあしらわれているサッカー部さんが不憫でならない。


「で、今日はどうした? 彼女とデートか?」


「葉月といい陽司といい、僕に彼女がいる前提で話進めないでくれません?」


「いいじゃん俺も連れてけよ」


「なにがいいのか意味不明だよ。彼女なんていない。百歩譲って彼女がいても、なにをとち狂って陽司みたいな爆弾連れていかなきゃいけないのさ」


「うわーその言い方気づくなー」


 欠片も傷ついた様子なく、大げさに呻いている大男。かわいらしさの欠片もない。

 しかし陽司は一つ笑みをこぼすと、茶髪の頭をぽりぽりとかいた。


「なんか、悪かったな。中学の担任と俺の連れが、会いに行ってたんだって?」


「……知ってたんだ」


「つい最近、聞いた。すまん、世間話程度にどの辺に住んでるかくらいは話したんだが、直接行くとは思わなくてな」


 触れられなかったからてっきり伝わっていないのか思っていた。僕の帰り道、マンションの場所までの帰路がどこから伝わったのか、おおよそ予想はついていたのだ。


「別に、気にしてないよ。気を遣わせちゃってごめんね」


 中学時代の担任とクラスメイトを拒絶してから、またそれなりの時間が流れている。元より憤っているわけでもなく、気を悪くしていたわけでもない。


「あのときは、その、僕も不意打ちだったから、ちょっとひどい対応しちゃって。だからそのうち、謝ろうと思ってる」


「……へ?」


 陽司は素っ頓狂な声を上げて目を丸くする。


「なに不審者が催涙スプレーくらったみたいな顔しているの」


「そのたとえはひどすぎる。いやいやそれよか……」


 なにか言葉を出そうとするが、それでも驚きが上回っているのかぽかんと呆けている。


 僕はため息を一つ落とし、鞄を背負い直す。


「相手さんたちが、苦しんでるってのはわかってるんだ。あの一件はそれだけのものだった。だから一度くらい、きちんと話し合った方がいいかなって思ってるよ」


 最近、僕の中でいろいろなものが変わりつつある。

 そのきっかけと理由をくれたのは、不思議な島とそこに住まう人々、それから僕と同じ旅人。

 いろんな人がいて、みんなそれぞれが多様な過去を持っている。


 そして、みんな変わっていく。

 同じではいられないのだ。


「もし次会うときは、陽司と葉月も来てくれると嬉しい。一人だとまた、逃げるかもしれないからさ」


「……あ、あははは! おお、いいぞいいぞ。それは嬉しい展開だ」


 本当に、心の底から嬉しそうに陽司は笑い、僕の背中をばしばしと叩く。息が止まりそうになりながらも、僕も少し笑ってしまった。

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