後悔 ー3ー
風邪が治り、再び江宮島に来るようになって数日たったある日。
昼食の後片付けをした明日葉は、ポニーテールに結んでいた髪飾りを顔の横に結び直しながらキッチンから出てきた。
「じゃあごめんね結弦くん、私はこのあと、栞ちゃんと江宮神社でお手伝いをする予定だから。また夕方にね」
「うん、了解しました」
たびたびある江宮神社のお手伝い。もうじき夏祭りの時期になるので、明日葉もその準備を頼まれたらしい。栞ちゃんは先に手伝いに行っており、僕たちの昼食と平行して作っていたお弁当も準備している。
本当なら僕も手伝おうとしたのだが、何日か前に体調を崩したばかりで、休んでいた間にたまっていた旅人お仕事でばたばたしていたこともあり、今日はゆっくりするようにと言いつかっている。
「ん、結弦くん、ネックレス、ちょっと斜めになってるので」
そう言って明日葉は僕の側までとことことやってくると、胸元に下げたネックレスのチェーンに指を滑らせる。
「いやぁ、毎日使ってくれて嬉しいですな」
「せっかくのプレゼントですから」
明日葉からもらったダブルループのネックレス。僕には少し派手かとも思ったが、明日葉が選んでくれたものは落ち着いたシックなもの。普段着のパーカーと合わせても違和感のないものだった。
「明日葉も、毎日髪飾りを使ってくれているようで嬉しいよ」
ネックレスの位置を整えてくれる明日葉の亜麻色の髪では、天然石をあつらえた髪飾りが微かに揺れている。美的センス皆無なので心配していたが、違和感なく明日葉に馴染んでいるように思えた。
「あははは、いいものをいただいたので。私、昔から髪になにもつけてないのって落ち着かなくて、リボンが破れちゃってからはシュシュ使ってたけど、結ぶものの方がやっぱり好きなんだよね」
以前はずっと髪に結んでいた、破れてしまったリボン。お気に入りであったのなら回帰で直せばいいとは思うのだが、それをせずに僕のプレゼントを使ってくれるのは、やっぱり嬉しい。
「プレゼントした僕が言うのもなんだけど、すごく似合ってると思うよ」
面と向かって言うにはずいぶん恥ずかしいことを口にしてしまった。顔が急に熱を帯びる。
それは明日葉も同じだったようで、微かに頬を染めながら、位置を整え終えたネックレスの胸元をぽすぽすと叩く。
「こ、これでオッケーなので。それじゃあまたあとでなのでっ」
明日葉は栞ちゃんの弁当箱をつかむと、勢いよく玄関を飛び出していった。
伏見さん宅に一人になり、机に手を突いて火照った体を冷ます。なにを言ってるんだ、僕は。
しばらく身動きが取れずにうなだれていたときだ。
玄関の開く音がした。
明日葉が忘れ物でもしたのかと思ったが、リビングに現れた人物に、僕はなるほどと思った。
「結弦さん。すいません、少し、よろしいですか?」
表情はいつも通り穏やかなのに、どこか陰鬱な光を落とす、葵さんだった。
「明日葉のお手伝いというのは、葵さんが手を回したんですか?」
コーヒーをテーブルに置きながら、僕はぽつりと尋ねる。
リビングの椅子に腰掛けている葵さんは、申し訳なさそうにこくりと首を振る。
「はい。ここのところ島の方が忙しくて、あまりお話しする時間を取れなかったものですから」
僕は葵さんの向かいに腰を下ろすと、小さく息を落とす。
葵さんは栞ちゃんにも用事を出している。つまり、明日葉にも栞ちゃんにも聞かせたくない話。僕としても、話が早くて助かる。
「申し訳ありませんでした。本当に」
そう言って、唐突に深々と頭を下げた。
僕は目を伏せ、コーヒーを淹れたカップに指を当てる。淹れ立てのコーヒーが指先をこがすように熱し、どうにか心を平静に保ってくれる。
「葵さんに謝られることは、なにもありませんよ」
そう、なにもない。葵さんだけではなく、栞ちゃんも、明日葉も。僕にそれを話さなかったことに謝罪など必要ない。
「旅人を迎える一族として、情けないことは理解しています。ただ、叶明日葉さんという旅人があまりに特殊だったため、明日葉さんにも、誰にも話さないようにとお願いしていました」
神様に近く、旅人という神秘を守る江宮島の人たちは信仰深い。神様から神秘を預かるものとして、誉れ高いことだし、誇りに思うのも理解できる。
しかし自らの世界で自死し、その結果別世界に閉じ込められたまま帰ることができない旅人がいると知ればどうなるか。信仰が揺らぐ可能性すらある。
だから葵さんたちが明日葉の真実をひた隠しにしてきたことは正しいと、僕も思う。
「明日葉には、どれくらい時間が残されているんでしょうか」
「……正確なことはわかりません。もし非在化がずっと起きないのであれば、神々が江宮島に明日葉さんの第二の場所として命を与えてくださったかもしれない。そんな風にも考えていたんです。もともと旅人は、長くても三ヶ月程度の期間しかいませんでしたから」
明日葉は、僕がこの世界にやってきたタイミングで、旅人になって四、五ヶ月がたっていた。僕が旅人になってさらに二ヶ月と少し。現時点で、確認されているすべての旅人で最長だ。
ですが、と一度言葉を切り、葵さんは感情を押し殺すように歯を噛みしめた。
「非在化が始まった以上、おそらくもうあまり時間は残されていません。世界から存在を否定されること。それが非在化です。通常の旅人なら、江宮島での存在を保てず意識を失い、自分の世界に強制的に戻されます。ですが、明日葉さんの場合は……」
明日葉には、戻ることができる体がない。
「僕に明日葉のことを伝えなかったのは、明日葉のことがどうにかなる前に、僕が旅を終えてこの世界を去れば。そう考えてのことですか?」
「……その通りです。明日葉さんがいつまでこの世界にいることができるかは不明瞭でした。もし結弦さんの旅が先に終わるのであれば、むしろ伝えるべきではないと考えていました」
旅人は長くても数ヶ月程度の旅。明日葉の非在化が深刻化せず、もしことがどうこうなるより先に僕が旅を終えていたら。旅人全員が経験する少しだけ寂しい思いを感じる程度で、僕は旅を終えることができていたかもしれない。
でもだからといって、僕は明日葉のことをなにも知らないままこの世界を去ることが、正しかったとはどうしても思えないけれど。
葵さんの黒い瞳が、真っ直ぐ僕に向けられる。
「正直のところ私たちは、結弦さん、あなたのことについてもよくわかってないんです。これまでも自分の願いを把握していない旅人の方はいらっしゃいました。私たちに告げていた願いと実際の願いが違うという人だっていらっしゃいます。でも、旅人になって二ヶ月たっているにも関わらず、ご自身の願いの片鱗さえわからないという人は、今まで前例がないんです」
「……」
心のうちは、これまで何度も探っている。それでも願いと呼べるような明確なものは、どこにも存在していないのだ。
「……明日葉は、自分がおかしな旅人だから、二人目が現れるような事態になったんだと言っていました。僕も、それが正しいのではと、思い始めています」
「それを否定できる材料を、私たちは持っていません。明日葉さんという特殊な旅人がいたから、これまでの調和が崩れた。十分にあり得ることです」
ですが、と葵さんの眼差しに強い意志が宿る。
「それでも私は、神々がそんな過ちを犯すとは考えられないんです。旅人はこれまで様々な人がやってきましたが、誰一人として誤った道筋をたどる人はいませんでした。誰もが、私たちが旅人のみなさんにお願いする、楽しく素敵な旅で終えられていたんです」
確信にも似た結論とともに、旅人の巫女から言葉が向けられる。
「結弦さん、あなた方にどれほどの時間が残っているのかはわかりません。それでもよく考えてみてください。結弦さんがしたいこと、結弦さんが望んでいること。きっとそこに、結弦さんがこの世界にやってきた意味が、必ずあります」
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