後悔 ー2ー

「そんなこと考えながら毎日熱に浮かされてたの? 早く風邪を治そうとか、高校の問題をどうにかしようとか、なんかもう少し他に、考えることあったんじゃないかと思うので」


 明日葉に姉さんとの会話を正直に申し上げると、参道を登りながら思いっきり呆れられた。かつて見たことがないほど冷めた目だった。


 江宮島に来ないということ自体が初めてだった。


 数日会ってないだけなのに、明日葉と話すのは一ヶ月ぶりくらいに感じられた。そのせいか、ある程度心の中で整理はすんでいて、なんとか会話を成り立たせることができている。現実を受け入れないわけにもいかないし、悲観したところで世界は変わってくれない。


「明日葉が僕に特大のドッキリをかましてくれなければ、僕は穏やかに高校をサボれていたと思うんだけどね」


「そ、それは申し訳ないと思っていますけども」


 苦々しく顔をぷいっと背けながらも、口元は尖ったまま不満げだった。


 どちらにしても体調は問題ない。風邪の理由なんてわかりきっている。どう考えても盗まれた御守を探すために雨の中を奔走したことが原因だ。我ながら情けない。


 おちゃらけたやりとりをしながらも、僕たちはまだ朝早い時間の参道に足を進める。やっぱりこの微かに潮を感じさせる島風と柔らかな草木の香りが、僕は好きだ。


 一つ一つの末社、そして摂社に参拝していく。賽銭を少しずつ賽銭箱に入れながら、江宮神社の最奥を目指す。


 最後の長い階段。


 歩みを進めながらふと、明日葉の首に目がとまってしまう。よく着ているニットからのぞく首は、染み一つない綺麗な肌があるだけだ。明日葉の話を聞いたあとでは嫌でも目にとまってしまう。


 その視線に気がついた明日葉は、たははと苦笑した。


「もう、今は別になにもないんだから、そんなに気にしなくてもいいので。ま、まあ裸見られたときは、う、うっかり隠しちゃいましたけども。あざはもうなくなって、私だって普段は忘れてるんだから」


「……あー、そんなこともありましたね」


「デリートしやがれって言ったよね!?」


「ええ!? そっちが振ったんじゃん!」


 なにこれ理不尽。


 しばらくぶすーっと頬を膨らせていた明日葉だが、途端に吹き出すように笑った。

 明日葉は僕より先に階段を駆け上がる。そして、後ろに手を組みながら、なんともなさそうに振り返った。


「それで、どうだった? 私のこと、調べてくれた?」


 ずばり、僕の胸をえぐるような質問を、笑顔のままかましてくる。


「……調べたけど、お望みの情報は得られなかったよ」


「そっかぁ。それは残念なので。やっぱり無理だよね。さすがに」


 わずかに肩をすくめてみせ、軽い足取りで振り返り、先に進む。

 儚く笑う少女の亜麻色の髪には、僕がプレゼントした天然石を散りばめたような髪飾りがふわりと揺れていた。

 僕も複雑な思いこそあるが、首からはダブルループのネックレスをかけている。


「せめて、明日葉のお母さんとお義父さんのことだけでもわかればって、思ったんだけどね。そっちも空振りだった」


「……そうだよね。それも、仕方ないので」


 明日葉もずっと知りたかったそうだが、昏睡状態になっている明日葉の母親、警察に逮捕されてしまった義父。二人の現在だ。

 マンションから飛び降りて自死を計ったものの、明日葉が旅人になった時点では昏睡状態ではあったものの存命だった。

 義父も警察に逮捕されたのち、どのような判断が下されたのか。

 明日葉が最後を知り得たときから最低でも半年が過ぎており、なにか状況に変化がある可能性もあった。


 ルール違反になる可能性もあったが、葵さんたちに相談した上で明日葉のもともとの情報を聞いたのだ。住んでいた場所や通っていた高校、ことが起った日付まで。

 しかし、どの情報も江宮島では覚えているのに、自分の世界に戻ると記憶にもやがかかったように情報を引き出せなくなっていた。


 かろうじて覚えていたのは叶明日葉という名前だけ。それ以外は母親や義父の名前、地名や住所に至るまでなにも思い出せなくなっていた。


 熱で頭がぼんやりとしながらも、じっとしてるわけにもいかずパソコンにかじりついて調べていた。

 だけど結果、なにもわからなかった。

 なけなしの情報からひたすら調べ続けたのだが、それらしい記事一つ、見つけることはできなかった。そもそも、芸能人でも有名人でもなければ、自死をした未成年の名前が公表されることがない。

 いかに進歩した情報社会でも見つけることは容易ではない。


 階段を登り切った場所にある真っ赤な大鳥居。


 鳥居の下で明日葉は二度手を叩き、指を絡め、祈る。そして拝殿への道を進む。

 僕も鳥居の下で一礼を捧げ、続く。


「ま、調べてもなにをわからないとは思っていたので。例外とはいえ、二人の旅人がいるこの状況で、神様が私たちに自分たちの世界で接点を持たせてくれるとは、どうしても思えなかったから」


 世界の強制力。旅人が、あるいは旅人の存在を知った誰かが世界の秩序を乱すことを許さない、神々の力。僕たち旅人が存在を許されるのは江宮島においてだけ。


 唯一与えられている権能は、それぞれが持つ御守にまつわる異能。それだけでも十分すぎるほど常軌を逸した力だ。でも、神様と同じように、なんでもできるわけではない。


 旅人が二人いるという前例がない状況においても、僕たちに都合のよすぎることを許してはくれなかった。


「ごめんね、嫌なこと調べさせて」


「……僕にそういう変な気を使うのはやめてください」


 嫌みを込めてそう言うと、明日葉はくすぐったそうに笑っていた。


 僕たちは江宮神社拝殿までやってきた。

 まだ朝も早く、江宮島の頂ということもあり、相も変わらず人気はない。


 二人で大きな賽銭箱にお賽銭を入れる。

 明日葉は自らの祈り方で、二度手を叩き、指を絡めて祈る。

 僕は基本的な拝礼である二礼二拍手一礼で祈る。

 二拍手を打ったあと、そのまま手を合わせながら祈り、薄く開けた目で隣の明日葉を見やる。


 明日葉はまるで目の前に本当に神様がいるように、真剣に、真摯に祈りを捧げていた。これまで何度も見ているのに、あまりに神聖な雰囲気に意識が吸い込まれそうになる。


 不意に、また一本のユカリが、意図したわけではないのに僕の手から明日葉の手に伸びる。未だによくわからない勝手に現れる緑の糸は、すぐに消えてしまう。


 明日葉がまぶたを上げたことで我に返り、慌てて目を逸らす。


「私に残された時間は、もう長くないんだ」


 言って、僕にも見えるように自分の手のひらを空にかざす。

 注視しないとわからないほどであるが、指からきらきらと光の粒子が舞っている。


「体が消えていく感覚にも、だいぶ慣れてきたので。気をつけていれば、毎回毎回眠っちゃうこともないから。でも非在化の頻度は、確実に多くなっている」


 これまでもたびたび、僕が知らないところで非在化は起きていたそうだ。だがもう隠しきれないほどの頻度で起きているらしい。


「……明日葉は、本当にそれでいいの?」


 笑みを絶やさない少女に向けて、僕は問いを向ける。


 正直、自分でもなにを聞いているのかわからない。どう答えてほしいかも、なんと答えてほしくないかもわからなかった。

 正解でも不正解でも、答えはどちらでもないのだ。その答えを聞いたところで、僕にできることなんて、欠片もないというのに。


 それでも、尋ねないわけにはいかなかった。


「もちろんなので」


 明日葉は、また笑う。


「私は死んでいる。それは変えようもない現実なんだよ。それなのに私にはまだ時間が残っている。それがどれだけ望まれていることか」


 再び参道へと足を進めながら、明日葉はゆっくりと手を組み合わせる。


「私、ただ適当に願ってただけなんだよね。私も、お母さんも、お義父さんのことも。だから祈り方も滅茶苦茶で。それでも神様は私の願いを聞き入れてくれて、御守も応えてくれて。それから、この江宮島に招いてくれた。私の、誰かに必要とされたいなんておばかな願いを叶えてくれたのは、きっと神様の同情かな。だからまあ、これでいいんだよ」


 僕に背を向け、わずかに首を傾けて僕に意識を向ける明日葉の表情は、読めない。ただ微かにのぞく口元は、笑っているようだった。


「それに」


 その場でくるりと体を翻し、少し頬を染めて言った。


「結弦くんにも、会えたしね」


 僕は、一瞬呆けてしまう。


 明日葉はもう一度くすりと笑うと、そのまま軽快な足取りで参道を下りていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る