真実 ー5ー
結弦くんが自分の世界に帰っていったあと、私は再び夜の江宮島へと繰り出した。少し眠ったことで、すっかり目は冴えていた。
旅人でありながら江宮島に居続けられる特権は、これまで誰も持ち得なかったものだ。
「まあ、その特権が必ずしもいいことばかりであるはずも、ないけど」
一人自らを笑い呟きながら、私は軽快に足を進める。
向かう場所は江宮神社だ。
旅人が夜遅く歩き回っているのは、島民に対して違和感の塊だ。深夜とはいえ誰にも会わないように、真夜中の神社に散歩する。
傍目から見ると相当ヤバい人だけど。結弦くんが一人江宮島を徘徊していたことを悪く言えないので。一応葵さんにも許可をもらって、眠れない夜は時々お忍びで登って時間を潰している。
小さなライトだけが参道の石階段を照らしている。年末年始や祭事の際は、参道の脇に建ち並ぶ灯籠に明かりが灯される。だけど今の参道は光源なしでは右か左かもわからないほど真っ暗だ。海岸は月明かりがあったけど、山中ともなればその優しい光は遮られる。
すっかり登り慣れた道。最初のころは登るだけで息も絶え絶えになっていたけど、今ではずいぶん楽に登れるようになった。それだけの時間が、たったのだ。
視界が開ける。江宮島の最頂。
旅人が初めて降り立つ場所、江宮神社の拝殿と本殿が鎮座している。すべての御守がお焚き上げをされる場所、すべての御守が新たな旅人のもとに旅立つ場所だ。
拝殿につるされた鐘をそっと鳴らす。一番近い住宅でも相当離れた場所ではあるが、もし聞こえたら迷惑どころの話ではない。
聞き慣れた音が静まるのを耳と肌で感じ、私は二回手を打った。そのまま両の手を絡めて、祈る。
江宮島に初めて降り立ったとき、ここは天国なんだって思った。
高校の屋上から飛び降りた辺りの記憶は混濁しており、もう思い出せない。体はぐちゃぐちゃになっているはずだし、記憶が欠損していてもおかしいことではない。
気がつけば、本殿前、玉垣の内院に立っていた。
旅人がなにも知らないまま外に出ないように、高く高く伸ばされた玉垣。自殺なんてバカなことをした神様の罰、神様の檻だと思った。
あのときは冬。私が自分の世界で飛び降りたのは深夜だったので、江宮島では真っ昼間だ。
でもあの日は数メートル先も見えないほど吹雪が舞っていた。
体温が奪われていって、すぐに動けなくなった。本殿の影に縮こまって、マフラーに顔をうずめて、何時間も呆けていた。
全部、罰だから耐えなければいけないと思った。
そんなときだ。葵さんと栞ちゃんが私を見つけてくれたのは。
たとえ吹雪だろうが暴風雨だろうが、葵さんたちは旅人の来訪を確認しない日はない。旅人が現れていてもいなくても、それだけは絶対に欠かされない約束事だ。
多くのことを聞いた。
旅人のこと。御守のこと。江宮島のこと。不思議な力のこと。これから私がどうすればいいかということ。
私は、私がやってしまったことを打ち明けた。
当然と言えば当然だが、今までそのような不確かな状況で江宮島にやってくる旅人なんていなかった。だけど私には旅人として明確な欠陥があったのだ。眠っても自分の世界に帰ることができない。江宮島で当たり前に眠りにつき、そのまま体を保ったまま眠り続け、そして普通の人と同じように目を覚ます。
寝耳に水だった葵さんたちも信じるしかなかった。
でも私は、紛れもない旅人だったのだ。
影がない。写真にも写らない。御守の力で異能も扱える。疑う余地は存在しなかった。
だけど、対外的に江宮島の人たちにそんな例外をおおっぴらにはできない。夜は基本的に葵さんの家から出ないようにして自分の世界に帰っていることにして、朝また江宮島にやってきている、という風に装った。今日のように時々夜まで旅人がいる程度なら、自分の世界の状態いかんで可能なのであり得なくはない。でも連日ともなれば、島民たちにとってあからさまに不自然だ。
「はぁ……」
小さく息を吐き出しながら、私は拝殿を見上げる。
私は、神様も願いも、信じていなかった。
だって、家族が滅茶苦茶になって言っているときでも、毎日毎日、何度も何度も願い、祈りを重ねても、誰も幸せになることはなかったのだから。
それでも私は神社に通い続けた。
誰にも必要とされない私には、それくらいしかなかったから。
願うため。祈るため。あるいは逃げるため。苦しみを吐き出すために。
だけどこんな私なのに、神様は今もこうして、私の願いを一つ、叶えてくれている。
誰かに必要とされる人間になりたいという、私の願いを。
回帰という、私だけにしかできない力で叶えている。少なくとも私の力は、この世界の誰かに必要とされている。それだけで、私の人生は無駄ではなかったように思えて、嬉しかった。ささくれだった心が、少し穏やかになった。
「でも、一つだけわからないことありますよ。神様」
届かないとわかってはいるけど、それでも拝殿の向こう側に向けて、私は言葉を口にする。
「どうして神様は、もう一人の旅人を、この世界に招いたんですか……?」
そのことさえなければ、彼はあんなに苦しみ、辛い思いをすることはなかった。
そして私も、こんな気持ちになることなく、逝けたはずなのに。
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