真実 ー3ー
「結弦くん、こんな遅い時間まで江宮島に残ってるのって、初めてだよね」
街灯と月明かりだけが照らす夜空の下で、明日葉はくるりと体を踊らせる。
明日葉は変わらない。少なくとも今は、僕がこの世界で接した明日葉のままだ。
だから、どうにか自分の中でも心を落ち着かせることができていて、返事もでき
た。
「明日は土曜日だから。それに、姉さんは週明けまでサイン会とかで他県に出てる。誰かに心配かけることもないよ」
「おおー、売れっ子小説家っぽい話なので」
明日葉は無邪気に笑いながら、また僕に背を向けて歩き始めた。
つい十数分前、日付が変わった。
いくら日中は賑わう観光名所だと言っても、夜は驚くほど静かだった。島民は自宅に戻り、観光客は帰るか旅館にこもる。
江宮島は眠っている。
この世界にいる存在が僕たちだけのように、静寂な空気が漂っている。
目を覚ました明日葉は、葵さんや栞ちゃんが僕になにも話していないことを知ると、少し歩かないかと僕を外に連れ出した。
悲しげに目を伏せる葵さんと、辛そうにまゆを落とす栞ちゃんに見送られ、僕は初めて夜の江宮島に残っている。
「明日葉」
僕はたまらず声をかける。
「どうして君は、この世界で眠ることができるの?」
旅人は、江宮島で眠ることができない。
少なくとも僕は江宮島で眠り、体をこの世界で保てたことが一度としてない。江宮島で眠り、そして目を覚ませば、確実に自分の世界、自室のベッド。
自分の世界に戻っている間に、僕の体が江宮島に残っているわけもないだろう。
旅人はずっとそのはずだし、葵さんたちが僕たちに偽りを話す理由はない。
明日葉は歩みを進めたまま、僕の方を振り返らずに、少しだけ息を吐いた。
答えが返ってこないことがもどかしく、僕は問いを重ねる。
「もしかして、君は、旅人じゃないの?」
「……はは、そう思うのも、無理ないよね」
乾きと苦いものが入り交じった笑いをこぼしながら、明日葉は街灯の下で立ち止まった。
振り返ったその表情は、憂いの陰りを差していた。
「でも、そうじゃないよ。私は間違いなく、結弦くんと同じ」
言って、僕たちの足下に目を向ける。
僕たちは街灯と月明かりの下に立っている。
だけど足下には影がない。僕も、明日葉も。
元来この世界の人間ではない僕たちは、この世界に影を落とすこともできず、写真に写ることもできない。電話で言葉をかわしたり、音声を記憶したりすることなどもできない。この世界にあるのは、本来の肉体ではない、仮初めの体だ。
一番初めに出会ったときにも確認していることだ。僕にも明日葉にも、この世界では実態を持たない。
だけど、と明日葉はまた歩み始める。
「結弦くんが言いたいことはわかるけどね。旅人はこの世界で眠ることができない。これまで、それは一度も変わることのない事実だった。それは間違いないよ」
やがてたどりついた場所は、明日葉とよく訪れている江宮島の海岸だ。
街灯はない。それでも闇夜に浮かぶ月明かりが、僕たちをはっきり照らし出している。
僕たちはさらさらの砂を一歩一歩踏みしめながら、海に近づいていく。
波が浜辺に打ち付ける音が心地よく、それでいてどこか寂しく聞こえる。
「本当は、最初からわかっていたことなんだ。二人目の旅人が現れたってことがわかったときから、どうして二人目の旅人が現れたのか。簡単なことなんだよ。一人目の旅人が、そもそも旅人として認識されない、イレギュラーな存在だったからだよ。結弦くんは、私がおかしな旅人になったせいで、願いが不確かなまま、江宮島に来ることになったんだ」
その言葉に、心臓が冷たく凍る。
初めて見る江宮島の夜の海。夜凪が舞う水面は、空に浮かぶ満月の光を受けて輝いている。
暗くも光を放つ海を前に、明日葉は立ち止まる。
「私ね、結弦くんに、たくさん謝らないといけないことがあるんだ」
隣までやってきた僕に目を向けられることなく、言葉が続く。
「黙っていたことも、嘘をついていたことも、本当は話さなくちゃいけないことを隠していたことも、たくさん、ある。本当に、ごめん」
僕は、返す言葉を見つけることができず、口を結んだまま明日葉を見やる。
明日葉も、こちらを見返した。
月明かりに照らし出されたその表情は、真夜中であるにもはっきりとわかった。
今にも消えそうなほど儚く、それでいて、悲しげな笑みだった。
「ごめんね。結弦くん」
もう一度謝罪の言葉を重ねながら、明日葉は続ける。
「私、本当はもう、死んでるんだ」
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