真実 ー2ー

「「ハッピーバースデイ!」」


 明日葉と栞ちゃん、主役の二人がお互いにクラッカーを鳴らし合う。何度も軽快な音が室内に響き、間で僕と葵さんがわーと拍手する。


 普段からフラット気味な僕と葵さんに、栞ちゃんが口を曲げて不満げに唸る。


「葵姉も結弦ももっとテンション上げてこうよ! 二人のレディがまた一つ大人になったんだよ!」


 言いながら、栞ちゃんは僕たちに向けてクラッカーを鳴らす。


「いやいや、十分祝福しているよ。おめでとう二人とも」


 頭にかかっていくキラテープに彩られたまま、再び拍手。立派なレディなら人に向けてクラッカーはダメです。


「というか結弦くんもおめでとうなので。十七歳だよ私たち二人とも」


「んー、そうだね。なんだかんだで、十七歳って大人になっているって感じするね」


 振り返るとたしかに自分の時間が少しずつ刻まれ、明確に年を経ていることを実感する。


 リビングのテーブルの上には色とりどりの料理たち。葵さんが手を加えると殺戮兵器になってしまうため、僕と明日葉で作った夕食だ。


 具材たっぷりのあつあつポトフ。女性大好きアボカドのハムサンド。エビや水菜などを巻いた生春巻き。明日葉渾身のパエリア。大きな大きなローストチキン。肉食獣栞ちゃんのもっとお肉をとの要望で追加された厚切りステーキ。正直今回だけで食べることが絶対に不可能な量が敷き詰められている。


 本当なら葵さんたちの両親も来る予定だったのだが、町内会で会合が開かれることになり、急遽不参加になった。取り分けている分を夜に持ち込むらしい。


「いやー自分の誕生日でこんなまともな料理が食べられるなんて、本当にしゃわーせ」


 口いっぱいに料理を頬張りながら、栞ちゃんはご満悦だ。


「お行儀が悪いですよ栞。あと、まともな料理が作れなくてもごめんなさいね」


 たしなめながらもしっかり傷ついている葵さん。フォローしたいがうまい言葉が見つからない。一度あれを食した以上、フォローのしようもない。


 しかし、葵さんの作ったスイーツは本当に見事だった。


 料理も終盤に差し掛かったころ、小さなサイズのホールケーキが三つ用意された。イチゴのショートケーキに、果物たくさんのフルーツタルト、ベイクドチーズとレアチーズの二層仕立てチーズケーキ。すべて葵さんの手作りということで、プロが店頭に並べるケーキと遜色ないものばかりだった。


 正直、今まで食べたどんなスイーツよりも美味だった。なぜこれほど精巧な甘味を作ることができて、普通の料理が一口で人間を昏倒させる殺戮兵器になるのか疑問でしかない。


「結弦ももう十七か。こう言っちゃ失礼だけど、とてもそうは見えないわね」


 スプーンを口にくわえたまま、本当に甚だ失礼なことが呟かれる。


「結弦くんは十七歳になったから、なにかやりたいことってないの?」


「僕? んー、いや別に今は、特にないかな。夢とか明確なもの、持ってないからね」


 もう思い出せないが、昔は一応夢のようなものを漠然と持っていた気がする。ただ中学での一件以来、なんとなく当たり障りなく生活することがくせになってしまった。今現在が精一杯で、これからどうしたいかがわからない。


 もしこれから先、僕が自由でいてもいい未来があるのなら。ふとそう考えると、自然と言葉はふっと沸いた。


「でも、そうだね。まだ先の話だけど、来年になって、十八になったら、車の免許を取ろうと思ってる。それから、旅がしてみたいかな」


「旅? それってこの前、江宮島に遊びに来ていたカップルさんみたいに?」


「そう、まさにあの人たちみたいに。これまで修学旅行とか、家族旅行くらいでしか地元から出たことがないんだ。でもこうして、自分の知らない場所に行ってみると、なんか、もっといろんな世界を、場所を見てみたいって思えるようになった。この間会った人たちみたいに、僕も自分から進んで、旅をしてみたい」


 僕の世界にも、会ったこともない人たち、知らない場所は無数に存在する。

 僕の物語はずっと狭い場所で完結していた。けど、僕の街の外にも人はいて、まだ見たこともない景色が存在する。


 夢と呼ぶにはあまりにも小さすぎて、漠然でもある。けれどその先で、もしかしたら新しいなにかが見つかるかもしれない。

 そう考えると、旅に出てみたくなる。とても、胸躍る。


 あの旅人さんも言っていた。

 旅とは、探すことだと。


 今度は神様に導かれるんじゃなくて、はっきりと自分の意志と足で。


「へぇ、いいじゃん旅。行ってみれば」


「自分の知らない場所に行くのって、楽しくって素敵ですよね」


 栞ちゃんも葵さんも、僕の言ったことを笑わなかった。


 それがどこかくすぐったくなって、僕は頬を指でかいて誤魔化した。


「明日葉はどうなの? こうして十七歳になったわけだけど、なにか夢とかってないの?」


 問いを投げると同時に視界のすみで、葵さんと栞ちゃんがさっと表情を強ばらせた、気がした。疑問を思って目を向けるが、そのときは先ほどとさして変わらない様子で、料理を口に運んでいるだけだった。


「私か、私はそうだね……」


 明日葉は肩をすくめながら、ふっと笑みをこぼす。


「ちょこっとだけ夢があったので。誰にでも叶えられるくらい、それくらい、すごくすごく、簡単な夢」


 簡単な夢。その言葉を聞いて、僕はふと思い当たる。


「それってもしかして、明日葉が江宮島に来るきっかけ、願いが関係しているとか? 誰かに必要とされたいっていう」


 僕が尋ねると、明日葉は目をぱちぱちとさせたあと、途端に声を上げて笑い始めた。


「あはは、違う違う。ちょっと結弦くんと似てる感じかな? でも恥ずかしいから、それをここで言うのはちょっと」


「ええー、明日葉姉ずるーい。仕方ないなぁ、ここは私から」


 興味ありげに猫なで声を出すが、それ以上は追求せず、ちびっ子は胸を張る。


「私は、億万長者になりたい」


 ……人の夢になにか言うのもあれだが、それは夢だろうか。神主の娘が口にするにはずいぶんぶっ飛んだ夢ですね。


「え、えっと具体的には、どうやって?」


 明日葉が苦笑しながら尋ねると、お金を望む少女は得意げに鼻を鳴らす。


「むっふん、そうだねぇ。まずは新しいビジネスモデルにチャレンジかな。それについてもいろいろ考えているんだけどね。とりあえずこの江宮島発信で、まだ学生だというポイントを武器に使って、メディアに取り上げられるように狙っていく。SNSとかでバズらせて、知名度からばんばん上げていくよ。そして雪だるま式に利益を増やしていく」


 この中学生、考え方が怖い。とりあえずメディアに乗せて知名度爆上げ、売り上げ激増とか、子どもが考えることじゃないんだけど。


「その頑張りを勉強に使えばいいのに」


「が、学校の勉強はやってても楽しくないの!」


「将来仕事をするにしても会社を興すにしても、学歴はあった方がなにかと便利がいいよ。学歴だって立派な実績。社会に出るまでに積むことができる立派な肩書きなんだから」


「うわあああああだから先生みたいなこと言わないでよ!」


 聞きたくないとばかりに耳を押さえて頭を振る勉強嫌い。


「現実から逃げても仕方ない。将来後悔しないために、今はテストと向き合おう。もうじき期末テストだって知ってるんだよー」


 追い打ちをかけて栞ちゃんをいじって遊ぶ。


 悶絶する栞ちゃんに、明日葉と葵さんは声を上げて笑っていた。


 お誕生日会も宴もたけなわになったころ、おもむろに立ち上がった明日葉はラッピングされたいくつかの袋を取り出した。


「じゃあここで、私からのプレゼントなので。はい、まずは栞ちゃん。お誕生日おめでとう」


 差し出されるプレゼントを前に、栞ちゃんはどたばたと立ち上がって、部屋の隅から紙袋を持ってきた。


「あ、ありがとう明日葉姉。私からはこれ。明日葉姉も、誕生日おめでとう」


 さしもの栞ちゃんにも照れが見えており、あどけなく笑ってプレゼントを交換する姿は微笑ましかった。ありがとうと答えながらプレゼントを受け取る明日葉も、とても嬉しげだ。


 そして、明日葉は栞ちゃんとはうってかわって、少し恥ずかしげに笑い、もう一つラッピングされた小さな箱を僕へと差し出した。


「はい、結弦くん。一週間遅れになったけど、誕生日、おめでとう」


「……うん、ありがとう」


 顔を赤らめながらの祝福に、なぜだか僕まで体が火照ってくる。努めて顔が赤くなっていないことを祈りながら、僕は差し出されたプレゼントを受け取った。


 僕も、部屋の端に置かせてもらっていた紙袋を取り出して、椅子の上に置く。中にあるのは三つの包装だ。


「じゃあ僕からも。まずは葵さんに。いつもお世話になっていますので、誕生日とは関係なく、これはそのお礼です」


「本当に用意してくださったんですか? ありがとうございます」


 口止めの意味合いもたしかにあるが、それでも日頃から僕たちがかけている苦労は計り知れない。神様に仕えるお仕事をしていて、別の世界からやってくる旅人を迎える役割。僕たちが知らない苦労やお手間も数え切れないほどあるはずだ。いずれこの世界を去る僕から、これからもこの世界で生きる葵さんたちへできるものは、形に残る贈り物がいいと考えていた。


「それから、これは栞ちゃんに。十四歳の誕生日、おめでとう」


 目を大きくした栞ちゃんは、差し出された巨大な手提げ袋と僕の顔を交互に見る。

 葵さんのものは手に収まるくらいのサイズだが、栞ちゃんの箱は抱えなければいけないほど巨大だ。


「……私、プレゼントとか用意できていないんだけど」


「いいのいいの。僕の誕生日は先週だよ。来年でも再来年でも、機会があれば祝ってくれればいいから」


「……そんなのないって、わかっているくせに」


 ぼそりと呟くその目は、薄ら潤んでいるように思えた。


 僕たちは旅人。別の世界からやってきた異端の存在で、いつか必ずこの世界から去る存在。旅を終えればそれで最後。この世界に二度と来ることはできない人間だ。

 そしてこれまで旅人が旅をしてきた期間は、長くても三ヶ月程度。一年以上も旅を続けてきた旅人はいない。


 僕たちの別れは、そう遠くない未来だ。


 やがて大きく息を吸い、なにかを振り切るように、栞ちゃんは僕のプレゼントを抱えて受け取った。


「ありがとう。結弦」


「どういたしまして」


「でも誕生日のこと聞いたの、今日だったんでしょ? よく用意できたわね。しかもなにこの大きさ」


 いつもの調子に戻ってにやける栞ちゃんに、僕は笑みを返す。


「前々から、お仕事でもらっているお金の使い方を考えててね。誕生日がなくともプレゼントはしようと思ってたんだ。だからたしかに用意したのは今日だけど、ずいぶん前から当たりはつけてた」


 口にはしないが相当な時間かけて迷っている。朝早くに明日葉と会う前から江宮島にやってきて、まだ開いてもいない店を回ってリサーチもしている。目星をつけて通っていたお店ですっかり顔見知りになった店員さんからも、ついに買われるんですねと笑われるくらい。恥ずかし情けなさ過ぎて、死にたくになった。


「よかったら開けてみて。葵さんもどうぞ」


 二人が僕の言葉でプレゼントを開ける。


 葵さんへのプレゼントは、フラワーフォトフレームクロック。木目の箱を開くと、中には写真を納められるフォトフレーム、さらにはブリザードフラワーと時計がセットになったもの。プレゼントとして人気が高いものだ。


 栞ちゃんへのプレゼントは、でっかいでっかいクマのぬいぐるみ。小柄な栞ちゃんには抱えるのも大変なほど巨大なサイズ。パステルカラーの雰囲気が明るくなるものを選んでみた。


「このようなもの、いいんですか?」


「もちろんです。二人にはお世話になりっぱなしですから」


 そう答えると、葵さんは嬉しそうに、それでいて少し寂しそうに笑って、僕からのプレゼントを抱きしめた。


「……なんで私はクマのぬいぐるみ。いや好きだけどさ」


 不満というより疑問な様子で、栞ちゃんはなにか仕掛けでもあるんではないかとクマのぬいぐるみをあれこれ回している。


「ふふーん、君はもうちょっと子どもらしいところがあってもいいと思ってね。女の子っぽいプレゼントを選んだんだ。気に入ってもらえたようでなにより」


「……ゆ、結弦のくせになんか生意気っ」


 栞ちゃんは真っ赤にした顔をぬいぐるみに押さえつけながら唸る。


 僕はその様子がおかしくて笑いを落とす。


 そして最後の一つを取り出す。

 白い包装が入った手提げ袋だ。


「はい、これは明日葉にだよ。十七歳の誕生日、本当におめでとう」


 改めて、祝福と共に手提げ袋のプレゼントを渡す。


 明日葉は、差し出されたプレゼントを前に、少し、目を伏せた。


「そう、なんだよね。私、十七歳になった、なれたので……」


 明日葉は顔を上げ、僕を見上げる。

 その表情はなにか、これまで押さえ込んでいたものがあふれ出したようだった。今にも泣き出しそうな、苦しげで悲しげな色で濡れていた。


 どうしてそんな顔をするのか。僕には見当もつかなかった。

 明日葉は震える指をそっと僕が差し出したプレゼントに伸ばし、手提げ袋を手に取った。


 微かに、指が触れ合う。


「結弦くん、ありがとう。すっごく、嬉しい、ので――」


 その言葉と同時に、明日葉の体がふらつく。


 咄嗟に、プレゼントに伸ばされていた明日葉の手をつかむ。


「ちょ、ちょっと明日葉っ?」


「明日葉姉!」


 栞ちゃんも声を上げる。


 明日葉はどうにか踏みとどまる。


 片手で顔を覆った指の隙間からは、苦しげな表情が漏れていた。目を細められ、薄く開いた口から噛みしめられた歯がのぞき、吐き出される息は熱く荒い。


「ご、ごめん、だ、大丈夫、大丈夫、なので……っ」


 言いながらも、体に力が入らなくなったようにそのまま僕の方に倒れ込んできた。


 慌てて受け止める。

 華奢な体からは力が抜けていた。


「ま、まだ、今は……い……まは……」


 苦しげにそう言い残すと、四肢から完全に力が抜け、それっきり黙り込んでしまった。


「明日葉?」


 寄りかかるように倒れてしまった明日葉に語りかける。

 しかし、返事がない。


 目を閉じて、穏やかな呼吸で、安らかな表情で――



 明日葉は、眠っていた。


 

 苦しげな表情はなりをひそめ、子どものように、穏やかな寝息をたてて眠りについていた。先ほどまで眠気なんて欠片も感じさせていなかったのに、突然なにかに吸い込まれるように眠りについてしまった。


「明日葉姉、眠っちゃったの?」


 おそるおそるといった様子で、栞ちゃんは尋ねてくる。


「うん……眠ってる……」


 答えながらも、軽く明日葉の頬に触れる。それでも、起きる気配はない。表情も穏やか。呼吸もある。つないだままにしていた手首に指を当ててみるが、脈も、当たり前にある。


 眠っている。突然気を失うように眠ってしまった。

 それだけでも十分すぎるほど、普通ではないこと。


 しかし、それよりも、あり得ないことがあった。

 明日葉にとって、僕にとって、旅人にとって、絶対にあり得ないこと。


「な……んで、明日葉は眠っているの……? 僕たちの世界じゃない、この、江宮島で……」


 信じられない現実が、気づかぬうちに言葉となって漏れていた。


 あり得ない。


 僕たちは江宮島に来るにあたって、自分の世界で眠りについている。その際に、御守を持っていなければ江宮島に来ることはできない。

 だけど、江宮島から自分たちの世界に帰るとき、御守を手にする必要はない。眠るだけで、自分の世界に帰ることができる。


 逆に言えば、そもそも旅人は江宮島で眠ることができないのだ。御守を持っている持っていないに関わらず、僕たちが江宮島で意識を失うと、強制的に自分の世界に戻される。


 だというのに、なぜ、明日葉はこの世界で意識がない状態でいられるのか。


 そして、気がつく。

 視界の端に、不可思議なものが映っている。


「なんだ……これ……」


 未だつないだままだった明日葉の小さな手。その手から、さらさらと砂のようなものがこぼれていた。


 いや、違う。


 明日葉の指先が、光の粒子に変わっている。

 まるで砂時計が重量に沿って砂が落ちるように、それがそもそも正しいことであるように。


 まるで、その体が少しずつ存在を失っていくように。


「もう、限界なのですね」


 そんな言葉を発したのは、いつの間にか明日葉の傍らにしゃがみ込んでいた葵さんだった。


 長いまつげの下で目を伏せ、細い指をそっと明日葉の頬に当てる。


「……大丈夫です。しばらくすれば、目を覚まします。これまでも、何度かあったことなんです」


「それは、どういう……」


 やっとの思いで口にできた僕の言葉に、葵さんは首を振る。


「明日葉さんをこのままにはできません。お部屋まで、連れていっていただけますか? 明日葉さんが目を覚まされれば、明日葉さん自身がすべてのことを教えてくれるはずです」



 体を抱えて部屋まで移動させる間にも、明日葉は起きることはなかった。


 静かに、安らかに、ベッドの上で穏やかな寝息を立てながら幸せそうな表情で眠っていた。


 僕は明日葉の部屋の隅に座り込み、ただ、そのときが来るのを待った。

 傾いていた太陽は、ずいぶん前に海の向こうに沈んでいる。葵さんは自分の世界に帰った方がいいと言ってくれたが、このまま帰れるわけもなかった。


 葵さんは自室から一つ椅子を持ってきて、静かに本を読んでいる。


 栞ちゃんも一緒にいるのだが、僕と反対側の壁際に膝を抱えて座り込んでいた。膝に顔を押し当て、なにをするでもなにかを口にするわけでもなく、ただ、静かに待っている。


 やがて、三時間ほどたったころ、ベッドの上で眠っていた明日葉が身じろいだ。


 葵さんがぱたりと本を閉じ、栞ちゃんが暗い顔を上げた。


「んんー……」


 当たり前に眠って、今し方目を覚ましたように、四肢を強ばらせながら体を起こす。かけられていた布団に、ぽすりと手が落ちる。とろんと溶けた目をこすりながら、窓の外がすっかり暗くなっていることに気がつき、小さく首を傾げる。


「ん、あれ、もう夜……? えあ、葵さんたち、なんでここに……」


 寝ぼけた頭のまま、振り返る。葵さんに向き、栞ちゃんに向き、そして僕に向いたところで、その視線が止まる。


 その目が驚きに見開かれ、眠気が一気に吹き飛んだように息をのんだ。


「な、なんで結弦くんがこんな時間に、まだこっちの世界にいるのっ?」


 僕はその疑問に答えることができなかった。ただ部屋の隅に座り込んだまま、目を覚ました明日葉に視線を向ける。自分でも、どんな顔をしているのかがわからなかった。


 明日葉は記憶を探るように、自分のこめかみに指を当てた。


 やがて薄い口元にふっと笑みが浮かび、自嘲気味な感情がふわりと揺れる。


「あーあ、バレちゃったんだ……」


 なにか一つ、それでいて決定的な事柄が終わりを告げるように、そう呟いた。

 いたずらが見つかったように、知られてはいけないなにかが知られたように。


 ベッドの上で自らの体を庇うように腕を抱きながら、明日葉は笑う。


「ごめんね、結弦くん」


 こともなげに、意地悪してしまった子どもが謝るように些細な言葉が、僕の中に冷たく落ちた。

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