真実 ー1ー
その日は、江宮島全体が少し慌ただしかった。
旅人お仕事は連日順調だ。依頼がない日もあるが、大抵連日何件かは依頼がある。
数日前に御守のブレスレットを雨で濡れてしまっても、以前と変わらず僕を江宮島へと導いてくれる。
僕が江宮島にやってきてまずするのが、明日葉との江宮神社参拝。ずっと続けている日課である。
そのあと旅人お仕事にかかるわけだが、仕事内容は基本的に栞ちゃんがとりまとめてくれていて、そのスケジュールに沿って実行する。とはいえ、忘れそうだが栞ちゃんは現役中学生。休日はともかく平日の日中は学校でせっせと勉学にいそしんでいる。
依頼主も大抵は仕事なり学業がある人たちなので、仕事の大半は夕方に集中する。
そんなわけで日中は取り立ててやることもない。
明日葉と二人で街をぶらぶらしてみたり、江宮神社でお仕事をしている葵さんや伏見宮司を手伝ったり。それもなければゴミ拾いやら畑仕事の手伝いをしたり、果てはお年寄りが飼っているわんちゃんのお散歩だったりと、毎日あれこれやる日々だ。
だけどその日の騒がしさは、なにか違っていた。
「なんか、今日はおまわりさん多いので」
市場まで夕飯の買い出しに来ていると、明日葉がぽつりと呟いた。
僕は片手に提げたエコバッグを持ち直しながら、周囲に目を向ける。
たしかに視界のすみに、薄青いシャツに防護ベストをまとった警察官さんがちょくちょく映る。有名な観光地であるため警邏の人は一般地域に比べると多いけれど、普段は時折見かける程度。今日はかなり目立って見受けられる。
「なにかイベントあったかな? でも今日は平日だし、なにもなかったと思うので」
僕たちも連日江宮島にやってきているので行事はある程度把握している。土日は特筆してなにがなくても混み合うし、大々的なイベントともなれば困難なほど人が行き交う。今日は土日でもなければ、イベントも予定されていない。
どういうことかと二人で顔を見合わせていると、市場の反対側から葵さんがやってきた。
「お二人も来られていたんですね」
にこやかに笑う葵さん。
も、というように葵さんも買い物のようだ。胸に抱くようにして紙袋を持っている。
「「……」」
僕と明日葉はそろって閉口する。横一文字。
「ち、違いますよ! これはケーキの材料をですね」
「ははは、わかっていますわかっていますよ葵さん」
なにも違わない。だからですよ。僕たちが心配しているのはまさにそれです。
葵さんの主力兵装はポイズンクッキング。材料を正確に量らなければいけないお菓子を作ろうものならどんなものができあがるか。もはや毒味を通り越してモルモットな気分。
「だ、大丈夫なので結弦くん。葵さんの作るお菓子はすっごくおいしいんだよ。葵さんのお友だちがやっているカフェにも時々出しているんだけど、連日完売の大人気。ほ、他の料理は、ちょっとあれだけど」
明日葉からの援護にえっへんと胸を張る葵さん。褒められると同時に落とされてもいるので、プラマイゼロですよ。
しかし明日葉が言うからには本当なのだろう。普通の料理は壊滅だがお菓子は絶品。どうやらスキルポイントの配分を間違ってしまったようですね。キャラクタークリエイトをやり直せないのが人生の不便なところ。
そんなおバカなやりとりもほどほどに、空いていたもう一方の手で紙袋を受け取る。
「ありがとうございます」
いえいえと返しながら袋の中身をチェック。小麦粉に生クリーム、イチゴにバター、たしかにケーキの材料だ。カエルの肉とか大量のタバスコとかシュールストレミングなどはない。
ふぅーと長々と息を吐き出し、服の袖で額の汗を拭う。
「ど、どれだけ心配してるの……本当に大丈夫なので……」
僕の内心を察した明日葉がぼそりと口を添えてくれる。だとしても、前回の経験から本能的に危険を感じているのだ。次回は強制送還だけではすまないかもしれない。あれは五臓六腑を腐敗させかねない毒物だった。僕も鬼ではない。口にはしない。
「そ、そんなねじ曲がった顔をされなくても、本当に大丈夫ですよ。お菓子ならっ」
両手を強く握って力強くうなずく葵さん。顔に出てしまっていたか。
買い物もちょうど終わっていたので、三人で帰路につく。
明日葉と葵さんは先ほどスイーツ談義で盛り上がっている。同じ料理を趣味――片方はスイーツのみ――とする人間同士、話も合うようだ。僕は時々話を振られ、相づちを打っていた。
「そういえば、今日は警察の人の姿が多いみたいですが、なにかあったんですか?」
会話が途切れたタイミングを見計らって、僕は気になっていた問いを投げた。
すると、葵さんは少しだけ眉を下げた。
「事件、というほど大げさなものではないんですけど。なんでも、少し前から不審者の通報が相次いでいるらしいんです」
「不審者?」
「ええ、江宮島は島である割に人口も多い島ですけど、島民の顔ぶれはある程度わかるものです。それで、どうも住宅街や市場などで、怪しい人を目撃したという情報が重なっているみたいで、警察の方たちが警戒されているんです」
たしかに僕もこの世界にやってくるようになって数ヶ月だが、島の住人か旅行者かという判断はある程度できるようになっている。長く住んでいる人からすればその判断も容易だろう。
「なるほど……不審者……」
口の中で言葉を転がしながら考える。
適当にあちこちに視線を振っていると、じとっとした目をこちらに向ける明日葉に気づいた。
「あの、結弦くん。もしかして、その不審者さんを見つけようなんて、してないよね?」
「…………そんなこと思うわけないでしょ」
「なにかな? 今の間」
問いながら、体ごとずいずいと詰め寄ってくる。
じぃーっと疑いの眼差しでぐしぐしと体を刺して刺して刺されまくる。
「…………すいません。ちょっと探そうかなとか、考えてました」
「ほぉらぁ! だからそうやってすぐ危ないことしやがるなって言ってるので! 結弦くんはいつもいつもそうやってそうやってぇ!」
視線だけではなく指でぐさぐさと僕の脇腹を突き刺しに来る。痛い痛いこそばゆいこそばゆい恥ずかしいかわいいいやめなさいやめなさい。
「わ、わかってるよそんなことするつもりないから。どっちにしたって、不審者の所持品でもなければ僕の力を使ってもわからないからね」
「だからぁ! そういうことを考えやがるなです!」
「は、はいすいません。思考、記憶とともに封印しました」
僕らのやりとりに、葵さんはくすくすと笑みを漏らす。
「それほど心配することはないと思いますよ。特に犯罪があったわけではないので、警察の人が見回りを強化すればいなくなるのではないかと思います」
「そうですか。それなら僕がなにかをする必要もないですね」
うなずきながら納得してみせてみるものの、明日葉は疑いのじと目を解いてはくれなかった。
話をはぐらかすために、僕は葵さんの紙袋に視線を落とす。
「そ、そそそそーれにしても、この材料はケーキ? 誰かの誕生日ですか?」
「はい。うちの栞と、偶然ですけど明日葉さんの誕生日もなんですよ」
「え? そうなの?」
明日葉は一瞬でしゅんと素に戻る。
そして少し恥ずかしそうに手をもじもじとさせながら笑った。
「う、うん、今日、十七歳になりました」
「え? 今日? それは言ってよ」
寝耳に水もいいところである。本人サプライズならわかるが、外野にはサプライズではなくドッキリだ。
「なんだそうだったんだ。明日葉も十七歳か。それはおめでとうございます」
「……も? もしかして結弦くんはもう十七歳になってたの? 誕生日、いつだったの?」
「先週」
「は、はああああ!? それこそ言ってよ! ふざけやがるな! 初耳だよこのバカ!」
明日葉が憤慨とばかりに両手を振り上げる。
とはいっても、聞かれてもないのに自分の誕生日を言ったりしないでしょう。何様だよという話。
それにもともと自分の誕生日に無頓着で普通に忘れていたのだ。数日過ぎたある日に、姉さんから忘れてたごめんとプレゼントを渡されて、思い出すに至った。姉弟そろって無頓着。まあ僕は姉さんの誕生日忘れたことないけど。
「ちょ、ちょっと寄ることできたので。買ったもの、悪いけど持って帰ってて!」
それだけ言い残すと、明日葉は止める間もなく来た道をダッシュで引き返していく。
「え? いやいや…………あー、余計なこと言っちゃいましたね」
明日葉の背中はあっという間に雑踏の中に消えてしまった。
「余計なことではありませんよ。いいじゃないですか。年に一度のお祝い事なんですからはしゃいでも。かわいらしいですよね。明日葉さん」
なんと答えるのが正解かわからず、曖昧に笑みを漏らす。
「そうだ。僕もこれを持って帰ったら、もう一度出ます。明日葉の分はちょうどよかったですけど、栞ちゃんのプレゼントは用意しなくちゃいけないので」
言うと、葵さんはきょとんと首を傾げた。
「あら、明日葉さんのものはもうプレゼントを用意されているんですか? 誕生日のこと、ご存じじゃなかったのに」
ぎくっと、心臓が跳ね上がる。
うかつだ。うかつすぎる。どうして僕はこうも、うかつなことを口走ってしまうのか。
言い訳を探すが、もう葵さんはしたり顔だ。
「……葵さんのプレゼントも準備しますので、今の発言は聞かなかったことにしてもらって、いいです?」
僕の情けない言葉に、葵さんは声を上げて笑っていた。
「結弦さんも明日葉さんも、お二人とも、本当にいい子ですよね」
言いながら、葵さんは空へと視線を向ける。
青い空には、天高く真っ白な入道雲が伸びていた。
でも葵さんの視線は、雲に向けられているが雲はうつしていなくて、なにかずっと遠くを見ているようだった。
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