自らの心根
「女ね……」
珍しく一般人と同じ時間で活動している姉、香澄姉さんは夕食を口に運びながらぼそりと呟いた。
僕の手は香ばしく焼き上げた牛肉を箸でつまみ上げたところで、ぴたりと止まってしまう。
「なに? 次の小説のキャラクター?」
「ううん、違う違う」
姉さんはちゅるりとクリームパスタを口へ運び、首を振る。
「結弦、あなた、私という姉がありながら女を作ったでしょう?」
ぽたりと、ポテトサラダの上に牛肉が落ちた。
ずきずきと痛み始めるこめかみを押さえつつ、落ちた牛肉を拾って口に運ぶ。牛肉の甘辛いうまみが口に広がっていくのに、自分の顔が渋面に染まっていくのがはっきりとわかった。
僕は冷たい麦茶で喉を潤す。
姉さんは眉根を寄せて苦々しい顔をしたまま、僕が作った夕食をぱくぱくと口に運んでいる。
「どこからつっこんでいいか……。女を作ったって、彼女を作ったってこと? 彼女なんているわけないでしょ」
「嘘おっしゃい。結弦が最近作る料理、レパートリーも増えたけど、なによりずっとおいしくなってる」
「……え? だから?」
「こんな唐突に脈絡も伏線もなく、ご飯のメニューがシャレオツになるなんてあり得ない。絶対彼女ができた間違いない小説家の私が言うんだから間違いない」
「間違いだよ間違い。行儀が悪いから箸を下ろしなさい」
突きつけられた箸を下ろさせ、僕は夕食を見渡す。
今晩のメニューは、牛肉とレンコンのオーブン焼き、軽めの味付けにしたクリームパスタ。付け合わせにいぶりがっこ入りの和風ポテトサラダ、トマトとチーズを添えたイタリアン冷や奴。
たしかに言われてみれば、どれもこれも明日葉に教えてもらったメニューで、以前は作ることができなかった料理だ。
江宮島で明日葉が昼食や夕食を作る際、一緒に手伝って近くで料理を見せてもらっている。
明日葉の作る料理は多種多様で、一朝一夕で身につくわけもないスキルだ。だけど料理の合間にもいろいろ教えてくれるため、少しずつレパートリーも増えて調理技術も上がったようには思う。
しかしなぜ、どうして彼女ができたという話になるのか。
「で、どこの子よ。なんでもいいから私に紹介しなさい。私が結弦の彼女にふさわしいかどうか確かめるからっ」
なぜか涙目になりながら、がぶがぶと料理にかじりついている。
深々とため息を落としながら、徐々に失せていく食欲とともに夕食の残りを胃の中に落とし込んでいく。もういろいろ、お腹いっぱいです。
「だから違うんだって。別にそんなんじゃないんだよホント」
「……だから違うんだって? まるで誰かに同じような質問をされた言い方ね」
……やっべ。
言葉の言い方や端を捉えるのは、小説家の性でしょうか。
栞ちゃんにしても姉さんにしても、変な勘違いをされているようで困る。
「意味のわからないことを言ってないで、冷める前にちゃちゃっと食べてよ。片付かないでしょ。料理を頑張って作ったのは、普段から姉さんにはお世話になってるからだよ。少しでも栄養がつくご飯を作ろうとしてだね」
「……それは私をベッドに誘っているのかしら」
しおらしくシャツの胸元を握ってむずむずしやがる。
「誘ってないよ。そんな身の毛もよだつ想像させないで」
もう食事に睡眠薬でも盛ってやろうかな。強制的に昏倒させちゃうぞ。
勘違い。完全な思い違いだ。
僕とあの子、明日葉は旅人だ。本来一人しか存在しない、特別な存在。
もともと一人の旅人であったなら、僕はなにも迷わず、考えることもなかっただろう。
でも、僕たちは二人だった。長い歴史の中でもイレギュラーな出来事。
もしかしたら僕たちは、江宮島でお互いの正確な住所や連絡先を教え合えば、こちらの世界でも出会うことができるかもしれない。
でも、それはやってはいけないことだし、きっとできない。
神様が僕たちに降ろした加護。
僕たちは御守を手に眠り、そして御守が導かれて、江宮島に訪れる。
だが訪れる江宮島の外に出られないことは、僕には衝撃だった。
出ようとしても、出ることができない。
それと同じだ。きっと会おうとしても、会うことができない。
加護は僕たちを守る鎧であり、縛りでもあるのだ。
僕たちの関係は、あの世界だけのもの。
彼女なんておこがましい。好意を持つことはあっても、好きになんてなるはずがない。
神様がそんなこと、許してくれるはずがない。
心の中でうそぶいた言葉が、自らの心根を示すものだと気づかないわけも、ないのに。
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