お仕事 ー3ー

 初夏に始まった僕の旅も、気がつけば六月になっていた。


 昼間は自分の世界で取り留めもない高校生活。

 そして夜間は自らの家で床につき、江宮島で目を覚ます不思議な二重生活。

 高校では一高校生として、ほとんどの学生と関わらない生活。

 江宮島では旅人として、誰かの願いを叶えるために走り回っている。

 回帰とユカリを使ったお仕事だ。


 思いつきから始まったお仕事ではあるが、それでも多くの人から求められる。


 破れてしまった家族の写真。台風の直撃によって砕けた墓石。コーラをかけてしまった大変貴重な掛け軸。落として動かなくなってしまったロボットの人形。

 回帰の力は、ありとあらゆるものを以前の状態に戻す。


 神様から授けられた神聖な力は、江宮島の人々にとって素晴らしい恩恵となった。


 そして、僕の力もそう。


 迷子になってしまった子ども。逃げ出してしまった猫や小鳥。遠足でなくしてしまったお弁当箱。大好きな人からの贈り物。ページが破れるほど読み込み大事にしてきた本。


 その人が本当に大事にしているものであれば、持ち主からユカリを使うこともできる。つながりを示しさえできれば見つけることは容易いことだった。


 明日葉の日記帳には、どんどん依頼内容が書き込まれていった。

 僕たちが江宮島に旅をしたことを残すために記される日記を、明日葉はいつも楽しげに読み返している。


 誰かに必要とされたい。


 明日葉の願いは、僕たちのお仕事にぴったりのものだ。僕たちがやっていることは僕たちにしかできないことで、神様から授けられた力でもある。僕たちの力で誰かを笑顔にできるなら、それは十分に、僕たちが必要とされる理由になるだろう。


 しかし現状、僕は一つ問題に直面していた。


 伏見さん宅のリビングに腰を下ろし、机に置いた長財布を前に腕を組んで唸る。


 その日に予定していたお仕事が早めに終わり、することがなかった午後。

 明日葉は葵さんのお手伝いを頼まれていないため、一人悶々と考え込み続けている。


「なにさっきから、冬眠中の熊みたいに気色の悪い声出してるの?」


 声がした方に首を向けると、教科書とノートを手にした栞ちゃんが扉の前に立っていた。相変わらず僕に手厳しい。


 しかし栞ちゃんは悪意や敵意があって言っているわけではない。日頃からもっと苛烈な攻撃をされている僕にとっては、その程度の見分けはお茶の子さいさいである。穏やかなコミュニケーションではないが、誰にでもこの対応を取ることができるのは長所でもある。砕けてぶつかってきてくれる分、あまり知らない年下の女の子であっても無駄な気遣いをしないですむ。


「いやね、お仕事でたくさんお金をもらってはいるんだけど。なーんか、使い道がないなと」


 現在使ったものといえば、現金を茶封筒で持ち歩くわけにもいかないからと、商店街で投げ売りされていたこの長財布を一つ買った程度。


 本当なら江宮島で食べている飲食代や衣服代など、使う用途は多様にある。しかし旅人の衣食住は江宮神社が保証する決まりとのことで、まともに使う機会がない。


 つまるところ、増える一方でお金の使いどころがないのだ。


「別に悩むことじゃないでしょ。なんか目についたもの買っていればいいのよ。本でもアクセサリーでも。そんなどうでもいいことに悩むんだったら私の宿題手伝って」


 言って、栞ちゃんは僕の前に腰を下ろし、机の上に教科書やらプリントやらノートを広げた。


 お金の使い方は追い追い考えるとして、欲しいものができるまで貯めておくとしよう。

 財布はズボンのポケットに押し込み、わがままお嬢様の希望通り宿題をのぞき込む。宿題は国語や歴史など、文系ばかりだった。


 僕が疑問に思ったことを察したのか、栞ちゃんが苦々しく歯を噛みしめる。


「数学や理科は簡単だけど、国語や歴史って意味わかんない。特に歴史。歴史なんて勉強したところで将来役に立つと思えない。ホント腹立つ」


 ……こらこら。神社の娘が冗談でもそんなこと言っちゃダメでしょう。神社なんて歴史を体現している代表格だろうに。


「どんな勉強も無駄ってことはないよ。歴史に学ぶことだってたくさんある。戦争なんかは一番わかりやすいし、大きな災害や事故、それから社会問題になっている事件。いつ僕たちに起きてもおかしくないんだから」


「でも現実味がなさ過ぎてわかんないの」


 口を尖らせながら不服そうに呟く。


 言わんとしていることはわからないでもない。問題の当事者でもない限り、本当の危機感なんてわかるはずもない。同じ国の中においても、大変な災害が起きました、なんてニュースを見ても、現地を見でもしない限り他人事にしか思えない。


 みんなに共通するであろう事柄は、当事者になりたくないという願望だけ。誰だって、害を被る立場にはなりたくない。


「結弦は今さ、そういうの、消したい過去とか、嫌なこととかってないの?」


「……どうしたの? いきなり」


 突然の問いに意味が見いだせず、少し間が空いて僕は尋ね返す。


 栞ちゃんはプリントの歴史問題に目を落としたままだ。シャーペンでプリントをカリカリとひっかくが、口を開くことはなかった。


 僕は、すっと息を漏らす。


「嫌な過去くらいはあるさ。まあみんなも少しくらいは持っている程度の過去だけど」


「消したい過去ではない?」


「嫌な過去ではあるけど、消したいとまで思ってないかな。過去はどこまでいっても、自分の後ろを着いてくるつながりだ。過去のつながりを呪ったって、意味がないことなんだよ。過去を認めた上でこれからどうするかを考える。結局人には、それしかできないんだから」


 栞ちゃんは少し驚いたようにプリントから顔を上げ、まじまじと僕の顔をのぞき込んだ。


「……結弦、なにそんな大人びた発言してるの? 葵飯でも食べた?」


 その反応はいささか僕に失礼ではないかな。そこまで露骨に態度に出しますかそうですか。あと本当に姉に辛辣だな。僕ももうあのご飯は食べたくはないけどさ。


 僕の恨めしげな視線に栞ちゃんはからからと笑い、再び宿題に視線を戻した。


 でも実際、どの口が言っているんだと、冷めた感情が頭をかすめる。

 嫌な過去があるものの、それをひきずり、その上で見ない振り。そしてあまつさえ、失敗したやり方と同じことを、現在もやっている。


 本当に代わり映えしない。


「それで、なんでそんなことを聞いてきたの?」


 改めて尋ねる。


 少し考えるようにシャーペンの先でプリントを叩く栞ちゃん。

 やがて言葉を選ぶように口を開いた。


「旅人さんは私が知る限りみんな、なにかしら辛い思いをして、悩んでいる人ばかりだったから。結弦が捧げてきた願いも、もしかしたら過去が関係しているんじゃないかと思って」


 自分自身の願いがわからない。


 その問題は、少し前に葵さんも含めて栞ちゃんにも話している。

 聞けば、願いを明確に把握していない旅人も稀にいると聞く。


 自己の中に願いが表面化していないとしても、心根の奥底には願いを持つ人だって当然いるだろう。潜在意識の願いとでもいうのか。


 大昔ならいざ知らず、年末年始や縁日など特定の日をのぞき、神社に参拝する習慣が廃れて久しいこの頃。神社への参拝者は少なくなっている。

 神前に立つ人とはすなわち、自分だけでは解決できないと考えた問題を抱えた人。そんな風に解釈することもできる。順風満杯な人生を送っている人はそもそも、神様になにかを願おうとはしないのだから。


 僕も、口に出さないだけで、祈らないだけで、なにか神様に叶えてほしい願いがあったのだろう。


 今もまだ、あるのだろう。


「結弦はこの世界でやるべきことをさっさと見つけて、さっさと願いを叶えて、さっさと旅を終えるべきよ。そのために、自分がやるべきと思うことはなんでもやってよね」


 年下の中学生からずいぶんなことを諭される。


 そのまま栞ちゃんはわずかに目を伏せ、聞こえるか聞こえないかという小さな声で呟いた。


「旅の終わりは、旅人みんな、楽しく素敵なものであってほしいと思うから」


 先ほどまでの言葉とは違う、どこか寂しさを思わせる声音。


「だからさっさと、結弦は旅を終えなさい。なんなら、明日葉姉より早く終わったっていいんだからね」


「ほほほ、よほど僕を追い出したいようでなによりです」


「ソンナコトイッテナイヨー」


 棒読みで笑う栞ちゃんは、それでもやっぱり楽しげだった。


「ん、今書いたところと、二問前、漢字が間違ってるよ。残念」


「……くっ」


 反撃に転じた僕に栞ちゃんは悔しそうに唇を噛み、乱暴に消しゴムを滑らせる。


 栞ちゃんの疑問に答えるだけのものを、僕は持ち合わせていない。

 だけど、必ず見つけなければいけないものでもある。


 しばらく淡々と、僕が指摘しては栞ちゃんが答えを探す問答だけが続いた。


「よしっ、宿題終わりっ」


 そして嬉しそうに教科書類を片付けていく。思いの外早く終わったのかご満悦だ。


 片付けて立ち去るかと思いきや、栞ちゃんは立ち上がって咳払いを一つ落とす。


「ここで一つ、お金の使い方に迷っている子羊に、お金大好き栞ちゃんからのアドバイスをして上げましょう。勉強のお礼に」


 ……自分でお金大好きだという自覚はあるんですねこの子。しかも子羊って、それ神道じゃないじゃん。


 内心乾いた笑みを浮かべる僕に、栞ちゃんはぴっと人差し指を立てる。


「お金の使い方は、その価値をなにに変えられるかということで成り立つ。そしてできる男のお金の使い方は、日頃お世話人っている人、好意を持っている人への使い方でわかります。ぴったりの相手が近くにいるでしょ?」


「……それは、栞ちゃんになにかお金を使ってほしいっていうアピール?」


 栞ちゃんは途端に目をぱちぱちとさせる。


 そのあと、深々とため息。わかってないなーこの人という仕草だった。


「わかってやがらねぇなーこのへたれ童貞」


 実際口に出された。想像よりもずっと辛辣に。


 他に誰もいないにも関わらず、栞ちゃんは教科書で口音を隠し、声をひそめる。


「お金の使い道が決まらないんだったら、明日葉姉のためにお金を使ったらいいんじゃないかって言っているの。好意を示す、わかりやすく手っ取り早い方法でしょ」


 こ、好意……?


 頭でそんな言葉が反芻する。そして意味するところを察すると同時に、さっと顔が熱を帯びた。


「ばっ、そんなんじゃ……っ」


 声の爆弾を吐き出しそうになるが、すんでの所で胃の中にゴクリ。


「あはははははは、結弦、顔真っ赤っ。純情かよ」


 栞ちゃんは楽しげに、珍しく女の子らしい無邪気な笑みを浮かべていた。


 そのとき、


「ただいまー」


 玄関が開く音がして、明日葉の声が響いてきた。


「ひゃ、ひゃいっ!」


 意識していなかった宅外からの不意打ちに素っ頓狂な声を上げてしまう。


 情けみっともない僕の反応に、栞ちゃんはこれまで見た中でもとびっきり楽しそうな笑い声を上げる。そして帰ってきた明日葉を出迎えにいった。


 明日葉は葵さんのお手伝いついでに二重焼きというお菓子を買ってきてくれており、三人でお茶をすることになった。あとで知ったが二重焼きの中身はあんこだったりカスタードクリームだったりするそうだが、中身がなんだったか、どんな味だったかも覚えていなかった。

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