お仕事 ー1ー
「お、おぅ、まじかー……。わ、私のものを回帰させる力で、お仕事をしようって言ってるの? 結弦くん、これなんの冗談?」
日課である江宮神社の参拝を終わらせたあと、僕はノートに簡潔にまとめた内容を明日葉に見せていた。
江宮島を訪れる時間は、意識すればある程度調整できると聞いていた。なにも考えなければ十二時間逆のようだったのだが、早起きを意識すると朝七時に起きることができた。今までで一番早い時間だ。
隣の部屋の明日葉も同じくらいの時間に来ていた。
ベッドから転げ落ちたのか、ドスンと音が響いていた。呻き声のあと、悶絶して苦しそうな声が壁の向こうから聞こえてきた。先日着替え途中にやってきたときも寝ぼけていたが、寝起きはあまりいい方ではないのかもしれない。たしかに世界を越えたばかりのころは寝起きのように思考も鈍っているので、わからないでもないが。
おかしくなって声を出さずに笑っていると、左手のブレスレットからふわりと緑色の糸が壁の向こう側へと伸びた。そしてすぐに、色あせるように消えていく。
時々こんな風に、僕が意識したわけでもないのに糸が伸びることがある。明日葉に対してはよく糸が現れる。なんの糸なのかは、まだよくわからない。
とまあ僕が早起きして書き殴ったノートを、明日葉は江宮神社の階段の端に腰掛けて眺めている。
その表情は、徐々に形容しがたいものに変わっていった。
「え……ええ……どうなのかなこれぇ……」
箇条書きと簡単な図だけで作った叩き台の企画書に、明日葉は喉の下でふわふわとした言葉を混ぜる。悶々と考え込みながら渋面になっていく。
「お、お金もらうの?」
最下部の文言、一案件いくらにするか、という内容に添えられた指がぴくぴくと震えている。
「損得勘定は抜きで考えてるよ。でも、なんらかの敷居は必要かと思うんだ。葵さんに相談した上でどうするか、だけどね」
木々の間をすり抜け、僕らを包み込む日差しに目を向ける。
僕たちの足下には、僕たちの影が存在しない。僕も、明日葉も、この世界の人間ではない。でも理から外れた存在だからと言って、なんでも許されるわけではない。最低限守らなければいけないラインは存在する。
その上で僕が考えたのは、明日葉にしかできない、誰かから必要とされる方法。
仕事だ。
それも旅人の特権、御守から授かる異能を使ったお仕事である。
「一度起きてしまったことをなかったことにする、回帰する力で、誰かのために……」
「それはきっと明日葉にしかできなくて、そして明日葉が絶対に誰かから必要されることになると思うから」
回帰。壊れたり変わり果てたりしたものを、以前の状態に戻すことができる力だ。ものが壊れて困っている人を募集し、依頼という形で引き受ける。
無償でということになれば際限がなくなる可能性が高い。だから対価としてお金をもらうことを想定している。もちろん対象者は江宮島の住人、僕たち旅人のことを認知している人だけだ。
「……自分で言っていて、かなりぶっ飛んだことをしようと思ってない?」
「思ってるけど?」
自信満々に言い切ってみせる僕に、明日葉は苦笑していた。
この世界で僕たちにしか持ち得ない異能で仕事をする。そして本来人前で乱用するものではなく、むしろ控えるべきの力。それで仕事をしようなどとは、下手をすれば怒られかねない案件である。
しかし、この世界に旅人として訪れている僕たちにまともな仕事ができるわけでもない。葵さんたちに相談してみるだけなら、悪い話ではない。
「結弦くんはアルバイトとかってしたことある?」
「いろいろあるよ。うちの姉さんに、小説のためにバイトをして感想を聞かせてほしいって頼まれた」
あー、と明日葉は苦笑しながら納得する。もう明日葉もだいぶ姉さんのことをわかってくれたようでなによりです。
主人公が高校生なのに、姉さんは高校生をやらなかったから、実際にアルバイトしてその上で取材して来て、と。おかげで濃い経験をさせてもらっている。
高二になってからは少ないが、高一のころは全部で十近くのバイトをさせられていた。
でも今にして思えば、姉さんはまだふさぎ込んでいた僕を励まそうと、いろいろ考えてくれていたのだろう。自分の仕事の役にも立って一石二鳥、ってね。
「明日葉は? アルバイトしたことあるの?」
不意に、少しだけ明日葉の表情が暗くなった。そして不確かな笑みとともに、すっと息を落とす。
「高校生になってから、ずっとアルバイトしてるよ。いろいろお金が必要だったので」
言いながら、明日葉は視線を江宮神社の上に広がる青空に向けた。
「それもやっぱり、誰かに必要とされたかったから、かな」
夏を感じさせる暖かい風が、僕らの体を撫で下ろしていった。
なのに明日葉の言葉は溶け始めの雪のような、湿っぽい冷たさを帯びていた。
風に吹かれた亜麻色の髪が表情を覆い隠し、明日葉の感情は読めない。
また視線をノートに落とし、次に横顔が見えたとき、いつも通りの穏やかな笑みを浮かべていた。
「ふむふむ、回覧板とか人づてとか、江宮島だけの地域ネットワークで案内を出すわけだね」
僕たちは自分の願いがわかっていたとしても叶え方はわからない身だ。できることで思いついたことを、少しずつやっていけたらと思う。
僕作の適当な企画書に頭から改めて見た明日葉が、眉をぐいぐいっと曲げた。
「やっぱり一番難しいのはお金かなぁ……。私ちょっと、私たちだけでお金をもらうお仕事をするってイメージができないので」
「それは、そうだよね。だからまあ、ボランティアでやるっていう方法も」
そんな気弱な発言をしたときだ。
「あまぁぁああぁぁああぁぁぁいっ!」
突然、背後からビブラートを効かせた叫び声が振ってきて、僕と明日葉はびくりと体を震わせる。僕たちが腰掛けていた階段の後ろ、江宮神社の大鳥居の下に、女の子が腰に手を当てて仁王立ちしていた。
「し、栞ちゃん、話聞いてたの?」
気配すら感じさせず現れた栞ちゃんに、明日葉は驚いて声を漏らす。
「話は全部聞かせてもらった! そういうことなら私に任してほしい!」
まったく成長していない胸をどんと叩きながら、おおよそ僕が初めて見るきらきらスマイルで少女は豪語する。……ていうか君、話を全部っていつからいたの。
「ふっふっふー。私がお金の臭いをかぎ漏らすなんてあり得ないよ明日葉姉」
なんだこの中学生。とても年下の女の子とは思えない発言をする栞ちゃんは、明日葉の手からひょいとノートを取り上げる。そして素早く目を通していった。
その表情が次第に歪んでいき、やがてこの世を嘆くようにため息が落ちる。
「……結弦、いくらなんでも楽観過ぎ。こんなんじゃ絵に描いた餅もいいところよ」
「ご、ごめんなさい」
あげく年下女子に怒られる。なんかへこむ。
ノートをぱたりと閉じると、栞ちゃんは浮かべる。これから、誰か殺しそうな邪悪な笑みを。
「こういう話は、とりあえず葵姉も一緒にね。私たちは旅人を迎える一族なんだから」
……笑顔と台詞があってないんですけど。
「へぇ……おもしろいことを考えるんですね。まだお二人とも高校生なのに。ふふっ」
もしかしたら叱られるかもと覚悟していたのだが、僕が適当に書き上げたノートに葵さんが漏らした反応は感心だった。
僕と明日葉は二人でキッチンに並び、夕食作りに取りかかる。
明日葉は料理がとても上手なのだ。なんでも自分の世界でも料理をしているそうで、作る料理はどれもおいしい。そして葵さんは料理が苦手らしく、明日葉がやってきてからはずっと料理をしているらしい。
僕も姉さんのマンションに来てからは簡単な料理くらいはやっている身。椅子に座って待つのは性に合わないので、明日葉の手伝いをする形でキッチンに立っている。
今日のお昼はトマトと野菜たっぷりの冷製パスタ。午後から夏日なみの気温になると言われており、メニューも清涼感あるものにするそうだ。
明日葉はいつも顔の横で結んでいるリボンをほどくと、調理の妨げになりそうな長い髪を後ろで結んでポニーテールにした。料理をする際は特に気合いが入っている。
「どうでしょうか。葵さんたちとしては、問題はありますか?」
食材を冷蔵庫から出しながら尋ねると、葵さんは口に手を当てて笑った。
「大丈夫ですよ。もちろん悪用や犯罪はご法度ですが、これくらいであれば問題はありません。過去にもご自身の力を使う対価にお金をいただいていた旅人の方はいらっしゃいました」
葵さんの話では、旅人の力を本土の人など旅人の存在を知らない人が見たとしても、問題が起きたことはないそうだ。記憶や認識レベルで調整が入るらしく、そもそも異能が使われているところを知覚することさえできないこともあるとか。
ともあれ、僕たちの力を使って仕事をするのも問題ないとのことでよかった。
「私としては、お金をもらわなくても、ボランティアでいいんじゃないかって思ったりもしちゃうんですが……」
戸棚から透明のガラス皿を取り出しながら明日葉は苦笑する。
それをびしっと制止するのは栞ちゃんである。
「甘いよ明日葉姉。お金は取れるときに取れるだけ取っておくものだよ。お姉ちゃんの能力はこの世界の人間にはできないこと。そこに商業的価値がつかないはずがない」
マジでなんだこの中学生。そんなこと考えていいんかい。
栞ちゃんは先ほどからノートパソコンに張り付いている。葵さんの隣で十七インチのノートパソコンを広げ、怪しげなテンションとともにキーボードを打鍵している。ディスプレイに隠れて顔は見えないが、薬の入ったカメをぐるぐると回す魔女のように怪しげな笑みが漏れていた。
「栞、あまり無茶な企画を立ててはダメですよ。この間もお父さんに怒られたでしょ」
「ぎりぎり、ぎりぎりを攻めるのが私のプライド。グレーゾーンこそ私の晴れ舞台」
葵さんの言葉にもほとんど聞く耳を持たず、打鍵の音は一層軽快に響いている。
明日葉は菜箸を手にちらりと栞ちゃんを一瞥し、乾いた笑みを浮かべた。
「葵さんのお父さん、江宮神社の宮司さんはあまりお金に頓着されない人みたいでね。江宮神社を十全に運営できればそれでいいって、慎ましい運営をしているんだ。けど、そんなやり方じゃいつか江宮神社の経営が傾いちゃうよって、栞ちゃんが金策関係であれこれ提言しているみたいなんだよね」
中学生にして恐ろしい経営観念を持っているな栞ちゃん。
葵さんと栞ちゃんのお父さんは、江宮神社を代表とする神職、宮司さんである。宮司さんはどんな神社にも一人しかいない、会社でいう代表取締役のような立場。江宮神社は歴史もあり、大きな神社でもあるので、他にも禰宜という神主さんも複数いらっしゃる。
葵さんたちのお父さんである宮司さんは、先日わざわざ僕のところに挨拶に来てくださった。僕から伺おうとしていたのだが先手を打たれてしまった。僕みたいな子どもにも礼儀正しい、さすがは神職をされている方という印象だった。
もっとも、旅人の対応は葵さんが担当しており、宮司さんはお仕事でばたばたされているのであまり会う機会もないのだが。
「お二人が自分たちで考えてなにかをしようとするのは、とてもいいことだと思いますよ。私たちもできる限り協力しますので、遠慮なく言ってくださいね」
「葵姉は頼りないから私が力を貸す」
歳の離れた姉をばっさりと切り捨てる栞ちゃん。
「栞はお金に関しては頼りになりますからね。私はお金に貪欲な栞が大好きです」
「私が貪欲なんじゃなくて葵姉たちが無頓着すぎるだけ」
「あらひどい」
そんな会話をしながらもお互い楽しげだ。歳は離れて性格もだいぶん違うが、見ていてほのぼのさせられる。
「仲がいい姉妹でしょ? 憧れちゃうので」
「明日葉はもしかして一人っ子?」
「そうだよ。だから兄弟とか姉妹がいればもしかしたら……、あーいや、私なら仲よくできたかなって、たまに思うよ」
言いながら調理を進める明日葉の表情は、いつも通り穏やかだった。だが踏み込みにくい雰囲気に、僕はそれ以上話を転がさなかった。
なにか言葉を濁したようだった。もしかしたら、なんだったのだろうか。
「ああ、ダメだ素材が足りない」
キーボードを叩いていた栞ちゃんはそう呟くと、どたばたと二階に駆け上がっていった。そしてなにかをひっくり返すようにごちゃごちゃと音が響いてくる。
料理が終盤に差し掛かると、葵さんはぱっと席を立った。
「そうでした。もしよかったら昨夜牛肉を焼いたものがあるんですけど、料理の付け合わせにいかがですか?」
からーんと、明日葉の手からこぼれた菜箸がフローリングを転がった。
「明日葉、箸落としたよ」
「あ……う、うん、ありがと……」
僕は拾った箸を洗って、再び明日葉に渡す。明日葉の横顔は、かつて見たことがないほど青くなっていた。
「えっとそれで、葵さんが作られた料理があるんでしたか。それじゃあ一緒にいただきましょうか」
「はい。待っててくださいね。すぐに出しますから」
葵さんは冷蔵庫の一番奥に手を突っ込み、中からピンク色の容器を取り出した。
不意に、くいっと袖を引かれる。
後ろを振り返ると、明日葉がねじ切れんばかりにぶんぶんと首を振っていた。
どうしたのかと首を傾げる。なにをそれほど動揺しているのか。
「ちょっと味見してください。はい、あーん」
再び葵さんの方を向いたとき、箸につままれた虹色の物体がこちらに向けられていた。
……牛肉の……虹色焼き?
そんな疑問がようやく浮かんだときにはもう、牛肉は僕の口の中に突っ込まれていた。
「――はっ」
ばさりと布団から飛び起きる。
部屋は真っ暗。なにが起きたのかわからず、ベッド脇にある時計に視線がいく。深夜一時だ。
……というか、なぜか自分の世界に戻っている。
僕が今いる場所は、江宮島の葵さん宅などではなく、紛れもなく僕の自室。
体はびっしょりと汗をかいており、額に張り付く前髪が鬱陶しい。夜はまだそれなりに涼しいというのに、服が湿っぽくなるほど汗をかいている。
「うっ……」
そしてなぜか唐突に強烈な吐き気を覚え、トイレにダッシュ。
こっちで昨晩食べたグラタンコロッケペースがえろえろえろえろ。
しばらくトイレにうずくまり、洗面所で顔を洗う。
鏡には、げっそりと頬のこけた自分の顔が映り込んでいた。少し長めの髪はすっかり汗を吸っており、一度シャワーを浴びないと登校もできないだろう。
「いったい、なにが起きたんだ……」
もう一度酸っぱいものを洗面台に吐き落としながら、大きく息をする。
とりあえず現状、僕は江宮島から自分の世界に強制送還をくらったらしいことは理解した。なぜか記憶もあやふやで、脳も相当ショックを受けている。
僕は、なにを食べさせられたんだマジで……。
このままこっちに残っていると心配をかけてしまうので、もう一度御守を手に眠りにつく。眠りにつくことができないかと思ったが、御守を手にすると不思議と睡魔はやってくる。
再び伏見さん宅のリビングに帰ってくると、僕は仰向けで床に倒れていた。
そして僕を心配そうな目でのぞき込む明日葉の向こう側で、正座した葵さんが滔々と栞ちゃんからお説教を受けていた。
「あれだけ葵飯は人に食べさせるなって言ってたでしょ! 勝手に劇薬を作らない! 食べたのが結弦じゃなかったら、また救急車呼ぶところだったよ! なに考えてるの本当に!」
「はい……はい……すいません……」
歳の離れた栞妹ちゃんにぼろっくそ怒られる葵お姉さん。
失礼だが僕は、今後二度と葵さんの料理、葵飯なるものは食べないと心に決めた。
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