二つの世界 ー3ー
自分の世界で目を覚ますと、まだ夜も深い時間だった。
江宮島では自分の部屋をもらった。真新しいベッドに本棚などの家具がいくつか置かれているシンプルな部屋。予備の部屋として用意されていた部屋らしく、使われるのは初めてらしい。
夕食は明日葉が作った料理を葵さんたちと食べて、自分のベッドで眠りについたのが夜八時くらい。
しかし現在時刻は、まだ午前四時。早朝も早朝だ。
御守であるブレスレットを外し、机に置く。誤って江宮島に飛んでも困る。いまさら眠る気にもなれなかったので、ベッド横のカーテンを引き開けた。
暗い夜。空の端が白んですらいない。
鞄から折り紙の束を取り出して、机に積み上げる。
江宮島で出会った少女、叶明日葉は、自らが旅人である意味を果たそうとしている。
捧げ続けた願いを叶えるために。そしていつか訪れる自分の使命を果たすために。
これまで何度も何度も、僕たちの世界から江宮島に旅人が訪れている。そして自分の願いを叶え、旅を終えてきたという。
明日葉も神社で毎日毎日、来る日も来る日も願いを捧げてきたのだろう。
それなら、僕はその願いを叶えてあげたいと思う。
葵さんいわく、旅人の行動にはほとんど制限がない。葵さんたちに報告なり相談なりしながら行動すれば、仕事をしようが恋愛しようがなにもしないでいようが、ほとんどの場合干渉することもないそうだ。
明日葉の願いからすれば、江宮島に対してなにかすることこそ、願いを叶える方法なのかもしれない。
明日葉が僕に告げた、明日葉自身の願いが頭を過ぎる。
『私の願いはね、誰かに必要とされること。誰かのためになにかをできて、誰かに必要とされる人間になれますようにって、神様にずっとお願いしてたの。それが私の、願いだよ』
日陰者の僕からすれば、とても眩しい願いだった。
誰かが必要とされている結果がこの惨状という僕みたいな馬鹿には、やけどしそうなほど暖かい。
明日葉の願いは曖昧でありながら、それでいてはっきりもしている。
江宮島で明日葉の願いを叶えるために誰かに必要されるために行動を続けるなら、自ずと願いは叶うのではないかと思う。
いずれ、明日葉にしかできない使命とともに、願いが成就するときがくるのだろう。
明日葉は僕より先に旅を始めているのだから、僕よりも旅の終わりは早いだろう。
明日葉の願いが叶うそのときを見届けることができたなら。
もしかしたら、僕の願いがわかるかもしれない。
わかるかもしれない。そう思わずにはいられなかった。
なぜなら僕は、自分自身の願いというものに、まったくもって覚えがないからだ。
「はいこれ、鶴折ってきたから」
昨日から鶴が重ね続けられている葉月の席に、ロッカーから引っ張り出した袋いっぱいの折り鶴を置く。休み時間だというのに、葉月はクラスのテニス部員たちとせっせと鶴を折っていた。
「こ、こんなにたくさんどうしたの?」
抱えなければいけないほど詰め込まれた折り鶴に、葉月が目を剥いている。同じく葉月と一緒に鶴を折っていたテニス部員も、目をテニスボールのようにしていた。
「今朝、目が早く覚めて暇だったから。もらってた折り紙は全部使っちゃったけど。まだ足りない?」
「い、いやこれだけあればたぶん、千羽軽く超えてると思うけど」
「そう、ならよかった。それじゃあ怪我の部員さんによろしく」
軽くそう言って、自分の席に足を向ける。
「あのっ」
呼び止められ、振り返る。
葉月と一緒に鶴を折っていたテニス部員が立ち上がってこちらを見ていた。
「つ、鶴、ありがとうございます」
「どういたしまして」
僕はクラスメイトの言葉に応え、今度こそ自分の席に戻った。
椅子に座ると、机の裏に当たった足がちくりと痛んだ。つかんでペリッと引きはがして、それを机に転がす。それは画鋲。今日は机や椅子に画鋲を貼り付けられていた。取り損ねていたみたいだ。
視界のすみで、顔をしかめている僕をおかしそうに笑う視線を感じる。嘆息とともに、鞄から取り出したはさみで画鋲の先端を曲げた。
ひとしきり笑った富岡は、机に突っ伏していた。
最近あいつら、というより主に富岡の虫の居所が悪い。最初は多少絡んでくることがたまにある程度だったが、今は連日なにか仕掛けてくる。
しかしまあ、あんな連中のことはどうでもいいことだ。
「なにか奉仕活動がしたい? ボランティア精神にでも目覚めたのか? それでもラノベに影響されたか?」
放課後、頭の上でサッカーボールをぽんぽんさせながら陽司は器用に首を捻ってみせる。
僕はグラウンドの隅に座り込み、木の枝でかりかりと地面に不可思議な文様を描く。
「いや、そういうわけじゃないんだけど……。姉さんが書こうとしている小説で、高校生がなにか自分にできることを探すって内容らしいんだよね」
こういうとき、姉さんが小説家だと助かる。どんなことでも姉さんが小説のネタとして考えればすべてが正当化されるのだ。はっはっは。
サッカー部を絶賛サボり中である陽司は、頭から落としたボールをとんと足の甲で受ける。
「お前の姉さんの小説おもしろいもんな」
「あはは、ありがと。姉さんにも伝えとく」
現在隠れ蓑と使っていることに微かな罪悪感を覚える。
再びボールを頭の上に乗せながら陽司は唸った。
「ボランティアなぁ……俺もサッカー部辞めて奉仕活動でもしようかな。いい展開かも」
思えば、最近陽司はサッカー部をサボってばかりだ。いやもしかしたら僕がサボらせているのかもしれないけど。
もともと陽司がサッカーを始めたのはマンガの影響を受けてのことらしい。それが意外にできてしまったらしく、小学生から始めてずるずる高校生まで続けている。
僕の視線に気がついた陽司は、小さく曖昧な笑みを浮かべた。
そのまま僕に背を向けて華麗なリフティングを始める。しばらくボールを軽快に浮かせ、やがて口を開いた。
「話は変わるが、葉月から聞いてるけど。中学生の同級生、会ってやらないんだって?」
「……」
少し触れられたくない話を振られ、地面に滑らせていた枝がぽきりと折れた。
「向こうは向こうで責任というか罪悪感を覚えてるから、向こうから会いに来ることをためらってるみたいだけど。どうして会わないんだ? 俺の友だちは、サッカー部で活動するくらいには、ちゃんと高校に通えてるんだぜ? 結弦のおかげでさ」
「……やめてよ。僕がやったことのせいで、あんなひどいことになったんだからさ」
僕がうまくやれなかった。その結果があの事件だ。
一時期はニュースで大々的に報じられたこともある。だけど葉月のお父さんたちが押さえてくれたことで、僕の高校生活は最低限守られている。
だけど、守られなかった人も存在する。
陽司の友人。僕が以前住んでいた地元の高校に通う僕の元クラスメイトは、陽司の小学校からのサッカー仲間なのだそうだ。その男子もサッカーが得意で、試合で会うたびに交流があったらしい。
この高校に入学した際に、葉月と陽司は一緒に僕のところにやってきた。
本来はいけないことだろうが、葉月は教育委員会役員の父から僕の話を聞いて。
そして陽司は、僕の元クラスメイトから僕のことを聞いて。
誰一人として僕のことを知ることがないこの高校で、真っ先に友だちになってくれた二人。
すべてを絶って、ありとあらゆるものを捨ててここにやってきたにも関わらず、この高校で新たに友だちができた。
かつて焼き切ったつながりが、葉月や陽司とのつながりを作ってくれた。
縁やつながりとは不思議なものだと、常々思う。
陽司はボールを高く蹴り上げ、落ちてきたところを両手で受け止めた。
「まあ気が変わったらいつでも言ってくれ。いつでもセッティングする」
「気が変わったら、ね」
「ははっ頼むぞマジで。じゃあ、そろそろ部活に戻るわ。マネージャー泣かせるのもほどほどにしないとな」
「それはたしかにかわいそうだ」
「おう。……ああ、そうだ結弦」
帰り際、陽司は思い出したように口を開いた。サッカーボールを人差し指の上で華麗に回して見せながら、意味ありげに笑う。
「さっきの、もし俺たち高校生が仕事したりボランティアしたりするのならって話だけど」
「え?」
「なにをすればいいかじゃなくて、結弦にできることを考えてみればいいんじゃないか?」
「僕にできること?」
陽司は指先に乗せていたボールを、数十メートル先にあるゴール目がけて蹴り飛ばした。ボールは直線的な軌道を描き、ゴールネットに突き刺さる。
「お前、毎日適当に生きてるけど、本気になればいろんなことができるだろ。なにかやりたいんなら、結弦ができること、結弦にしかできないことを考えろよ」
「……助言はありがたいけど、やるのは僕じゃなくて姉さんの小説だからね」
陽司はもうひとしきり笑うと、足早に部活へと戻っていった。
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