旅人と御守 ー2ー

 一通りの説明を聞き終えた僕は、明日葉とともに江宮神社を下りていった。


 案内されたのは、江宮神社から港町までの参道の脇にある一軒家。クリーム色の壁面に青い屋根が特徴的な家だった。比較的に新しい家で、山に寄り添うように建てられている。


 葵さんから様々な話をゆっくりと聞いていると、いつの間に空は赤みを帯びていた。僕もいろいろ気になっていたことを質問していると、お茶を三杯もおかわりしていた。


 僕の世界と江宮島の時差は、およそ半日。正確には多少こちらに長く残ったとしても、そのまま十二時間逆の時間になるとは限らない。たとえば江宮島で二十一時に寝たとしても、僕の世界では朝六時なんてこともある。実際に慣れればある程度狙った時間に起きることもできるようだ。


 ただ原則的に、旅人は夜になれば帰らないといけない。行き来する時間はある程度任意で調整できるとは言え、深夜まで居座れば自分の世界で昼になっている、なんてこともあり得るとのこと。江宮島に来ている間、自分の体は昏睡状態になっているらしいので下手を打てば笑えない話だ。


「そういえば、結弦くんはこれまでどこで寝てたの?」


「人気のない廃屋」


 言葉もなくどん引きされた。具体的には五メートルくらい距離を取られた。


「……いろんな意味でアウトなので。野球なら一試合終わるくらいアウトなので」


 すすすっと、再び明日葉が僕の隣まで戻ってくる。


「たしかに人目につく場所で眠るのはよくないけど、大丈夫だよ。街中にいきなり現れても、いつの間にかいた、くらいの印象しか持たれないらしいから。でも好き勝手な場所で眠るのはいろいろ問題もあるからね。ここは葵さんが住んでいる家だよ。私もここを使わせてもらっているので」


 旅人が世界を行き来するには眠る必要がある。そこで旅人を迎える一族である葵さんたちは、旅人が寝泊まりできる場所を提供しているらしい。


 言いながら、明日葉は家の扉を開ける。鍵はかかっておらず、そのまま明かりのついた廊下が現れた。


「ただいまー」


 明日葉が玄関を通ると同時に、正面にあった二階への階段から、ドスンと大量に服が詰められた袋が落ちてきた。


「ん、明日葉姉おかえりー」


 袋の向こうから、小さな影が顔をのぞかせる。


 ハーフパンツにTシャツ姿の女の子だった。小柄な明日葉よりもさらに小さな体と幼い容貌。中学生くらいだろうか。ショートボブの髪からのぞく額に大粒の汗が浮かんでいる。


「もうそんな時間か。葵姉に言われて部屋を片付けているけど、まだ全然終わってないよ」


 少女の視線が、明日葉の後ろに立つ僕へとじろりと向かう。


「そっちの人が二人目の旅人さん? 海に飛び込んだっていうバカたれ?」


「バ、バカたれではないけど、二人目の旅人なので」


 ふーんとうなずきながら、少女はまるで値踏みするように僕の体をじろじろと見る。


「まあ、バカだけど変な人ではなさそう……?」


 ひどい言われようだ。


「私は伏見栞。上で会ったと思うけど、伏見葵の妹ね。そっちは?」


「出雲結弦です」


「結弦ね。短い間だと思うけど、よろしく」


 どう考えても僕の方が年上であるにも関わらず、初対面でぞんざいに呼び捨てる栞ちゃん。なかなかに気の強そうな女の子だ。


 衣服が大量に詰め込まれた袋をよいせと持ち上げ、脇の部屋へと引っ込んでいく。


「葵姉はあんな見た目で片付けができない女なんだよね。新しい旅人の部屋を用意してくれって、倉庫みたいな部屋をすぐに片付けろってのが無理な話だよ。まあ二人目が来たかもしれないことがわかって、すぐに片付けなかった私も悪いんだけど」


 部屋の奥でなにか一斉に崩れる音が響き、もくもくとホコリが舞い上がった。咳き込みながら栞ちゃんが足早に逃げ出してくる。


「今片付けてるけど、とてもじゃないけど今日は使えないなー。しばらくは断捨離祭りね」


 明日葉は乾いた笑いを浮かべ、靴を脱いで家に上がる。


「部屋の片付けは私もあとで手伝うよ。とりあえず結弦くんには私の部屋で眠ってもらうから」


「……明日葉姉、なに言ってるの? こんな野獣を自室に招いたダメだよ。獣だよ」


「誰が獣か」


 まあ知り合ったばかりの女子の部屋に、野郎がずかずか上がり込むのも問題だが。


「いいよいいよ気にしないで。別になにかあるなんて思ってないよ。旅人に悪い人はいないって、葵さんも言ってたよ」


 あっけらかんと笑いながら、明日葉は階段に体を向けてちょいちょいと手招く。

 少しの逡巡のあと、僕はため息を一つ落とし家に上がる。


「あ、僕がもともと着ていた服はどうなるんだろ」


「この家の庭に干してるけど、大丈夫だよ。今着ている服で眠ってくれれば、次にこちらに来るときは服も靴も江宮島でそろえたものになるので。たぶん結弦くんが今日眠れば、干している服は消えるかな」


 なにそれすごい。ホント神様ってすごい。理屈を考えるのも無駄な気がしてきた。

 僕たちは自分の世界から江宮島にものを持ち込むことができないし、その逆もしかり。自分の世界に持ち帰ることもできない。世界の往来で移動ができるものは、最初の衣服をのぞけば御守だけらしい。


「明日葉はもうしばらくこっちの世界にいるの?」


 掃除に戻ろうとしていた栞ちゃんがぴくりと体を震わせた。


 なにか変なことを言ったかと首を傾げてしまったが、明日葉は特に反応することもなくコクコクとうなずいた。


「あ、うん。私もしばらくしたら戻るので。栞ちゃんのお手伝いをしてから帰ります」


「それ、僕も手伝った方がいいんじゃない? 僕が使わせてもらう部屋だし、力仕事ならどんとこいだけど」


「今日は大丈夫。たくさんお話をしちゃって、疲れたと思うので。次に来たときにでも手伝ってもらえると助かるかな」


「じゃあ、そうさせてもらおうかな」


 階段に足を乗せたとき、犯罪者を見るような目で栞ちゃんが睨み付けてきた。


「明日葉姉に変なことしないでよね」


「しないよ。するわけないでしょ」


 疑いの眼差しは栞ちゃんの視界から僕が消えるまで続いていた。向こうからすれば女性所帯に野郎が入り込むことになる。警戒するのも無理ない。信頼されるように努力しよう。


 明日葉の部屋は、二階一番奥の角部屋だった。

 他の部屋がどれほど凄惨たる状況なのかは知らないが、明日葉の部屋はとても片付いていた。

 八畳ほどの部屋。正面に薄いピンク色の布団が掛けられたベッド。扉脇の本棚に何冊もの本が並べられており、異界の本に興味をそそられる。窓の下には観葉植物がいくつか置かれ、上には風鈴がつるされている。女の子らしい落ち着いた部屋だった。


 明日葉が空気を入れ換えるように窓を開けると、風鈴がちりんと心地よい音を立てた。


「なにもない部屋で、お構いもできませんが」


「いや、ちょっとうとうとさせてもらうだけなんだから、お構いもなにも大丈夫ですよ」


「それもそうだね。じゃあ、さ、どうぞ」


 言って、明日葉はベッドに手を向ける。


「……」


 思わず声を失う。なにを言ってはるんでしょうか。


 上気する頬を悟られないように口元を手で覆う。


「女の子のベッドなんて使えるわけないでしょ……。僕は部屋の端で十分だから」


「え……? あ……ご、ごめん……」


 自分がなにを言ったのかを理解し、顔を赤くし俯く明日葉。


 なぜ自ら変なことが起きかねない状況を作ろうとするのか。なんだ、僕は試されているのか。それともただの天然か。


 僕は明日葉が開けた窓から外を見渡した。

 葵さんの家は江宮島の中でも少し高い位置にあった。窓から江宮島の山々と海、それから少しではあるが街も見下ろすことができた。


「僕たち旅人のもとに訪れた御守。僕たちが捧げた願いを叶えるために、御守が僕たちのところにやってくる。願いを叶えたとき、そして使命を果たしたとき、旅が終わる……か」


 不思議な話だ。僕自信が捧げた願い。毎日、神社で捧げ続けた願い。


「明日葉、君にも叶えたい願いがあるんだよね?」


 僕が尋ねると、明日葉は驚いたように目をぱちぱち瞬かせる。

 そして、たははと笑った。


 ふと、視界のすみに緑色の糸が舞った。

 明日葉が気づくよりも先に、糸は空気に溶けるように消えていく。


 少しだけ答えに迷った素振りのあと、少女はうなずいた。


「私も毎日毎日神社に通って、願いを捧げ続けた人間だからね。願いは、ちゃんとあるよ」


 だからと、明日葉は僕に向かって手を差し出した。


「これからよろしくなので、結弦くん。旅人同士、私たちの願いを叶えるために、この世界で旅をしよう」


 僕たちはこの世界で二人っきりの同種だ。


 異世界からの来訪者、旅人。


 葵さんは僕に旅人の話をする際に、葵さんたちにも現状理解できないことを一つ教えてくれた。


 それは、旅人が二人存在していること。


 これまで、旅人は同時に一人しか確認できなかったそうだ。旅人の存在が明らかになって百年を越える歴史の中でだ。

 それがなにを意味するのか、葵さんたちにもわからないらしい。


 旅を続けていけば、僕が訪れた江宮島でそれを理解できる日が来るのだろうか。


 まだまだわからないことだらけのことばかり。

 それでもこれからの日々を思うと、心が躍った。


 僕は笑って、差し出された手を握る。

 小さく暖かな、女の子の手。

 力を込めて握りしめられて、僕も応えてそっと力を込める。


「これからいろいろ迷惑をかけると思うけど、こちらこそ、よろしく。明日葉」


 僕たちの世界は、つながった。


 言葉をかわすことも、出会うこともなかった僕たちの世界が、世界を越えてつながったのだ。


 そして僕たち二人の、願いを叶える旅が始まった。

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