燈火①

 清潔感のあるクラシックモダン風の店内と洒落たBGMがまるで少女を艶美な大人の世界へと導くような雰囲気を纏い、幅広い世代をターゲットに売り出すファッションブランドの風格を静かに醸し出している。近頃は女子高生の来店も増えているようだ。アルバイトをしていれば割と手を出しやすい価格の商品もあるからだろう。

 店頭に立つ販売スタッフはそのイメージに合うようにスーツ風の制服を身に着けている。三染透夏みそめとうかもそのうちの一人だ。

 駅近のビル内に入っているファッションブランド『aise dianaエゼ・ディアン』に就職できたのは不幸中の幸いだった。東京二十三区内に出店している名の知られたアパレルブランドで働きたいと考える就活生は多く、短期大学の就職支援課の教員からは販売員よりも本社勤務のほうが狭き門だと聞いた。元々透夏の希望は本社でのデザイナー職だったが、そもそもアパレル関連の店舗業務については理解が浅く経験もなかったため、客層や求められているニーズを身近に知ることができる販売員になるのも悪くないなと思った。

 実際入社してみると店長を目指して販売員になった人や転職を前提に考えている人が意外と多くいたため、初めはその多様性の富んだ働き方に驚いた。だが、ただ淡々と仕事を全うするよりも、先を見据えて働くほうが飽き性の透夏にも合っているのではないかと思った。長く同じ仕事を続けることも大切だが、自分がもっと活躍できる場所があるならば、必ずしも同じ会社で長くやっていく必要はないだろうという判断の上で、透夏も転職を視野に入れてみることにした。現在は地盤固めのために日々勉強している。もちろん不安もあるが。


「三染ちゃん」

 そんなことをぼうっと考えていると、清楚な雰囲気の女性が声をかけてきた。透夏と同じくこの春から入社した同期の藤波凪ふじなみなぎだ。

「どうしたの、なんか悩み事?」

「いや、そういうわけじゃなくて」

 凪は透夏の顔色を伺いながら隣に立つ。「そういえば今日は十七時で上がりだったよね。私も一緒だから飲みに行かない?」

「え、行く!」

「あはは、即答だね」

 透夏は凪の気遣いに内心嬉しくなった。腕時計をちらっと確認すると、十七時まではあと二時間ほどだった。

 六月の平日は客が少なく、悪天候の日は特に客足が遠のき、棚卸しの日以外は品出しを終えてしまえばある程度暇になる。十七時を過ぎたあたりから帰宅ラッシュに伴い段々と混み始めるが、今日は一日雨の予報だったような気がするのでいつもより手が空くだろう。

「来月からセールが始まるし繁忙期はんぼうきに入るから、時間通りに上がれるのは今のうちだね」

「繁忙期の大変さをまだ私たちは知らないけどね」と言いながら凪はひとつため息を吐く。「聞いた限りでは地獄のようだけど」

「声出しが特にね」

「ゆっくり三染ちゃんと飲みに行けるのも今のうちかぁ……考えたくない」

 そう話しているとレジに向かってくる客の姿が見えた。気付いた凪が小声で「あと少し頑張ろうね」と言ってフロアへと戻っていった。

 何となく繁忙期に入っても凪が飲みに誘ってくれそうな気がして、透夏の口元が緩む。仕事終わりに愚痴を吐きたくなるのはお互い様だと分かっているからだ。

 少しくすぐったい気持ちを抑えて、透夏は客に向けて笑顔を浮かべ会計の準備を始めた。その表情は子どもが小さな飴玉を貰ったときのようにキラキラと弾けていた。

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