えげつない文化祭

 光のように時間が流れていき、どんどん文化祭が近づいてくる。


 小説を書き始めた翌週の月曜日。

 予定通り、なんとか小説の原稿を仕上げることができた。赤磐先生のつてである印刷所にデータを渡して、あとは印刷されて製本されたものを待つだけだった。


 文化祭まであと二日。

 文芸部の部室で大和と文化祭当日の動きを話し合っていた。

 そこに慌ただしく疲れを浮かべた赤磐先生と、すっごく申し訳なさそう顔をしている未来がやってきた。


 もう嫌な予感しかしなかった。


「間違って1000部印刷されてる……?」


 赤磐先生の口から出た信じがたい言葉に、僕は頬を引きつらせて呟く。

 文芸部員たちが驚愕の事実に作業の手を止めている。


「ご、ごめんなさい……」


 未来は申し訳なさそうに何度も謝っている。


 本来印刷所に依頼する予定だった文芸誌の数量は100部。それだけでも、これまで一切の活動実績がない文芸部の文芸誌というなら破格の数量だ。だが、未来や天音が絶対にそれくらいなら売れると言い切り、100部を頼むことに決めた。


 だが原稿を上げると同時に僕は力尽きて倒れ込んでしまい、恥ずかしくも仕事帰りの母親に車で回収されなければいけない事態となった。

 そのとき、印刷所への対応は未来に任せていたのだ。

 泣きそうに目を伏せる未来の前に、赤磐先生が進み出る。


「いや、桜葉のせいじゃない。書類は間違ってないんだ。私も確認した。ただ、数日前に急遽第二文芸部の部長を名乗る生徒から、部数を変更してほしいと連絡があったらしい」


 第二文芸部の部長とは、すなわち僕のことだ。

 しかし当たり前だが僕はそんなとち狂った真似はしない。


 間が悪いことに、赤磐先生の伝手であるOBは出張で不在だったらしく、代理の新入社員が対応をしたらしい。そのため学生の文芸誌であることをあまり理解していなかったそうだ。

 だが製本段階になり、背のとじ方が注文書に記載がなかったらしく、今日赤磐先生宛に問い合わせがあったらしい。その際に、1000部という途方もない量が印刷されたことが発覚。現在、印刷所には、僕の小説1000部が既に製本されるのを待っているらしい。

 よほどのお得意様ならともかく、お客さんから電話で増刷の依頼を受けるなんて、普通あり得ないだろう。しかしまあ、現状はそういうことらしい。


 とてつもなく恐ろしいことが起こっている。

 それにしても社会人がすごい間違いやらかしたな。どんまいだ新入社員よ。


 ちらりと視界の隅で、何人かの第一文芸部が笑っていた。 

 御崎さんと一緒になって、俺の小説に文句をつけていた連中だ。


「まさかあんたたちがやったんじゃないでしょうね!」


 いきなり声を荒げて鬼のような形相で彼らに詰め寄ったのは、御崎さんだった。

 中心にいると思われる男子生徒は、小さく笑みを浮かべながら肩をすくめた。


「おいおい、変な言いがかりはよしてくれよ。印刷所が言ってたんだろ? 第二文芸部の部長から連絡があったって。俺たちなわけないだろ。春木が寝ぼけてやっちゃったんじゃないか」


 赤磐先生や他の部員、大和たちまでいるのにこのふてぶてしい態度は大したものだ。

 だが、御崎さんは止まらない。


「ふざけないで! どれだけの人に迷惑かけてると思ってるのよ! いくらなんでもやっていいことと悪いことが――」


「いいよ御崎さん。落ち着いて」


 怒り狂う御崎さんの言葉を遮り、僕は声を掛ける。


「はぁ!? あんたなに言ってるの! 落ち着けるわけないでしょ! お金と人に関わる問題なのよ!」


「大丈夫。僕が増やしてもらったんだ。100部じゃ少ないと前から思っていてね」


 その言葉に、御崎さんだけではなく、事の発端と思われる文芸部の連中も目を丸くしている。

 もちろん僕が言ったことではない。ただ、ここで揉めてこじれて、そもそも文芸誌を出せなくなれば本末転倒である。相手はどうだか知らないが、僕は望まない。


 僕が強がっていることに気づいたのか、再びにやにやと文芸部の連中は笑い始める。


 あごに手を当て、考え込む。


「大体、そんな文芸部の邪魔でしかない文鎮たちと、あれこれ話すつもりはないよ。そんな時間は豚にでも食わせた方がよっぽど建設的」


 正直結構テンパっていたので、普段は隠している黒い素が出てしまった。

 ただでさえばたばたしていた文化祭がえがつないことになっているのだ。仕方ない仕方ない。


 露骨に顔を歪めて怒りを称える連中から目をそらすと、不安げにこちらを見上げる未来と目が合った。


「叶太さん、本当にごめんなさい……」


「だから僕がやったことなんだって。未来に話してなくて、こっちこそ悪かったね」


 こうなってしまった以上、1000部を100部にすることは不可能である。

 であれば答えは簡単、売れるようにするだけだ。


 やってやろうじゃないか。


 自然と、口元が緩んでいた。


「確認ですけど、まだ印刷されているだけで製本はされていないんですよね?」


「あ、ああ。とじ方も連絡しなければいけないからな。少しだけなら猶予があると聞いている」


 わかりました、と僕はポケットからスマホを取り出して一つの番号を呼び出す。

 しばらくコール音のあと、電話が繋がった。




 文化祭は金曜日から日曜日までの三日間。一般開放もされる一大イベントである。


 第一文芸部の文芸誌はカテゴリ別にまとめられた数種類の文集。100部ずつ印刷された文集。


 その横で、第一文芸部の文集全てよりも多い1000部の第二文芸部の文集。

 きっちりと製本され、そして表紙にどこから引っ張ってきたんだと思われそうな綺麗なイラスト。

 表紙のイラストを描いたのは、なにを隠そう僕の妹、春木菜子である。


 僕だけで現状1000部売れないのなら、売れるようにするだけである。小説ではインパクトが足りないなら、インパクトのあるイラストを表紙にすればいいと考えたのだ。

 既に未来から横流しされていた小説を菜子は受け取っていた。

 表紙を一枚、モノクロで描いてくれるだけでも十分だった。にもかかわらず、菜子はカラーで既に描き上げていた。その他にも、挿絵として使える絵を十二枚もあった。


 あなたこの数日間学校行ってたんですよね……。と思わずにはいられなかった。

 平日一日で一枚なんてレベルじゃないんですけど、なんなんですかね……。


 イラストは落ち着いた雰囲気のものだった。キャラクターが描かれているが、ライトノベル好きも、一般文芸好きにも、広範囲の人に受けのよい装丁となっている。


 電話で高校に呼び出すと、大あくびをこぼしながら僕にファイルを押しつけた。そしてそのまま、文芸部の部室の片隅で、周囲の目もお構いなしに眠り始めてしまった。机に突っ伏し、ぐがーといびきをかきながら。

 最初にイラストを見せられたときは、文芸部の連中とそろって驚いたものだ。

 今回なにを思ったのか、イラストの出来映えはこれまで以上にいいものだった。


 そして、タイミングがいいのか悪いのか、十一月のこの時期に菜子のクラスにはインフルエンザが大流行して学級閉鎖。菜子本人が中学の制服を着て文化祭についてきている始末。


 ほ、本当に学級閉鎖だったんですよね? 先生のお許し出てるんですよね? おにいちゃん心配だよ。


 そんな疑問がわき上がってきたが怖くて聞くことができなかった。

 机に積み上げられている本の山、さらにその後ろにまだまだ本が入っている箱がある。

 ほとんどどん引きしたように、第一文芸部の連中が見ていた。


「前から知ってたけど、春木って本当にいろいろぶっ壊れてるわよね」


 そんな中で御崎さんだけは、開き直っているのか楽しげな笑みを浮かべていた。


「僕は最近知ったんだけど、御崎さんって結構かわいい笑い方するんだね。いつも怒ってばかりだから、気づかなかったよ」


 一瞬きょとんとしたあと、御崎さんは爆発したように顔を真っ赤に上気させる。


「なにバカなこと言ってるのよボケ! 売れ残れこのゲス!」


 顔を真っ赤にしながら御崎さんは叫び、ずかずかと自分の持ち場に戻っていく。


「あ、今新しい電波来た。今なら最高のイラスト描けるのでは?」


 訳のわからないことを言い、タブレットでイラストを描き始める菜子。


「そんな大変な事情があるなら専念していいって、クラスのみんなに言われてるから、私も頑張る」


 そう言って腕まくりをする天音。


 僕としては女装メイドカフェを回避できて言うことなしであるが、申し訳ないことは申し訳ない。たしかにこの量の文芸誌を全て売り切るということは、どうあっても馬鹿げている。正直クラスの出し物の準備も当日も、まったく手伝う余裕はなかった。

 大和がいつもの仏頂面で肩をすくめる。


「俺たちも可能な限り協力する。どうにかやれるだけやるしかない」


 ここまできたら、やれることは限られている。

 あとは、最後まで突っ走るだけだ。

 チャイムが鳴りびく。

 文化祭の開始を告げる合図だ。


「さあ、楽しい時間の開始だね」


 他の面々が緊張している傍らで、僕の口は自然と緩んでいた。

 それを見た未来も、楽しげに笑う。

 

 現代の方法でSNSを使用して第二文芸部の文集の情報は発信済み。

 印刷所が謝罪も含めて好意で、菜子のイラストをデカデカとしたポスターに印刷してくれた。宣伝に校舎のあちこちと学校外の人目に付きそうなところに、僕の小説のあらすじつきポスターを張り出している。


 さらに僕が投稿している小説投稿サイトに、小説の冒頭部分をアップ。グレーな方法ではあるが、僕らの高校で文庫化して限定販売することも広告として打ち出している。高校側、それから小説投稿サイト側にも事前に問い合わせた上で実行しているアウトローな方法であるが。

 そこまでしなければ売り切ることは不可能だ。

 僕は元々身元がバレて困るような小説を投稿していないし、これからもする気はない。

 

 金曜日は、平日ということもありそれほど多くの人は来なかった。

 十分売れたのだがそれでも初日の売り上げは八十部ほどに収まった。

 だが土曜日日曜日、どの策がうまくはまったのかわからないが、とんでもない量の人が文芸部に押し寄せることとなった。


「ありがとうございます! 次の人どうぞ!」


「二部ですね。1000円になります!」


 押し寄せる人たちに次から次へと文芸誌が売れていく。

 箱から出しても出しても売れていく。


「イラストを描いているのは僕の妹で、今はここのイラスト部でイラスト描いていますよ」


 イラストに興味を持った人は誰が描いたのかを聞いてきた。

 菜子は僕の小説のイラストを描いたということがバレると同時に、イラスト部に連行されていった。なんでもイラスト部に中学のころの先輩がいたらしい。イラスト部でも販売していいから、即売する絵を描いてもらいたいとかで、半ば強制的に連れて行かれた。


 目が回るような忙しさだった。カフェ緑山がニュースや雑誌で紹介されたときなどは客数も一時的に跳ね上がるが、その繁忙期並みの忙しさだ。


「あ、ハルカナですか? それ、僕です。はい、ありがとうございます」


 身近で読んでくれていた読者の人が本当に多く来てくれて、僕の小説を買ってくれた。嬉しいは嬉しいが、えげつない恥ずかしさだった。いっそ消えたかった。


 そして土曜日の終わり。


「いらっしゃいま――」


 新たに前に立った二人に、僕が口に仕掛けていた言葉が止まる。

 男子と女子の取り合わせ。


「よお、盛況だな」


「久しぶり」


 見知った懐かしい二人が、僕に言葉をかけてきた。



「……うん、久しぶりだね」



    Θ    Θ    Θ



 日曜日、文化祭が終わった。


 明日明後日は振替休日になっており、これから後夜祭が始まる。

 叶太や未来の第二文芸部が大いに盛り上げた瀬戸高文化祭の終了とともに、天音は叶太の妹である菜子と一緒に第一文芸部の部室で片付けを手伝っていた。

 叶太と未来は第二文芸部の部室を片付けている。


「菜子ちゃん、イラスト部で大人気だったみたいね」


 疲れ切った表情をしながら片付けに参加していた菜子が力なく笑う。


「ははは……まあおかげさまで。いい宣伝になったみたいでよかったですけど、まさか……」


 菜子の視線の先には空っぽになって潰されてた段ボールの山。


「あの小説全部を売り切るとか、お兄ちゃんって大概化け物染みてますよね」


「まあ叶太は前からぶっ飛んでるけど、さすがに今回のはすごい」


 文庫本の同人誌は800円から1000円で売っているものが多いと叶太が言っていた。

 だがそもそも利益目的ではないので、部数が増えたことで安く500円で販売を行ったのだが部数が1000部だ。

 ざっくり50万近い売り上げが発生しており、売り上げだけ見れば今回の文化祭でダントツだ。規格外すぎて瀬戸高の先生たちも扱いに困っているらしい。


 片付けも終わり、天音と菜子は第二図書室で片付けをしている叶太たちの元へ向かう。

 第二図書室は文芸部の空き段ボールなどを一時的に置いていたので、それも明日明後日に取りに来る業者に引き取ってもらわねばいけない。第二文芸部の部室を訪れると、既に片付けは終わっていたようだった。いくつもの段ボールが紐でしばられ、入り口近くに積み上げられていた。


「あ……」


 菜子が小さく声を上げる。

 部屋の片隅で、肩を寄せ合うようにして二人が眠っている。

 常軌を逸した速度で小説を執筆し仕上げた疲労と、1000部を売らなければというプレッシャー。加えて破滅的な忙しさの文化祭三日間を終えた二人は、終盤ほとんど気合いだけで動いていた。


 ぐったりと力なく、二人はそれでも文化祭をやりきって眠っていた。

 天音は、開けた扉をゆっくりと音を立てないように閉める。


「いいの? 天音お姉ちゃん」


 からかうように、菜子が天音に問う。

 天音は肩をすくめて笑う。


「今日くらいはそのポジション譲ってあげる」


 最後は絶対負けないけどねと、内心で改めて決意しながら。

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