夢喰い少女はグルメである

「そういえば、さあ……」


 文化祭用の小説を書き始めて数日たった放課後。

 切りのいいところまで書き終えたとき、向かいの席で僕の書きかけの小説に赤を入れている未来に声をかける。

 第二図書室の机でお互いに向かい合い、新たな第二文芸部として活動を開始していた。


「僕の夢は、食べなくてよかったわけ?」


「なんの話ですか?」


 未来は赤ペンを入れる手を止めて首を傾げる。

 ノートパソコンの画面を下げて、僕は苦笑しながら頬を掻く。


「だってほら、この間御崎さんとか文芸部の人たちのことぼろくそに言っちゃったじゃない? てっきり未来がおかんむりで僕の夢、食べちゃうんじゃないかって思ってたんだけど」


 他人の夢を侮辱し壊す人間を未来は許さない。

 その気になればなにでもできると豪語し、事実それを実行してきたという恐ろしい才覚を持つ少女の逆鱗。僕は十分すぎるほど触れてしまっている。


 一瞬きょとんとしたあと、未来は楽しそうに笑い始めた。


「あははは、いやいや。あのとき夢を否定されていたのはどちらかというと叶太さんですよ? 叶太さんが止めてくれなければ、私が御崎さんたちの夢を食べてました」


「僕が、止めた?」


「はい。たしかに叶太さん自身結構お怒りだったんでしょうけど、私には、私が御崎さんたちに勝負をふっかけるのを阻止したように思えましたけど」


 今度は僕がきょとんとし、そして小さな鼻をならす。


「まさか。僕が御崎さんたちのことをかばう理由なんてない。本当に腹が立っただけだよ」


「ふふふ、それなら、そういうことにしておきましょう」


 ひとしきり笑うと、未来は窓の外に視線を逃がした。

 日が傾き始め、空が茜色に染まっている。


「まあどちらにしても、叶太さんの夢は私には食べられないですけどね」


「なんで?」


「私、グルメなので、叶太さんの夢は大きくて真っ直ぐで、そんなの食べちゃったら私はきっとおなか痛くなっちゃいます。だから食べられません。それに――」


 未来がそこまで言ったとき、廊下をばたばたと誰かが走る音がして、ノックもなしに勢いよく扉が開け放たれた。


「いたあああああああ!」


「ようやく見つけたぞおおおおお!」


 左耳から右耳を真っ直ぐ大きな声が貫いていく。

 驚き顔を向けると、そこには体操服姿の男子生徒が二人いた。


「散々探させやがって、こんな掃きだめでなにしてやがる!」


「ちったぁこっちの都合も考えろってんだ!」


 いきなり怒鳴り込んできて一方的に滅茶苦茶なことを言う二人には見覚えがあった。


「極楽コンビ先輩……」


 その二人は、先日僕と未来がバスケ部絡みで一悶着を起こした先輩たちだった。

 長身の先輩とがたいのいい先輩だ。


「誰が極楽コンビだ! 極本と楽本だ!」


 憤慨する先輩たち。そういえばそんな名前だった。ずいぶん前のことですっかり忘れていた。

 極本先輩と楽本先輩は、ずかずかとこちらに歩み寄ってくると、その手に持っていたバスケットボールをこちらに突きつけた。


「お前ら、もう一度俺たちのとバスケをしろ」


 言われた言葉に、僕と未来は顔を見合わせる。


「先輩たち、またバスケ始めたんですか?」


 驚き尋ねると、楽本先輩が顔を真っ赤にしながら憤慨する。


「そもそも止めてねぇよ! あんな赤っ恥掻いて止められるか!」


「お前らに負けたあの日から俺たちは徹底的に鍛え直した! あんな醜態二度とさらさねぇ! 俺たちはお前たちを倒して、全国へ行くんだよ! それが俺たちの夢だからな!」


 一方的に言ってのける極本先輩。

 全国までの道すがらに、素人二人とのバスケが入っているとはこれいかに。だが、二人とも以前にも増して眼がぎらぎらと光を放っており、やる気と希望に満ちあふれている。

 二人は敵意むき出しに、それでいてとても楽しげに笑みを浮かべ、


「「だからもう一度俺たちとバスケしろ!」」


「え? 嫌ですけど?」


「「嘘おおおおおおお!」」


 首を傾げながらごくごく普通に拒否をする未来の言葉に、極楽コンビ先輩がひっくり返った。

 というか断るんだ。

 未来はあっけらかんと肩をすくめる。


「私があの後どれだけ苦しんだと思ってるんですか? 筋肉痛で一週間まともに身動きがとれなかったんですよ?」


「え……? 筋肉痛?」


 すっころんでいる二人の代わりに、僕が尋ねる。


「普段から運動する方ではないので、突然あんな運動してしまったもんだから筋肉痛が激しくて。この年でお母さんに介護されるのって結構恥ずかしいんですよね」


 顔を赤らめながら笑う未来。

 もしかしてしばらく休んだのって理由ってそれ? 体調悪かったって筋肉痛ってこと? というか自分からふっかけておいて自業自得にも程があるのになにを言っているんだか。

 ツッコミどころが多すぎる。正直なにも言えない。


「ちょ、なら俺たちのこのやる気をどこに向ければいいんだよ!」


 いや、他に向けるところたくさんあるでしょ。

 もはやこの人たちもなに言っているのかわからない。脳みそ筋肉でできているんじゃないだろうか。頭の中まで極楽か。


 元凶であるにも関わらず未来は困ったように眉根を寄せて、あごに夢を当てて考え込む。


「それならそうですね。あなたたちがバスケで全国大会に出場できたのなら、そのときは激励も含めてもう一度くらいならあのゲームしてもいいですよ。叶太さんと一緒に」


 僕の意見無視ですか。そりゃあそうですよね。今更つっこんだりなんてしないよ。

 未来からの提案に、再び二人の目に光が灯る。


「言ったからな! 約束だからな!」


 極本先輩が未来に指を差しながら嬉しそうに叫ぶ。


「それならそう、この間いじめていた後輩の子たちも、しっかり全国に連れて行ってあげてくださいよ。それが条件です」


「……ふん。安心しろ。あの二人ならもう部に戻って真面目にバスケやってるよ」


 ひねくれた言い方ではあるが、楽本先輩は少し誇らしげにそう言った。

 あのとき極楽コンビから手痛い扱いを受けていた二人は、一時期部に出てきていなかった。しかし、すぐに復帰して見違えるように練習に励むようになったそうだ。

 先輩たちにも負けないほど技術を上げているとかで、レギュラー候補になっているそうだ。


「そうですか。よかったです」


 人ごとであるにも関わらず、未来は本当に嬉しそうに微笑んでいた。

 そして、未来は極楽コンビに目を向ける。


「それなら約束しますよ。お二人の夢っていうバスケ部の全国大会出場。その夢を果たせたのなら、もう一度バスケをしましょう」


「約束だからな!」


「今度は逃がさねぇからな!」


 捨て台詞のように言い残し、二人は勢いよく部屋を飛び出して走り去って行った。

 二人を見送って、未来は僕に向かって笑う。


「ね? 私に食べられるものなんて、夢にもなっていない意味のないもの。本当の夢は、私みたいなのには食べられないくらい、大きく真っ直ぐなものなんですよ」


「……ああ、そうみたいだね」


 二人して一緒に笑い、そしてまた小説へと向き直った。

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