決意表明

 文化の日を含めた三連休明けの月曜日、僕は授業が終わると同時に職員室の印刷機を使わせてもらった。

 その足で未来の教室に行き、他のクラスメイトたちが注目してくるのも構わず未来を呼び出す。

 未来を連れ立って、文化祭の準備で活気づく校内を歩いて行く。

 文化祭はもう来週末に迫っている。人それぞれ温度差こそあれど、開催が迫り、瀬戸高全体が忙しなく動いている。


「あの、叶太さん大丈夫ですか?」


 後ろを歩く未来が尋ねてくる。


「ほとんど寝てないんじゃないですか? 顔色が……」


 自分の顔色はうかがい知れないが無論大丈夫である。ただ頭を使いすぎて血の気がなくなっているであろうことは想像できる。


「大丈夫。これが僕の平常時」


 もう取り繕ったり、自分の世界を隠すような真似をしたりはしない。

 やりたいようにやることに、僕がやるべきことを止めると決めた。

 目的の場所へと歩きながら、未来が横から僕の顔をのぞき込んでくる。


「いい顔してますね。叶太さん」


「あれだけよってたかって女の子から説教されれば、大抵の人は人格変わると思うよ」


「ご褒美でしたね」


 断じてそんな優しいものではなかったよ。


 ため息を落としながらも再び笑い、到着した目的の場所の前までやってきた。

 少し前までなら、あれこれと余計なことを考えていたと思うが、今回は迷わなかった。

 外まで忙しなく活動している空気がひしひしと伝ってくるが、構わず扉をノックする。

 どうぞーと喧噪に負けず大きな返事が返ってきて、僕は扉を開けた。


「失礼します」


 僕たちが部屋に入ると同時に、部屋の空気が凍り付いた。

 文芸部の部室。先日もめ事を起こしてしまった場所である。


「叶太……」


 全員をまとめながら作業をしていた大和がこちらを向き、目を丸くしている。


「ごめんね大和。お邪魔するよ」 


 敬語ではない普段話している通りの言葉で返しながら、僕は文芸部の面々を見渡す。

 そして、部屋の隅の席で小さくなって作業をしている御崎さんの姿を見つけた。

 僕は真っ直ぐ部屋を横切っていき、大和の静止の声も気にせず御崎さんの前に立つ。


「……っ……なによ」


 一瞬怯えるような視線をこちらに向けてきたが、手元で操作しているパソコンに視線を戻しながら尋ねてくる。

 御崎さんの眼前に、印刷してきたばかりのそれを挟んだファイルを差し出す。

 訝しげな目をこちらに向けてくる御崎さんに、僕は笑って言う。


「僕が書いた小説。見せろ見せろってぎゃんぎゃんうるさかったから、まずは御崎さんに持ってこなくちゃいけないって思ってね」


 休み時間ぎりぎりまで手直しをして、職員室の印刷機で刷らせてもらったできあがったばかりの小説である。


「別に今更……」


「読まないなんて言わないよね? この小説は盗作でもなければアイデアの焼き直しでもない。これが、今の僕の小説」


「……あの日終わってから、今日までそれを書いていたってわけ?」


 御崎さんの問いに、僕は首を振る。


「つい何日か前までそんな気分じゃなくてね。木曜と三連休を使って書いた小説だ」


 御崎さんが目を見開いた。


「四日……? 四日で小説を書いたの……?」


 ほとんど寝ることなく、自分の世界に内包されていたものを一心不乱に書き出した。

 完成した小説は、文庫本一冊くらいの小説に仕上がった。

 本来一作の小説にかかる期間は一月から数ヶ月、長ければもっとかかる。

 しかしそれでも、この小説は四日足らずで僕としては満足なものに出来上がった。


「善し悪しは君が判断して。盗作でもなんでもいい。僕は僕の小説を書く。だから――」


 一度言葉を切り、戸惑う御崎さんに僕は告げる。


「謝らないからね。あの日僕が御崎さんに言ったこと」


「……っ」


「人の小説をいわれもなく盗作扱いして散々馬鹿にしたんだ。御崎さんたちに言ったことも僕は間違ったことは言っていないと、今でも思ってるよ」


 でも、と僕は笑う。


「誰かのこととか読者のこととか、自分の小説に言い訳を持ち込むのは、お互いにいい加減止めないとね」


 御崎さんに言ったことは全て僕に対しても言えること。

 僕一人ではできなかったが、それでも多くの人に叩きのめされて立ち上がることができた。


 御崎さんの目が落ち着きなく揺れる。

 しかしやがて僕の小説を受け取り、その中の小説に目を通し始めた。文芸部の一年生エースというだけあって読むペースも速い。

 あっという間に数ページを読み切り、ファイルを持つ手に力がこもった。


 小説は冒頭のページを読むだけでも、ある程度小説の内容をうかがい知ることができる。小説を読むには相応の時間がかかり、最後まで読み切らせるためには読み始めてからすぐの内容が重要になる。僕が書いた最初の文章は、御崎さんには十分なものに映ったようだ。

 ぱらぱらと最後までページをめくり、きちんとした小説になっていることを確認し、再びファイルが力強く握られる。


「これだけの文章量を、四日で……?」


「もちろん内容はそこまで精査する時間はなかったから、それなりの内容だとは思うけど、僕としては満足な小説だよ。僕は、どんな内容であっても自分の小説を否定はしないからね」


 御崎さんが悔しそうに顔を歪める。

 そうだ。僕は自分の小説を、どんな形であれ否定しない。悪い小説やもっとよくできたであろう小説は存在するが、僕はどうあっても自分の小説を否定しない。

 書き上げた小説は全て、そのとき書いた僕自身を投影したものなのだから。

 しかし御崎さんたちは、僕の小説を否定してまで自分の小説から目を背けた。自分たちの小説の善し悪しを他者を理由に目を逸らしてしまった。

 それ自体は悪いことだというつもりはない。時に人は逃げないといけないことだってある。


 僕も逃げた。


 そして、以前よりも確実に、小説を書くことができるようになった。


「御崎さん、その小説はあげる。近々修正してネットに投稿するけどね。それから大和」


「な、なんだ?」


 遠巻きに見ていた大和が少し戸惑いながら僕を見返す。


「一度断って悪いけど、やっぱり僕も文化祭に文芸誌を出したいから、スペースがほしい」


「文芸誌……? 今持ってきたその小説を出すってことか?」


 僕は首を振り、そして笑う。


「いや、これからもう一本書くんだよ」


「「「「「はあああああ!?」」」」」


 部室中から声が上がる。

 大和も目を見開きながら顔を引きつらせる。


「おま、お前今から小説って、文化祭来週末だぞ?」


「さっき赤磐先生に確認した。来週月曜までに原稿を仕上げれば、金曜日の文化祭一日目の朝に間に合わせてくれるそうだ。今日を含めて七日間。文化祭をテーマにした文化祭にふさわしい小説を書いてみせる」


 設定もプロットもなにもない。ただそれでも、僕の中には物語の世界は輝いている。


「部長!」


 僕の書いた小説を机に置いて、御崎さんが大きく声を上げる。

 また御崎さんがなにかを言い出す。そんな雰囲気が広がり、誰かが静止しようと体を動かすが、それより先に御崎さんが口を開く。


「私も小説書き直します!」


「はぁあ!?」


 突然御崎さんが言い放った言葉に大和が大声で聞き返す。


「まだ私たちの文芸誌も印刷間に合いますよね!? だったら私も今からもっといいものにできるように書き直します!」


 きっと鋭い表情で僕を睨み付けながら、御崎さんは言う。


「こんなゲス野郎に負けたくない! もっといい小説を書く! 絶対に負けないから!」


「ははっ。こっちだって望むところだ。ボンクラ女に負けるつもりはない。第一文芸部と第二文芸部、どっちの小説が面白いか、勝負といこうじゃないか」


「言ったわね? あとで泣き言並べるんじゃないわよ」


 口ではそんなことを口にしながらも、御崎さんは清々しいまでの笑みを浮かべている。


「どちびのくせにずいぶん大人びた顔するようになったね。御崎さん」


「春木もこれまでのすっとぼけ顔よりも、その意地の悪そうな顔のほうが似合ってるわよ」


 お互いをけなすように笑い合い、御崎さんは再び僕の小説に目を落とす。

 僕は呆気にとられる他の部員たちを放置して文芸部の部室を出て行く。


 未来を伴い部室を出て、部室棟を出たところで長々と熱のこもった息を吐き出す。


「すごいこと、言いきっちゃいましたね」


 そっと胸を撫で下ろす僕の横から、未来がおかしそうに顔を覗き込んでくる。


「今はそれくらい、小説を書きたくて仕方がないんだ」


 それに、と僕は言葉を切って未来に目を向ける。


「こうやって宣言しとけば、もう後には引けなくなるからね。強制的に締め切りも作れるし、モチベーションも上がる。文芸部と未来には、しっかり意思表示しとかないとね」


 僕の答えに未来が楽しそうに笑う。


「ああ、でもあれだ。今のままなら小説を書けても正直出来に自信が持てない」


「ええ……あれだけ大見得切ったのにですか?」


「うん。だからそれに関してはこれから解決するよ」


 言って、僕は先ほど職員室でついでにもらってきたものを未来に差し出す。


「未来、一緒に第二文芸部で、僕と一緒に小説を書いてほしい」


 白紙の、入部届だ。


 呆気にとられたように、未来が僕と入部届を交互に見る。 


「君に僕が書く小説の校閲校正を頼みたい。誤字脱字に内容の不整合を、僕が書くことと同時並行でお願いしたい」


「私が一緒に、叶太さんの小説を手伝うっていうことですか?」


「僕が書きながらになるから、何度も修正をしてもらう必要があるけどお願いしたい。一人じゃ無理だから。僕に小説を書くように焚き付けたのは君なんだ。やらないとは言わないよね?」


 僕は今きっと、御崎さんに言われたばかりの意地の悪い笑みを浮かべていることだろう。


 未来は驚いてるのか呆けているのか、差し出された入部届を食い入るように見つめていた。

 だがやがて、未来は嬉しそうに笑ってその入部届を受け取った。


「はい。そのお願い、喜んで受けさせてもらいます。よろしくお願いします。部長さん」


「こちらこそ、よろしく頼むよ。新入部員さん」


 入学して以来半年と少し、ひとりぼっちだった第二文芸部に、初めて仲間が増えた。

 僕はもう一度笑うと、ポケットからスマホを取り出した。


「それじゃあ景気づけに、もう一つ決意表明しようかな」


 僕はスマホを操作してラインのあるグループを呼び出した。

 未来が横から画面をのぞき込んでくる。

 ラインのグループメンバーは、僕、天音、そして怜治とちとせの四人。

 一年近く前に、また明日という会話を最後に途絶えている、ラインのグループ。

 迷うことなく文字を入力していき、今伝えたいことを、素直に打ち込む。


『来週末の瀬戸高文化祭で、僕の書いた小説を文芸誌として販売する』


『見に来てほしい』


 二つのメッセージを立て続けに入力する。

 すぐに天音から、


『私、売り子手伝う』


 と返事があった。

 おかしくなって、未来と一緒に笑う。

 しばらくたって、僕のメッセージは既読3になった。

 返事こそなかったが、僕にとってはそれで十分だった。


 さあ、小説を書こう。

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