やるべきこと

「……それっきり叶太は、小説を書いていないの」


 話を聞き終えた未来の胸に、締め付けられるような痛みが走る。

 今回の件と文芸部での一件は、叶太の心にどう映ってしまったのだろうか。

 いわれのない盗作疑惑なのは言うまでもない事実。

 前回は叶太の友人が、そして今回は叶太自身がやり玉に挙げられてしまっている。

 声を発することができない未来に、天音は悲しそうに目を伏せる。


「私はなにもできなかった。噂を止めることも、ちとせと怜治を助けてあげることも、叶太を助けてあげることも、私にはできなかった」


 あまり表情を変えることがない天音が、悔しそうに唇を噛みしめる。

 意外だったその様子に、ふと未来は思い至る。


「天音ちゃんもやっぱり、叶太さんには小説を書いていてもらいたいんですね」


 先ほどは小説を書くことが疑問と言ったにも関わらず、言葉の端から願いが溢れている。

 天音はすっと表情を消して取り繕おうとするが、すぐに小さく苦笑した。


「叶太のことを少しでも知っていたら、普通そう。叶太は小説を書いているときが一番生き生きしてるって、誰でもわかる」


 そして、天音は自分たちが今いる席の机にそっと触れた。


「元々ね、私が叶太たちと一緒にいるようになったのは、叶太が私を助けてくれたからなんだ」


「天音ちゃんを?」


 力なく笑い、天音は頷く。


「いじめられてたの、中学二年のとき。私、昔から空気とか読めなくて、思ったことそのままいってたら、いつの間にかいじめられてた。それで色々面倒になっちゃって、不登校になって、このお店、カフェ緑山で毎日手伝いをしていたんだ」


 天音の家は両親が共働きで、日中仕事でいなかった。そこで親戚が経営しているこのカフェ緑山を手伝うことで、しばらく様子をみようと両親と学校側で話し合われたそうだ。


「私が学校にいかなくなってからしばらくたったころ、叶太がこの席に座って小説を書くようになった。私がいることもちゃんとわかってて、それでも特になにも言うわけじゃなくて、こんにちは星宮さんって笑いながら、この席に座って小説を書いてた」


 懐かしそうに、嬉しそうな目で、天音は自分たちがいる机に触れる。


「叶太も二年生は同じクラスで、小説を書いていることは知っていたんだよ。でも、なんでわざわざ私がいるこのカフェに小説に小説を書きに来るようになったのかはわからなかった。わかったのは、叶太がここに通い始めて一ヶ月くらいたったとき」


 天音の家はここからすぐ近くにあり、ポストに毎日プリント類が詰め込まれていたそうだ。来る日も来る日も詰め込まれていて、けれど誰が入れに来ているのか、ずっとカフェ緑山にいた天音にはわからなかったらしい。


「もしかして……」


「気になってポストの前で待ち伏せしていたら、叶太がプリントを持ってやってきた。大して驚いた様子もなくって、ただいつもみたいに、こんにちは星宮さん。はい、これ今日のプリントねって。なんでプリントなんて持ってくるのって聞いたら、こともなげに叶太言うの」


『星宮さんがいつでも学校に来られるように持ってきてるだけだよ。こういう繋がりがないと、もっと星宮さんがまた学校に出られにくくなるでしょ? もう少しすれば新学期でクラスも変わるから、そしたらまた出ておいでよ。あんなバカたちのこと、気にしなくていいから』


 懐かしげに叶太の言葉を口にする天音の目は、澄んだ青空のようだった。


「それでそのとき、ちょうどできあがったからって、小説の束を手渡された」


「小説……ですか?」


「うん。馬鹿げてると思わない? 不登校の私に、自分が書いた小説持ってくるの。しかもいじめられて不登校の女の子と中学校が舞台の。それだけ渡したら、じゃあまた小説書きに行くからって、私残してカフェに行っちゃった」


 たしかに馬鹿げていると未来は思った。でもそう言いながらも、天音は楽しげだ。


「その小説、最初は捨てようかと思ったけど、興味が勝って読んじゃった。すごい、すごい楽しそうな物語だったの。いじめられて不登校になった女の子が、もう一度登校するまでのお話。不登校になった理由も女の子の性格も全然違うんだけど、その物語を読み終わったら、私はこんなところでうじうじしてなにをしているんだろうって、バカらしくなっちゃって、次の日から当たり前に登校した」


 学校の先生にも母親になにも言うことなくいきなり登校し、教職員はもちろんいじめていた連中やクラスの連中は大いに驚いた。

 一月以上も学校に出てこなかった子が突然現れるのだから驚くなという方が無理な話。

 でも叶太だけは違ったらしい。


『おはよう、星宮さん。小説読んでくれた?』


 当たり前に笑って、叶太は天音に小説の感想を求める。深く聞くこともなく、なにかを疑うわけでもなく、ただ、当たり前のクラスメイトとして。


「驚くクラスメイトたちを放置して、私は叶太に小説の感想をぶちまけた。そこに怜治が来てちとせも来て、それから仲違いするまで私たちは一緒に遊ぶようになった。私は小説を書かなかったけど、それでも三人の小説を読むのは楽しかった」


 それも、学習発表会で終わってしまったけれど、と天音は苦い表情で零す。

 そしてぬるくなったコーヒーを少しだけ飲んで、小さくため息をつく。


「こういう言い方はよくないんだけど、中学の時に叶太たちに絡んできた連中も、それから今回の文芸部の人たちも、きっとどこにでもいる普通の人たち。でも、叶太は違う。彼らにとって、叶太が異常なの」


「え……?」


「叶太、なにをするにでも本当に楽しそうで嬉しそうで、子どもっぽくてどこまでも真っ直ぐでしょ? 誰よりも輝いてる」


 未来は、夢を持つ人が輝いて見える。

 しかし天音が言っていることはそういうことではない。


「他の人が嫉妬しちゃうのもわかる。あんなに真っ直ぐに小説を書いて、叶太たちにとって当たり前にできることが他の人にはできない。叶太が当たり前に書ける小説を、少なくとも今はまだ書けない人がいる。誰も叶太みたいに真っ直ぐ生きられるわけじゃない。やっかみたくなる理由も、わからなくはない」


 もしかしたらそうかもしれないと、未来も思ってしまった。

 夢を明確に持っている人が少ないこの世の中で、周囲の目から見える叶太は誰よりも真っ直ぐで純粋に小説だけを追いかけているように見える。実際は何度も躓き、苦しみあがいているとしても、叶太はそれをひた隠しにできるだけの強さにも似たものを持っている。

 でも、今の話を聞いて、未来は改めて決意する。


「そうですか。天音ちゃんも、叶太さんの小説に助けられていたんですね」


「え?」


「んっ」


 ぬるくなったコーヒーを一気に体に流し込む。

 本当は甘いコーヒーの方が好きだ。ブラックはどちらかといえば苦手である。

 だけど未来は、ブラック特有の苦みと一緒に爽やかな酸味とほのかな甘みに目を冴えさせる。

 やることは変わらない。やろうとしていることも目的も変わらない。


 ただ――


 未来は小さく息を吐き、天音へと向ける。


「天音ちゃん。協力していただきたいことがあります」

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