「未来ちゃん、私に聞きたいことってなに?」


 テーブルにコーヒーを置きながら未来の前に腰を下ろしたのは、先ほどアルバイトを終えたばかりの天音だ。誰にでもフラットに淡々と話す天音は、出会って間もない未来に対しても普段通りの間延びした雰囲気で接する。

 叶太と別れた放課後。

 未来は、すぐに聞きたいことがありますとラインを送ると、アルバイトの後ならいいよとすぐに返信があった。


「お仕事が終わったばかりなのに、ごめんなさい」


 もう時間もすっかり遅く、本来なら高校生が出歩いていい時間帯ではない。

 天音は肩をすくめながら笑ってみせる。


「気にしてない。平日だからお客さんも多くなかった。お姉ちゃんも、未来ちゃんが待ってるから早めに上がらせくれたし。このコーヒーもサービスだから遠慮なく飲んじゃって」


 自分のコーヒーは既に砂糖やミルクを入れて自分好みに仕上げており、未来の方に砂糖やフレッシュミルクを入れたかごを差し出す。


「ありがとうございます。でも、私はそのままで」


「むむ……高一からブラックで飲むなんて、叶太みたい……」


 なぜか悔しそうに唸る天音。

 実際はブラックは苦手だが、今は少しでも頭を冴えさせたい。


「その、叶太さんのことなんですけど……」


 天音の表情がわずかに揺れる。頬がぴくりと動き、小さく息が吐き出される。


「叶太のことか。なんとなく聞きたいかはわかった。最近叶太、また変になったから。そのこと?」


「……はい」


「そっか」 


 一口コーヒーを飲んで、天音は自分たちが座る席へと視線を落とした。

 二人が座っている席は、いつも叶太が小説執筆に使っているという席。


 天音は肩をすくめて、表情から笑みを消しました。


「教えてあげても大丈夫だとは思うんだけど。叶太は別に気にしてないって言ってるし」


 気にしてないわけなんてないんだけど、と未来にも聞こえないくらい小さな声で呟く。しかし、その声はしっかり未来に届いていた。

 ちらりと、憂いを帯びたような視線が未来に向けられる。


「聞いてどうする? 叶太が小説を書くべきかどうか、私は正直今でも疑問。叶太が小説に関わらない夢を見つけることができたなら、それが一番いいかなって思ってる」


「……私も、叶太さんがそれがいいって言うなら、それでいいと思ってます。でも、今の叶太さんがそんな風に考えてるなんて、私は絶対に思えません」


 きっぱりと言い切ると、天音は意外そうに眉を上げる。


「本当に、未来ちゃんってすごい叶太のことを気にしてるんだね。なにかある?」


 なにか。そこにある含みに気がつかないほど、未来は疎いわけではない。

 でも、未来が今叶太のためになにかしたいと考えていることは、それとは無関係である。たとえ、そんな気持ちがなくとも同じ行動をしていたと思う。

 未来が口を開かずにいると、天音が笑った。


「意地悪なこと言った。ごめん。今の叶太を見ていたら、気になるのも当然だもんね」


 もう一度コーヒーを飲んで、天音は悲しそうに目を伏せる。

 未来は頷き、天音に向けてはっきりと言った。


「はい。だから私は知りたいんです。どうして叶太さんは、小説を書くことを止めてしまったのか。今から一年前に、一体なにがあったのか。それを知りたいんです。お願いします」


    Θ    Θ    Θ


 菜子に、小説を書くのをやめたと告げると、こてんぱんに怒られた。もうぼろくそに。

 話を打ち切り、外に出てくると言って自転車にまたがった。


 トリガーの壊れたマシンガンのように放たれる質問と罵詈雑言。菜子の怒りももっともである。小説を書き始めたという数日後にはやっぱりやめたと。イラストを描くことを楽しみにしてくれていた菜子からしたらふざけるというのは当然だ。


 明日は土曜日。多少遅くなったところで影響はない。とにかく家にいたくなくて、金曜日の夜に自転車を走らせる。

 今日は両親が帰ってくる。菜子の怒りは二人に収めてもらうとしよう。あとで両親から愚痴られる方がよっぽどましである。

 自宅から一時間ほど、ひたすら南に自転車を走らせる。


 気がつけば海までやってきていた。

 瀬戸内海の一部である児島湾。岡山三大河川である旭川や吉井川などから流れてきた水が、ここから瀬戸内海へと伝わり、さらに向こう側にある海へと広がっていく。頭上には児島湾大橋が架かっており、橋上を忙しなく走る自動車の音が真下に向かってやかましく落ちてくる。

 堤防脇のスペースに自転車を停めて、堤防の上に腰をのせて深々と息を吐き出す。

 冬に近づくこの時期の風はとても冷たい。海の近くということもあって一層厳しさを増している。押し入れから引っ張り出したばかりのコートを着てきたのは正解だった。

 スマホを取り出すと、何度も菜子から着信が入っていた。無駄な心配をされても嫌なのでラインでそのうち帰るとだけ返事を送る。すぐに電話でろと返信があったが、既読無視。


「……」


 ラインのトーク画面をスライドさせ、ずっと下にあるグループを見る。

 もう一年近くも誰も発信することなく会話を終えているトーク。じゃあまた、といったごくごくありふれたトークで終わり、そこから誰も発信することがなくなった。


 トークのメンバーは、僕、春木叶太、同じクラスの星宮天音、そして、残り二人。


 朝鳥怜治あさどりれいじ

 二色にしきちとせ。


 グループラインの待ち受けに設定されているのは、四人でカフェ緑山でお茶をしているときの写真だ。

 小学生時代から付き合いのある二人で、中学も三年間同じクラスだった友人だ。しかし、もう一年以上も会ってもいない。声すら聞いていない。


 僕は二人に許されないことをしてしまった。


 二人の夢を、喰らった。


 そんな僕に、二人のことを友人と呼ぶ資格などないだろう。





 中学で初めての夏休みのことだった。


「これを読んでほしいんだけど」


「感想、聞かせてほしい」


 岡山県立図書館で出くわした二人に、僕はそう言われた。


 全国でも屈指の蔵書数と本の貸出数をほこる岡山県立図書館には、連日多くの利用者が訪れる。図書館の一角に面白そうな本を積み上げて、ひたすら読み続ける僕の姿は利用者多しといえど目立っていたと思う。

 小学校からお互いを知っていたとはいえ、特別親しい間柄ではなかった。


 運動神経もよく元気いっぱいで活発な印象を受ける朝鳥怜治。

 友だちも多いが物静かで誰に対しても心優しい二色ちとせ。


 対極ともいえる取り合わせは正直意外だった。

 二人とも読書家でそれをきっかけに意気投合。中学になると同時に小説を書くようになったとのこと。


 怜治は心がわくわくするような明るく元気なファンタジーな物語。

 ちとせは子どもにもわかりやすい絵本のようなやさしい物語。

 最近の子どもは漫画こそ読む人は多いが、小説を読む子どもは比較的少ない。

 ただ、自分たちだけで読むにはいいところとか悪いところとかわからない。

 だから、読んで感想を聞かせてほしいと言われたのだ。


 プリンターで印刷された二つの小説に、僕は危うく図書館で大声を上げそうになった。


「小説なんて書けるなんてすごいね。二人の小説、とてもおもしろかったよ」


 その言葉に嘘偽りなんてなかった。

 小説を書く。

 それは僕からすれば宇宙飛行士になることと同じくらい神がかった所行だった。同い年で、なおかつ近くで育ってきた二人が、小説を書くということに純粋に驚いた。


 二人の小説は、文句なくおもしろかった。

 当然子どもということもあり稚拙なところは多くあったし、言葉の使い方に間違いもあった。それでも、そんなことは関係ないくらい、二人の話にわくわくした。

 柄にもなく興奮し絶賛していると、二人は恥ずかしそうに笑ったのだ。


「そんなに小説が好きなら、お前も小説書いてみれば?」


「きっと楽しい小説書けると思う」


 二人の何気ない言葉。

 小説を書くということは誰にでもできる。だが、続けるということはそれなりに困難だ。

 二人も当然それはわかっていた。ただそのときは、自分たちはまだまだという謙遜でそう言っただけだったのだと思う。


 でも二人の言葉が、僕のきっかけとなった。

 今まで読んできた数々の本、小説、物語。自分が心を動かされ、笑い、泣きそうになり、楽しませてくれた世界を、僕自身でも作ることができる。

 怜治とちとせは、僕にそれを教えてくれた。


 目まぐるしく時間が過ぎていった。

 父さんからもらったノートパソコンのテキストエディタを立ち上げ、一心不乱に文字を打ち込んでいく日々。自分の中にある自分だけの物語、世界を現実に起こす。誰かに読んでもらえる形にするという、嬉しさと喜び。言葉では到底言い表せない楽しさ。


 こんな小説が書けた。ここっておかしいんじゃない。泣いちゃった。

 何気ない中学生活で、僕たちはお互いに小説を書いてお互いに意見を言い合った。

 いつか、絶対に小説家になる。それが二人の夢だった。

 自分が作った小説を、いろんな人に読んでもらいたい。知ってもらいたい。なにかを感じてもらいたい。それが二人の願いだった。


 ネット小説への投稿を二人に提案したのは僕だ。

 菜子が通院しているときや入院しているときに、ネットでイラスト、それから小説を読むのが楽しいと教えられた。

 全く違う媒体で手軽に読めるネット小説は、いろんな人が自分が書きたいものを書いている。書籍とは違う読み味で楽しむことができるのだ。


 ネットに小説を投稿するメリットは大きい。

 怜治とちとせは、小説家になることが夢だったのだ。

 小説家になる道として一番スタンダードなものはやはり新人賞だが、昨今ネット小説からも小説家デビューを果たす人もいる。

 意見をもらい、感想をもらえる読者の存在は小説執筆を続けるモチベーションの維持には打って付けだ。

 以前は、いくら書いても不特定多数の人に小説を読んでもらうことができなかった。今はネット上に公開することによって様々な人に見てもらうことができる。

 怜治とちとせはこれまで書いてきた小説を、僕は新しく書いた小説をネットに投稿した。


 二人に出会うまで、ただただ浪費するだけで、特になにをするでもない無為な時間を過ごしていたと思う。

 けれど、小説を書き始めてからの毎日は、朝から晩までずっと小説のことを考えていた。自分にしかできない自分だけの物語を紡ぐことが、楽しくて仕方なかったのだ。


 中学三年生の途中からは、その三人の中に天音が加わった。

 天音は小説こそ書かなかったけど、僕たちと一緒に僕たちの小説について語り合った。


 問題が起きたのは、中学三年生の秋。

 僕たちの中学では秋に学習発表会があった。全学年一クラスずつ、なにかテーマを決めて発表会をするという行事だ。

 僕たちのクラスが発表することになったテーマは、岡山の図書館だった。僕たちは日常的に岡山県立図書館に入り浸っており、自然と僕たちを中心に発表会が進んでいった。


 その発表会準備中に、クラスの誰かが発案した。

 僕たちが書いた小説を、学習発表会の一部として配付してみるというのはどうかと。図書館に通い倒して書いた小説ですというアピールは、発表会の内容としてはインパクトがあるのではないかと。


 たしかにそのまま発表するだけでは、地味な発表会になってしまう可能性が高かった。

 僕たちは別段小説を書いていることを隠していなかった。むしろ図書館に入り浸って小説を書いているというのは周知の事実だったので、そんな案が出たことも不思議ではない。

 その時期の僕たちは、既にネットに公開した小説でそれなりの評価をもらっていた。クラスメイトや親しい人にはたくさん読者もいたので、今更小説を印刷して配ることに抵抗などもなかった。


 僕たちの小説をまとめた文集。中編くらいの小説をそれぞれ一作ずつ、三作まとめた文集だ。

 結果、僕たちの小説を中心にまとめた発表会は大成功を収めた。

 他のクラスがどこにでもある発表会の内容だったにもかかわらず、僕たちは自筆小説を使うという点は相当なインパクトがあった。

 先生たちはもちろん、発表会を見に来ていた保護者からも高い評価を得た。


 しかし、それを快く思わない連中がいたのだ。


 もてはやされる僕たちを鬱陶しく思った他クラスのグループが、僕たちの小説を糾弾し始めた。


 その内容が、怜治とちとせの二人が、僕が書いた小説を盗作しているというものだった。


 なにを言われているのかわからなかった。

 彼らいわく、怜治とちとせの書いている小説は僕の劣化版であり、僕の小説のアイデアを継ぎ接ぎにして作った小説であるということだ。


 バカな話だと思った。

 まともに小説すら読んだことがないような、浅はかなやつら。そんなやつらがなにを言おうが、逆に叩かれて終わるだけだと思って放置してしまった。

 もっと強く反論していれば、そんなことにはならなかったかもしれない。


 問題だったのは、僕たちが発表会用に小説を書いたということ。

 お互いに意見を交わし、テーマをある程度絞って小説を書いたのだ。

 図書館、本、中学、ある程度発表会にふさわしい小説を用意した。その結果確かに内容が少しだけ似通ってしまったのは事実だった。


 もちろん盗作なんてあるわけもなかった。

 ただ小説の出来としては、二人の小説より僕の小説の方がよくできてしまった。

 元々急ごしらえの小説だったわけだが、僕は二人より圧倒的に執筆速度は速かった。集中するのが得意だった。

 発表会準備中の発案でもあり、そもそも執筆時間は限られていた。ゆっくり準備をして、プロットや設定まで作ることができたなら、二人の小説が僕より劣ることなんてなかったはずだ。


 気がついたときには、怜治とちとせの小説は僕の小説の劣化版。僕の小説からアイデアを流用している。

 そんなバカみたいな噂が中学校全体に広まってしまった。


 それはネット上にまで広まっていった。

 僕たちのアカウントにいわれもない中傷コメントが並んだ。個人情報こそ出ることはなかったが、それでもアカウント名を名指して盗作だの劣化だのコメントが列挙した。

 自分がされるだけなら気にならなかったと思う。コメント欄なども元々ほとんど気にしていなかったのだ。


 だけど怜治やちとせは、同級生の誹謗中傷やネットの悪意あるコメントに潰されていった。小説を書かなくなっていき、小説を読まなくなっていき、僕と距離を取るようになった。


 僕や天音がそんな事実はないと言っても、一度広まった噂を完全になかったことにはできなかった。

 子どもは残酷だ。明確な事実や真実など必要もなく、子どもながらの無邪気さと欠片程度の悪意だけ。


 彼らは中学でもネット上でも、二人の場所を奪っていった。


「もう小説なんて書けるわけないだろ」


「ただ私たちは、小説を楽しんで書きたかっただけなのに」


 それが、最後に怜治とちとせから聞いた言葉だ。

 そのまま同じクラスであってもすっかり疎遠になり、会話すらすることはなくなった。

 噂は一過性のもので、話を広めたやつらもすぐに飽きてなにも言わなくなった。僕たちの小説をおとしめた連中に、そこまでの悪意もなにかの意図もあったわけではない。

 いつしか僕たちの話題も日常に埋もれて、消えていった。


 それでもあの一件が、そして僕が書いた小説が、怜治とちとせから小説家になるという夢を、奪ってしまった。


 スマホを操作する。

 時々覗いてしまう、二つのアカウントページ。

 更新は、一年前で止まっている。


 怜治と、ちとせのアカウント。


 誹謗中傷のしょうもないコメントはもうすっかり埋もれてしまい、今では二人のことを正しく評価するコメントが流れている。

 最後の小説が完結されると同時に、それっきりぴたりと更新が止まっている。


 おもしろかった。次回作待っています。もう書かないんですか。

 そんなコメントがあったが、返信はおろか新たな更新すらされていない。


「僕が……二人の夢を奪った……」


 暗い海を前に、今まで何度も口にしてきたことを、改めて零す。


 僕は怜治とちとせの二人がいたから小説を書き始めた。

 それなのに、小説家になりたかった二人の夢を奪った僕が、筆を折った僕が、のうのうと小説なんて書いていいわけがないのだ。

 もうどうあっても、自らが定めたタイムリミットまでに小説を書き上げることはできない。

 ここ最近、突然現れた未知の人物に当てられて小説を書けるような状態になっていたが、やはり立ち止まってみると、ダメだ。


 ずっと三人で小説を書いていたのに、今は僕一人。 


 もう、小説を書くことはできない。


 汽笛を鳴らしながら、暗い海を貨物船が横切っていく。

 スマホの時計を見ると、いつの間にか日付が変わっていた。相当長い間呆けていたようだ。

 堤防の上で立ち上がり、固くなった体を大きく伸ばす。


 明日、菜子には散々怒鳴られることだろう。

 コンビニでシュークリームでも買って帰って、機嫌を取ることにしよう。

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