物語の崩壊

「どうしたんだ春木……」


 文芸部での騒動の翌日。

 昼休みに廊下で見つけた赤磐先生に、僕は手短に用件を告げた。

 眉を下げ、怪訝な視線を向けてくる赤磐先生に、僕は小さく笑いを零す。


「ちょっと小説を書き上げられそうにないので、やっぱり文芸誌の発行は止めておきます」


「昨日は少し乗り気だったじゃないか。なにかあったのか?」


 尋ね、赤磐先生は思い当たったように声を上げる。


「第一文芸部でなにかもめ事があったと聞いているが、それが関係しているのか?」


「……いえ、関係ないです。僕だけの問題ですから」


「本当にいいのか? どちらにしても第一文芸部との共同スペースだ。間に合えば出せばいいし、間に合わせなければ出さなくていいんだが」


「どちらにしても、今からじゃ間に合わないですから」


 失礼しますと、と一方的に話を打ち切って、僕は実習棟の方へと歩いて行く。

 すると、背後から誰かが近づいてくる気配があった。


「ちょっと叶太さん」


「未来? なにか用?」


 呼び止めてきたのは未来だった。足を止めず、そのまま歩みを進めていく。


「今の話、どういうことですか? 新しい小説、文化祭に出さないんですか?」


 どうやら赤磐先生との会話を聞いていたようだ。

 僕はこともなげに笑ってみせる。


「もう間に合わないから、早めに断っといた方がいいかと思ってね」


 未来は顔をしかめ、きつい目で僕を見上げてきた。


「まだ文化祭まで一月もあるんですよ? 今書いている小説を頑張れば、完成だって」


「あの小説は、全部消した」


「え……」


 未来の言葉を遮り、僕は告げた。少女は瞳を揺らし、言葉をなくす。

 実習棟の階段を上っていき、第二図書室の階も通り過ぎて、屋上へと足を進める。

 昨日文芸部の部室から出て行ったあと、僕は書きかけていた小説全てを削除した。

 書いていたノートパソコンから、保存していたクラウドから、クラウドの履歴から。

 そこまで削除してしまえば、もうデータの復元はかなわない。もうじき完成するはずだった小説は、物語は、僕の中にあった世界は完全に消え去った。

 屋上への扉を蹴り破るように押し開ける。

 背後で未来が体を震わせた。

 感情の機微がないように振る舞っていても、抑えきれない感情が漏れ出す。


「くそっ……」


 悪態をつきながら、張り巡らされた鉄柵に拳を叩き付ける。

 ガシャンと音が響き、拳に鈍い痛みが広がってくる。

 昼ご飯は持ってきていない。朝も苛立ちと怒りなど暗い感情に頭を支配されてしまって、そこまで頭が回らなかった。いつもは大抵青空を見せてくれる瀬戸高の空は、今は分厚い雲に覆われてしまっている。僕の心を表しているみたいで、余計に腹がたった。


「ごめん。新しい小説を読んでもらうって約束したけど、新しい小説なんてやっぱり無理だ」


 傍らにやってきた未来に目を向けることなく、僕は言う。

 戸惑っているようで、それでいて疑問を投げかけるような間があった。


「叶太さん、一体どうしたんですか?」


「……」


 答えられず、視線をただ真下のアスファルトへと逃がす。


「昨日御崎さんが叶太さんに言ったこと、事実でもなんでもないんでしょう?」


「当たり前だよ」


 反射的に僕は口を開く。


「小説を書く以上、影響される物語があったり、この人みたいな物語を書きたいって思ったりすることは誰だってある。でも、その人の物語を盗むなんてこと、僕は絶対にしない」


 世界中に様々な物語が溢れている昨今、物語の展開や雰囲気が似ていることなんて往々にしてある。そこから自分自身のオリジナリティを出すことが小説を書くことには求められる。しかし、同じような展開やトリックがあるなんて十分にあり得る。

 同じ作家が書いている作品の中でさえ、少し前の小説と同じ展開だ、ということだってある。

 でも、御崎さんが言っていることは、絶対にあり得ない。

 僕は崩れ落ちるようにベンチに体を投げ出した。


「御崎さんは、僕が御崎さんたちの小説を盗作したって言ってた。けど、そんなことは絶対に起こりえない」


「それはそうですよね。全部叶太さんがきちんと自分で――」


「そういうことじゃないんだ」


 未来の言葉を遮り、僕はかぶりを振る。


「御崎さんの言っていることで正しいこともある。僕は、この高校に入学してから昨日まで書いていた小説を書き始めるまで、一切小説を書いていない。それは言うとおりなんだ」


「小説を書いてないって……」


 未来が信じられないとばかりに眉をひそめる。


「叶太さん、これまでずっと小説を投稿してきたじゃないですか。ほとんど毎日、昨日も更新されていましたよね?」


「更新はされているはずだよ。だけど、その小説は最近書いたものじゃないんだ」


 秋空の下で息を吐き出し、僕は告げた。



「ここ一年更新している小説は全部、僕が中学三年生までに書いてきた小説なんだから」



 未来は大きく目を見開き、戸惑い隠しきれない様子で口を開く。


「じゃあ今更新されている小説はもしかして……」


「全部日付と時間指定で公開しているだけだよ。僕はもう一年近くも、自分のアカウントの執筆ページに触っていない」


 小説をネットに投稿する際は、一度にどかんと投稿するより小まめに投稿する方が喜ばれる傾向にある。だから僕は手元に残っていた小説を章ごとに分けて、誤字脱字などだけ可能な限り修正して投稿した。もうずいぶん前の話だ。

 僕は入学してからほとんど毎日小説を投稿し、去年から現在の十月まで、全部で十近い小説を公開している。


 だが、その小説は全て高校入学前に執筆したものだ。


「さすがに御崎さんはよく見ているなって思ったよ。全部僕が書いた小説、それは間違いないよ。だけど、書いた順番で上げたわけじゃないんだ。ただパソコン上のファイル一覧に並んでいた小説を、適当な順番で投稿しただけなんだ。だから内容も文章力も語彙の種類もまちまちなんだよ」


 書いたきっかけも影響された物語も、そのときの文章のレベルも語彙の種類も全部、ずっと昔から書き上げてきた小説を全て投稿しているだけに過ぎない。

 元々投稿する予定ではなかった小説。自分としては内容がいまいちだったので完成はしたが投稿するのは止めておこうと思った小説。物語が破綻しかけている小説。ただそれらを投稿したに過ぎない。


「なんで、そんなことを……?」


 問われ、僕は深々と息を吐き出して、頭に手をやる。


「期限にしたんだ」


「期限……?」


「小説を書くことを諦める、期限」


 期限を、締め切りを決めることが重要だという小説執筆と同じ理屈。


「手元に残っていた小説を毎日投稿していく。それで、もしその投稿している小説を全て投稿し終えるまでに、もう一度を書くことができるかどうか」


 自分が書いた小説には、それを書いたときの自分が生きていた世界と物語が息づいている。読めばそのときのことが鮮明に思い出される。覚えていた感情も思い出も、全てが溶けているのが書き上がった小説である。




「もし期限までにまた小説を書くことができたら、続けていく。でも、もし期限までに小説が書けなかったら、もう二度と小説を書くことを、止める。投稿を続けている小説は、そのタイムリミットだった」


 自分が書いてきた膨大な小説の数々。その小説を投稿し、小説を公開していき、読んでくれた人の感想を見ていけば。

 なにかきっかけを、掴むことができたのなら。


 また小説を書いていけるかと、思っていたんだ。


「そのタイムリミットって……」


「今月いっぱい、今年の十月が期限だった」


 月末に合わせたつもりはない。ただ期限を決めたのが一年前の十月で、小説全ての予約投稿を終えたとき、それがちょうど一年、今年十月の終わりになっていたのだ。

 情けない笑いを零しながら僕は立ち上がる。


「昨日までの小説をこのまま書いていれば、十分間に合う予定だったんだ」


「で、でも今からもう一度書けば……」


「無理だよ」


 未来の言葉を遮って、僕は目を閉じる。

 いつも頭の中で燦然と輝いていた僕だけの世界は、物語は完全に崩壊してしまっている。

 新たな物語は生まれず、心の奥底にあるのは暗闇だけ。


 自分の中だけに存在していた世界は完全に消滅し、濁った黒いもやだけが渦巻いている。この数日間は物語のだけを考えていたのに、結局また物語のことを考えられなくなった。


 しかしもうどちらにしても――


 書きかけの小説があっても、今から一から書いたとしても。



「やっぱり僕はもう、小説は書けないよ」



 再び小さく笑い、未来に目を向ける。


「ごめんね。未来には、次の小説を見せるって約束していたけど、守れそうにないよ」


 悲しそうに表情を曇らせる未来を残して、僕は逃げるように屋上から出ていった。

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