文化祭に文集を
「ふむ、たしかに春木、お前少し変わったな」
職員室でカップ麺をすすりながら赤磐先生は僕に言った。
「生徒の憧れである美人教師が椅子の上であぐらをかいてカップ麺を食べている姿に、僕も赤磐先生の印象が少し変わりました」
周囲の先生たちにとってはいつもの光景なのか、誰も全く気にしていない。
カップをビールのように盛大にあおり、残っていたスープを飲み干す。
「そういうところだ。以前のお前は、なんというか当たり障りない対応ばかりだった。いい傾向だ。素直に自分自身の気持ちを外に出せばいい」
僕が変わっているとかなんとか、たれ込みがあったようだ。誰だ。まず間違いなく天音だろうが。
「僕が素直に生きていたら、石像のように微動だにしなくなりますよ」
「それが素だというならそれもいいだろう」
赤磐先生は笑いながら、一枚のプリントをこちらに差し出した。
そのプリントの内容は、瀬戸高文化祭の案内だった。
「もうじき高校全体で文化祭の準備が本格的に始まる」
金土日と全行程三日間の瀬戸高の文化祭は、学校外の人も入場のできる一大イベントだ。去年は高校の下見を兼ねてクラスメイトと訪れたが、結構な規模のお祭りだった。
「まさか文化祭の実行委員をやれってことですか? 今ちょっと忙しいんですけど」
「実行委員を私の一存で決めるわけがないだろう。第二文芸部の件だ」
「……はい?」
「もしよければ、だがな。前任第二文芸部の部員は、文学に興味はあったが創作活動はやらず参加してなかったんだ。けどお前は小説を書いているんだろう? それなら参加しないかと思ってな」
自分の頬が引きつるのをはっきり感じた。
「ちょっと待ってください。それはあれですか? 文化祭で文芸誌を発行しろってことですか? 第二文芸部って僕一人なんですよ?」
文芸誌一冊作ることがどれだけ大変だと思っているのか。
毎月文芸誌を発行している第一文芸部が異常なのだ。数の暴力怖い。
大体、まだ小説を書き上げられるかどうかさえ定かではない。
そんなことを知るよしもない赤磐先生は、カップと箸を袋に入れて口を閉じた。
「無理にとは言わないが、考えるだけ考えてみてくれ。なにも数百部売り切れとか無茶を言うつもりはない。売り場は第一文芸部と同じ場所を使えるように部長に許可をもらっている。あっちの顧問も私だからな」
赤磐先生は本当に一体いくつの部の顧問を掛け持ちしているのだろうか。実は目の前の赤磐先生は何人目の、なんてこともあるかもしれない。
そんな馬鹿話はともかく。
「いや、もう十月ですよ。文化祭は十一月中旬。出せるものが……」
現在書いている小説を書き上げることができれば、文芸誌はできる。第一文芸部の文芸誌にはずっと劣るが、一冊の文庫くらいの小説にはなる予定だ。だが、今のペースでは順調にいったとしても、完成するかどうか微妙なタイミングである。
「第一文芸部の発行する部数は相当なものだ。既に印刷所は押さえていて、第二文芸部の印刷物の枠も取ってある。元々瀬戸高OBが勤めている印刷所なんだ。融通は利く。利かせる」
……だいぶ外堀が埋まっている。利かせるて。
少しだけ考え、僕は頭の中で改めて自分の世界を思い描く。
最後までの道筋はできている。執筆速度も回復してきているので、このままのペースで行けば、とりあえずは、間に合う気がする。
「……お約束は、できません。ただ、今僕が書いている小説が間に合ったのであれば、そのとき参加させてもらうということでは、ダメでしょうか」
自信はない。自信なんてものがあるなら既にこの一年でいくつもの作品を書き上げることができているはずだ。
それでも、赤磐先生は笑って頷いてくれた。
「もちろん構わないとも。こちらも最近のお前を見なければ、そもそも打診するつもりじゃなかったんだ」
「最近?」
「お前、最近は本当に楽しそうに、高校生活を送っているよ」
本当に。そこに込められた意味に、僕はたまらず苦笑いを零してしまった。
「わかりました。やれるだけ、やってみます」
期日を決めるということは、なにをやるにも重要なことだと思う。
こと創作活動において、集中力や環境により作業量が多少前後するとはいえ、最終的には作業時間がものを言う。一日ずらせば、一日完成がずれる。期日を決めれば、ずらす余裕を制限することができる。スケジューリングを行えばさらに確実性が増す。
「ただいまー」
家に帰ってくると、既に玄関には一足の靴が置かれていた。
鞄を階段横に置いてリビングに入ると、菜子がキッチンで料理本とにらめっこをしていた。帰ってきて間もないのか制服のままだ。
「あ、お兄ちゃんおかえりー」
両親がほとんど家にいなくため、僕たちは毎日家事を行っている。
僕も料理はそれなりにできる。しかし菜子は料理好きで、基本的に菜子ができない日でもない限り僕はキッチンに立たせてもらえない。
「今日の晩ご飯どうしようか。なにかリクエストある?」
「簡単に食べられるものがいいかな。これからまた出てカフェに行ってくるから」
「今日バイトだったっけ?」
「いや違う。小説書きに行ってくる」
小説を書くために、集中できる作業スペースは重要だ。
小説家は自宅に執筆専用の部屋を持っていたり、執筆するための部屋を借りたりする人もいると聞く。つまるところ自分が普段生活しているスペースでは、他になにかやるという選択肢が生まれてしまうので執筆作業に集中できないのである。
テスト期間中に掃除がしたくなるのと同じ理屈である。現実逃避。やってしまいますよね。
僕はとある小説執筆の本に喫茶店などで小説を書くという選択肢を知った。
そして、家からほどよく近くで執筆作業がやりやすいカフェ緑山に入り浸っていたのだ。
まあ昔はカフェ緑山に通っていたのは、他にも用事があったのだけれど。
途端に、菜子が首を傾げながら料理本から顔を上げる。
「……なにをしに行くって?」
「だから小説を書きに行ってくる」
「お兄ちゃん、また小説書いてるの?」
「別に小説書くのを止めたつもりはないんだけど」
「私聞いてない」
今の僕の話も聞いてない。
「ちょっと、だったらなんで私にイラスト書けって言わないの!?」
なぜか若干怒り口調で菜子が尋ねてくる。
「イラスト、か。実は、今回とりあえずネット掲載じゃなくて、瀬戸高の文化祭に文芸誌として出す予定なんだ。だからそもそもイラストが使えるかどうか……」
おそらく学校外の創作物を使うというのも、本人が了承していれば問題はないだろうけど。ただまだ完成するかどうかもわからなければ、どんな文芸誌になるかも決まっていない。
菜子はぶすっとしたまま口をとがらせる。
「どっちにしてもあとでネットにも上げるのでは?」
「それは、たぶん」
「だったら書き上がったら私にも小説見せてよ。そしたら平日だろうと一日でイラスト描き上げるから」
化け物かな。プロのイラストレーターだってそんな速度で書けないでしょ。学校行きながら一日一枚とかマジでなんなのこの子。しかも菜子はイラスト投稿サイトの上位ランカー。画力も折り紙付きだ。そのクオリティでハイスピードって本当になんなのこの子。
僕は深々とため息を落としながら、冷蔵庫から牛乳をいっぱいコップに注いだ。
「次にネットに小説を投稿するときは、必ず菜子にイラストを描いてもらう。約束するよ」
それを聞くと、顔を般若のように歪めていた菜子はにんまりと笑顔になった。
「絶対だからね」
ぱたりと料理本を閉じ、僕の前に立つと冷蔵庫を開けて覗き込む。
「それじゃあ今日はカレーにしとくね。温めてすぐ食べられるように、準備しておくから」
菜子は楽しそうに食材を冷蔵庫から取り出して準備を始める。
一時期の菜子は病気がちで、入院をしていた時期もあったが今はもうすっかり普通の女子中学生だ。
だが、妹が期待してくれるなら兄として答えないわけにはいかない
僕はキッチンの隅でコップを傾け、冷たい牛乳を喉へと滑らせた。
「……それで、なんでまた君はここにいるわけ?」
閉店ぎりぎりの時間になって、ようやく目の前に座っていた未来に気がついた。
ニコニコと笑みを浮かべたままこちらを見ている未来に、もうため息しか出てこない。
「私も最近、よくここでお茶をしているんです。今日も来てみたら叶太さんがいたので相席に」
絶対に嘘だ。誰だ僕の情報を流しているのは。天音か加藤さんか、あるいはどちらもか。
仮に僕を見つけたとしても他の席に座ってもらいたいものである。
すっかり常温コーヒーへと進化を遂げたホットコーヒーを、かぴかぴになった口に通す。
「執筆作業は順調ですか?」
「まだまだ本調子ではないけどぼちぼちかな。今日赤磐先生から文化祭で文芸誌として出さないかって言われてね。どうにか間に合わせないといけないから頑張ってるとこ」
「おお、それは大変ですね」
この反応、既に僕が文芸誌を書こうとしていることを知っていたな。
まあいい。詰問したいところだがはぐらかされるだけだ。今はそんなことで浪費する時間は残されていない。きりのいいところまで残り数百文字を手早く書き終えてしまう。
もうじき閉店するカフェ緑山では、加藤さんや他の従業員さんが掃除を始めている。残っている客は僕たちだけのようだった。
「これをお返ししておきます」
差し出されたのは第一文芸部の文芸誌。
「もう読み終わったんだ。早いね」
「思ったよりもずっと面白くて、読むのが止まりませんでした」
そう話す未来はとても楽しげだ。実際、プロの小説家のような技巧アイデアには遠く及ばないものの、それでも同学年が書いた小説というのは特別な面白さが存在する。
手を伸ばしても届かないほど高い場所にいる、ある意味異世界の住人が書いている小説とは違う。身近な場所にいる人たちが書いている小説というだけで十分楽しむことができる。
そしてそれが、クリエイターの大きなモチベーションになる。
「明日第一文芸部に返しにいくけど、一緒に行く? 書いた人たちを見られるよ」
「行きます!」
身を乗り出しながら答える未来の体の分だけ、僕は体を後ろにそらす。
「最近いろいろあって、本当に楽しいです。むふふふふ」
「僕は最近ポンコツに振り回されて苦労してるよ」
「ポ、ポンコツ言わないでください!」
誰も未来のこととは言っていないのに、自覚があるところが面白い。
「未来なら昔からいろいろ楽しめたんじゃない? 友だちもたくさんいそうだけど」
尋ねると、未来は少し乾いた笑いを浮かべて首を振った。
「そんなことはないですよ。前にも言いましたけど、長いこと病気で入院してましたから。登校できてもほとんどが保健室登校だったりして。まともに通えたのは、病気が奇跡的に治った中学三年生の途中からでしたから」
病気の話は以前確かにちらりと聞いた。聞けば聞くほど、相当重篤なものだったとわかる。
「だから友だちもほとんどいなかったですよ。こんな風にお茶をしたりお話ししたりするなんて、あり得なかったですしね。普通の学校生活を送ること事態が、私からすれば考えられない話だったんです。元々、高校生まで生きられないって言われていたので」
僕たちにとっては当たり前の高校生活。
しかし未来にとっては、それは本来あり得ない生活、時間だったのだろう。
「それなら文化祭が終わったら、カラオケ行ったり遊園地行ったり水族館行ったり、普通の学生がやりそうなことやってみる?」
「おお、いいですねいいですね!」
顔を輝かせながら未来が頷いていると、掃除をしていた加藤さんが近づいてきた。
「まったく、春木君は本当に鮮やかに女の子をデートに誘うね」
「デ、デデデデ!?」
デデデ大王かな。
目を白黒させている未来を尻目に、加藤さんはいたずらっぽい視線をこちらに向ける。
「そんな風に堂々と浮気していると、天音に怒られちゃうよ?」
「なにが浮気でなぜ天音に怒られないといけないのかわかりませんが、誤解です。元々小説の取材に行くつもりだったので、行ったことがあまりないならと思って誘っただけですよ」
「……取材ですか?」
「ん? うん。小説書くときは現地に行って実際で見ることも当然必要だからね。一人で行くつもりだったけど、未来が行くなら一緒にどうかなと」
未来と加藤さんは黙りこくり、同時に奈落のように深いため息を落とす。
「さすが、叶太さんです……」
「まあ、こんなだけど頑張ってやってくれ」
なにやらよくわからない会話をしている二人。
嫌な話に巻き込まれそうな予感がしたので帰ることにした。
「それじゃあラストオーダーの時間も過ぎたので、僕は帰らせてもらいますね」
「あ、私も帰ります」
少しだけ残っていたコーヒーを飲み干して、未来が僕に続いて席を立つ。
今回は先に未来は僕の分までまとめて会計を済ませていたようで、机の上には伝票一枚残っていなかった。してやったりという笑みには参ったものだ。
外は完全に日が沈んだ夜の静けさに包まれていた。
時刻にして午後十時前。下手をすれば補導されかねない時間帯だ。
「未来はここまで歩いてきてるの?」
「はい。私は家がすぐ近くですので」
「そういえば近くだったね。送るよ。女の子一人こんな時間に帰らせられないから」
「……別に気にされなくても大丈夫なんですけど、それじゃあ、お言葉に甘えて」
街灯に照らされて淡く光る未来の表情がほころぶ。
とりあえず予定外に帰宅が遅くなりそうなので、菜子に帰宅時間を連絡。
「家にご連絡ですか?」
「妹にね。まあ元々遅くなるってことは言ってるけど一応」
「叶太さんの妹さん……どんな子なんですか?」
暗い夜道を歩きながら興味津々といった様子で未来が聞いてくる。
「家事が大好きな変わった子だよ。両親が仕事大好き人間で家にいないのが理由だけど」
もしかしたら僕が一度集中すると周りのことが頭に入らなくなるのは、あの二人の影響かもしれない。厄介なことである。
「今日も家でカレー作ってくれてるはず。妹のカレー本当においしいんだ。三日間くらい毎日食べるかな」
妹が料理上手なのは僕にとってありがたい。これが食べられたものではなかった場合、僕は毎日妹より先に家のキッチンを死守しなければならなかったところである。
「あと、絵を描くのがうまい。あいつも子どものころ病気がちでね。病院でやることがなくて絵でも描きたいっていうから、僕が塗り絵やらイラスト集やら画材と一緒にプレゼントしたらずーっと描いててね。そしたらすごい絵がうまくなっちゃって」
「へぇ……そういうことだったんですか。納得です」
なにやら勝手に納得し、うんうんと頷いている。なにか気になっていたことでもあったのだろうか。
しかし、ふと自分の小説の話を思い出す。
「そういえば、僕の小説は読んでくれた?」
「はい。もちろん。全部読ませていただきましたよ」
「……全部? 投稿していた作品全部?」
僕の反応を見て、未来はふふふと笑みを漏らす。
「私を舐めてもらっては困ります。もう毎晩毎晩寝ずに読みふっけっちゃいましたよ。嘘だと思うなら覚えている限り全ての話を要約しましょうか」
それで確かめるというのもありだが、いくら自分から勧めたといっても自分の小説の内容を口答で読み聞かせられるとか無理だ。それなんて羞恥プレイ。
でも小説は十数くらいはあったはずだ。あれを全部読んだ? この短期間で?
現実問題、とても読み切れる文量ではないはずだ。
しかし、小説の内容を読み聞かせる攻撃が飛んでくると思うと追求できなかった。
「いえ、大丈夫です勘弁してください。読んでくれたんならなんかコメントしてくれればよかったのに。放置されてるのかと思ったよ」
「まままさかそんなわけないじゃないですか! 本当に全部読みましたよ。でもえっと……」
未来は言いよどみ、両手の指を胸の前でもじもじとさせる。
「あれ、あれなんです。ネットとかでコメントを残すのってなにか苦手で……」
「別にそこまで求めてるわけじゃないけどね。読んでもらえて、未来の人生にちょっとでも楽しい時間が増えてくれるといいけどね」
やっぱり人に小説を読んでもらって感想を聞けるのは嬉しいものだ。
自分のためだけに、あふれ出る世界を物語に書き留めて特に公開などするわけでもなく書き続ける人もいるにはいる。だけど、僕は人に読んでもらえることを嬉しく思う。
いい評価も悪い評価も、結局それが全て自分の作品への感想なら受け入れるべきである。
僕も、自然と笑みがこぼれていた。
「私の高校生活は楽しいもので溢れてますよ。これも全部、叶太さんのおかげなので」
「僕はなにもしてないでしょ。僕の小説くらいで、そんな大げさな」
「違いますよ。本当に全部。叶太さんのおかげなんです。私の高校生活、今の生活全部」
「……どういうこと?」
訳がわからず尋ねると、未来は楽しげに笑い、言った。
「内緒です」
いつだったか僕が口にした言葉を、未来は言った。
今はまだ、それを教えてもらえるときではないのだろう。
これからまた、楽しい日々が待っている。
だから、そのときにまた聞けばいい。
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