文芸部の文芸誌

 小説を書く。


 それは一年前まで、僕にとって容易にできることだった。

 脈動するように自分の中に物語が動き始める。打鍵とともに物語が文字に、文字が文に、文が文章に、文章が小説になっていく。

 小説を書くことを勧めてくれた二人のクラスメイトと一緒に、僕は一心不乱に小説を書き始め、そして紡ぎ続けた。


 ネットに投稿することを二人に提案したのは僕だ。


 二人は小説を次々と書いていったが、自分たちや周囲の人だけに物語を読んでもらうおう、というところで終わっていた。

 ただ、二人の小説をそれだけで終わらせるのはもったいないと思った。もっと多い人に読んでもらいたいと。


 二人も、そして僕も新人賞への応募などは考えていなかった。ハードルが高いと感じていたからだ。


 けどネット小説は違う。僕たち子どもだって投稿は簡単だった。

 書き始めた小説を次から次へとネットに投稿していった。

 小説を書かない日などなく、ネット小説を更新し続けていた。毎日、毎日。


 だが一年近くの期間が空いただけで、どうやって小説を書いていたのがわからなくなった。


 そして現在。

 さまざまなきっかけがあり、小説のことを考え続けるようになってから、徐々に小説を書けるようになった。


 全盛期の速度には遠く及ばないが、書き進められるだけ大きな進展だ。

 小説のテーマはシンプルに学園もの。ファンタジー要素が少しだけある物語でボーイミーツガールな話である。


 第二図書室の掃除をいつも通り終え、ノートパソコンを開いて授業中に考えていた展開を書き始める。


 まだ、以前のように小説を書き進めることはできない。

 あの頃はただ、自分の中にいくつもの別世界が存在し、それをただ物語に起こすように小説を書くことができていた。


 今は四六時中物語を考え構想し、ようやく小説のようなものが書けているだけ。

 タイムリミットまではあまり時間がないがそれでもやれるだけ、やれるだけやろう。


 自分に言い聞かせるように、打鍵をひたすら続けていく。


 しばらく書き進めたところで、机がとんとんと叩かれた。

 我に返ってノートパソコンから視線を上げると、大きな男が目の前に立っていた。


「大和? なにやってるの?」


 来訪者である大和は呆れたようにため息を落とす。


「新しい文芸誌の見本ができたら持ってきたんだ。ノックしても返事ないし、入っても気がつかないし、二十分くらい待っても気がついてもらえなかったんだが」


 側に置いていた腕時計を見ると、ずいぶん時間がたっていたことに気がつく。


 肺にたまった古い空気を長々と吐き出し、親指と人差し指で目頭をもむ。


「ごめんごめん。ちょっと集中してて……」


 歳上でもあり正規の文芸部部長である大和は、持っていた文芸誌のサンプルをノートパソコンの横に置いた。


「また内容を見て意見をくれ。誤字脱字も気づけば頼む」


「いつも通りね」


 部員数十人を有する文芸部の文芸誌は、全員が参加していないにも関わらずさすがのページ数だ。なかなか読み応えがある。

 しかしそれでも、普段に比べると今回はやや少なめだ。


 疑問に思っている僕に気がついたのか、大和は言う。


「来月に文化祭があるだろ。ほとんどの部員はそっちに作品を回すからな」


「ああ、そういえばもうそんな時期だったね。文化祭の文芸誌か。相当な数になりそうだね」


「全員が長編を満足いけるレベルで書けるわけじゃないけどな。なんとか一冊にはまとめるつもりだ。そのときはまた頼む」


 言って、大和はパソコンに目を向けた。


「小説、書いてるのか?」


 いつでも覗けただろうに。許可なしに覗くような真似は当然マナー違反だとわかっているので、あえて聞いてきた。


 僕は曖昧に笑いながら頷く。


「うん、家やカフェで書いてるだけじゃ時間足りなくなってきてね」


 わずかに大和の眉が下がり、そして口元がほころんだ。


「お前が投稿している小説の評判はこっちでも本当にいいんだ。また新作公開してくれよ」


「楽しみに待っててよ。文芸誌の内容は今日明日で目を通すから、明後日くらいには返すよ」


「忙しいなら無理をしなくてもいいぞ?」


「大丈夫。たまには気分転換しないと視野が狭くなっちゃうから」


 第二図書室を出て行く大和を見送り、僕はテキストを保存してノートパソコンを閉じる。


「こんにちは……」


 大和と行き違いで、今度は未来が第二図書室に現れる。 


 もう本当になにかと未来が現れる。気がつけばやってくる。友だちがいないんじゃないかと思うくらいやってくる。


 しかしいつもなら脳天気に現れる未来が、今日はどこか気落ちした様子で向かいの席にへたり込んだ。


「またやっちゃいましたぁ……」


「どうしたの? また誰かの夢ぱくぱくしてきたの?」


 未来がうぐっと喉を詰まらせた。


「そ、その通りですけど、そんな軽く言わないでくださいよぉ……」


 未来が涙目になりながら机の上でぱたぱたと手を動かす。


 今度はなにをやってきたのかと思えば、また怒ってしまったとのこと。

 将棋部の部員が初心者をぼろくそに言っていたのが腹に据えかねたようだ。で、将棋部部員をこてんぱんにしたと。


 わざわざ教室で将棋をやって、自分の強さを誇示するわかりやすさ。

 その場でルールを教えてもらった未来が途中参加。圧倒的不利状況を巻き返し、瞬く間に詰ましたらしい。やり直し何回も食い下がって未来に挑んだがことごとく詰み、ぼこぼこにしてしまったらしい。

 その部員は泣きながら教室から逃げ出してしまい、我に返った未来もここに逃げ込んできたということだ。


「君は本当になんでもできるんだね」


「い、いや本当に将棋も指したことないんです。バスケと違ってルールに自信がなかったので本を見ながらやっていましたし……」


 悪気はないのだろうが、相手はさぞ屈辱的だったであろう。

 机に突っ伏したまま手足をばたばたとさせて呻く未来はずいぶんと落ち込んでいる。

 誰かを陥れることが許せない未来は、一度スイッチが入ると完膚なきまでに叩き潰してしまう。しかし、それを心から望んでいるわけではない。ただ抑えることができない衝動に駆られるそうだ。


 僕は肩をすくめて笑う。


「そんな気にするなら、最初から絡まなければいいのに」


「それができるなら苦労しないのです……」


 しばらく未来は机の上に突っ伏したまま呻いていた。


 しかし、気を取り直すように両手で自らの頬を打つと、いつものようにのほほんと笑う。


「そういえば、さっきのはどちら様ですか?」


 気を取り直して尋ねてくる未来。相変わらず切り替えが早い。


 どうやら大和が第二図書室から出ていくのを見ていたようだった。


「藤堂大和。僕の幼なじみで、文芸部の部長だよ」


「ほー、意外に文芸部と仲良くお付き合いしてるんですね」


「まあ御崎さんとのやりとりだけ見てれば、仲悪そうに見えるよね。でも別になにか張り合ってたり対決してたりしているわけでもないから。大和はこっちを気にして様子を見に来てくれるし、こうやって文芸誌を持ってきてくれる。見本誌を見て、意見を言うようにしてるんだ」 


「そうなんですか。もし文芸誌読まれるんだったら、私がお掃除とかしてましょうか?」


「もう終わってるよ。ポンコツなんだから、仕事増やそうとせず大人しくしてて」


「し、心外です! それにポンコツって言わないでください!」


 前回の失態は記憶に新しいはずなのになにを言っているのだが。

 顔を真っ赤にして憤慨する未来は、僕の前に置かれている閉じたノートパソコンを見やる。


「小説は書かれてないんですか?」


「さっきまで書いてたよ。今度は本当にね」


 ノートパソコンを脇に避け、文芸誌を広げる。


「だけど先に今度はこっちの文芸誌。早めに返してあげたいから」


「あ、私も一緒に見ていいですか?」


「ん? 見たいなら構わないけど、ペース合わせられるかな」


「大丈夫です。私のことは気にせずに叶太さんの好きなように読んでいただければ」


 未来はそう言って、僕の隣の席に並んで座る。

 肩が触れ合うような距離まで近寄ってきて、興味深げに文芸誌を覗き込んでくる。


 結構恥ずかしがり屋なくせに、相変わらず恥ずかしげもなく男子に近づいてくる子である。こんなのだから彼氏彼女に間違われてしまうのだろうけど。

 しかし離れてと言うと、向こうが恥ずかしさに赤面して一緒にこっちまで照れるのは目に見えている。なにも言わずに文芸誌の内容に目を落とす。


 最初に目次があり、総勢十名の小説が掲載されている。一名を除き全員短編。一人だけが中編か長編かという長さの小説だった。その執筆者は、御崎詩織さん。


「御崎さんの小説ですか?」


「あの子、僕にやたらめったら絡んでくるけど、小説書くのは本当に真剣なんだ。文芸部は毎月文芸誌を出しているけど、御崎さんは相当なペースで長編小説を掲載しているよ」


 御崎さんの掲載は一、二ヶ月に一度。相当な執筆速度とアイデア量である。

 もっとも、文芸部は文芸部ではお互いの小説を読み合って意見の出し合いや誤字脱字の指摘を行っている。一概に他の人と執筆速度を比べることはできないが、それでも同い年でそこまで書くことができるというのは驚きである。


 一人で読むときよりもゆっくりのスペースで、文芸誌を読み進めていく。

 未来の反応を見る限り一応は読み進められているようである。思い返せば数日休んでいた間に二十冊も本を読むことができるのだから、読む速度も相当速いのだろう。


 読み続けながらも、誤字脱字や事実関係のおかしなところに赤ボールペンを入れていく。


「このS字とか吹き出しみたいなのとかなんですか?」


 記入していく文字と一緒に書いている記号を見て、未来がおずおずと尋ねてきた。


「これは校正記号。文字が前後逆だったりするのを伝えたり、一文字抜けているところに文字が抜けていますよとかって示したりね。文芸部で校正記号を使う決まりがあるわけじゃないんだけど、一応ね」


 校正記号は国際規格とか日本の規格とか体系化されている。文芸部には、将来校閲や校正の仕事を目指している人もいるので僕もとりあえず合わせている。

 御崎さんの小説を最後まで読むことはできなかったが、それでも中盤くらいまでは読み進めることができた。


 頭の中で冒頭から中盤までの流れを頭の中で再確認する。

 次のページをめくらないことに疑問を覚えたのか、未来が僕の顔を覗き込んでくる。


「どうかしました?」


「いや、ごめん。なんでもないよ。そろそろ下校時間だから、帰ろうか」


「……本当ですね。外、もう暗くなってますね」


 椅子を元の位置に戻しながら、未来は鞄を手に立ち上がる。


「それじゃあ一緒に帰りましょう」


「……あの、未来は結局なにしにきたの?」


 将棋部員をぼこぼこにして逃げ込んできたというのもあるのだろうが、最終的に僕の読書に付き合っていただけである。


 未来は不思議そうに首を傾げた。


「ただ叶太さんとお話がしたかっただけですけど?」


 なにを聞かれているのかわからないという様子だった。


「はぁ……さいですか」


 わからないのはこっちの方である。本当になにを考えてるのか。


 執筆した小説はクラウドにアップロードしている。

 ノートパソコンは持ち帰る必要がないのでそのまま置き、文芸誌を鞄に入れる。


「読み終わったら私にも見せてもらえますか?」


「それはいいけど、どちらにしても来月まで待てばきちんとした文芸誌が読めるよ?」


「そっちも確かに読みたいですけど、修正が入る前の小説も読んでみたいんです」


「それなら明日の朝に渡すよ。明後日の夕方には大和に持っていくからそれまでにね」


「わかりました」


 これを僕が読み終わるころには、あちこちに真っ赤な文字が大量に咲き誇っているだろう。

 読みにくいだろうが、それは仕方がないので勘弁してもらおう。


 しかしそれにしても、と口には出さず内心で思う。


 自分が書いた小説のことは案外自分でわからないものである。プロも編集者や校閲や校正が入るわけだけど、少し時間をおけば自分の小説の問題点はわかるようになるものである。

 大和が僕のところにも文芸誌を持ってくるのも、第三者に確認をさせる意味合いが強い。


 だけど、だからこそ思う。


 御崎さん自身は、この小説についてどう思っているのだろうか。

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