夢喰いの少女

「こんにちは。先輩方」


 未来は、挨拶を交わすよう穏やかに、怒声を上げている先輩に声をかける。


「あ? なんだお前」


 体操服姿でもなければ、体育館シューズを穿いてもいない。

 場違いな少女の乱入に、先輩たちは戸惑いよりも疑念の視線を向けてくる。


「通りすがりの一般人です」


 自分よりも遙かに大きな体の先輩に見下ろされても、未来はまったく動じない。

 穏やかで、それでいて明確に強い感情を称えたまま、笑みを浮かべている。


「ちょ、ちょっと未来」


 なにかしでかしそうな相方を追いかけて、その肩を捕まえる。


「は、春木……」


 側でしゃがみ込んでいた同級生が声を漏らすと、その名前に先輩が反応した。


「春木? もしかしてお前か? この二人にバスケで勝ったってのは」


 名前を知られていた。心の中で嘆き、顔では小さく笑って見せる。


「三対三でやった一人に僕がいたってだけです。人数あわせで立っていただけですよ」


 気持ちを逆なでないように答えたつもりだったのだが、がたいのいい先輩が豪快に笑った。


「はっ、こんなひょろいやつに負けたのかよ。お前ら、本当にどうしようもないな」

 

 下卑た笑いを浮かべながら同級生を見下ろす先輩。

 チーム戦において、一人の力で勝敗は決まらない。三対三は、通常五体五のバスケよりも比重が大きくなっているとはいえ、一回で実力の優劣などが決まらない。


「先輩たちはバスケットボール、お上手なんですか?」


 相手を怒らせる言葉を選んでいるような未来に、僕の背筋は寒くなる。

 ずっと高い位置にある二つの視線が、わずかに苛立ちに揺れた。


「……少なくともこいつらよりはな。こいつらは素人にも負けるようなやつなんだぜ? それなのに、レギュラーになって全国大会に出たいとか、叶いもしない夢を見てんだよ。こっちは真剣に練習して、全国目指しているってのに」


「だからそんな叶いもしない夢を見ないように、バスケなんてやめちまえって言ってたんだよ。こいつらのせいで、俺たちの夢まで汚されちゃたまらない」


 叶いもしない夢、バカな夢か……。

 まったくそれはなんて――


「まったくそれはなんて、バカなことでしょうね」


 心の中の言葉が漏れてしまったかと思った。

 その言葉を実際に口にしている未来は、楽しげに笑う。


「はは、そうだろ?」


 同意を求める先輩の言葉に頷きながら、未来はにっこりと微笑む。


「はい。夢は、未来のために思うもの。今から叶うかどうかを勝手に決めつけて、他人の夢を諦めろなんて、呆れるほどほどバカなことを言いますね。先輩方」


 体育館の空気が凍り付いた。

 どこまでも真っ直ぐに、驚くほど包み隠さず漏らした刃。

 先輩たちの表情が固まり、言葉につまる。


 呆ける先輩たちを余所に、未来は冷ややかに笑う。

 狂気にも似た、心とともに。


「先輩方の夢に、興味が出ました」


「はぁ? お前なに言って――」


「先輩方二人と私たち二人で、二対二のバスケをしませんか? 瀬戸高バスケットボール部、全国大会出場の夢、それがどれくらいの強さなのか。私に見せてほしいんです」


 先輩たちの表情が驚きに染まり、そして直後、明確な怒りに塗りつぶされた。


 ……二対二? 私たち? それってあと一人、誰のことなんでしょうね……。


 そんなわかりきったことを、今更尋ねる暇などなかった。売り言葉に買い言葉で、あれよあれよと試合をすることに。


 裸足では試合にすらならないので、バスケ部のクラスメイトからバスケットシューズを二つ借りて履く。


「ははは! 素人相手にどんな試合になるか、楽しみだなおいっ」


「いやいや、俺たちがボールを持ったら、手が届かないんじゃないか」


 こちらに聞こえるように大きな声で投げかけられる二人の声。


 げんなりと肩を落としながら、初めて穿くバスケットシューズを足に合わせていく。


 背の高い長身の先輩が極本先輩、がたいのいい先輩が楽本先輩。ちょうどいいので極楽コンビとでも呼ぶことにする。


 極楽コンビ先輩の怒りももっともだ。こっちはバスケ部でもない素人の一年。靴は借りられたけど、服はどうしようもないので制服のままでやることになった。そんなやつら相手に虚仮にされれば、怒るのも当たり前である。

 顧問がいれば止めにも入っただろうが、バスケ部やバレー部の顧問も職員会議中で不在らしい。タイミングが悪いことが災いした。


 日本海峡のように深いため息を落とす。


「なんでこんなことに……」


「ん? どうかしたんですか?」


 こちらに目を向ける未来はまったく気負った様子はない。スカート姿のまま、軽やかにその場でジャンプして靴の感触を確かめている。


「どうかしたんじゃないよ。なんでこんなことになってるのさ……。あと君、女の子なんだからスカートで跳んだり跳ねたりするの止めなさい」


 そんな格好で、一体なにをするつもりというのか。


「大丈夫ですよ。今日はこんなこともあろうかと下、スパッツなので」


 ぺろりとスカートをめくり上げ、スパッツを見せる未来。

 付近の男子生徒が一斉に吹きだした。


「なにやってんのバカっ」


 その手を叩き落とす。

 未来は目をぱちぱちと瞬きながら首を傾げる。


「スパッツは見えても大丈夫な下着と聞いた気がするのですけど」


「い、一般的にそういう意見もあるけどダメなものはダメっ」


 純情男子の初々しさを舐めてもらっては困る。遠目に見ていた女子バレー部員たちもどん引きだ。女子といえどスパッツは常習的に見せるものでは断じてない、はず。


「おい春木、大丈夫か?」


「あの二人、中学からバスケやってて実力はあるんだよ」


 バスケットシューズを貸してくれたクラスメイトが、いろんな意味で心配してくれる。


 僕に大丈夫かと聞かれてもね。


「って言われてますけど未来さん、君そんな自信満々で、バスケの経験あるの?」


「ルールは頭に入っています。昔、読書しかやることがない時期があったので、そのときに。ボールはさっき初めて触りました」


「「……」」


 僕とクラスメイトは顔を見合わせる。とんでもないことを言っている気がする。


「ちょっと待ってくれない? 僕もざっくりならルールはわかる。だけどバスケは体育で少しやったことがある程度で、この間遊びでやったときもたまたま……」


「叶太さんは好きなように動いていただいて大丈夫ですよ。あとは、私がやります」


 なにも迷っていない瞳で、声音で、はっきりと未来は答える。

 自信以上の、なにか薄ら寒いものを感じさせた。


 もうなにを言っても無駄な気がして、かぶりを振って靴の調子を確かめた。


 周囲のバスケ部員やバレー部員に見守られる中、僕たちはコートの中に足を踏み入れる。


 ゴールを背にしてボールを持つ極本先輩が、こちらに笑みを向ける。


「素人に合わせてルールは簡単にしてやる。使うコートはハーフコートだ。オフェンスとディフェンスに別れて交互にやる。攻守それぞれ5セット。ボールはディフェンスからボールを投げて、オフェンスがボールを持った瞬間にゲームを開始。ゴールが決まるか、ボールがコート外に出た段階で1セット終了。これだけだ」


 本当に、素人の僕でもわかりやすいルールだった。ドリブルやシュートなどのルールは基本的なものに沿って行うようだ。


 まずは、僕たちがオフェンス側からだ。


 僕はコートに入り、適当な位置で待機。ハンデのつもりのようで、ボールを持っていない楽本先輩は僕の前には出てくることはない。後ろから巨大な体で見下ろしてプレッシャーをかけてくる。でっか。まじでっか。


 極本先輩は、ボールをダンダンとフロアにタップしている。


 ハーフライン付近に立った未来は、そっと目を閉じた。

 スカートのポケットから空色のシュシュを取り出し、長い黒髪を後ろで縛る。ポニーテールにまとめた髪を確かめるように、指がさっと髪を滑る。


 深呼吸を一つ落とし、ゆっくりと目を開ける。


 その場にいた全員が、息をのんだ。


 のほほんとした雰囲気はなりを潜め、鋭い感情を身に纏う。

 言葉では到底言い表せない、異質な存在がそこにあった。


「……は、ははっ、結構やる気じゃねぇか」


 完全に飲まれていた極本先輩は我に返り、ボールを握りしめる。


「安心しろ。こっちは手加減してやるよ」


「お好きにしてください。結果は、変えるつもりがありません」


 淡々とした声音で未来は答え、極本先輩の表情がぴくりと引きつる。


「……じゃあ、始めるぜ」


 怒気を孕んだ目を僕の方に向け、そして未来へと戻す。


 僕も、意識を未来へと向ける。

 本当にどういうつもりなのかはわからない。ただ最低限、未来に恥をかかせないためにも僕が全力で食らいついて、少しでも場を盛り上げて許してもらうしかない。


 僕の芸術的な土下座を見せてやるぜ。


 相手はこちらが一点も入れられるとは思っていないはず。

 一点でも点を入れて、一点でも多く防ぐ。5対0という結果だけは阻止しよう。


 後ろ向きかつ前向きな思考で、姿勢を低くする。


 数瞬後には、そんな考えが跡形もなく粉砕されるとも知らずに。


「ほら――」


 極本先輩が山なりにボールを未来へと投げる。


 飛んできたボールを未来が受け取る。


「――――」


 次の瞬間、未来の体は、余裕の笑みを浮かべる極本先輩の横を通り過ぎた。


 僕が一呼吸する間にゴール下まで駆け抜け、大きく跳び上がり、ボールをゴールの下からレイアップで投げ入れる。

 ボールはリングに触れることなくゴールへと吸い込まれ、体育館の床に落ちた。


「「……は?」」


 極楽コンビ先輩がそろって呆けた声を上げる。


「まず一点。先輩方、攻守交代ですよね?」


 転がっていったボールを拾い上げ、なんとも思っていない表情で先輩たちを振り返る。


 僕と先輩たち三人、足は最初にコートについていた場所から一歩たりとも動いていない。


「おま……なにを……っ」


 戸惑った声を上げる楽本先輩に、未来はきょとんとした風に首を傾げる。


「ルール違反はしてませんよね? ボールを受け取って、ドリブルをして、ボールをゴールに入れる。ただそれだけですよ」


 やったことは確かにそれだけ。しかし――


「なんだよあの動き……」


 そんな声がコート外のギャラリーから漏れる。


 動きが素人か経験者かどうかなんて僕にはわからない。ただわかったのは、極楽コンビ先輩の二人が反応するよりも速くゴールにボールを納めたということ。


 とても僕の目では追いきれない尋常じゃない速さ。驚異的な身体能力だ。


「はっ……まぐれだろ」


 自分と相方に言い聞かせるように呟きながら、今度はハーフラインまで極本先輩が歩く。

 目がすっと細くなり、先ほどまでの余裕の表情が消えていた。状況がわからないにしろ、本気になったようである。


 先ほどまで楽本先輩が立っていた場所に未来がボールを持って立ち、ちらりとこちらに視線を向け、僕もそれで我に返った。


 今度は先輩たちがオフェンス。


 体のでかい楽本先輩が僕の後ろから離れ、動く体制に入る。こちらも笑みが消えていた。


 どこまでやると反則かどうかなんてわからないが、とりあえず邪魔になるくらいのことはやらなければいけない。完全に前に出られないように動いていくが、この巨体の前には出られる気がしない。怖いよこれ。ぶっとばされるよ絶対。


 ため息を落としながら、未来に目を向ける。


「いきますよ。極本先輩」


 両手でボールを持ち、それを真っ直ぐ極本先輩に投げる。


 極本先輩はボールを受け取る。が、その場から動かず。


 未来もパスを出したまま動かない。


 どれだけ極本先輩が経験者といっても、ハーフラインからゴールを決めるなんて、偶然以外あり得ない。そもそもするわけもない。ミドリマンじゃあるまいし。


 極本先輩としては、未来が飛び出してきたところを抜くつもりだったのだろうが、未来は動かない。

 バスケでもサッカーでもそうだが、ボールを持っている人にぶつかれば大抵の場合ディフェンスがファールを取られる。だから、相手の前で抜かせないように動くのが基本のはずだ。


「ふん……」


 小さく鼻を鳴らし、極本先輩はボールをフロアにタップしながらドリブルを始める。

 ゆっくりと、未来に近づいていく。


 僕が瞬きをした瞬間、未来は再び信じられないほどの瞬発力で極本先輩に迫る。


「……っ」


 しかし今度は、極本先輩はその速さを予想していた。未来からボールを奪われないように、器用なドリブルを見せる。


 相手は一九〇センチ近くの長身。対して未来は、女子の平均的な身長である160センチ程度。鍛えられた現役選手と帰宅部高一女子の間には、本来埋まることのない圧倒的な差が存在する。にも関わらず、未来は全く臆さずに極本先輩に迫りボールを奪おうと手を伸ばす。


 その気迫に怯みながらも、極本先輩はどうにかボールを死守する。だがそれ以上踏み込めず、未来を抜くことができない。


「くそっ……」


 悪態を漏らした極本先輩の視線が、未来から外れて楽本先輩へといく。


 その瞬間、僕は大きく回り込んで楽本先輩へのパスコースをふさぐ。極本先輩が完全に止められていることに驚愕していた楽本先輩のパスコース割り込みは容易だった。


 ボールをパスする体勢に入っていた極本先輩は踏みとどまり、わずかに動きが鈍る。

 その瞬間を見逃さず、未来の細い腕がボールをコート外まで弾き飛ばした。


 ボールが床を打って転がっていく簡素な音だけが響き渡る。

 未来は無言で転がっていったボールを追いかけ手に取り、そして極本先輩に投げ渡す。

 だが完全に呆けていた極本先輩を受け取り損ね、再びボールはコートを転がっていく。


「どうしたんですか? 極本先輩。攻守交代ですよね?」 


 感情が込められてない無機質な表情で、未来は問う。


「……あんまり調子に乗るなよ」


 改めてボールを拾い上げた極本先輩がうなり声を上げ、そして楽本先輩に目を向ける。

 目配せを向けられた楽本先輩は頷く。


 なにをするつもりなのかは容易に想像がついた。


 極本先輩を未来へとボールを投げる。

 未来がボールを受け取った瞬間、極楽コンビ先輩は二人がかりで一気に未来へと迫る。

 一人で抑えられないことを承知し、プライドを捨てて本気で未来を潰しにかかる。


 さすがの未来も、自分より圧倒的大きな二人に進行方向を塞がれ、ボールを捕られないにしろ前に進めない。


 だがこの試合は、片方が役立たずとはいえ、一応二対二である。


 そのか弱い女子の腕から考えられない速度で振るわれたボールが、二人の脇を通り過ぎ、コートの外れへと飛ぶ。 


 スリーポイントラインぎりぎりのサイドラインに立っていた、僕へのパス。

 シュートしやすい場所でも、未来からのパスを受け取りやすい位置にいたわけでもない。予想外な場所に立っていた僕に、極楽コンビ先輩が驚く。


 ボールを両手で受け取ると同時に、スリーポイントラインのわずか外を踏みしめる。


 両手でボールを構え、そして遠くにあるゴール目がけて、シュート。

 放物線を描き、リングの縁にぶつかりながらも、ボールはゴールに吸い込まれた。

 1シュート何点というルールこそないが、スリーポイントシュートである。


 呆ける二人を通り過ぎ、改めて落ちたボールを受け取った未来は僕の方へと歩いてきた。


「ナイスシュートです」


「……どうも」


 ぱちんと片手でハイタッチ。

 

 そこからの勝負は一方的だった。


 たまたま入ったスリーポイントシュート一発で僕まで無駄に警戒した極楽コンビは形無し。

 逆に未来の動きはどんどん切れを増していく。最初から常人離れしていたにも関わらず、さらにギアを上げて驚異的な身体能力で二人を圧倒する。


 最終的に、僕が一回シュートミスをしたものの、未来が極楽コンビ先輩の攻撃を全て封殺。

 4ー0で僕たちの勝ちとなった。


 コートに崩れ落ちたまま、動かない二人の先輩。

 勝負がついてからも動き続けたが、結局一点も取ることができず先輩たちは敗北した。


 先輩たちは、肩で息をしながら結果を受け入れられずに呆然としている。


 そんな彼らを尻目に、未来はシュシュを外してするりと髪をほどく。

 息を乱すどころか、汗一つかいていなかった。


「先輩方、人の夢を笑うくせに、素人相手に負けるのはいかがなものかと思いますよ」

 

 残酷に冷徹に、未来は座り込んで動かない二人へと重ねて声を投げる。



「私、あなたたちみたいな人が大嫌いです」

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