輝く人たち

 校内の散策。


 そんな奇怪なことをする生徒はそういない。しかし用事がないのも事実なので、付き合うことにする。


 もう少し、この少女のことを知ってみたいと思った。


 放課後になって一時間ほどたつにも関わらず、瀬戸高は賑わっている。

 運動部は声を張り上げながら汗を流す。文化部は自らの好きなものに没頭するように研鑽する。教室に残った生徒は楽しげに談笑していた。

 活気づいた様子が高校のあちこちで感じられる。たしかにこうして改めて高校を見渡すと、みんないろんなことに取り組んでいるように思う。


 だがこれくらいの光景は特別なものでは、きっとない。

 全員夢をもって行動しているかどうかといえば、そんなはずもない。

 運動部も文化部も、それ以外でなにかに取り組んでいる人たちも。明確な将来を思い描き日々を費やしているのか、そんなことは外野にはうかがい知れないことだ。


 だがそれでも、未来はそんな彼らを羨ましそうに眺めていた。


「本当にいいですよね、この高校の人たち。みんな夢に溢れてて」


 再び、先ほどと同じことを口にした。


「私は、いろんな人の夢を見てみたいんです。その人がなにが好きでその夢を目指すのか。なにをきっかけでその夢を歩むことにしたのか。最後、どうなりたいのか」


 儚げに、含みを感じさせる笑みを浮かべながら未来は言う。


「その夢の答えが出るのなんて、今日明日のことじゃないでしょ? それまでずっと見ていくつもりなの?」


 ははっと、未来は楽しげな笑みを浮かべる。


「それはできないですけどね。残念ですけど。夢の行き着く先を見たいなんて、高慢なことは思っていないです。夢は誰でも、いつでも見られるものですけど、必ず叶うものではない。それは変わらない事実ですから」


 いつか誰かが言っていた。

 誰もが簡単に達成できるものは、夢になり得ないと。他者ができない努力と時間と意志を費やして、初めて到達できるもの。そういうものが、夢になり得るのだと。

 比較的簡単に叶う夢もあれば、人生全てを注ぎ込んでも叶わない夢も存在するだろう。

 夢は甘い希望であると同時に、どこまでも残酷な現実だ。


 いつの間にか、実習棟から遠く離れた体育館の方まで歩いてきた。

 体育館の中では、バスケ部とバレー部が声を張り上げ、練習に熱を入れている。

 羨ましそうに見ていた未来が、微笑みながら僕に視線を向けてくる。


「叶太さん、あなたの夢はなんですか?」


 再三投げられている問い。

 眩い笑顔でありながら羨望を感じさせる視線で、未来は問うてくる。


「僕に、夢はないよ」


「挫折しちゃったんですか?」


 間髪入れずに未来が問いかけられ、僕はため息を落とす。


「たぶん、そう。昔は夢があったと思う。でも今、僕の中にそんな輝くものはない」


 僕の中で消えてしまった灯火。

 以前僕の心の中に輝いていたはずの火を、思い出すことができない。


「輝いていますよ。叶太さんは」


 時間が、止まった。


 胸の内で否定した考えを、さらに否定する言葉が未来の口から紡がれた。


「……なにを言ってるの?」


「心配しなくても大丈夫です。叶太さんの夢は終わっていません。きちんと、輝いています」


 ざわざわと胸の中が粟立った。

 少しずつ、心の中が揺れていく嫌な感覚。


「だからなに――」


「なにやってんだよ!」


 僕の言葉を遮るように、体育館の中から怒号が響き渡った。


 何事かと僕と未来は顔を見合わせ、体育館へと視線を向ける。


 練習中だったバスケ部から発せられたもののようだった。


「レギュラーとか舐めたこと言ってんじゃねぇぞ! そんな下手で夢見てんじゃねぇよ!」


「素人にも負けるようなやつが、そんなことできるわけねぇだろうが!」


 バスケコートの中に体操服姿のバスケ部員が四人いた。

 二人の生徒が一方的に、もう二人を怒鳴りつけている。


 周囲の人たちも驚き、練習の手を止めている。


 片方の二人には見覚えがあった。つい先日、僕が昼休みに三対三でバスケをした相手チーム、二人の一年生だ。


 残りの二人は見るからに体の大きなバスケ部員。体操服の色が緑、二年生の部員だ。一人は一九〇センチはある長身、もう一人は鍛え上げられた巨体という見るからに強そうな人たち。


「なにかあったのかな……?」


 疑問に首を傾げながら呟き、未来に目を向ける。


 しかしそこには、これまで見たことがないような鋭い目つきをした少女の姿があった。


「ど、どうしたの?」


「……」


 未来は僕の問いに答えることなかった。

 代わりに靴を体育館の入り口横に脱ぎ、体育館に足を踏み入れる。


「え、ちょっと」


 慌てて僕も靴を脱いで後を追う。

 僕たちが体育館に足を踏み入れてもなお、変わらず二年の先輩たちは一年部員を叱責している。


「あ、ああ、春木……」


 入り口近くに、僕のクラスメイトが立っていた。一緒にバスケをした男子だ。


「お邪魔します。いやなんか怒鳴り声が聞こえたから、ちょっと」


 断りを入れながら答えると、クラスメイトは曖昧にばつが悪そうな表情をした。


「どうかしたの? 何事?」


 いつものことならともかく、他の部員やバレー部の人が戸惑っていることから見ても通常ではないことはわかる。


 クラスメイトの男子は周囲の視線を少し気にして、声を潜めてささやいた。


「俺ら、あいつらとこの間バスケで試合やったじゃん。それで素人の春木が相手だったのに、あいつらが負けたってことが先輩の耳に入っちゃって……」


 それで、素人に負けるようなやつがってことか。

 いや、そもそもあれは遊びで向こうも本気だったわけではない。こっち二人もバスケ部員だったし、一概に僕が関係しているかどうかなんてわからない試合だったのだが。


 しかしとて、先輩バスケ部の様子を見るに、そんなことは関係ないようである。


「す、すいません」


「でも自分たちまだ……」


 謝りながらも食い下がる同級生。

 その言葉を遮るように、先輩が手に持っていたボールを勢いよく床に叩き付ける。


「うるせぇ! なにがレギュラーで全国だよ! お前らみたいなやつらと同じ夢を見られちゃ、真剣に目指している俺たちがバカみてぇじゃねぇかよ! 素人に負けても笑っていられるような奴は、バスケなんてやめちまえ!」


 怒鳴り声とともに、バスケットボールが僕たちの前まで転がってくる。ボールは、未来の足にぶつかって止まった。


「真剣に目指している……バカみたい……ですか……」


 ぞっとするような冷たい声音だった。


 未来は、足下に転がってきたバスケットボールを拾い上げる。

 髪の切れ目から覗く未来の口元は、薄ら笑みを浮かべていた。


 バスケットボールを手にしたまま、未来はゆっくりとコートの中に足を踏み入れる。


 そして、僕は知ることになる。


 夢喰いと呼ばれるその所以を。

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