第二文芸部の来訪者たち

 知り合いともなれば、これまで気づかずとも自然と目にとまるようになるものだ。


 数日前まで存在まで知らなかった女子生徒、桜葉未来さん。

 昼休みに中庭でクラスメイトと談笑しながら昼食を食べていると、中庭を通り過ぎていく女子生徒集団の中に、彼女の姿を見つけた。一緒にお昼を食べに行くようで、以前と同じ大きな弁当箱を抱えている。

 端正な顔に笑みを浮かべながら、楽しそうに歩く桜葉さん。

 当然だが向こうにも向こうの生活がある。


 奇天烈な出会い方や一方的に僕を知っていることなど、謎も多い。実は、瀬戸高の地縛霊の類いというファンタジー的な考え方を持っていたのだが、そんなわけもなかった。

 性格に変なところこそあるが穏やかで人当たりもよく、おまけにあの容姿だ。人目を引くなという方が無理だろう。


 しばらく目で追っていると、桜葉さんの方もこちらに気がつき、小さく手を振ってきた。


 無視してこっちに寄ってこられても困るので、軽く手を上げて返事をする。


 僕の仕草に目をつけたクラスメイトが僕の視線を追い、相手に気がつき、目を丸くした。


「うっおなんだ超かわいい子、あれ春木の知り合いか?」


「一応そのはず」


「ちょっと待てマジかっ。頼む紹介してくれ」


「ええ……」


 紹介するほど仲がいいわけでも、お互いを知っているわけでもないのにそんなこと言われても。しかも、僕が一方的に相手のことを知らない意味不明な状況だ。


「うーん、紹介とかはできないかな」


 曖昧に言葉を濁しながらそう返す。


「というか、何日か前に教室に春木を昼飯誘いに来た子じゃないか? 一年の子だったよなたしか」


「なんだもう付き合ってるのか!」


 絶望とばかりに大声を上げて頭を抱えるクラスメイト。


「いやいや違うよ。あんな人と僕が付き合えるわけないでしょ」


 いろんな意味で。

 本気でそんなことあるわけないのだが、クラスメイトは暴走し会話を盛り上げていく。


 ばしばしと僕の背中を叩きながら悲しげに笑う。


「またまた隠すなよ。べ、別に寂しくなんてないんだからねっ」


「おい涙拭けよ。さすが春木。人生充実してそうで羨ましいぜマジ」


「紹介とはいいけど今度会わせてくれよ。できればお近づきになりたい」


 かつて、共学なら出会いがあるなんて幻想を見ている友だちがいた。しかし現実はこれだ。たとえ共学だとしても、出会いがあるかどうかは別である。


「ま、まあそのうちね。あと本当に付き合ってはないからそこだけは信じてね」


「それは今狙っているってことか!」


「もう勘弁してよ」


 笑って流しながらサンドウィッチをぱくりと食べて、強引に話を打ち切る。



 放課後、いつものように第二図書室に向かうと、正式な図書室の前で一人の女子生徒が僕を待ち構えていた。


「やっときたわね」


 仏頂面の眉をこれでもかというくらいねじ曲げて般若が睨み付けてくる。


「なんだ御崎さんか。ここは文芸部の部室じゃないよ。棟間違えているよ」


 なんなら階も部屋の位置も全然違うと言ってあげたかったのだが、怒りにこもった視線が僕の言葉を遮る。


「間違えてないわよバカにしてんの!?」


 バカにはしていないけど厄介だとは思ってる。

 最近、周りにだんだん厄介な人が増えている。ゆるりと楽しく穏やかだったはずの高校生活が恋しい。


「横、図書室だから静かにね」


「ぐっ……」


 悔しそうに歯がみしながら口を閉じる御崎さん。

 うるさくして怒られるのは第二図書室を使っている僕だ。勘弁してほしい。


 御崎さんはトレードマークのポニーテールを揺らし、低い位置から僕を睨み付けてきた。


「前は逃げられたから、こうして待ち伏せしてたのよ。今書いてる小説見せなさいよ」


「だから書きかけの小説なんて見せられないって。書いた小説は全部ネットにアップしてるんだからそっちを見てよ。数日に一回は必ず公開できるようにしてる、はずだから」


 最近のネット小説サイトは便利なもので、小説の章など応じてどの章を何日の何時に閲覧可能にするという設定が可能だ。小説を全てまとめて投稿することもできなくはない。しかし僕の知っている限り、以前も今も、書きながら投稿している人も書き終わって投稿している人も、少しずつ投稿するやり方が一般的である。

 一度に投稿するより徐々に投稿した方が読者を獲得しやすい傾向にあるからである。


 読者は基本的に新しい物語が好きであり、現在更新されている話を見る方が多い。


 僕の場合は、人気や読者を気にして小分け投稿しているわけではないけど。


 廊下であまり長話をしたくはない。話はここで終わらせる。

 仮に御崎さんを第二図書室に招けば、拘束時間が長くなるのは目に見えている。


「あんたのネット小説、違和感あるのよ」


「……」


「なにがどうとかってのは、わからないわ。閲覧数も常にランキング上位に来ているし、評価も最高っての少ないにしてもまずまず。でも、なんか春木あんた」


 二つの目をすっと細めながら僕に向ける。


「小説書くのに、手を抜いてない?」


 どくんと胸が脈打った。気にしてなんかないはずなのに、心の中がざわついた。

 深々とため息を落とし、呆れた風に装いながら心の中を落ち着けていく。


「……僕みたいな一作家よりも御崎さん、君は自分の心配をした方がいいんじゃない?」


「どういうことよ」


「君の小説、前より面白さが減っているように思うんだけど」


 面を食らったように、御崎さんの表情が強ばる。


「な、なんであんたが私の小説を読んでるのよ!」


「知らないの? 僕は文芸部の部長と知り合いなんだ。慣例的に、文芸部と第二文芸部は創作したものはお互いに見せ合って意見交換をしてる。月一で発行している文芸誌も毎回見せてもらってるよ」


 文芸部の部長とは先日も文芸誌を持ってきた、藤堂大和だ。

 もっとも実際は、先輩の大和が一方的に僕の事を気にかけてくれている面が大きい。部誌でのやりとりもその一環だ。


「たぶん、この春から御崎さんが部誌に掲載した小説は全部見てると思うよ。二ヶ月くらいに一回長編小説。結構早めのペースでまとまった小説にはなっているけど、なんだかんだで最初文芸部に持ち込んだ小説が一番面白かったよ」


「……っ」


 自覚があるのか、珍しく言い返さず目の奥に怒りを宿した視線だけが向けられる。


 ……言い過ぎてしまった。


 他人の著書になど深く関わるつもりなどなかった。それでも、気がつけば口に出ていた。


 謝ろう。そう考えたとき、ばしんと後頭部に衝撃が走った。


「こら叶太さん。女の子をいじめてはいけませんよ」


 軽い痛みが走る頭を押さえながら振り返ると、高校指定の鞄を両手で持つ桜葉さんが立っていた。


「いじめてないよ。というか今、僕いじめられてない?」


「大丈夫です。教科書は全て教室のロッカーに引きこもってます」


 真面目そうな見た目とおしとやかさとは裏腹に、案外ざっくばらんな性格をしている。たしかに鞄の一撃にしては軽かった。


 僕の反応なんて知ったことかという様子で、桜葉さんは心配そうに御崎さんを見やる。


「大丈夫ですか? 叶太さんにいじめられたのであれば私に言ってください。あとでしっかり怒っておきます」


「君は僕のお母さんか保護者かなにかかな? まだ会って数日だよね?」


 とんでもない図々しさである。

 突然現れた知らない人物に、毒気を抜けられたのか目を白黒させる御崎さん。


「……ううん、大丈夫。なんでもないわ」


 赤いリボンを見て同じ一年生であることを確認しながら御崎さんは答え、もう一度きっと僕に視線を向けた。


「また来るわ」


 僕がもう来ないでくださいと返すより先に、御崎さんは去っていく。


「はぁ……」


 ため息を落としながらポケットからキーケースを取り出し、第二図書室の鍵を開ける。 

 中に入り、後ろ手に扉を閉めようとすると扉の隙間に鞄が挟み込まれた。


「ちょ、ちょっと私入れてくださいよ」


「ああ、いたんだ。気がつかなかったよ」


「ひ、ひどいです……」


 もう一度ため息を落としながら、再び扉を開ける。


「それで、なにか用? 頭が痛いから早めにしてね」


 頭をさすりながらそう告げると、桜葉さんは体を震わせて目を伏せた。


「ご、ごめんなさい。そんなに痛かったですか……?」


 どうやら、僕が本気で怒っていると思ったらしい。

 拳で自分の額をこつこつと叩き、気を取り直す。


「いや、別に怒っているわけじゃないから。頭も痛くないし」


 なにせ教科書の入っていない鞄などせいぜい小物が入っている程度だ。ハリセンで叩かれた程度の衝撃しかない。


「それで、こんなところまでわざわざやってきて、なにか用事?」


 途端に桜葉さんは表情を明るくする。


「いえ、せっかくお友達になったので、もう少しお話をしてみたいと思っただけです」


 僕として友だちになったことを後悔、おっと、まだ普通の知り合いという方がしっくりくる程度の付き合いだが。


「部活もあるから中で作業しながらでもいい?」


「はい。もちろんです」


 桜葉さんは嬉しそうに笑いながら第二図書室へと足を踏み入れた。


「ふぁぁ……古い本がいっぱいです……」


 初めて訪れた人と同じ反応をする桜葉さん。

 ここの本はどれも読み込まれた本や明らかに経年劣化が進んだ本などの古書だ。古本屋にでもいかなければ、これほど古い本にお目にかかることはないだろう。


「桜葉さん、少しほこりっぽいけど我慢してね。それと」


「未来でいいですよ」


「……」


 一瞬なにを言われているのかわからなかった。


「桜葉さん」


「だから未来でいいですよ」


「僕はコミュ障だから、そんな距離感の詰め方は慣れてないんだ」


「あらそうなんですか? 天音ちゃんは叶太さんは友だちが多いと自慢されていましたけど」


 いつの間にか天音とも名前で呼ぶ仲になっている。


 コミュ力うんぬんとは別に異性と、いや異性じゃなくとも名前で呼び合う関係にいきなり昇華なんてしないと思うのだが。しかし、真っ直ぐこちらを向く楽しげな笑みに、そんなことをいっても理解してくれないもらえそうにない。

 腕を組み、うーんと唸る。


「じゃあ、未来さん」


「さんもいりません」


 この子は妥協という言葉を頭に叩き込む必要があるかもしれない。

 とはいえこんなやりとりをずっと続けるのはいくらなんでも時間の無駄である。


 乱暴に頭を掻き、嘆息と共に漏らす。


「それじゃあ、未来」


「はい、なんですか」


「なにを言うつもりだったか忘れたから、帰っていいよ」


「ええ! なんでですか!?」


 なんでじゃない。変なやりとりを挟むからこんなことになるんだ。

 気を取り直し、思い出し、口を開く。


「君、どんくさそうだから本棚には触らないように」


「なんかバカにしてませんか?」


 首を傾げながら尋ねてくる桜葉さん、もとい未来の言葉を無視して机の上を整理する。

 人が来ることなど想定していなかったので、本や私物やらが散乱していた。

 未来が座れるスペースを作り、僕はいつも通りほうきで掃除を始める。


「それで、本当になんの用があってきたの?」


「え? だから特に用はないですよ?」


 ほうきを持ったままずっこけそうになる。


「ちょっといるかなと思ってのぞきに来たのは事実ですけど、そしたら第二図書室の前で叶太さんが女の子いじめてたので」


「いじめてないよ。むしろ僕の方がいじめられてる気分だった」


 実際は気分ではなく、ほとんどいじめじゃないかと思うくらい強く当たられているけど。


「どういう関係なんですか?」


「どんな関係でもない」


 最初に会ったのは、高校に入学したばかりのころだ。


 文芸部の体験入部時に、もし小説などの創作物があれば持ってきてくださいと言われた。

 唯一長編小説という形で持ってくることができたのは、僕と御崎さんの二人。

 僕はありふれた学園もの、御崎さんはファンタジーだった。

 僕の小説は、ネット小説に投稿したものを印刷したもの。

 御崎さんの小説は、新人賞の最終選考までいったという原稿だった。


 僕は正直、そのときから文芸部に入る気がなかった。入試の際に文芸部に入るつもりですと言ったことへの対する引け目から体験入部にいっただけだ。あとは思ってたのと違ったと言えば、それほど角も立たないだろうと。


 対称的に御崎さんは自信満々にその小説を手に、文芸部に入部することにしたそうだ。

 とはいえ大所帯の第一文芸部。幾人かが読むにしても、長編小説だから時間もかかる。


「いろいろあって、僕はこの第二文芸部に籍を置くことになった。けど、なんでもあとから聞いた話じゃ、御崎さんの小説より僕の小説の方が評価がよかったらしい」


 僕は本棚の掃除をしながら、椅子で座ってのんびりしている未来に言う。


「でも、御崎さんの小説は新人賞の最終選考までいった作品だった……んですよね?」


「まあね。一応僕もその小説を読ませてもらったけど、よくできた小説だと驚いたよ。中学生が書いた小説だとは思えない出来だった」


「なら、どうしてですか?」


「いくつか理由はあると思う。一つは自分から新人賞の最終選考に残ったっていう余計な先入観を与えてしまったこと。そういう目線で見るとどうしても、ハードルが高くなる」


 そして人は嫉妬する生き物である。

 ほとんどの生徒が応募すらしたことがない新人賞で、最終選考までいった。新入生がそんな実績を持っているとなれば、辛口コメントをしたくなるのもわかる。それなりに厳しいことを言われたであろうことは想像に難くない。


「それと、大人や小説を読み込んだ人は評価してくれるだろうけど、高校生にはちょっと難しい話だったんだ。僕はプロになることまで想定していない。ただわかりやすく、みんなが楽しんでくれたらいいなと思って書いた小説。新人賞の文字数も特に目指すべきジャンルもない小説。ただ単純に、僕の小説の方がわかりやすくて万人受けしやすい内容だった」


 僕の小説は明るく楽しく、読んだ人の心が温かくなるような物語。

 御崎さんの小説は深い話だが、悲しく凄惨な物語。正直、高校生受けしにくい内容だった。


「とまあそういうわけで、御崎さんは僕を目の敵にしているんだ。かといって話が話なだけにあんまりきついことは言えないし」


「でもそれで絡まれちゃってるんなら、少しくらい怒っちゃってもいいんではないんですか? 話を聞いていると叶太さん、言われたい放題なんじゃ……」


 少し心配するように声を落とす未来。

 さっき実は少し怒っていたんだけど、それでもやはり間違いだったと今は思っている。


「御崎さんは真剣に小説家を夢見ているんだ。僕はただ趣味が高じて書いていただけ。途中で挫折した人間が口を挟んで、いい方にも悪い方にも転ばせるべきじゃない。御崎さんは自分の力で立つべきなんだと思う」


 他人の夢に軽々しく関与してしまうほど、僕は自分の人間の価値を見誤っているつもりはない。結果がどうあれ僕はそこに関わってはいけない。関わりたく、ない。


「挫折……?」


 本棚の向こうに隠れて見えない未来から声が上がる。 

 あっと気がついたときには遅かった。


「叶太さん、もしかして今小説書いて……え、でも小説は更新されていますよね?」


「……ああ、更新は続けているよ」


 といってもその更新作業をしたのは、もうずいぶん前のことだが。

 

 僕は目を細めて未来を見やる。


 未来は首をあちらこちらに傾げていた。


「まさか小説のネタに困ってたりするんですか?」


「え……? なんの話?」


「いえ、小説を書くには様々なネタが必要と聞いたことがあります。叶太さんは小説のネタにお困りなのでは?」


「現在進行形で近くに小説のネタになるくらいやばい人がいるからそれは大丈夫」


「え? そうなんですか? 誰でしょう……」


 わからないというように考え込む様子の未来に、僕は深々とため息を落とす。


 夢を喰らう少女という噂を大和から聞いたばかり。もしや未来が噂の少女なのはとバカな考えを抱いてしまったが、やはりこうして接しているとそんなわけがないとわかる。


「それより叶太さん、まだお掃除時間かかりそうですか?」


「ああ、うん。もうしばらくかな」


 実際はいつ切り上げてもいいのだが、願わくば未来が飽きて帰ってくれないかと祈っている。


「私も手伝いますよ」


 がたりと本棚の向こうで立ち上がる気配。


「いや、本当に大丈夫だから」


 顔を覗かせ断るのだが、未来はこちらに歩み出た。


 と同時に、学校指定のスリッパを床に引っかけ、盛大にすっころぶ。


「あぎゃっ!」


 がつんと、鈍い音が響くと同時に本棚の角に頭をぶつける。 

 あまりに勢いよく突っ込んだため本棚が盛大に揺れ、上段に納められていた数冊の本が未来に向かって落ちてくる。


「ちょっと!」


 転んでうずくまる未来の上に覆い被さると同時に、背中にいくつも衝撃が走る。


「い……いだい……」


「僕もいだい……」


 下で額を押さえて呻く未来の上で、痛みに目を固く閉じながら僕も呻く。背中の所々に結構な重さの本がぶつかり鈍痛が響いている。


「わわわっ、叶太さんごめんなさ――」


 未来の言葉が途中で切れる。

 今度はなにかと思い痛みに耐えて目を開ける。


 すぐ近くに、未来の顔があった。


 咄嗟のことにほとんど未来に抱きつくようにして体に手を回しており、息がかかるほど近くに未来の顔があった。


 ふむ……。


「小説のネタ提供、ありがとうございます」


「は、反応それですか!? もっとなにかありません!?」


 この状況でこれ以上の正解があるとは思えない。動揺しなかった僕を褒めてほしいくらい。


「二個下の妹がいるから、近くに女子がいる程度でいちいち心を乱されたりしない」


「な、なにをぉ……」


 腑に落ちない様子で拳をぷるぷるさせる未来を尻目に、僕は体を起こしながら深々とため息をつく。


 背中の痛みに顔をしかめながら、落ちた本を確認する。

 もう読まれることが少なくなった国語辞典や漢字辞典だった。僕の体がクッションになり、目立つ傷や紙の折れなどはない。安心して息を吐く。


 胸がどきどきと早鐘のように脈打っていた。

 この動揺はあれだあれ、体が痛いからだなうん、咄嗟に動いたから。

 決して未来に対して動揺したというわけではない。

 未来に見えないように胸に手を当てながら深呼吸。


「まったく、ポンコツなんだから」


「ぽ、ポンコツ言わないでください!」


 顔を真っ赤にしながら怒る未来。

 この様子なら他のところでも言われるんだろう。かわいそうに。


 落ちてきた本を元あった場所に戻す。


「とりあえず今日の掃除はこんなところでいいかな」


 これ以上続けると余計な仕事が増えかねない。万が一にも、本棚が倒れでもしたら笑えない。死ぬ。

 半年間一度もこんなことはなかったが、この書庫はあくまでも予備。本棚の置き方やスペースも十分ではない。爆弾を抱えて掃除を続けるにはリスクが高すぎる。


 掃除道具を片付けて、ノートパソコンを置いてある席に座る。

 机は古い木製の大きい机で、僕の定位置は壁際の奥だ。


 その正面に、額を赤くした未来が腰を下ろす。


「髪にゴミついてるよ」


「え、どこですか? 取ってください」


 頭をこちらに向けてくる未来。この子、本当に心配になるくらい警戒心がない。


 何度目になるかもわからないため息を落として、未来の髪についていた糸くずを取る。


「あ、こういうのも小説のネタになりますね」


「そのネタ引っ張るね」


 だから別に小説のネタに困っているわけではないというに。


「小説のネタといえば!」


 話したくて仕方がなかったのか、未来は嬉しそうに笑いながら指を立てる。


「この高校、いろいろ面白い噂があるんですよ」


 僕の目の前にも面白いのがいる。口に出したかったが、話がいつになっても終わらない気がしたのでお口チャック。


「いろいろ聞くんですよ。プロみたいに学校内外問わず依頼を受けて写真を撮る写真部とか、夏休みに車で日本一周してきた先輩カップルがいるとか、その子がいると絶対に天気が晴れになる女の子とか、謎の青春団体があるとか」


 もはやなにを言っているのかわからない。


 写真部うんぬんはまあいいにしても、残りおかしいでしょ。どうやって高校生が車で日本一周? 晴れの国岡山を体現する少女? 青春団体とかいうパワーワード?


 未来が適当に作った話だという方が信じられる。


 しかし僕の反応を心待ちにしている未来を見るに、冗談を言っている様子はない。だからこそ質が悪いのだが。


「面白い噂だね。小説のネタにはなりそうにないけど」


「ええーそうなんですか? 残念ですぅ……」


 しょんぼりと肩を落とす未来。


 なにか罪悪感を抱かせるその仕草に思わず笑ってしまった。


「別に話が悪いわけじゃないよ。物語を書くためにネタになるかどうかは、自分の中で使えるかどうかだから」


「なんででもかんでも使えるわけじゃないってことですか?」 


「もちろん。化け物みたいな人は、どんなことでも小説に生かすんだろうけどね。僕にとっては小説の題材にできるかどうかはつまるところ、自分の心が動かされたかどうかだから」


 創作活動は意識せずに行うことはできない。

 創るという意志を込めて、創作活動を行う。自分の感情を込められるかどうか。

 楽しい、嬉しい、悲しい、切ない。

 どんなものでもいいが、動かされた感情が物語を想像する原動力になる。


「未来の話も、実際にその人たちに出会って、僕の心が動けば小説の題材にすることはできるかもね」


「そうなんですか……。小説を書くのって難しいんですね」


 再び露骨に肩を落とし、テンションを下げる未来。

 とにかく僕に小説のネタを提供したい様子。一体なにを考えてるのか。


 やがて未来は顔を上げて、やや熱のこもった目を窓の外へと向けた。

 視線の先には、青々とした空を横切る、飛行機雲がある。


「いいですよねこの高校。みんな、夢に溢れてて」


 ぼんやりと小さく、そんな言葉を漏らした。


 別に僕はそれほど夢を持つ人が多いと感じたことはないが、それは人それぞれだろう。


 でもたしかに、この高校は部活も多いしやれることも多い。夢かどうかは本人に聞かなければわからないし、自覚のない夢というのも十分ありえる。

 言われてみれば、中学校時代よりも生き生きしている人が多いかもしれない。


 夢というのは何年も先の将来を思い描くこと。今だけを刹那的に生きる人は必要としないものではある。しかし、生きるだけでは満足できない人種は一定数いるのだ。


 自分の人生が満足できる光り輝くものにするために、僕たちは夢を見る。


「未来はさ」


 僕は、ずっと思ってみたことを口にする。


「君にはあるの? 夢」


 少女は僕の方を見返し、そして笑う。


「ないですよ」


 さらりと、静かな第二図書室に感情がこもっていない声がこだまする。

 僕の言葉を気にした風でもなくそう答える未来からは、感情が読み取れなかった。


 未来はもう一度くすりと笑い、席を立った。


「もしこのあと用事がないなら、少し校内を散策しませんか?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る