少女の噂

 デイドリーム――いつも楽しい物語ありがとうございます!

 カザミ――地の文が多くてちょっとだれます。

 おーい紅茶――このヒロインいらいらする。

 虹玉模様――この物語の続編もみたいです。

 それとスマホカバー――ほっこり物語ここにあり。

 TAKAYAN――文章がところどころ変だけど面白い。

 仏ちゃん――なにが面白いのかわからない。


    Θ    Θ    Θ


 一日の授業が終わり放課後になると、生徒たちは慌ただしく動き始める。


 岡山県立瀬戸内高等学校、通称瀬戸高は県下最大規模の生徒数を誇る公立高校である。偏差値は平均として中の上くらいの比較的入りやすい高校だ。

 歴史ある高校だが、何年か前に校舎の大幅な改修と改築があったため校舎はぴかぴかだ。近年頻発している災害により倒壊の危険性があったとかなんとか。


 荷物を背負って教室を出ると、日課である場所に向かう。


 瀬戸高が人気であるポイントの一つに、部活動が盛んであるということが挙げられる。

 部活動を作ることが比較的容易で、校則が寛容であるため部活動の数がまあ多い。

 多種多様である故、休部や廃部で数も当然減る。だが、新たに作られる部活の数も負けておらず、新しい部活が雨後の竹の子状態だ。


 かくいう僕は、古くからある弱小部活に所属している。


 道中、ポケットに入れているスマホが軽く振動する。妹からのラインだ。


『今日バイトはー?』


 軽い感じで尋ねくる妹に、返事をする。


『今日と明日は休み。明後日は天音の代わりにレッツアルバイト』


『ういー。じゃあ晩ご飯用意しときまーす』


 と返事がきて、適当なスタンプを押して感謝を伝える。


 ついでに、最近では使用頻度が少なくなってきているアプリを立ち上げる。


 一覧で表示される投稿物を一つ一つチェック。閲覧数やコメントを確認する。

 相変わらず評価はそこそこ。人気もある程度はあるようだ。


 特にそれ以上なにも感じず、小さくため息を漏らす。


「おい春木」


 声をかけられ、スマホをポケットに押し込んで視線を前に戻す。

 一人の女性教諭が廊下のすみに立っていた。


赤磐あかいわ先生。こんにちは」


 現れたのは僕が所属する部活の顧問を務めている赤磐先生だ。

 二十代半ばという僕たちに近い年齢。男勝りの強い性格。スタイルもよい完璧美人風。いろんな属性も相まって、赤磐先生は瀬戸高でカルト的な人気を博している。


「今日も活動するのか?」


「はい。所属している以上、きちんと活動しないといけないですから」


 先ほど教室で言った台詞と同じものを口にする。


「相変わらず真面目というかなんというか……」


 やや呆れ、という感情が端正な顔の二つの目に浮かぶ。


「勧誘したのは私だが、一人でなにか困っていることとかないのか? 私も部の兼任が多すぎてあまり関わってやれなくて申し訳ないのだが……」


 部活動数が馬鹿みたいに多いとはいえ、教師陣が付随して多いわけではない。当然授業が問題なく行えるだけの人数はいるが、いかんせん部活動が多すぎる。


 僕は笑いながら小さく肩をすくめてみせる。


「ご心配ありがとうございます。でも大丈夫ですよ。これでも好きでやっているので」


「ならいいがな」


 もう一度綺麗な口から息を落とし、赤磐先生は出席簿をひらひらさせながら去っていく。


 僕も再び歩き始める。


 瀬戸校は並列するように全部で四つの棟が並んでいる。

 一つは教員棟であり、校長室や職員室、会議室や生徒指導室などの部屋がある。

 そして二棟目が四階建ての生徒棟で、一年生から三年生がまとめて押し込められている。

 三番目にある棟は実習棟で、家庭科室や理科室、図書室などがある。

 最後の四棟目は部室棟。あまたの部活のために、大量の部室が造られている。


 僕は部活動に所属しており、今も部活のために向かっている。

 だが僕の目的地は、部室棟ではなく図書室がある三棟目の実習棟だ。


 四階建ての最上階はほとんど丸ごと巨大な図書室になっている。

 僕が向かうべき部屋の図書室フロアの端っこ。最上階にある静かな図書室の前を通り過ぎ、フロアの隅に追いやられるように存在するその部屋へと向かう。


 第二図書室と呼ばれる部屋である。


 手持ちの鍵で扉を開けると、なじんだ感触と共に扉が開く。


 埃っぽい空気がふわりと広がり、古い本特有の甘い香りが鼻孔をくすぐる。

 部屋の広さとしては一般的な生徒が授業を受ける教室と同じ程度の広さ。部屋に入ってすぐの場所に、大きな木製の古い机がどかんと置かれている。机の上には一台のノートパソコンと数冊の本。

 そして空いたスペースには、大きな本棚が人が通れるぎりぎりの間隔で所狭しと、何列にもわたって連なっている。


 理路整然と並べられた隣の正式な図書室とは全く別空間。

 身もふたもないが、本の墓場のような部屋である。

 実際この部屋は、元々は図書室にあった古書や人気のない本、整理のために一時的に待避させられたかわいそうな本など。

 有り体に言って、読まれる頻度が少ない本を一緒くたに保管するための部屋。

 公的な図書館などにもある、書庫にあたる部屋だ。


 そして、僕が所属する『第二文芸部』の部室である。

 

 所属といっても、第二文芸部の所属してる部員は僕一人である。

 この瀬戸高には歴史もあり、県下最大の部員数を誇る正統派の文芸部が存在する。文芸に興味を示す生徒は、普通そっちの文芸部に入部する。


 当初僕自身も文芸部に入部する予定だったが、諸事情で文芸部に入ることをやめた。


 そのときに声をかけてくれた人が赤磐先生だ。数年前に部員がいなくなり、今年新入部員がいなければ廃部になるとのことで、なくなく入部することになった。


 そもそものきっかけは、入試時に面接官だった赤磐先生に文芸部への入部を考えていますと口走っていたこと。にも関わらず、文芸部に入部しなかった僕に目をつけた赤磐先生が勧誘に来たのだ。


 別に責められたわけではない。なぜ入部しなかったという問いに僕は理由を答えた。


 赤磐先生が戸惑っていたことは、半年近くの前のことだが鮮明に覚えている。

 ただ先生方が困っていることは本当だった。


 結局、入試時に口にしたことを反故にするのは気が進まず、第二文芸部への入部を決めた。


 以来、第二図書室である書庫を管理しながら、第二文芸部として細々と活動している。

 といっても本の保管に当たって必要なことは、ほとんど司書の先生が定期的にやっている。僕の仕事は日々の清掃、あとは書庫にある本の整理整頓くらいだ。


 なのでとりあえず日課の掃除から。


 清掃は毎日しているので、一度の清掃は長くかからない。手早く掃除を終える。


 書庫に一つだけある大机に腰を下ろし、机に置かれているノートパソコンを開く。

 このノートパソコンは学校の備品ではなく私物である。

 中学時代まではどこに行くにも毎日持ち歩いていたノートパソコン。しかし、第二文芸部に所属することになってからは、ずっと第二図書室に置かれている。

 十数文字のパスワードを入力しロックを解除、パソコンを立ち上げた。


 いざ作業に入ろうかと、意識を切り替えようとする。


「……」


 しかし、どうしても手が進まない。キーボードに指を触れたまま、時間だけが過ぎる。 

 長々と嘆息を落とし、腕を組みながら天井を見上げる。 

 不意に、ノックもなしに部屋の扉が開け放たれた。


「おす、叶太」


「……大和やまと、いつも言ってるけど入ってくるときはノックしてよ」 


 呆れながら唸ると、訪問者はあっけらかんと笑う。


「ノックっつってもこの部屋いるのは叶太くらいだろ? それともいきなり入ってこられた困ることでもしてるのか?」


「わからないじゃないか。僕が突然裸踊りがしたくなって、全裸だったらどうするの」


「写真を撮る。そして友だちにラインで回す」


 やめてください。


 単純にマナーの問題。だが、大和にそんなことを言っても無意味なのは一学期で学習済み。これ以上は言わない。


「だいたい二歳上に俺に呼び捨て私語で話してるお前に、そんなことを言われたくない」


藤堂とうどう先輩、部室に入るときは申し訳ないのですがノックをしていただけたらと」


「やめてくれ鳥肌が」


 どうしろというのだろう。


 藤堂大和とうどうやまと。身長一九〇センチ近くもある大男だ。運動部のように短く切り込まれた黒髪は、話し方も相まって男らしい。性格も見た目通りの大ざっぱな性格で粗雑な振る舞いも目立つが、根は素直でいい奴である。

 僕の二歳上で三年生。小学生に上がる前からの付き合いで、敬語なんて概念を持ち合わせていなかった頃からの知り合いだ。


 だから名前も呼び捨て、話し方も友だち以上に雑になることは仕方がない。


「また見て感想を頼む」


 大和はそう言いながら、簡易的に製本された文芸誌を差し出してきた。


「一通り目を通したら返すね」


 文芸誌を受け取ってパソコンの横に置く。

 大和はパソコンが開いていることに気がつき、少し眉を上げた。


「なんだ、書いてるのか?」


「……まあ、ぼちぼちかな」


 そう答えながらもノートパソコンのふたに手をかけ、パタンと閉じる。

 なにも書かれていない画面を見られたくない。


 大和は含みのある視線を向けてきたが、それ以上特に追求することはなかった。


「そういえば、ちょっと変な噂を聞いたんだが」


 大和はふと思い出したように口を開く。


「噂? 本泥棒が出るとか? ぶっ殺すからその情報詳しく教えて?」


「目がマジだよそんなこと言ってないだろ落ち着け違うから」


 おっと取り乱してしまった。付き合いが長いので、大和の前ではつい素が出てしまう。


 大和は乾いた笑いを浮かべたあと、少しだけ面白そう笑って僕の前の席にどかりと腰を下ろした。大きな体に机ががたりと揺れる。


「でも気になるか? 面白いネタなら小説に使えるもんな」


「……別にそんな理由で考えたわけじゃない」


 大和から視線を外し、ノートパソコンにそっと手を触れる。

 長年の相棒は、今でも変わらず僕の心を記してくれる。しかしもうずいぶん長いこと、なにも残せていない。


 僕の内心を知ってか知らずか、大和は笑みを浮かべて口を開いた。


「今年入学した一年生に、夢を喰らう少女がいるって噂がある。通称夢喰ゆめくい」


 あまりに突飛な話に、僕の目はごまのように点になっていただろう。


「えっと、それはあれかな。中国とかに伝わる、人が寝ている間の悪夢を食べる、あのバク?」


 頭に珍獣と少女が融合した謎の生命体が浮かび上がる。


「違う。夢は夢でも、人が寝ているときに見る夢じゃなくて、将来の夢とかそっちの夢」


 ……ますます意味がわからなくなった。


「いや夢を喰らうってどういうこと?」


 大和は片方の眉を下げて肩をすくめる。


「詳しい話はわからん。ただわかっているのは、将来の夢を強く持っている人間がその少女に関わると、自分が持っている夢をなくすって話だ」


「なくすって、夢じゃなくなるってこと?」


「打って変わって無気力になるらしい。あれだけ夢を追いかけていたのにその少女に会った直後、夢を追いかけることがなくなる。抜け殻のようになにもしなくなるってな」


 馬鹿げた話だと思った。

 これなら人が寝ている間に見る夢を食べるバクのほうが現実味がある。

 人が将来目指す夢を会っただけでなくすなんて、すごいファンタジーな話だ。


 だが大和は嘘や冗談を言っている様子はない。


「俺が適当に作ったんじゃないぞ。実際、少なくとも何人かは夢を諦めた生徒がいるらしい」


 大和の同級生である二年生に、料理人志望の女子生徒がいたそうだ。料理コンテストに何度も入選している実績があったにも関わらず、ある日を境に料理すら作らなくなったとか。いつも手作りだった弁当も、コンビニ弁当になったという変わりっぷり。


 二年野球部の元エースピッチャーは、今年の野球部は甲子園に行けるのではと言われているほど将来を望まれている逸材だった。プロも目指していたそうだ。だが突然プロを目指すどころか野球部を辞めてしまい、日夜励んでいた部活動の反動でなにもしなくなっているそうだ。


 二人に共通していることは、以前まで鮮烈な夢を抱いていたこと。ある少女と会ったことをきっかけに、夢を追うどころかなにもしなくなるほどの変貌を遂げているとこと。


 なにがあったのかはわからない。本人たちは知っているのだろうが、なにも語ろうとはしないらしい。


「なんでも美少女って話だ。叶太の知り合いにそういう女子いないのか?」


「わからないよ。バクみたいな顔してるならわかるだろうけど」

 

 元々瀬戸高の生徒数は膨大で、同学年であろうと全てを把握できるものではない。ただでさえ他人に興味の薄い僕に聞かれても困る。


 不意に、大和が真剣な表情を僕に向けているのに気がついた。


「叶太は、そいつに会うなよ」


 どういうつもりで大和が僕にそんな言葉を掛けたのかはわからない。考えられる理由はあるが、出てこないように頭の隅に押さえつけた。


 到底信じられる話ではないが、噂の少女らしき人物を図書室とこの第二図書室周辺で時々見かけるという話があったらしい。それで一応僕に告げておきたかったとのこと。


 大和は持ってきた文芸誌を頼むぞとだけ言い残して、自分の居場所へと帰っていた。


「夢を喰らう少女……か」


 一人になった第二図書室で、小さく呟く。


 少しだけ、興味がわいた。


 同じような人間が、他にもいるのだと。


 しかし、すぐに考えるのもバカらしくなって席を立つ。

 読み終わった本を図書室に返すのを忘れていた。といっても図書室は隣だが。昨日の夜に読み終わった数冊の本を手に、第二図書室を出て図書室に向かう。

 渡された文芸誌に目を通すという仕事もできたことだし、用事を済ませて集中しよう。


 図書館は実習棟でもっとも人の集まる場所だ。放課後ということもあり、それなりに多くの人が利用している。


 返却口にいた見慣れた図書委員の先輩に、借りていた数冊の本を返却する。


「……げ」


 だが、すぐに会いたくない顔を見つけてしまい、自分の顔が引きつるのを感じる。


 相手もこちらに気がつき、ナメクジを食べてしまったような形容しがたい表情になる。


 図書室で騒ぐことはできない今日これ以上図書室に用はない幸い第二図書室に逃げ込んでしまえば鍵を閉めていればいいだけの話――


「ちょっと」


 と思考を高速化させたが、図書室を出ると同時にすぐ捕まってしまった。


「はぁ……」


 気づかれないようにため息を落としながら振り返る。


 そこにいたのは、僕よりずっと低い位置にある小さな生命体。

 140センチというミニマムサイズ。大男の大和と比較すれば、巨人とホビットくらいの違いが存在する。明るく染められた長い茶髪のポニーテールが、気の強い性格を助長させている。

 首元の崩して結んでいるリボンは僕のネクタイと同じ赤、同じ一年生である。


「第二文芸部の日陰者が図書室でなにしてるのよ」


 散々な言われ方であるが、いつのもことなので気にしない。


「か弱い貧弱者は、文芸部一年エース御崎みさきさんの許可なしに図書室を使っちゃダメかな」


 ただでさえ不機嫌そうな顔がさらにむっと歪む。


 御崎詩織みさきしおり

 文芸部に入部したばかりの一年生でありながら、文芸部のエースと言われている部員である。


「あんたって本当にムカつく」


「ごめんなさい」


 こちらに非があるのかは甚だ疑問であるが、とりあえず謝る。秘技、空っぽ謝罪。


「きちんと活動してるんでしょうね」


 このお方はどの立場の人間なのか本当にわからない。いつものことなのだが、僕や第二図書部に、住み処を攻撃されたタコのように絡んでくる。正直勘弁してほしい。


「活動っていっても大所帯のそっちと違ってこっちは僕一人。細々と書いた小説を投稿している。閲覧数もまずまずってところだよ」


 自分から聞いておいて僕の答えになにが不満なのか、御崎さんの視線がさらに険しくなる。


 御崎さんが絡んでくるのは、僕が第二文芸部に入部したときからだ。他の文芸部員には、同じ文芸好き同士良好な関係を築けている人もいる。


 だが、御崎さんだけは僕を目の敵にしている。


「じゃあ、書きかけの小説見せなさいよ」


「……」


 もはやなにがじゃあなのか意味不明である。行間を読むのに超能力を使ってるレベル。

 だいたい、書きかけの小説なんて人に見せられるものではない。


「悪いけどこの後先生に呼ばれているんだ。急いでいるから、それじゃ」


 答えを待たずに歩き始める。


「ちょっと待ちなさいっ」


 静止の声と共に追いかけてくる御崎さん。

 角を曲がり階段が目に入ると同時に、いつも通り男らしい手段、全力ダッシュ逃避。


「あっ――」


 特に用もないのに御崎さんは追いかけてくる。本当に真剣に追いかけてくる。

 それがわかっているからこそ、こっちも本気で逃げる。


 後ろから叫び声が追いかけてくるので一気に一階まで駆け下る。廊下に誰もいなかったことをいいことに忍び足で廊下を走り抜け、校舎反対側の階段を今度は一気に駆け上がった。

 運動部ではないが運動にはある程度自信がある。御崎さんが一階に下りてくる前に、反対側の階段を上り始めた僕を捕まえることなどできるわけもない。


 しかし、このまま図書室に戻れば御崎さんが戻ってきかねない。第二図書室は確実に探される場所。居留守を使ってもいいが、一度怒り始めた御崎さんに外でぎゃんぎゃん言われるなんてたまったものではない。


 だから行き先を変える。四階の階段のさらに上、屋上への階段を上っていく。

 瀬戸高は校舎全ての屋上が開放されている。落下事故防止の柵がぐるりと巡り、あちこちに置かれたベンチで生徒が談笑できるようになっている。


「はぁ……やれやれ……」


 四階をダッシュで上り下りし、乱れてしまった息を整える。

 よろよろと隅まで歩いて行き、深々と息を吐き出してフェンスに寄りかかる。


 空は既に赤みを帯びており、屋上を風が撫でていく。昼間は残暑厳しいが、日が傾き始めたこの時間ともなると風に秋を感じる。


「……」


 フェンスにかけている手を握る絞めると、金属がすれた嫌な音がした。


 実習棟の隣にある部室棟、さらに向こうには岡山の街々。そして岡山市の端に切り込むように隣り合わせの海と湖、児島湾と児島湖がある。


 僕が生まれ育った、岡山という街がここから見渡せる。


 瀬戸高に入学して、そろそろ半年。


 入学すればなにかが変わるのかと思ったが、結局なにも変わらない。最初からなにか変わることを期待していたわけではないと思っていた。しかし、こんなことを考えてしまうあたり、本当は変わることを期待していたのかもしれない。


 自分自身のことが、時々わからなくなる。


 この場所から見渡すことができる景色が、僕が生きてきた世界の全て。


 僕はこの街で普通に暮らすちっぽけな高校生。

 そんな僕に、なにができるだろう。なにができると、思い上がっていたんだろう。


 もうじき、決めていた期日が来る。そのときが来てしまえば、完全に終わりだ。


 僕の夢が、終わる。


 不意に、一際強い風が屋上のコンクリートを、僕の体を撫で下ろす。


 視界の隅で、ふわりとなにかが広がった。


 一人の女子生徒が、僕と同じように夕焼け屋上に立っていた。


 光を放っているかのような錯覚に陥る綺麗な黒髪が、風になびき舞う。膝丈まであるスカートが風で広がり、白いブラウスの上で赤のリボンが揺れる。同じ一年生の女子生徒。見覚えがない子だった。


 風が止み髪が降りると、女子生徒がこちらに気がついた。

 再び流れそうになる髪を綺麗な手で押さえながら、僕の方を向く。


 息をのむような、綺麗な女子生徒だった。

 おそらくほとんどの人が美少女と形容する整った顔立ち。くりっとした目に長いまつげ、染み一つない肌。おおよそこの世の人とは思えない容貌は同級生だとは思えなかった。


 そしてなぜか、理由はわからない。


 先ほど、大和から聞いた少女の話が頭を過ぎった。


「……っ」


 見入っていると、秋風の向こう側で綺麗な少女が儚げに微笑んだ。


 夢喰いの少女。


 この少女が噂の女子生徒である理由など一片もない。

 だが、夢喰いの少女という異名にふさわしいと思える、現実離れした笑みだった。

 細く薄い口から、鈴のように心地よい声が流れ出す。


春木叶太はるきかなたさん、ですか?」


 突然名前を口にされ、思考が停止する。


 その姿に見覚えも、声音にも聞き覚えがない。

 しかし耳の奥で反芻するその名前は、間違いなく自分のもの。


「君は……誰……?」


 僕の答えを肯定と受け取り、少女は自身の胸に手を当てる。


「私は桜葉未来さくらばみらい。春木叶太さん――」


 そして、ふんわりと消え入りそうな笑みを浮かべる。



「――あなたの夢はなんですか?」

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