自分たちのこと -1-

 あの日から、ほとりは高校に出てこなくなった。


 同じクラスである桃子からの情報では、風邪という理由で休んでいるらしい。金曜日の今日までの数日間、一度も登校していない。


 俺にはもちろん、桃子や湊斗にすら連絡を入れることなく休み続けた。桃子がしつこく電話をかけ続けて、ようやく連絡が取れたらしい。今日はお見舞い突撃をすると言っていた。


 幸か不幸か、先日まで慌ただしかった写真部への依頼は落ち着いている。元々撮影依頼がないときの活動は、部室でお茶や談笑をすることを除けば、ほとんどなにをするにしてもほとりが発案して活動していた。撮影依頼もなく、ほとりもいなければ活動することはない。


 写真部で楽しく写真を撮っていた日が、もうずいぶん前のことに感じられる。


 一色さんを紹介した赤磐先生も、なにかあったことは察していた。ほとりもあの日から休んでおり、明らかに空気がおかしな写真部を見れば、誰だってわかっただろう。

 ただ、なんと答えていいかもわからず、なんでもないと言っている。


「……」


 金曜日の放課後、俺は誰もいない写真部の部室で、一人小説を広げていた。


 これまで、ここで俺が本を読んでいたときは、いつもほとりや、桃子や湊斗がいた。けど今は、俺一人だ。


 文字列から顔を上げると、机の上に寂しく置かれたカメラが目に入る。


 ほとりが部室に置いていったカメラ、D80。ほとりから、こぼれ落ちてしまったカメラだ。気になって触ってみたのだが、ほとりの鞄がクッションになったのか、幸いピントのずれや歪みなどもないようだった。あのほとりにとって、とても大事なはずのカメラがあんな風に扱われたこと。そして、そのまま取りに来ることがないほとり自身。起きてしまったこと、そしてこの現状に、俺は自分でも呆れるほど暗い感情に思考を埋め尽くされていた。


「ああ……くそっ……」


 悪態とともに乾ききった口から息を吐き出し、乱暴に髪を掻き上げる。


「なにやってんのさ」


 突然飛んできた言葉に、目を丸くしながら声がした方を見やる。

 入り口横にある小さな机の前で、一時間ほど前に隣の席に座っていたやつがお茶を淹れていた。


「……なんだよ。来てんなら声かけろよ」


 こちらを振り返った湊斗は呆れた顔をしていた。


「声をかけるもなにも、部室に入ってきても気がつかない真也がおかしいんだよ。大体、ホームルームが終わったら死人みたいな顔して教室出て行くし。一人でなにしてるんだか」


 普段湊斗が座っている場所には、いつの間にか外された眼鏡が置かれていた。

 ホームルームどころか、ここ数日の記憶がずっとあやふやだ。授業もまともに聞いた覚えはない。何度か先生に注意をされた気はするが、それすらも聞き流していた。


 湊斗の責めるような視線から逃れるように、本に視線を戻す。


「なにしてるって、本を読んでるんだよ」


「僕がこの部屋に入ってきて十分くらいたつけど、一ページも進んでいないよ」


 言われてようやく文字を意識する。進むどころか、開いているページの内容さえわからなかった。

 ため息を落としながら、本を閉じて机に置く。自分が重症だなんてこと、最初から知っている。


 コトリと、机の上にティーカップが置かれる。琥珀色の紅茶から、甘い香りが漂っていた。


「心が元気になるハーブティー」


「……サンキュ」


 なんのハーブティーか気になったが、聞いてもわからないのでそのまま口をつける。

 火のように熱い紅茶が、心地よく喉を滑り落ちていく。数日ぶりに、おいしいという気持ちが巡った。


 あの日、そして今までも、俺の口から桃子と湊斗に説明らしい説明はできていない。二人はある程度のことを察しているようで、特に追求や責問もなかった。それが逆に情けなく、やるせない。


 湯気が立ち上るティーカップに目を向け、そして机に置いた。


「知らなかったんだよ、俺……」


 気がつけば、口を開いていた。


 反対側で同じように紅茶を飲んでいた湊斗がこちらを見やる。


「あいつさ、本当に楽しそうに写真を撮るだろ? 嬉しそうに、幸せそうに、生き生きしてさ。いつもいつも、笑って」


「うん、そうだね」


「……だからさ、あいつが悩んだり、苦しんだりしてるなんて、考えたこともなかったんだよ」


 言いながら、それがどれほど馬鹿らしく、浅慮だったかを思い知らされる。 


 俺にとって、そしてあいつにもそうであるように、写真はもう自分自身にとってなくてはならないもの。生きることの一部になっている。


 でもだからといって、なにも存在しないわけがなかった。

 穏やかな笑顔の裏に、何気ない言葉の内に、楽しいと感じていた日々の中に、あいつの痛みや苦しみが、たしかに存在した。


 手を伸ばし、ほとりのカメラに、そっと触れる。


「あいつがなにを考えているか、どんな気持ちでいるかを深く考えもしないで、俺は……」


 カメラの向こう側が見えない。

 俺には想像することしかできないその世界を、ほとりがどんな気持ちで見ているか。どんな思いで、写真を撮ってきたか。

 あの日、これまで誰にも吐露できなかった苦しみとともに吐き出された声が、今も脳裏から離れない。


 もっとほとりの気持ちに寄り添って、話を聞いて、一緒に考えるべきだったんだ。


「俺、写真を撮ることもそうなんだよ。俺は人の写真を撮ることが苦手だ。ほとりと違って見ず知らずの人にまでカメラを向けて、怖がらずに写真を撮るなんてこと、俺にはできないんだよ」


 カメラは鏡だと、青葉さんは言った。


 写真に写る世界は、自分自身を写したものだと。写真に写る人は、俺に向けられる気持ちを写したもの。

 俺が人を撮ることを苦手としているのは、俺が他人を苦手としているから。相手から俺を苦手だと思う気持ちが向けられると、感じているからだ。


 人の写真を撮っているのは、身の回りの気心の知れた相手か、写真撮影を頼まれた記念に撮らせてもらっているくらいのものだ。

 俺は昔、明らかに周囲とは違う子どもだった。優れているわけではなく、劣った子どもだったと自分では思っている。そのとき、周りから向けられていた気持ちを今でも覚えている。


 深々とため息を吐き出し、殴り飛ばしたい顔を手で覆う。


「俺は、ほとりなら大丈夫って勝手な希望を押しつけて、なにもしなかった。ただ考えたり思ったりしただけで、ほとりにはカメラがあるから大丈夫。きっといつかどうにかなってくれるって、ただ眺めていただけなんだよ。ほとりが望んでいたのはそんなものじゃなかっただろうにな……」


 結局、俺はほとりを傷つけただけだ。


「僕は写真を撮らないから、あまり知ったかぶりなことは言えないけどさ」 


 湊斗は小さく肩をすくめ、窓の外へと視線を逃がした。

 葉っぱだけになった桜の木の枝で、仲良く数羽のスズメが体を踊らせていた。


「早く仲直りしてよね」


 あまりにありきたりで的外れな言葉に、俺は危うく椅子から転げ落ちそうになった。


「あのな……別に俺たちは喧嘩してるわけじゃないんだよ」


「喧嘩じゃなくても同じようなもんでしょ? 僕はぎすぎすした空気が一番嫌いなんだ。せっかく写真部に入ったのに、勘弁してよね」


 やれやれといった様子で紅茶に口をつける湊斗。


 その言葉に、俺は首を傾げる。


「お前が写真部に入ったことと、俺たちの問題は関係ないだろ」


「言ったでしょ? 僕が写真部に入ったのは、写真部の空気がいいと思ったからだよ」


「……えぇ? それ、マジで言ってたのか?」


 自分でも信じられないほど、素っ頓狂な声が喉から出た。


 頬をひくつかせる俺に、湊斗は楽しげに笑みを浮かべる。


「僕、憧れたんだよ。真也たちに」


 恥ずかしげもなく、湊斗は言った。


「自分で言うなんて馬鹿だってわかってるけど、僕は人から好かれやすい。真也もそういうところあるけど、僕はもっとわかりやすく人から好かれやすい。顔立ちとか性格とか雰囲気とか。自分でやっていることもあるけど、好意を持たれることは自覚している」


 次第に、湊斗の表情から笑みが消えていく。いつもの冗談や自虐ではなく、本心からの言葉。


 湊斗は机の上に置いていた眼鏡を指で弾いた。


「そうしているとみんな、自分が好きな僕から好かれようとする。男友達も女友達も。お話しして、一緒にご飯を食べて、遊びに行って。そうすると絶対、お互いなんとなくぎすぎすするんだよね」


 それは、なんとなくわかる。

 湊斗は顔もよく性格もよく、人から好かれやすいことは、自他共に認める事実だ。そして、周囲の人間は湊斗に好意を持たれようと行動する。男女関係なく、湊斗に快く思ってもらおうと行動を、意識的か無意識か。


 女性陣はあわよくば湊斗と付き合えるか、そうでなくとも親しくなれるか。男性陣は湊斗に近づいてくる女性と仲良く、お近づきになれるかも。そんなことを思っているのかもしれないが、結局のところ同じように、自分の方が好かれようと。


「でも真也や、ほとりさんや桃子さんはさ、僕にそんな余計な気を遣わない。僕のことを当たり前の、一人の友だちとして接してくれる。そんな写真部の関係に、憧れた」


「……」


 なにを馬鹿な、と一瞬思った。俺たちの関係なんて、特別なものでもなんでもないのに。

 でも湊斗の表情には、冗談なんて欠片も含まれていなかった。


 端正が顔が、ふっと緩む。


「それに、真也やほとりさんは、僕に夢をくれたから、一緒にいるのもいいかなって思った」


「夢……? なんの話だ? 小学生のときの話か?」


「真也が転校する少し前だから、小学四年生くらいのときだったかな。クラスでも中心にいた女の子二人が派手に喧嘩したことがあるんだよ」


 懐かしそうに笑いながら、湊斗は自らが入れた紅茶に視線を落とす。


「いつも一緒にいてすごく仲がよかったのに、急に大喧嘩を始めちゃうもんだから、クラスの空気がぎすぎすしっぱなし。針のむしろだったよ。先生たちも手がつけられなくて、大変だった」


 ……申し訳ないが、まったく覚えがない。


 正直小学生の俺は、新しく覚えた写真というものが楽しくて仕方がなかった。日夜、寝る間も惜しんで写真を撮っていた記憶しかない。写真を撮っていないときは、休みはどこに写真を撮りにいこうかとか、こんな写真が撮れたあんな写真が撮れたらとか。ほとりと写真の話をしていたくらいの記憶しかない。


 俺の反応から考えていることを読み取ったのか、湊斗は吹きだして笑った。


「真也とほとりさんって、クラスの面倒事なんかに興味なかったもんね。二人で毎日写真の話ばっかりしてさ。ほとりさんは恥ずかしそうでもみんなに写真を見てもらうのが楽しそうで。真也はなにを考えてるかわからないやつだったのに、写真の話だと嬉しそうに笑って」


 それは褒められているのだろうか、馬鹿にされているのだろうか。微妙なところだ。


「でも、さすがに一週間もぎすぎすした空気が続けば気づいたみたいでさ。ほとりさんと真也がすぐに二人に言ったんだ。『ついこないだまでこんなに仲がよかったのに、なんで二人は仲が悪くなっちゃったの?』ってさ。二人が笑い合って写っている、楽しい写真を見せて」


「……」


「離れて見てた僕は呆れちゃったよ。なにを馬鹿なことを言っているんだろう、この二人って。いくら仲がよかったって、些細なきっかけで喧嘩するなんて当たり前のことなのにさ」


 ……耳が痛い。今の俺が聞いても本当に同意見である。


「だけど、結局その二人は毒気を抜かれて、少しだけ話をしたりして、前と同じって訳じゃなかったけど、クラスの空気はずっとよくなったよ」


 紅茶を飲み干し、湊斗は立ち上がって再び自分のカップに紅茶を注ぐ。


「そのとき、わかったんだ。僕はみんなの空気が悪いことが苦手、嫌いなんだって。たしかに、昔も今も、僕に好かれようとする人たちを快く思えないのも事実だけど、みんなが苦しんだり辛い思いをしたりするのが、一番嫌なんだって」


 だから、と少し恥ずかしそうに湊斗は笑う。


「人の心を癒やせるセラピストっていう仕事があることを知って、僕は人の心を癒やすことができる仕事がしたいなって、思うようになった」


 その一環が、この紅茶やアロマ、動物たちなどのセラピーということらしい。


「まあその二人はそれだけじゃ仲直りはしてくれなかったけど、僕が取り直したらすぐに仲良くなってくれたよ。そこまで持ち直してくれた、真也たちのおかげでね」


「……なんでお前が取りなしたら仲直りするわけ?」


「元々どっちが僕の彼女になるかって始まった喧嘩だったからね。僕は仲のいい二人が大好きだよ、って言ったら元通り」


「死ねばいいのに」


 なんだよそのマッチポンプ。自分が理由で炎上しているものを自分で鎮火、あまつさえそれで夢を見つけるとか、こいつマジでなんなんだよ。


 呆れて頭を抱える俺に、湊斗は声を上げて笑った。


「二人とも、昔からカメラが好きで写真が大好きで、馬鹿みたいに素直で正直で。そんな二人と同じように、僕に気を遣わず接してくれる桃子さんがいる写真部に、入ってみようと思ったんだ。おかげで毎日が本当に楽しい。だから、早くほとりさんと仲直りをしてほしいわけだよ」


「……だから、喧嘩じゃないって言ってるだろ」


 長い前振りから本題に戻り、俺はため息を落としながら紅茶を飲んで渇いた口を潤す。


「俺はずっと、あいつに写真を続けてほしいっていう理想を押しつけてきた。写真を撮ることが辛いとか、苦しいとか、写真を止めたいって考えているなんてこと、気づきもしなかった」


 俺ができたことなど、一緒に写真部にいたくらいのことだ。


 勝手な理想と願望を押しつけて、ただ時がたてばどうにかなると思っていた。

 ほとりだから大丈夫。写真があるから大丈夫。カメラがあるから大丈夫。

 なにが大丈夫なものか。あいつにとって写真が大事だからこそ、大丈夫などではないというのに。


「俺が今更、どの面下げてあいつに声をかければいいんだよ……」


 根拠も理屈もなかった。ただ、俺がそうあってほしいから、そうなくてはおかしいからと、考えることさえしなかった。


 少なくなった俺のティーカップに、湊斗は紅茶を注ぎながら長々とため息を吐き出した。


「さっきから話を聞いていて思ったんだけど、なにもしなかったとか、声をかければいいかとか。真也、なにかすることを、してもいいかどうかばっかり気にしてるよね?」


「……」


「実際は、自分の中で答えは出てるんでしょ? きっと、僕なんかじゃわからない、ほとりさんのこと、本当はなにか気づいてあげてるんじゃないの?」


 心を見透かされたような言葉に、俺は喉が詰まる。


 ――私の写真なんて見てくれてないんでしょ! 写真のことだって気づいてくれてない!


 怒りと悲しみ染まった声で放った、ほとりの言葉が脳裏を過ぎる。


「でも……」


 吐き出した声は、震えていた。


「それでも俺は、わからないんだよ。あいつが今、写真をどう思っているのかなんて。そんなあいつに、俺がなにを言えるって」


「はぁああああ」


 俺の言葉を遮り、湊斗が面倒くさそうに嘆息を吐き出した。


「真也は本っ当に、いつも死んだマグロの目をしてても妙なところで鋭いのに、ほとりさんのこととなるとナメクジみたいに鈍感だよね。相変わらずユニークだ」


 散々なことを言われている気がする。いや言われている。


 心底呆れた様子の湊斗が肩をすくめた。


「真也はさ、ほとりさんが写真を撮ることが辛い、苦しい、写真をやめたいっていうけどさ、本当にほとりさんが考えていたことはそれだけだって思う?」


 湊斗は、今俺たちがいる部室に目を向ける。


「ほとりさんが本当に写真をやめたいんなら、カメラの向こう側が見えないのに、わざわざ休部状態の写真部を再発足させてまで写真を撮り続けることなんて、できるわけないでしょ? 楽しいからやってるんだよ、ほとりさんも」


「……楽しい?」


「そうさ。さっき真也も言ってたでしょ? ほとりさんは楽しいそうに写真を撮るって。僕もそう思うよ。それでほとりさんは、僕たちの中で誰よりも写真部が好きなんだよ。いつも一番最初に部室に来て、いつも写真を見て、カメラを触って、写真を撮って。それは、ほとりさんが写真部を好きで、写真を撮ることが楽しいからだよ。僕自身、写真部は楽しいよ。真也はどうなの? 写真部、楽しくないの?」


 写真部が、楽しいかどうか。

 湊斗から向けられた言葉が、当たり前の事なのに、自然と心の中に広がっていく。


 そうだ。俺も、この写真部が楽しいと思ってきた。何度も、何度も。

 誰かに求められた写真を撮ったとき。写真部で買い物に行ったとき。カフェに行ったとき。みんなでご飯を食べたとき。

 みんなで、写真部で、ただ時間をともにしたとき。

 岡山に戻り、瀬戸高に入学し、俺は当たり前の毎日を楽しいと感じていた。


 ほとりはどう思っていたんだろうか。

 苦しいばかりだったんだろうか。

 辛いばかりだったんだろうか。

 楽しくは、なかったんだろうか。


「……ああ、楽しい。楽しいよな写真部」


 口にして、言葉にして、確実に気持ちへと変わっていく。当たり前の事実を、思い出す。


 肺の空気をもやもやとした感情と共に一気に吐き出し、乱暴に頭をかき回す。


「そうだな。いい加減、本当に馬鹿らしくなってきた。湊斗の言うとおり、俺も昔みたいに素直に正直に馬鹿みたいに、ほとりに思ってること、伝えればいいんだよな」


 両手でバチンと自らの頬を打つ。鈍い痛みと共に、ゆっくりと熱が広がっていく。


 人付き合いが苦手だからなにもしないんじゃない。思っていることを言った結果、またほとりを傷つけることを恐れていただけだ。


 だけど、そうじゃない。そうじゃないんだ。


 きっと今あいつが求めているのは、そして俺が求めているものは――


 そして久々に、思わず笑みが漏れた。


「ありがとうな、湊斗。今ほど、お前が写真部に入ってくれてよかったと思ったことはないよ」


「……僕そろそろ泣くよ? ここまで人に言わせといてさ。頭がユニーク真也め」


 俺は笑い、遅れて湊斗も笑い始めた。


 そのとき、部室の扉がノックされた。


 一瞬、ほとりかと思ったが、部員のあいつがノックするわけもない。そもそも今日は登校していない。


「どうぞ」


 声を出せないでいる俺の代わりに湊斗が返事をすると、部室の扉が開いた。


「こんにちは。今日はお二人だけなんですね」


「ああ、早乙女さん。いらっしゃい」


 写真部にやってきたのは早乙女だった。先日の浴衣姿とは打って変わり瀬戸高の夏服だが、早乙女が着るとそれだけで大人な雰囲気になっている。


「ほとりさんは体調不良で休んでるんだ。桃子さんは今日お見舞いに行っているよ」


「そうだったんですか……」


 少し落胆した様子を見せるに早乙女に、俺は尋ねる。


「なにか用でもあったのか?」


 早乙女の目がわずかに揺れ、ばつが悪そうに眉根を寄せた。


「先日、美観地区で初瀬さんに失礼なことを言ったのではないかと、あとで思いまして……」


「失礼なこと?」


「えっと、なんで写真を撮るかって……」


 ああ、その話か。


 その問いのあとすぐ、早乙女は帰った。質問された直後、一見ほとりがなにか気にしている様子はなかった。ただ聞き方によっては、たしかに失礼に感じることもあるだろう。

 写真を撮ることを悩んでいたほとりにとって、早乙女の問いに複雑な気持ちを抱いたことは事実だ。しかし、それは早乙女が悪いわけではないし、責任があるわけでもない。


「それで、先日突然帰ってしまったことのお詫びもかねて、写真展のプレオープンのお誘いに来たんです」


「写真展のプレオープンって、岡山でか?」


「ええ、十万人写真展という写真展です」


 十万人写真展。その写真展は知っている。


 日本のカメラメーカーが毎年行っている、参加型写真展だ。参加人数が増える度に名前が変わっており、元々は五万人写真展や八万人写真展などだった。今年、ついに参加人数が十万人を突破したらしい。アマプロ関係なく参加できる写真展で、応募した作品は必ず出展されるという、一風変わった写真展だ。


「それで今年、参加者数が十万人を突破した記念に、過去開催された写真展で入選した写真を、日本全国あちこちで一挙に展示することになったんです。私の父が運営に関わってまして、特別にチケットをもらったんです」


 それはずいぶんビッグなお誘いだ。

 以前のあいつならこの場で狂喜乱舞していただろう。


 だが、今のほとりを誘っても見に行くことはない。

 なんと答えようかと迷っていると、早乙女が思い出しように手を突いた。


「そうでしたそうでした。聞きたかったんですけど、初瀬さん、お兄さんがいるんですよね?」


「……ああ、いるよ」


 正確には、いた、だが。


 それを聞いた早乙女は、嬉しそうに胸の前で手を合わせた。


「やっぱり。以前の写真展で、初瀬さんという方の写真をお見かけした気がしてたんです。岡山出身で名前が同じってくらいの共通点だったんですけど。それだけでもびっくりなんですけど、実はその写真が一枚じゃなくて――」

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