古都の和装美人 -3-

 カメラマンさんは十分に撮影ができたとお仕事終了。


 写真部としても相当数の写真を撮影できた。


 そして早乙女も含めた俺たち五人は、遅めの昼食に倉敷美観地区へと再び繰り出した。


 ほとりと桃子は既に制服に着替えており、浴衣はレンタル販売店さんに返している。

 早乙女も浴衣を脱いで落ち着いたワンピースに着替えていた。珍しい服装ではないのだが、美人の早乙女が着ると格段に雰囲気がよくなり、依然お嬢様成分を空気中にきらきらと振りまいている。浴衣姿のときから減りもせず観光客の視線を一挙に引き寄せているのはさすがである。


「私までお昼をご一緒しても、本当によろしいんですか?」


 当のお嬢様は、自分がどれだけ注目されているか気づきもしない様子で尋ねてきた。


「もちろん。写真部としてもたくさん協力してもらったら、ご飯くらいお礼をさせてほしいかな」


「そうっすよー。こっちには赤磐先生から賜った樋口先生があるんすから!」


 声高々に叫ぶ桃子の隣で湊斗が曖昧な笑みを浮かべている。恥ずかしいからやめてくれ。


 俺たちが昼食に選んだお店はベーカリーカフェだ。一階で焼きたてのパンを販売しているベーカリーで、二階では買ったパンでお茶ができるようになっている。写真撮影に熱が入ってしまったため、時刻は午後二時過ぎ。ごった返す飲食店からほどよく人がはけ始めている。人気のスポットであるため心配だったが、時間も時間なので案外すんなり入ることができた。


 俺とほとり、それから早乙女は先に席を取るために二階へと上がる。パンは食べ物の自信ありと胸を張る桃子と、パン持ち係である湊斗がまとめて買ってくることになった。


 二階のフードスペースにもまだそれなりに人が残っていたが、入れ違いでちょうど六人掛けの席が一つ空いた。他に座る人もいないようだったので、遠慮なく座らせてもらう。


 奥から俺が座り、その隣にほとり、俺の向かい側に早乙女が座る。


 持ってきていた荷物の中からノートパソコンを取り出し、撮影したばかりの写真が入ったメモリーカードをスロットに差し込む。撮影した写真はカメラに備わっているモニターでも確認することはできるが、やはり最終確認はパソコンを用いるべきだ。些細なピントのずれや写り込んだゴミなどは、カメラの小さなモニターでは気づかないことがよくある。さらに、撮影したばかりの写真を撮影したカメラでそのまま確認すると、どうしても先入観が災いし、いい写真かよろしくない写真かの判断が曖昧になるのだ。


 撮ったばかりの写真というのは、案外そのときは最高の写真に見えるもの。後から見ると全然ダメだったみたいなことはしょっちゅうある。今回は失敗もできず、時間もない撮影依頼だ。最低限きちんとこの場で確認する。


「はい、真也君」


 ほとりからもメモリーカードを受け取り、外付けカードリーダーで同時にコピーしていく。


「本当にお二人とも写真撮影に熱心なんですね。中庭にいらしたときもそうでしたけど、本当に素晴らしいです」


 嬉しそうにころころと笑いながら早乙女は言った。


「そ、そうかな。私の写真なんてまだまだ全然だよ。真也君の写真はすごいと思うけど」


「部長がそんな謙遜するなよ。お前の写真が依頼主に選ばれることの方が多いだろ」


 俺は人を入れない風景写真などならきっちりとした写真を撮ることができるが、やはり人を含めた写真となればほとりの方が上手い。というより、たとえ人がいたとしても関係なくがんがん写真を撮りにいくほとりのようなことは、俺にはできない。どうしても、写真を撮る際に人の視線を気にしてしまう。


 自分の写真の出来を気にしながら撮る俺と、ただ自分が撮りたいと思ったものを撮るほとりとでは、写真にこもる思いが違ってくる。

 ほとりはカメラの向こう側を見ることができないが、それでもほとりが撮る写真は俺にはいい写真だと思う。


 決定的な違和感は変わらず存在している。正確には以前の写真にあったものがなくなっているのだが、それでもほとりの写真は、人の目を惹くのだ。


 撮り終えた写真をパソコンにコピーし終えると、早乙女も見える位置にノートパソコンの画面を広げる。

 いつもなら使えそう写真と使えない写真の選別を行うところだが、さすがにここでやるには時間が足りない。写真をスクロールしながら全体的な写真の是非を確認していく。

 俺の横からほとりがのぞき込み、反対側では早乙女が物珍しげに見入っている。


「わ、私たちが撮った写真をこんな風に見られるって、やっぱり恥ずかしいかな……」


「どれもいい写真ばかりですよ。素晴らしいと思います」


 ちらりと視界の隅に映った早乙女の目には、一瞬引っかかりのようなものが見えた気がした。


 俺は努めて気にせず、写真の選別を進めていく。


「でも、風景写真ってやっぱり難しいね。お兄ちゃんなら、もっと上手に撮れると思うんだけど」


 自らが撮った写真を見ながら、ほとりが悔しげに歯がみをする。


「そういえば、お兄さんも写真を撮られるんでしたわね」


 何気なく出した話題に、ほとりがさっと顔色を悪くする。


「ああ、風景写真を撮るのがすごいうまい人だよ」


 早乙女には青葉さんのことは話していないので、さらりと話を引き継ぐ。


「それより早乙女はさ……」


 パソコンを操作しながら早乙女に話を振って適当な会話をしていく。


 俺は会話をしながらも、先ほどのほとりの言葉を思い出していた。

 ほとりは時々、青葉さんに対する憧れのような、劣等感のようなものを口にすることがある。青葉さんの写真は、子どもの俺が見てもすごい写真だった。綺麗な写真を撮る、整った写真を撮る、なにを伝えたいかがはっきりわかる写真を撮る。言い方はいろいろあれど、青葉さんの写真はそういう写真だった。


 しかし、別段プロのような写真だったかといえばそういうわけではなかった。ただ、人の目を、心を惹く写真を撮る。そんな写真。青葉さんの写真はどちらかと言えば人よりも風景が多く、ほとりはその頃から人の写真ばかりだった。


 けど、今は違うとはいえ、昔のほとりの写真は、青葉さんの写真によく似ていた。

 口にはしないがほとりもまた、カメラの向こう側を見たいと願っているのだと思う。


 しばらく雑談をしながら話を転がしていると、大量のパンをトレイに載せた桃子と湊斗が現れた。


 山のように積まれたパンに、俺の頬が引きつる。


「いったいいくら使ったんだ……」


「え? 樋口さん一枚っすよ?」


 ま、まさか五千円分のパン? 全部使って買ってきたの?


 今更桃子の食欲に疑問を持ったりはしない。それでも周囲の人間が何事かと視線を向けてくる程度には、異様な光景であることは間違いない。恥ずかしいわもう。


 作業を中断してノートパソコンを鞄にしまい、代わりにパンを乗せたトレイを並べていく。明らかにおかしな量のパンではあるが、焼きたてパンのおいしそうな香りがふわりと漂い、桃子ではないが食欲を刺激される。


「撮影した写真はどうだったの?」


 飲み物をそれぞれの席に置きながら湊斗が尋ねてくる。


 湊斗は早乙女の隣に、桃子はほとりの向こう側に腰を下ろす。


「全部確認したわけじゃないけど、今すぐ写真を撮りに行く必要はないかなって感じかな」


「俺も大丈夫だと思うよ。必要そうな写真は撮れている」


 本当なら、撮影した写真をこの場で歴史研究部に確認してもらうことができれば一番だ。

 しかし、一眼レフで撮影した膨大な容量と数の写真をインターネット経由で確認してもらうことは難しい。なにより、発表内容にふさわしい写真かどうかは、最終的には歴史研究部の人たちに確認してもらわなければ判断できない。結局は夕方直接学校に戻り、確認してもらうことが一番早く確実だ。


「私ももう少し写真を撮りたかったんですけどね。さすがに父の手伝いともなれば、のんびり撮っているわけにはいかないので」


 早乙女は自分のミラーレスカメラを取り出し、撮影したばかりの写真を確認する。


「今日の写真で満足できた写真は、これくらいでしょうか」


 モニターに映し出されている写真は、先ほど浴衣姿のほとりに俺がカメラを向けて、なんかわちゃわちゃやっている写真だった。


「わわっ! 早乙女さんその写真!」


 ほとりが顔を真っ赤にしながら立ち上がり、両手を振って制止にかかる。

 しかし、早乙女は笑いながらその写真にプロテクト設定をかける。おいこら。


「ちょっとひとみん!」


 それを見た桃子が机に手を突きながら立ち上がる。


「その写真、送ってもらってもいいっすか?」


「あ、僕もほしいな。ライン交換しようよ」


 スマホを取り出しながら湊斗も言う。こんなとき、コミュ力強者は怯まず進み出る。

 てか、なんでお前たちがその写真をほしがるんだよ。なんに使う気だよマジで。


 早乙女はにっこりと笑いながら頷いた。


「もちろんいいですよ。せっかくですから、初瀬さんと日宮君のラインも教えてもらっていいですか? お二人にもお送りしますよ」


「ラ、ラインを交換するのはいいけど、その写真を広めてもらうのはやめてほしいかなぁ……」


「でも今日早乙女の写真をかなり撮らせてもらっているから、俺らにそれ言う権利なくないか」


 そこに文句をつけてしまえば、俺たちのカメラからも相当な数の写真を削除しなくちゃいけないんだよなぁ……。もったいないし歴史研究部のためにもそれはよくない。もったいないし。


 ラインを交換しながらもほとりは顔を赤くさせてもじもじとしており、俺もやれやれとため息を吐いた。


 それから俺たちは遅めの昼食に、机に並ぶパンに手を伸ばす。菓子パンや総菜パンから、フランスパンやドイツパンのようなノーマルなパンまで、多種多様なパンがある。


 一口食べると、日本人にあったもちもちとした甘い食感が口いっぱいに広がった。


「ん、うまいな、ここのパン」


 さすがに人気があるというだけあって見事なものだ。


「あふぅ……たしかにこのパンおいしいね……」


 ほとりもうっとりとしながらパンをもぐもぐしている。


「いいっすよねパンって。香りもおいしさも一つのものの中にまとめられるってのが最高っす」


「そういえば、桃子ってパンは作らないのか? レシピだけならお菓子作りと近いものがあるよな?」


「んー、作ったことは当然あるっすよ。ただパンは発酵に時間がかかるんで、平日とかは作りにくいってのはありますね。でも、土日なら作れるんで、またみんなで出かけるときは私のパンレパートリーをお披露目するっすよ」


「桃子さんは本当にいろんなものが作れるんだね」


「家でも家族のご飯とか作ったりするんすよ。うちの両親、二人で料理店やってるんっすけど、帰ってくるのが遅いので、晩ご飯は私の担当っす」


 高一女子でここまで料理が好きというのも今日日珍しい。このご時世、なんでもコンビニやスーパーで出来合いのものが売っており、下手に作るよりもおいしいのも事実である。しかし桃子の料理は強い信念のようなものを感じさせ、作った料理やお菓子は間違いなくおいしい。怖がることもなく、その料理を誰かに食べてもらう度胸は大したものだと思う。


「春原さんは料理がお好きなんですね。羨ましいです。私、全然料理はできないので」


 早乙女が感心した様子で声を漏らすと、桃子は照れたように笑みを浮かべた。


「そんな大したものじゃないっすよ。私にはひとみんみたいなおしとやかさも教養もないっすからね。ただ、私には料理が必要で、好きだったっててだけなんすよ」


 わずかに含みを感じさせる言葉を口にし、しかし桃子は言ったしまったことをはぐらかすように大きく口を開けてパンにかじりついた。


「早乙女さんは、今日みたいにお父さんのお手伝いをすることってよくあるの?」


 桃子があまり話を掘り下げられたくないことを察したからか、湊斗が話の向きを変える。


 早乙女は少しだけ曖昧な笑みを浮かべ、白い指で頬を掻いた。


「そうですね。父は岡山でも大きな地主なんですけど、地域発展のためにいろんな分野に協力しているんです。最初は、大変そうな父のお手伝いをって付き合ってたんですけど、なぜかだんだん引っ張りだこになりまして。いつからか、アルバイトみたいに働くようになったんです」


 たしかに今日のモデルはただの手伝いではなく、プロカメラマンさんの仕事ぶりからしてもしっかりお金が動いている仕事のように感じた。そこに関わる俺たちも俺たちだが。


「最初はたしかに父がきっかけで始めたことですけど、最近は結構楽しくさせてもらっているんですよ。今日みたいな綺麗な服も着られたり、おしゃれもできたり、いろんなところに行ったりできますからね。普段撮ることができない写真も撮れますから」


 そう話す早乙女は少し恥ずかしそうではあったが、とても楽しげだ。たしかにモデルをしていた早乙女は嫌々やっている空気は感じさせず、むしろ生き生きしていた。


「お父さんのことが好きなんだね」


「ええ、尊敬できる父ですよ」


 聞いているこっちが恥ずかしくあるようなことを、早乙女は平気で言ってのける。やはり育ちのいいお嬢様は言うことが違う。


「まあ親バカなところはありますので、そこが少々難ありだと思っていますが」


 前言撤回。結構手厳しいわ。


 しばらく山のように積まれたパンを食べながら談笑を続けた。雰囲気のいいカフェでパンを食べるというのも乙なものだ。ただ適当な店で食べるよりずっといい。


 桃子の親同様、俺も両親はずっと働き詰めだ。両親とも同じ企業に勤めており、二人とも主戦力で働くバリバリの仕事人間。そんな理由もあって、俺も一人でご飯を食べることが多かった。別に仲が悪いとか放任だとかではなく、俺の家族が単純に慣れてしまっているのだ。こっちに来ても両親からの連絡は頻繁に入ったり、そんなにいらんと言っても俺の口座には多額の生活費が振り込まれたりしている。俺のことを気にしていることはよくわかる。


 それでも、だけどこうして、みんなで食べるご飯はやはり楽しい。


「……? 真也君どうかしたの? にやにやしているけど」


 隣に座るほとりが不思議そうに首を傾げながら俺の顔をのぞき込んでくる。


「……いや、パンがおいしくてついな。なんでもないなんでもない」


 誤魔化しにもならない言葉を口にしながら、再びパンに頬張る。


 岡山に戻ることを決めたとき、俺はこんな生活を想像していなかった。むしろ不安ばかりだった。幼少時を過ごした故郷とはいえ、一人でまともな高校生活を送れるのか、そんな不安ばかりが募っていった。

 それでも、いつの間にかこんな仲間ができたことを、嬉しく思う。


 そして。


「それでも、本当にここのパンおいしいね。見た目も綺麗だし」


 自分のカメラでトレイに並べたパンを撮るほとり。嬉しげに、楽しげに、幸せそうに。


 また、ほとりと一緒に写真を撮ることができて、本当によかった。恥ずかしすぎて、口には出せないけど。


 ほとりが今はまだ、カメラの向こう側を見ることができないと言っても、それでもまたいつか、きっとほとりは自分の写真を取り戻せる。だから俺もそれまで、ほとりと一緒に写真を撮りながら、支えていけたらと思う。


「パン、おいしくて食べ過ぎちゃったね」


 空っぽになった机を前に、少し苦しそうにおなかを押さえながらほとりが笑う。


「んー、でもまだ少し物足りないんすよね」


 誰より食べていたはずの桃子が首を傾げている。こいつの腹は四次元ポケットか。


「ちょっと買い足してくるっすね」


「それなら僕は、なにか飲み物を買ってくるよ」


 そう言って桃子と湊斗は席を立ち、再び階下へと戻っていく。


「桃子のやつ、本当にあれだけ食ってよく太らないな。さすが食のために生まれた超人類」


「ホ、ホント羨ましいよ……」


 乾いた笑いを浮かべながら、ほとりは撮影したばかりの写真をカメラで確認している。


「初瀬さん」


 反対側で同じようにカメラの写真を確認していた早乙女が、ほとりに声をかける。


「もしよろしければ、少し写真を見せていただいてもいいですか?」


「え……? うん、いいけど……」


 やや戸惑った様子ではあったが、ほとりは画像を表示したまま早乙女にカメラを渡す。


 ありがとうございますと、早乙女はカメラを受け取り、表示されている写真に目を落とした。


 一枚一枚、早乙女はカメラを操作していきながら静かに写真を見ている。


「さっきの、話なんですけど……」


 やや言いにくそうに、それでいてなにか力のこもった声音で早乙女は口を開く。


「私が写真を撮るのは、私の日常をつなぎ止めて残しておきたいと思うからです。私の生きる時間が、こんなに綺麗で、楽しいものだったんですって、残しておきたいから」


 カメラはそのとき自分が見たものを、写真として形に残してくれる。

 誰もが簡単に、自分の世界を写真にすることができる。


「わからない、ことがあるんです……」


 言っていいかどうか迷うように、戸惑うように、早乙女は口ごもる。


「私の写真には、私の好きという感情がちゃんとあると思うんです。大きい小さいの問題じゃなくて、ちゃんと私がそのときに、写真を撮ったときの気持ちが残ってる」


 机に置いている自らのミラーレスカメラに触れながら、早乙女は言葉にしずらそうに続けていく。


「初めて、写真を撮る初瀬さんを見たとき、思ったんです。初瀬さんは、すごく楽しそうに写真を撮る人だな、見る人だなって。本当に写真が好きな人なんだって。だから、声をかけた」


 昼休みの中庭で写真を撮っていたほとりと俺に、突然声をかけていた早乙女。

 あのときは私も写真を撮るから話しかけたと言っていたが、実際は、ほとりの写真を撮る姿や写真を見る表情に惹かれたからだと言う。


 でも、と早乙女は続ける。


「わからないんです。写真を撮るときは楽しそうなのに、初瀬さんの写真は、なにかが違う」


「……っ」


 言葉を詰まらせ視線を揺らすほとりに、早乙女は申し訳なさそうに言葉を投げる。



「――初瀬さんは、どうして写真を撮っているんですか?」

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