古都の和装美人 -2-

 本当に、偶然とは重なるものだ。そして世間はやはり狭い。


「驚かせてしまってごめんなさい。父の知り合いに浴衣や着物のレンタル販売をしている方がいらっしゃるんです。時々、モデルを頼まれるんですよ」


 浴衣と化粧効果で美人度が人類レベルをカンストしている早乙女は楽しげに笑う。


 早乙女と出会った俺たちは人通りが多い場所から外れ、美観地区に隣接する阿智神社に移動していた。深緑に染まった木々の中をゆっくりと進みゆく早乙女の浴衣姿は、とても絵になる。


 不意に、天啓が来た。ヒートアクション思いついた。

 スマホを取り出して素早くラインを打つ。


「早乙女さん、本当に綺麗。大人すぎて全然気がつかなかったよ」


 ほとりは胸の前で手を組んで、うっとりとした表情で早乙女を眺めている。


 スマホをポケットに押し込みながら、俺もほとりの言葉に頷く。


「たしかに。同い年の高一なんて信じられないな」


 本当に別人かと見間違うほどの変容ぶりだ。最悪小学生と見間違われてしまうほとりと並ぶと、下手すれば親子かと勘違いされるレベル。


「……なにか失礼なこと考えてないかな?」


「滅相もございません」


 殺気を帯びた視線にすかさずお口、ん、心チャック。いや心の中でくらい許してよ。


 元々早乙女は、県内屈指の学生数を誇る瀬戸高でも結構な有名人らしい。誰もがうらやむ整った容姿に女優顔負けのスタイル。学業についてもトップクラスとのことで、人当たりもいい。早くも瀬戸高のマドンナ的存在になっているとのこと。


「みなさんは写真部の活動中ですか。だから制服だったんですね」


「そうなんすよー。私もひとみんみたいに浴衣とか着てこの街歩きたかったっすー」


「ひ、ひとみん……?」


 電光石火で距離間をゼロにする桃子に、早乙女はなんともいえない笑みを浮かべる。

 早乙女瞳美だからひとみんか。俺たちの名前もそうだけど、誰に対してもそうなのね。


 早乙女は苦笑しながら桃子と湊斗を見やる。


「春原さんと結城君ですか。写真部さんはみなさん熱心に活動をされているんですね」


「こいつら二人は写真を撮らないけどな」


「そうなんですか……?」


 頬を引きつらせる早乙女に、桃子と湊斗が手を上げる。


「お菓子係っす!」


「お茶係です」


 なんだこの部活。早乙女の形容しがたい笑みが心に来る。


 ちょうどそのとき、ポケットの中でスマホが震えた。

 取り出してみると、先ほど送ったラインの返信だった。俺は笑みを浮かべる。


「し、真也君……? なんか怖い顔しているけど、どうしたのかな? 悪巧み?」


 失礼なこと言うなやこら。ほとりの頭にチョップを入れて、身長をさらに落とす。


 そして、カメラを手に早乙女に向かう。


「早乙女、もしそちらの依頼主さんがよかったらなんだけど、俺たちも早乙女を撮影させてもらえないか?」


「わ、私をですか?」


「歴史研究部の部長に、浴衣美人の写真いるかって聞いたら、絶対ほしいって言ってるんだ」


 発表内容に彩りの少ない建物の写真ばかりが並ぶより、華やかな人物写真が入った方がきっといい発表内容になると考えたのだ。こんな浴衣美人と古い町並みを一緒に撮ることができる機会など滅多にない。


 俺自身、人を撮影する機会が少ないので是非撮らせてもらいたい。


 すると早乙女は、化粧の上からでもわかるほど頬を真っ赤に染め、胸の前でぶんぶんと手を振る。


「そ、そんなそんな私なんかが無理です無理ですっ。本当はこんな風に写真を撮ってもらうことも恥ずかしいんです。ましてや同級生に撮ってもらうなんて、とても耐えられませんっ」


 おやこれは意外。あまりにも堂々としているのでてっきり慣れているのかと思っていたが、実のところ恥ずかしさがないわけでもないらしい。いつもの落ち着いた立ち居振る舞いも相まって新鮮だ。


「安心しろ。俺たち瀬戸高写真部が、責任を持って早乙女を綺麗に料理する」


「そ、それが嫌なんです! 私一人が撮られるなんて耐えられません!」


 閉じた番傘を振り回しながら必死に抵抗する早乙女。


 浴衣が早乙女のものではない借り物ではあるが、早乙女から頼めば大丈夫かと思ったのだが。当の早乙女本人にここまで抵抗されてしまえば、さすがに無理強いはできない。どうするか。


 頭の中にちびっ子天使とちびっ子悪魔が登場する。早乙女ちゃんの写真を撮らない選択肢は? んなもんあるわけないだろボケェ!

 ささやいてきた天使を悪魔が瞬殺する。引っ込んでなさい。


「真也君、早乙女さんいじめちゃだめだよ」


「警察呼ばれるっすよ。いや私が呼ぶっすよ」


 ほとりと桃子は同じ女性陣として早乙女の味方のようである。警察は困るなぁ……。

 無茶なことを言っているのは重々承知しているが、さすがにこれほどのモデルをむざむざ見送るのはもったいない。


 どうする……っ。どうする考えろ俺っ。


「し、真也、目が狂気だよ。完全に狂っちゃってるよ落ち着きなって」


「馬鹿野郎。こんな写真撮影の機会を逃すことなんてできない。歴史研究部のためにも逃すことはできないんだ。写真部のプライドがそうさせてるんだ」


「う、嘘だ。絶対に私情入れてるよこの人……っ」


 早乙女をどうにか丸め……いや、説得するために必死に頭を回転させていく。だってこんないい被写体、お願いしたって得られるものじゃないんだもん。


 どうしたものかと悩んでいると、湊斗が思いついたように手を突いた。


「あ、それならさ、いっそみんなで着ればいいんじゃない? 浴衣」



    Θ    Θ    Θ



「俺は、今ほどお前が写真部に入ってくれてよかったと思ったことはない」


「……地味に傷つくからそういうこと言うの止めてよ」


 ファインダーの向こう側で、三人の浴衣女子がやや恥ずかしそうに笑みを浮かべている。


 赤を纏う早乙女の隣には、急遽追加で用意された浴衣をまとう俺たちの連れ。


「ふふーん、どうっすかどうっすかこれ。似合ってるっすかー」


 黄色の布地に聞く柄の浴衣をまとった桃子は、恥ずかしさなど欠片も見せずにポーズを決める。もはやおしとやかさもあったものではないが、これはこれでおもしろい写真になる。ショートボブにしている髪には華飾りが挿されており、化粧もされた表情はいつもより大人っぽく見える。さすがに早乙女のように大人に見えるわけもないが、プロの仕立てなだけあって見事な仕上がりだ。


 その早乙女にモデルを頼んでいるお店の店長さんに、ほとりと桃子にも浴衣を着させて上げられないかと早乙女が頼むと、ノリのいい女性店長さんは二つ返事で了承。モデルが一人より三人の方がいいに決まってると、話をずいぶん違う方向に解釈して、戸惑うほとりと桃子をお店の奥へと連行していった。


 湊斗はお店の外で早乙女と雑談、俺は近場のめぼしいところを写真に撮って待っていると、三十分もせずにすっかり浴衣に染め上げられた二人が店内から出てきたのだ。プロすげぇ。 


「タイトル、【馬子にも衣装】。おー、似合ってる似合ってるぞー」


「いやー照れるっすねー」


「春原さん、褒められていませんよ」


 ベタなやりとりをする横で、本気で恥ずかしそうなほとりが口を膨らませている。


「し、真也君だけずるいかな……。私だって写真撮りたいのに……」


 ほとりは空色の浴衣だ。春を感じさせる爽やかな桜柄の青い布地に、白色の帯がとても合っている。いつもは二つに束ねて左右に垂らしている長めの髪は頭の後ろで結い上げられ、浴衣の上からのぞくうなじが妙な色っぽさを放っていた。いつもはまったく化粧っ気がない顔に薄く化粧がされたほとりは、十分に大人らしさを演出している。しかし一五〇にも満たない低身長。とても大人に見えないのがかわいそうである。


「むぅ……むぅう……」


 恥ずかしさを必死に押し隠しながら、その手に握った拳でぽかぽかと俺の肩を叩いてくる。


「俺の浴衣姿に需要はない。あとでカメラ渡すから、早乙女や桃子を好きなだけ撮ってやれ」


 今のほとりにカメラを持たせるわけにもいかず、荷物は俺と湊斗で分けて預かっている。ほとりは口を尖らせながら不満げなご様子だったが、それ以上なにかを言うことはなかった。


「お二人ともよく似合っていますね。とても綺麗ですよ」


 自分一人ではなく、ほとりと桃子を巻き込むことができてご満悦の早乙女。いつもの調子を取り戻して、自分に倣い浴衣を着ている二人を見やる。


「い、いやあ……早乙女さんと並ぶとさすがに……。全然似合ってないかな」


 言いながらもほとりはまんざらでもない様子である。


 たしかに早乙女と比べると見劣りはするものの、ほとりも桃子も十分すぎるほど人目を引いている。外国人日本人問わず視線を引いているのがその証拠だ。


 元々倉敷美観地区には、浴衣や着物をレンタルして古い町並みを歩くことができるサービスが存在する。だが、実際に浴衣を着ている女性を見かけることは多くはない。そのおかげか、写真を撮ろうとすると自然と人が避けてくれたため、写真撮影ははかどった。


 今朝周回した撮影ポイントでめぼしいところを再度回っていく。町並みにアクセントとして華やかな浴衣女性が加わり、見応えのある目を引く写真を撮ることができた。


 早乙女はたびたびモデルをしていることもあってもさすがに慣れたもので、カメラに向かって自然な笑顔を向けていた。自分自身のどういった仕草や表情が写真をよくするのかを熟知している。


 桃子はぶっちゃけ写真なんて知ったことかという様子ではしゃいでおり、しかし元気いっぱいな様子が写真を生き生きとさせていた。


 ほとりは最初こそあまり気乗りしていない、というより恥ずかしさが勝って縮こまっていたが、徐々に慣れてぎこちないながらも笑みを浮かべるようになっていた。


 一緒に写真を撮っていたプロカメラマンのお兄さんも、最初こそ突然の闖入者に驚いていたようだが、さすがにそこはプロ。すぐに対応してほとりたちの写真も撮っていた。なに、浴衣のレンタル料をなしにする代わりに、二人の写真も使えるなら宣伝広告に使ってもいいという密約を交わしているのだ。ほとりと桃子には知らせていないが、もしバレたら俺が土下座をすればすむだけの話である。写真のためならプライドも捨てるのが俺のプライド。


 プロカメラマンさんは明るい性格のお兄さんで、早乙女とは仕事上で何度も付き合いがあるそうだ。本当ならプロの仕事をじっくり見学したかったのだが、こっちは実質俺しか写真を撮ることができないため、写真撮影に専念することにした。


 しかし移動するたび、ほとりが俺の袖を引いてカメラカメラとごねてくる。なぜか徐々に元気、というか生気がなくなっていきつつあり、カメラを手放したことで禁断症状が出始めていた。ある程度必要そうな写真を撮り終えたところで、部長があまり撮影をしていないというのも問題なので、ほとりにカメラを返した。


「やったぁやったぁ」


 嬉しそうに笑いながらD80を受け取り、早乙女と桃子にカメラのレンズを向ける。


 浴衣を着込んでいるが同じく浴衣を着ている早乙女たちを撮る光景は、なんというかシュールだった。こうなると早乙女たちよりもほとりに視線が集まり始めるが、当の本人は気づいている様子がない。ただ一心不乱にカメラを向けている。


 しばらく撮影をしていると、早乙女と桃子が外国人さんたちに囲まれて写真をせがまれ始めた。


 救援に湊斗とカメラマンさんが乗り出していき、俺とほとりはカメラを下ろした。


「ところで、真也君」


 写真を撮ることを止めて、ほとりがこちらを向く。


「私にだけ浴衣の感想がなかったと思うんですけど、なにか言うことはないんですか? どうですか?」


 カメラを下ろし、自らの胸に手を当ててやや恥ずかしそうに尋ねてきた。


 どうって、と内心困りながら改めて空色の浴衣を纏うほとりを見やる。


 似合ってはいるのだが、やはり身長が低いほとりだと女の子という印象が強くなる。

 しかしそれでも、普段見ることがないほとりの艶っぽい表情とあでやかな姿に、どきりとさせられるものはあった。だから、直接なにかを言いにくかったのだが……。


「……似合ってると、思うよ」


 顔をそらしながら言えたのは、そんな気のない一言だけ。


「あははは、照れてる照れてるかな」


 言いながらも、ほとりの顔も化粧の上からでもわかるほど赤く染まっていた。おかげでこっちも火照ってくる。

 ほとんど昔から風体が変わっていないとはいえ、ほとりは確実に成長し、高校一年生となってここにいる。そのことを考えると、また急に意識をしてしまう。


「うん、そうだな。ほとりみたいな子は、やっぱり浴衣似合うよな」


「……今、どこ見て言ったのかな」


「どこも見ておりません」


 胸にちらりと向けた視線を一瞬で待避させる。別に、寸胴体型だな、なんて思ってないよ。


「まあ、あれだな」


 カメラを持ち上げながら、俺は笑う。


「写真に撮りたいと思う程度には、綺麗だと思うよ」


「……あ……ぅ……」


 これ以上ないほど顔を真っ赤にしながら、ほとりは俯いてしまう。


 カメラで写真を撮ることが好きな俺たちにとって、写真を撮りたいということは、心が動かされたということだ。撮りたいと思うほどに、感情をかき立てられたということ。


 ほとりにとって、これほどストレートに伝わる言葉は、きっとない。


「おお、しおらしい姿がかわいいかわいい」


 適当な言葉を吐き出しながら、顔を赤くするほとりを至近距離から激写する。間違いなく歴史研究部の依頼には使えない写真で、写真部や俺のアルバムに納められる写真だ。


「ちょちょっと止めてっ。撮らないでほしいかなっ。ホント、撮らないでって!」


 両手をカメラの前でぶんぶん振りながら撮影を妨害するが、既にいい写真はばっちり押さえている。手遅れである。


 カシャ、と俺でもほとりでもないカメラからシャッター音が響く。

 いつの間にか人だかりから抜け出して近くまで来ていた早乙女が、自らの白いカメラをこちらに向けていた。


「いい写真、いただきました」


 にっこりと笑いながら、ミラーレスカメラのモニターをこちらに向ける。


 そこには、俺とほとりがカメラを向け合ってわちゃわちゃしている、よくわからないが恥ずかしい一場面が映し出されていた。

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