女桃太郎 -4-

「はわわぁ……き、緊張したぁ……」


 桃子を含めた三人で写真部の部室に帰ってくると、ほとりは糸が切れたマリオネットのように机に倒れ込んだ。


「あはは、ほとりんは相変わらずっすね。まあでも、初依頼達成おめでとっす」


「あ、ありがとー」


 机に突っ伏したまま、ほとりは照れたように笑う。


 そして、自分のリュックからカメラを取り出すと、そのまま俺に向かって差し出した。


「……はい。部日誌の作成係を、真也君に任命します」


「え? 部日誌って、あのアルバム風に依頼内容をまとめたやつ?」


「そー……」


 完全にガス欠になったほとりからカメラを受け取りと、手がぱたりと机に上に落ちた。


「わ、私パソコンの操作とかって苦手で、部日誌の作成は、真也君にお願いできたらと……」


「……はぁ、わかったよ」


 たしかに、ほとりがてきぱきとパソコン操作を行う様子は想像できない。触っているだけでブルースクリーン出しそうなまである。

 それに部長職をほとりに任せている以上、部日誌の作成くらいはこちらに引き受けるべきだ。


 安心したように笑みを浮かべると、ほとりはふらふらと力なさげに立ち上がった。


「あー、明日提出するプリント教室に置いてきちゃった。ちょっと取ってくるね……」


 ふらつき今にも霧のように消えてしまいそうなほとりの背中を、俺のカメラでカシャと一枚。


 ほとりはそのまま気がつかずに部室を出て行った。


「なに撮ってんすか?」


「いや、なんとなく」


 俺の答えに桃子は楽しげに笑った。


「そんな風になんでも写真っていうところ、本当にほとりんそっくりっすね」


「ほっとけ。そういう人種なの」


 自分で言っておいてどういう人種だよとつっこみたくなる。


 俺は戸棚からノートパソコンを引っ張りだし、窓際の席に腰掛ける。

 D80からメモリーカードを抜き取り、先ほど撮った写真をノートパソコンにコピーしていく。


 思えば、初めて桃子と二人っきりになるが、桃子はとりたて気にした様子もなく反対側の席に腰を下ろす。


「ありがとっす、真也」


 突然、桃子が言った。


「依頼のことか? それならほとりに言ってやれ」


「あはは、そっちじゃないっす。岡山に帰ってきて、写真部に入ってくれたことっすよ」


 意外な言葉に、俺はノートパソコンの画面から顔を上げて桃子を見やる。

 桃子は曖昧な笑みを浮かべていた。どこか陰りと痛みを帯びた、儚い笑みだった。


 少し恥ずかしそうに、それでいて悲しそうに、桃子は目を伏せた。


「ほとりとは、中学からの付き合いなんすけど、少し真也のこと聞いてたんすよ。小学生のころ、一緒に写真を撮ってくれた男の子がいたって。男の子はみんな野球やサッカー、女の子たちはおしゃべりをしているのに、その男の子だけは一緒に写真を撮ってくれたって。引っ越してそれっきりで、だから、今はいつもお兄ちゃんと二人で写真を撮ってる……って……」


 桃子の目に、影が差した。


「私も、ほとりのお兄ちゃんには会ってるんす。妹思いのいいお兄ちゃんで、明るくて楽しい素敵な人で。私たち子どもと一緒になって遊んでくれ、本当に、いいお兄ちゃんだったっす」


 青葉さんが亡くなったのは今から三年前、俺たちが中学生になってからしばらくたったころだ。


「真也も、お兄さんのお葬式に、来てたっすよね? 私、覚えてっるすよ」


「……ああ、行ってたよ」


 青葉さんが亡くなったとき、俺は東京に住んでいた。 


 それでもどうにか式には参列することができた。ただ、両親をともなってお葬式にやってきたものの、あまりに現実味がなくて、ただただ立ち尽くすことしかできなかった。

 俺は周りを見る余裕なんてなかったが、桃子は俺を見ていたらしい。よく覚えているもんだ。


「お兄さんが亡くなったあとのほとりは、見てらんなかったっすよ。何日も学校に来なくなって、たまに出てきてもほとんどしゃべらない。なにもしない。あれだけいつも撮っていた写真も、撮らなくなった」


 ほとりのアルバムにあった、空白の三年間。


 俺の知らない、写真を撮らなかったほとりのことを知る桃子が、少し嬉しそうに笑う。


「高校受験のとき、また写真を始めるんだってカメラを持ってきたほとりを見たときは、本当に嬉しくて、ちょっと泣いちゃったっすよ」


 暖かい優しさを帯びた目が、こちらに向けられる。


「でも私は写真がわからないから、私になにができるかもわからなかったんす。だから、真也が写真部に入ってくれて、ほとりと一緒に写真を撮ってくれて、感謝してるっす」


 照れることもなく真っ直ぐ告げられる言葉に、こっちが恥ずかしくなり視線を落とす。


「桃子にお礼を言われることじゃない。むしろ感謝しているのは、俺の方だ」


 首を傾げる桃子に、俺は窓の外へと視線を逃がす。

 わずかに赤みを帯び始めている空に目をやり、あの日のことを思い出す。


「俺は葬儀には参列したけど、あのときは俺も本当に一杯一杯で、ほとりに声の一つもかけてやることもできなかった。あいつに助けがいるときに、俺は近くにいることができなかった。それを本当に今でも、後悔している」


 俺が岡山に帰ってきて、すぐにほとりに会いに行かなかった理由。


 怖かったんだ。


 あのときなにもできなかった役立たずの俺が、今更どの面を下げてほとりに会いに行けばいいか、わからなかった。それが、怖かった。

 多くの人がそうしていたように、俺も青葉さんを見送った。そして、それ以上なにもすることができず、悲しみにくれるほとりに、なにもしてあげることができなかった。


 俺はほとりの親友に笑みを向けながら言う。


「だから、中学のころずっとほとりを支えてくれた桃子に、一緒にいてあげてくれた桃子に、本当に感謝しているよ」


 桃子は驚きに目を丸くし、そして白い歯を見せて笑った。


「お互い様っすね」


「ああ、お互い様だ」


 一緒になってひとしきり笑った。


「それにさ、あいつは、俺がいなくても写真は撮れるよ。きっと一人でも、あいつは写真を続けていく。絶対にな」


「そうっすね。そうだといいっすね」


 桃子は笑いながら、机に置いていたほとりの愛機に手を滑らせた。


「でも、もしまたほとりが自分一人の力じゃ立てなくなっちゃったときは、真也も手伝ってくださいっすよ?」


「もちろんだ。俺もあいつには写真を撮り続けてほしいからな。力になれるなら、なんだってするさ」


 俺の答えに、桃子はうっしっしと笑みをこぼし、リュックの中から樹脂容器を取りだした。


「しんやん、きびだんご食べるっすか?」


「いただきましょう。桃太郎さん」


「桃太郎って言うな」


 お互いに笑い、俺はきびだんごを一つもらって口に運ぶ。


 誰かさんの心温かな甘さが、口いっぱいに広がった。


 写真データをパソコンにコピーし終え、メモリーカードをD80に戻して電源を入れた。

 そして、ほとりの親友へとD80を向ける。

 見慣れないファインダーの向こう側で、優しく笑う桃子がピースを作った。カシャと、普段俺が聞いているものとは少し違うシャッター音が響く。


 構図も色合いもなにも考えずに撮った写真。それでもほとりのことを思う桃子をほとりのカメラで撮った写真は、いい写真だった。


 そのときちょうど、ほとりが部室に戻ってきた。


「あれ? なんか仲良くなってる?」


「今餌付けされてるところ」


「あ、きびだんご私にもちょうだい」


「どうぞどうぞ。ほとりんもしんやんみたいに餌付けするっすよ」


「ああ、桃太郎さーん」


「も、桃太郎って言うな!」


 お決まりのやりとりに俺たちは笑う。


「そうだ。私もほとりんに渡さないといけないものがあったの忘れてたっす」


 桃子はリュックの中をごそごそと漁る。

 そして差し出された一枚のプリントを見たほとりが目を丸くした。


「え……? 入部届?」


「そうっす。私、春原桃子、不肖ながら写真部に入部するっす」


「「は……?」」


 俺とほとりは揃って素っ頓狂な声を上げる。


 桃子は照れたような笑みを浮かべて頬を掻く。


「いやー、ほとりんが写真部を再発足させて私が入ると副部長になっちゃうじゃないっすか。でも写真を撮らない私が副部長はまずいかなと思って、客として通い続けるつもりだったんす。まあ、部の再発足は人数足らなくてもどうにかなるかなと思っていたんで。けど、しんやんが副部長やるなら写真を撮らない私が写真部に入っても、いいかなって」


 いいかなって……大丈夫なのかそれ……。考えようによっては、マネージャー的ポジションで写真を撮らないお手伝いさんがいるということ。それなら、いいのかもしれない。いや、いいのだろうか。


「ありがとう桃ちゃん! すっごく嬉しい!」


 ほとりはそんなことを考えもせず大喜びで桃子に抱きついていた。


「あはは、きびだんご落ちるっすよー」


 口ではそう言いながらも、桃子も照れたように嬉しそうな笑みを浮かべている。

 俺もつられて、笑みをこぼす。


 まあ、いいか。

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