女桃太郎 -3-
「おぉ……」
撮影したばかりの写真を料理研究部のノートパソコンにコピーして見てもらうと、東雲先輩が声を漏らした。一旦料理を中断して見てくれている部員たちも同様に驚いている様子だ。
「お、おこがましいかもですけど、私たちならこんな風に撮るっていう写真、です」
自分が撮影した写真をよってたかって見られるのが恥ずかしいのか、ほとりは体を縮こませながら言う。撮影を終えてすっかり電池が切れてしまったらしい。
東雲先輩は口元を緩めながら首を振った。
「……ここまで変わるものだと思わなかった。すごくよくなっている、と思う。でも、言葉にするとなにが違うんだろう」
ほとりが撮影したボロネーゼの写真は、斜め上の位置からボロネーゼをクローズアップ、撮影できるぎりぎりまで料理に接近して大きく撮影している。写真の四分の三ほどを赤いソースのボロネーゼが占め、背景にサラダとスープがほんの少しだけ入っている。
「え、えっと、違いって言われるとなんと説明していいか……」
指をもじもじとさせながら、助けを求めるようにほとりが俺に視線を向けてきた。
このほとりという生き物は、理屈や基本知識などをふっとばして自分が撮りたい写真を撮る。だから自分がなにを考えてこの写真を撮ったかを聞かれてうまく答えることができない。ただなんとなく撮った写真ですと答える。
そして結果的にいい写真を撮るのだ。ほとりの写真は意図せず撮られた写真でありながら、自然と人を惹き付けるなにかが存在する。
だが今回は、今後料理研究部の人たちが自分たちで写真を撮る上で参考とする撮り方を説明する必要がある。きちんと、どうやって撮ったかを説明しなければいけない。
俺は小さく息を吐きながら口を開く。
「写真は引き算、という言葉があります」
「引き算? あの算数の引き算かい?」
「そうです。写真を撮る上で重要なのは、主題がなにかを決めること。今回はボロネーゼが主題になりますね。この場合、写真に入れるボロネーゼ以外のものを写真から引くことで、主題が引き立ってなにを伝えたいかがはっきりわかる写真となります」
「ボロネーゼ以外というと、付け合わせのサラダやスープのこと、でいいのかな?」
「その通りです。他にも、いらない背景や不必要な被写体などがそれにあたります」
パソコンに表示されているほとりの写真は、サラダやスープの写真はあくまでも背景という位置づけになっている。強調しないよう見切れる程度に入れているだけだ。
すると、他の部員から声が上がった。
「でも、これじゃあせっかくのサラダやスープがもったいないんじゃ……」
サラダやスープも作った本人からすれば一生懸命作った料理であることに変わりない。その気持ちも十分にわかるのだが。
俺がなんと答えようか迷っていると、桃子が苦笑しながら口を開いた。
「気持ちはわからないでもないっすけど、今回のレシピ、ボロネーゼのレシピだとサラダやスープはあくまでも付け合わせ。ボロネーゼを強調したいなら写真に無理に入れる必要はないってことっすよね?」
「まあ、そういうことになるな」
ボロネーゼを伝えたいのにサラダやスープにばかり目がいってしまうと、ボロネーゼが伝わらなくなるという問題が起こりうる。ボロネーゼのレシピにおいて、それは問題だ。
「サラダやスープを入れたい場合は、同じようにサラダやスープだけをクローズアップ、近づいて撮影、レシピ内に複数の写真を並べるっていう手がありますね」
同じ写真にならなければそれほど違和感はない。やりすぎるとどちらにしてもよくないけど。
「あとは、なるべく明るい自然光で撮ること。料理には彩りが重要だと思いますが、人の目で見える彩りと、写真で撮った彩りはイコールではありません。綺麗に見えるからと写真に撮っても、写真だとなにか違うという際によくある問題です。窓際などの明るい場所で撮ると、それだけ料理の彩りも際立ちます。都合のいい光がないときは、周りの人にスマホのライトで照らしてもらってもいいです」
実際に、意図的に自分の体で光を遮って撮影した写真と、光を当てた写真を並べて表示する。
部員たちの表情が変わる。それほど違いが顕著に表れている。
「今お話ししていたことは全て、料理研究部さんのコンデジやスマホでも撮影可能です」
一眼レフで撮った写真よりもわずかに見劣りをする可能性はあるが、些細な差である。
「気をつけるべき点は、主題を決めること。写真にそれ以外は入れないようにすること。可能な限り被写体に近づいていい角度と距離を探して撮ること。彩りが引き立つ、明るい場所で取ること。これらが重要になります」
先ほど印刷してもらったレシピの写真を、ほとりが撮影した写真と差し替えて印刷する。
二つのレシピを並べて見ると、どれほどの違いが起きたかは部員たちの表情から一目瞭然。差し替え前が悪いわけではないが、なにを伝えたいかをはっきりさせることは重要だ。
「とまあ、こんな感じなんですけど、いかがでしょうか」
一通りの説明を終えて、俺は東雲先輩に尋ねる。
東雲先輩は少し驚いた笑みを浮かべたまま、印刷されたレシピを見比べた。
「いやあ、驚いたよ。これだけのやり方でこれほど違いが出るとは思わなかった。本当においしそうに綺麗な写真に見える。いや、こういう言い方は君たちに失礼だけれど」
「実際大したことではないですよ。この写真がおいしそうに見えるのは、写真の撮り方や技術がどうとかではなく、事実料理がおいしそうだからです」
「おお、しんやんが突然私を褒めてくれたっす」
「料理に罪はない」
「私にはあるとでも言いたいんすか!」
両手を振り上げ憤慨する桃子。
隣でほとりがうんうんと満足げに頷いている。
「さすが真也君。部長として嬉しく思います」
できれば部長からこの説明をしてもらいたいところですけどね。引っ込み思案のほとりにそれをやれというのは酷だから言わないけど。
「とまあ写真撮影はこれで終了っすよね? それではほとりん、私渾身のボロネーゼを食べるのだ!」
「わーいありがとー!」
「お、おい先に依頼の方を……」
「料理はできたてが一番なんすよ! おいしくなくなっちゃうんすよ!」
「そりゃそうだけどさ……」
頭を抱える俺の隣で東雲先輩が笑う。
「あははは、たしかに料理はできたてが一番だ。せっかく桃子が作った料理だ。食べてやってくれ。とりあえずみんなも自分たちの料理に戻ってくれ」
集まっていた部員たちが散らばっていき、中断していた料理へと戻っていった。
ほとりは桃子と話しながらボロネーゼを食べ始め、パソコンの前には俺だけが残る。
「……」
気になるのは、ほとりが撮った写真。
レシピ使用したのはほとりの写真だ。
ボロネーゼの写真も、使わなかった写真も桃子を撮った写真もよく撮れている。
理論や構図などを意識せずとも、ほとりはいい写真を撮ることができる。俺たちが一生懸命考えて試行錯誤をして撮影する過程を吹き飛ばし、ほとりは綺麗な写真を撮るのだ。余計なものは写っていないし、主題も強調されている。悪いわけではない。
しかし、違和感がある。小学生のころ、ほとりが撮っていた写真とは明らかに何かが違う。確実に言えることは、少し構図がずれていると感じることや、少し水平ではない斜めになっていると思われること。全部オーフォーカスで撮っているようで単調な印象を受ける。
そして、以前のほとりの写真には確実に写っていたものが、写っていないということだ。
ほとりが俺の家を訪れた際に、ほとりのアルバムを見せてもらった。昔の写真はともかく、ここ最近の写真も同様の違和感があった。
俺の勘違いかと思っていたが、やはり、おかしい。
「それにしてもしんやんって、見かけによらず博識なんすね」
自分で作ったボロネーゼをほとりと一緒に食べている桃子が言った。
「これくらい、少し写真を撮る人ならわかる話だ。つうか見かけによらずってどういうことだおら」
実際にそれほど難しいことは言っていないし、設定を変えるような細かい技法があるわけでもない。もっと気をつけるべき点もあるにはあるが、説明しすぎてしまえば逆に混乱させてしまう。
「いやいやすごいよ。私そんなに色々考えながら写真撮れないもんね」
「おい部長……爆弾発言は止めてくれ……」
写真部の未来が心配になるわ。
といっても、昔からほとりはそういうところがあるので驚きはしないが。
俺は子どもながらに初歩的な写真撮影の本を読み込み実践し、技術を向上させてきた。基本的なテクニック、人の目を惹く写真、思い通りの写真を撮る方法。少しでも写真を上手く撮れるようになりたかった。
あの日、憧れてしまったから。
ほとりがボロネーゼを食べ終えたところで、俺はほとりの背中を軽く叩いて促す。
一瞬きょとんと首を傾げていたが、すぐに意図をくみ取り、頷いた。
「ええっと、東雲先輩、写真部への依頼はこれで完了ということで、よろしいですか?」
しどろもどろになりながらも尋ねるほとりに、東雲先輩は満足そうに頷いた。
「まだできると自信を持って言えるわけではないが、どうすればおいしそうな料理の写真を撮ることはわかったよ。今後もよかったら相談に乗ってもらえるかな? 写真部部長さん」
「は、はい! よろこんで!」
大人な対応をしてくれる東雲先輩に、ほとりは緊張しながらも嬉しそうに頷いていた。
「い、一段落してからでいいので、みなさんの写真を撮らせてもらってもいいですか? その、写真部への報酬として……」
瀬戸高写真部には依頼の報酬が存在する。
しかし当然、プロでもない高校生の俺たちにお金や物品のやりとりができるはずもない。その代わりにもらうものが、依頼主の写真である。依頼完了と証明を含めて、依頼主の写真を撮ること。それが瀬戸高写真部の依頼報酬だ。部日誌にあった依頼主の写真はただ単純に載せられていたわけではなく、依頼報酬として添付されていたのだ。
ほとりからの申し出に、東雲先輩は笑みを浮かべて頷く。
「桃子から聞いているよ。もちろん、大丈夫だ」
料理が完成していき、部員たちが早速写真を撮り始める。簡単に説明した撮影方法ではあるが、自分たちで写真を撮って喜んでいる部員を見ると、どこか心が温かくなった。
料理研究部の部員達はエプロンや三角巾をしたまま、各々が作った料理を手にホワイトボードの前に並び立った。
そして緊張した面持ちのほとりが料理研究部員の前に進み出る。
「そ、それではいきまーす」
カシャというシャッター音が、再発足した写真部の初依頼完了を続けた。
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