episode.3

 二人が教室に戻ってからは大変だった。


 一時間目はまあいい。二人が教室に戻った時には既に授業が始まっていたこともあって特に大きな問題は起こらなかった。


 問題が起きたのはその後である。


 冬野とうの藤之宮ふじのみや編入はどうやら急に決まったものらしく、教科書という教科書を持っていなかった。従って、当然といえば当然だが春彦はるひこが見せることになり、昼休みまでの数時間、二人の机は横並びにくっついたままだった。


 そこまではいい。冬野の席を考えても春彦に教科書を見せてもらうのはいたって自然な流れだろうし、仮に他に見せてもらえる相手がいたとしても、今の冬野は春彦を選んだだろう。


 春彦としても教科書を見せるくらいならば、普段浴びせられる暴言の数々と比べればお安い御用だ。また、冬野自身がいかに優秀で、家庭教師までつけていたとしても、こうして学校へと通い、授業を受けるのはかなり久しぶりのはずである。困ることもあるだろう。そうしたら助け舟くらいは出してやろう。そう思っていたのだが、


「…………すぅ」


 これである。


 冬野はほぼ全ての授業で、開始五分も経たないうちに夢の世界に旅立っていた。

 一応、彼女の名誉のために言っておくと、その最初の五分ほどはきちんと授業を受けているのだ。ノートも広げ、春彦からすればとても真似できないレベルの綺麗な字で板書を打ついている。ただ、教師が板書をやめ、少しでも解説に入ると、それはまあ見事なまでに居眠りに移行するのだ。


 ちなみにその時の姿勢は筆記用具を持ったまま、背筋を立て、少し俯いて目を閉じるという具合。その容姿や姿勢の良さもあって、傍から見るとちょっとした芸術品にも見える。更にいうと彼女の席は一番後ろの列であるため、春彦か教師が騒ぎ立てでもしない限り居眠りをしているなんて気が付きにくい位置だ。


 何人かの男子生徒はこちらをちらちらと眺めてはいるし、中には居眠りに気が付いている者もいるのだが、その反応はどちらかというと「可愛い子の寝顔を見られて眼福」くらいのものであり、指摘したり、注意しようという人間はひとりもいなかった。まあ、そもそも、肝心の教師陣が意図的に言及を避けているフシがあるのだが。一体どんな魔法を使ったのやら。


 そんなわけで冬野は、午前に行われた授業の大半を睡眠に使い、教師と女子生徒は黙認し、男子生徒はひそかに盛り上がっていた訳なのだが、それでもまだ、休み時間の喧騒からくらべればマシな方だった。


 春彦たちが通う「藤之宮学院高等部」は基本的に転校生を受け入れていない。私学ということもあり、そうそう編入出来るわけではないという事情もあるにはある。ただ、いくつかの私学とは姉妹校提携をしており、そこからの編入は例外的に認めることがあるとか、その学力や才能を認められた生徒は編入を許可されることがあるとか、色々と細かい規定があるにはあるわけで、決して「転校生」という存在が全くあり得ないわけではない。


 ただ、そんな事情は当事者たちにとっては得てしてどうでもいいものである。


 春彦の所属する二年生はおろか、三年生。さらには現在藤之宮大学に通う内部進学生ですら、「転校生が自分のクラスにくる」などということは経験していないはずである。そうなれば当然注目もされるし、興味も持たれる。


 つまりは、


「冬野さんって前、どこに住んでたの?」


「藤之宮に転校って珍しくない?」


「共学に通うのこれが初めてだって言ってたけど、前は女子高に通ってたの?どんな感じだった?」


「髪綺麗だけど、もしかしてハーフ?」


「凄く良い声してるけど、何かやってるの?良かったら合唱部に入ってみない?」


「好きです!お友達からでいいんで仲良くしてください!」


 とまあ、こういう訳である。これ以外にももっととんでもないフレーズが飛び交っていたりもしたが、まあ良いだろう。とにもかくにも冬野は一躍クラスの……いや、学校中の人気者となったのだった。まあ、それも冬野自身の「ちょっと活発な可愛い女子生徒」を演じる力によるところが大きいとは思うのだが。隣で見ていた春彦からすれば違和感が半端なかった。一体誰だお前は。


 そんな動の休み時間と静の授業時間を経て、漸く昼休みになったと思ったら、


「冬野さんって、まだ学校内の施設とか良くわかってないよね?俺らが案内してあげるよ」


 クラスメートの数人が、そんな申し出をしてきた。名前は……忘れた。取り敢えずチャラ田(仮)とチャラ村(仮)とチャラ川(仮)ということにしておこう。覚えるだけ無駄だろうし。


 そんなチャラトリオの申し出を、冬野は、といえば、


「わあ、ありがとう。お願いできるかな?」


 あっさりと承諾した。正直なところ春彦は止めに入ろうか悩んだし、実際に口を挟もうとしたのだが、冬野に手で止められた。後で貰った連絡によると、



「ああいうのは少なくとも最初のうちは手を出して来たりしないから大丈夫。むしろ私をゲットしたいと思ってるから印象を良くしようと躍起になってるだろうし、いいコマとして使いやすいと思う」



 と返ってきた。チャラトリオの余りの扱いの悪さは気の毒にも思えたが、そもそもからして下心しかないわけだから同情の余地は無いのだろう。第一彼らに冬野あおいという難物を正攻法で落とす気があるとは思えない。どこかで諦めるか豹変するかの二択だろう。


 さて。


 そんな訳で様々な問題を起こした冬野はモブ三人を率い、嵐のように教室を去っていた訳なのだが、そこに春彦が同行しなかった理由はなにも、冬野から止められたからだけでは無い。もうひとつ、重要にして大きな理由があった。それは、


「で?誰なの、あの子」


 星咲ほしざき六花りっかである。


 春彦のクラスメートにして幼馴染。それこそ小学校に上がる前からの付き合いで、かつては一緒に風呂に入ったこともある腐れ縁だ。


 冬野ほど目を引くわけではないが、星咲も割と容姿は整っている。肩ほどまである茶髪のポニーテール。いつも半分くらいは閉じられている何を考えているのか分かりづらい目。両耳に付けられたピアス。


 昔を知っている春彦からすると随分垢ぬけた感じがするし、近くにいなくてもその変化は感じ取れるのか、高校に入ってからは男子からの告白をされるというイベントが複数回発生している。


 ただ、そのどれも「今はその気、無いんだよね」という一言でバッサリと切り捨てており、最近は何を考えているのか、正直春彦でも分からない時の方が多い。


 そんな彼女だが、流石に今回ばかりはある程度何を考えているのかが読める。


 間違いない。冬野について教えなかったことを腹に据えかねている。


 いや、論理的に考えればおかしいのだ。いくら幼馴染で腐れ縁とはいえ、春彦の交友関係を全て星咲に教える必要性はどこにもないはずである。


 しかも、春彦は隠していたわけではない。実際に”あおい”の存在については話していたし、そのことについても隠していることは殆ど無かったのだ。ただ、一つ。性別を除いては。


「誰なの?と言われてもな。知り合いだよ、知り合い」


「知り合いねえ……」


 ジトっとした目を向ける。


 怖い。超怖い。


 六花は基本声を荒げて怒るタイプではない。ただ、不機嫌にはなるし、怒ることもある。そんな時の六花は大抵こういう感じになるのだ。


 ただ、そんな尋問を誰かに聞かれるのは嫌なのか、場所は現代文化研究部の部室である。昼休みになるやいなや星咲に連れてこられた。出席者は二名。日下部くさかべ春彦と星咲ほしざき六花りっか


 丸子まるこはオンリーイベントで出す同人誌の締め切りがやばいと言っていたので、学校にすら来ていない可能性があるし、部長の鷺沼さぎぬまは相変わらずどこかを放浪中だ。


 自分だと思ってくれと言わんばかりの大きな荷物が部室の端に置かれているが、恐らく週末にでも届いたのだろう。相変わらず自由な人だ。


 助けの来ない部室で春彦は尚も弁明する。


「知り合いだよ、知り合い。名前で分かるだろ?碧だよ」


「でも碧さんってネットの知り合いでしょ?なんでうちに転校してくるの」


「それは俺が聞きたい。ただ、今回のことに関しては俺も知らなかったし、驚いてるんだよ。うちに転校してくるなんてこと、普通はありえないからな」


「つまり普通じゃないってこと?」


「まあ、そういうことになる」


「ふーん…………」


 星咲は納得半分疑念半分という感じで、


「で?あんな可愛い子なのは?聞いてないよ?」


「いや……そりゃあまあ、話してないからな」


「ふーん……………………」 


 だから怖いって。なんでそんな声低いの。


「いや、仕方ないんだって。あいつ、ネットだと性別隠してるから?」


「隠してるって、なんで」


 春彦はお手上げといった具合に両手を上げ、


「それも本人に聞いてくれ。ただ、結構ある話だぞ?女性がネットだと性別を隠してるなんてのは」


 星咲は漸く普段の調子に戻り、


「そうなの?」


「そう」


「なんでまた」


「そりゃ、色々と面倒だからだろ。物にもよるけど、ファンの男女比率が極端に偏ってるジャンルだとな。女性ってだけで面倒なことが起きたりするんだよ。オタサーの姫とかな」


 星咲は全く興味無さそうに、


「へー……まあいいや。要は冬野さんに聞けば良いってことね?」


「まあそういうこと……」


 春彦はそこまで言ってとまり、


「あ」


「あ、って何よ」


「いや……」


 星咲の言う通り、一連の出来事に関して春彦が語れることは少ないし、冬野に直接聞くのが一番手っ取り早いはずなのだ。少なくとも普通の相手なら。


 問題は冬野だ。


 彼女は概ね「普通の相手」ではない。


 それこそ回りに春彦しかいない状況でも、空き教室から一歩廊下に出ただけで演技にっ徹してしまうような女だ。いくら春彦の幼馴染とはいえ、ほぼ初対面の相手に果たして本音で接してくれるだろうか。


 ネット上の話を持ち出せばある程度は語ってくれるかもしれない。しかし、細かな部分では真実が語られない可能性は高い。そうなったときに星咲の機嫌がどうなるかは、余り考えたくはない。


 彼女は春彦を信頼している。だからこそ、理由もなく何かを隠されることをかなり嫌っている。今回のこともそれが原因と言っていい。仮に春彦が「冬野に聞けば全部答えてくれる」などと豪語して、実際には何も語ってくれなかったり、最悪嘘をつかれると非常に困る。


 と、いう訳で、


「さっき言っただろ。葵は性別を偽ってるって。もし仮に、六花に色々と聞かれたとしても、まともに話してくれない可能性があるんだよ」


「なにそれ。じゃあ、どうしたらいいわけ?」


「うーむ………」


 考えろ。


 冬野の”アレ”はあくまで演技だ。演技は常時しているものではない。だからこそ春彦みたいな本性のバレている相手の前では全くしない。何故なら、その必要が無いからだ。


 ただ、それも「誰か他の人間に聞かれている可能性がある場合」は話が別だ。だからこそ廊下に一歩出た段階で演技を開始した。


 逆に言えば、「誰かに聞かれている可能性が無い場合」であれば、その警戒も緩むはずである。そうなれば、方法はおのずと固まってくる。ただ、問題は「その状況を作れるアイテム」である。


 探せ。


 何かないか。


 冬野に「ここには春彦と自分しかいない」と誤認させるアイテムは、


「あ」


「何。思いついた?」


 部室内を見渡していた春彦の目に、一つの巨大な物体が映る。


 鷺沼からの贈り物だ。


 中身は恐らく良く分からない巨大な置物だが、それを運ぶためには当然大きな入れ物──すなわち段ボール箱が必要となる。


 彼女の寄越す置物は大抵において背の高いものが多い。従って「よほど大きくなければ人一人位は入り込むことが出来るわけだ。そう、つまり、身長が女子の平均程度しかない星咲六花一人が隠れるくらい、なんでもないのである。

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