1.現実もたまにはトンデモ展開を見せるらしい
episode.1
「ああああぁぁぁぁああぁぁああぁぁああああああ…………」
「どしたの?」
悲鳴と泣き声とうめき声をミキサーにかけてそのまま出力したような
表情も殆ど変わっておらず、「ああ、いつものね」という雰囲気が感じ取れる。もっとも、彼女の目が見据えている先が春彦ではなくて、右手に持っているスマートフォンの画面であるという時点で、その真剣度はうかがい知れるというものだ。ちなみにその画面に表示されているのは週間天気予報である。
「週末雨だって。やだなぁ」
「あの、六花?六花さん?」
「うん?何?」
「一応聞いてみるけど、俺と週末の天気、どっちが」
「週末の天気」
「大事…………せめて言い終わるまで待ってくれ」
「やだよ。どうせ答え決まってるし」
「そんなに?」
「うん」
星咲は縦に頷き、
「少なくとも、ホームルーム前に人の机にやってきて、こっちの運気まで下がりそうなうめき声を上げる人より、週末の天気が大事ってことは無いでしょ。どしたの?」
「いや、まあ……」
春彦は窓の外を物憂げに眺めながら、
「なあ、六花。何でこの世界はこんなにも退屈なんだろうな」
「あ、でも午後にはやむみたい。じゃあ洗濯物は大丈夫かな」
「お願いせめて反応くらいはして」
どうやら星咲にとっては洗濯物の乾き具合の方が重要のようだ。まあ、自分でやっておいてなんだが、正直ウザいことこの上ないとは思う。
星咲はため息を一つつき、
「また読み返したの?」
「まあね」
そう。
春彦が朝っぱらからこんなどうしようも無いことになっているのには一応、ちゃんとした理由があるのだ。
それが、
「春くんも好きだねぇ、新月の夜」
新月の夜、である。正式名称は”新月の夜をもう一度”。現在単行本が四巻まで発売されているライトノベルで、春彦のバイブルでもある。
昨今のひたすら説明だけが並んだ長ったらしいタイトルでもなければ、流行りの異世界転生ものでもない。言ってしまえば「売れ線に乗った作品」ではないのだが、そんな流行に乗らない層からの支持は厚く、全体的な質の高さに驚いた読者の間でじわりじわりと人気が広がってきているというのはもっぱらのうわさである。
そんな作品を春彦は一巻の頃から愛読しており、ネット上では同じ志を持つ同好の士と交流を持ったりしているのだが、
「ほら、六花にも前教えただろ?イベントで、」
そこまで言うと星咲は「あー」と納得し、
「なんだっけ。あおいさん?」
「そ、
「何それ?」
春彦は両手を「お手上げ」といった具合に掲げて、
「分からん。聞いてはみたんだが「そのうち分かるから、今は内緒」だとさ」
「ふーん…………で、そのあおいさんが一大決心をした、と」
「そう。今日からなんか始めるんだって。そんな話を聞いたもんだから思わず新月の夜第一巻の」
「あーその話はいい。もう聞き飽きたから」
六花は手をひらひらさせて、
「で、読んでたらこの有様ってこと?」
「有様って言い方は引っかかるが……まあ、そういうことだな」
ため息。そして苦笑。
「なんていうか……変わらないね」
「それは褒めてるのか貶してるのかどっちなんだ?」
「褒めてるんだよ。いいとこだと思うよ、春くんの」
そんなことを感慨深そうに言う六花の目はどこか遠くを眺めるようで、
「六花……」
そんな目が何となく気になって声をかけようと、
「はーい、席につけー。ホームルーム始めるぞー」
した瞬間だった。
教室の扉ががらりとあき、担任の
「じゃ、また後でな」
「んー」
春彦は自分の席に戻り、星咲もまた、自分の世界へと帰っていく。クラス中にまばらになっていた同級生たちも、始業前の空気を引きずりながらのろのろと自分の席へと帰っていく。いつもの光景だ。
だた一つ、池上を除いて。
「あん…………?」
既にクラスメイトが着席をしたにも関わらず、池上が教壇に立っていない。
そんなことは通常であればまずありえない。
数学教師を務める池上はかなりきっちりとした男で、ホームルームを時間通りに始められないことを非常に嫌う。従って、自らが教壇に立っているのにも関わらずぐだぐだと自分の机に戻らない生徒を注意するのだ。
行為そのものは全く間違ってはいない。いないのだが、いかんせん池上はそこに短気も伴うので、彼が教壇に立つ方が遅いということはほぼなく、大抵誰かが注意されることになるわけで、これはもう二年A組に属する生徒にとっては。ちょっと億劫な、けれど既に見慣れた朝の光景なのだ。
その、おなじみのイベントが発生しない。
まだ新学期が始まって一か月程度しか経っていないとはいえ、初めてのことだ。
では問題の男はどこにいるのかといえば、
「…………分かった。そうする。そうするから」
教室の端。扉の辺りだった。どうやら外にいる人物と会話をしているようだった。その口調はここから聞き取れる限り、同僚の教師とは思えない。つまり、
池上が扉を閉め、漸く教壇に上がる。
「あー……遅れてすまない。普段あれだけ言っておきながら、俺がこんなざまじゃ駄目だな。申し訳ない」
きっちりとした男はやはりきっちとした謝罪を、それはそれはだらだらと続けた。要は彼にとって時間に厳しいことはそれほど重要では無いのだろう。
そして、大半の生徒はそんな池上の中身の無い謝罪よりも、扉の向こうにいるであろう存在の方に注意が向いていた。ここまでくればもう話は明らかだ。池上が遅れたのは間違いなく転校生かなにかが来たからであろう。遠くから「女子っぽかった」という情報も流れてくる。教室内はいよいよそわそわとした空気に包まれていく。
池上は「降参」といった具合に頭の後ろをかき、
「分かった。気になるよな。よし、取り敢えず紹介しよう」
そこまで言ってから教室の外へと語り掛けるように、
「入っていいぞー!」
瞬間。
ガラッという音がして扉が開く。遅れて、一人の女子生徒がゆっくりと教室に入ってくる。腰ほどまでに長い銀髪。胸が若干未発達なこと以外は概ね文句のつけようがないスタイルの良さ。そして、何より横顔でも目を見張るほどの顔の良さ。極めつけに瞳の色は青ときた。
そんな、いい意味で規格外の見た目は、一瞬の静寂と共に教室中の注目を集めた。その多くは「綺麗」とか「美人」といった内容のものだった。ただ一人の例外を除いて。
教室内の空気を支配した女子生徒は教壇へとたどり着くと、くるりと春彦たちの方を向き、ひとつ間違えればこれだけでも一目惚れしてしまう人間がいるかもしれないと思う程完璧な笑顔を浮かべた後、一つ会釈をし、
「初めまして。今日からこのクラスに転入させていただきます、
ここで一つ手を口に添えて口ごもり、
「共学の学校に通うのは実はこれが初めてで、緊張しています。至らない点もあるとは思いますが、どうか仲良くしてください。よろしくお願いします」
もう一度深々と会釈。その所作はとても一介の高校生とは思えない。
池上が気まずそうに、
「あー……今彼女が言った通り、今日からこのクラスに転入、という形となる。本当は事前に知らせたうえでという形にしようと思っていたのだが、一日でも早くということで、こういう形になった。まあ、細かいことはおいおい説明するとして……冬野?」
そんな彼を尻目に、冬野はチョークを手に取り、黒板に文字を書いていく。
冬 野 葵
くるっとターン。
「漢字はこう書きます。覚えてくれたら嬉しいな」
ちょっぴりはにかんだ笑顔。恐らくこれで大半の男子は心を鷲掴みにされただろう。一対一でそんな笑顔を向けられた日には、時代錯誤かつ、勘違い甚だしいラブレターでも下駄箱に突っ込みかねない。それくらいの魔力が彼女の笑顔にある。
池上は完全にペースを掴まれ、
「とにかく!そういうことだから、皆色々教えてやってくれ。それで、彼女の席だが」
冬野はびしっと音が出そうなくらい勢いよく指をさし、
「あそこが良いです。一番後ろの、一番右」
指をさされた男子生徒は「え、俺?」という顔をしている。ちなみに彼の席はちょうど春彦の隣だ。
冬野は再び席を指さし、
「それが駄目なら、左から三番目の一番後ろがいいです。このどっちかでお願いできますか?」
そう言いつつ冬野は池上に視線を流す。説明するまでも無いかもしれないが、彼女が第二候補として提示した席は言うまでもなく春彦の右隣である。
池上はため息をひとつつき、
「今指名された二人でじゃんけんをしてくれ。負けた方が席を譲ってやってほしい。その場良い譲った方の席は最後列のどこでも好きに選んでくれて構わん」
おかしい。
クラス中にそんな空気が充満する。その関心事は概ね、余りにも転校生・冬野葵の待遇が良すぎることと、その彼女が何故か日下部春彦の隣を所望しているらしいことの二つで占められていた。何人かは直接春彦の方を眺めているし、左隣からは「あの子お前の知り合い?」という言葉も飛んでくる。
ただ、今の春彦にはそんなものに答える余裕はなかった。
結論から言えば、確かに教壇に立っている女子生徒には見覚えがある。
いや、見覚えがあるなどというレベルではない。
彼女は共に「新月の夜」を愛する同好の士であり、お互いにままならない日常への愚痴を言い合う仲であり、オフ会も済ませ、既に互いの顔も分かる間柄であり、昨晩も遅くまでSNSを通じて会話をしていた相手なのだ。
そう。今教壇から笑顔で手を振っているのは、春彦の良く知る
それでも思う。
あれは、誰だ。
春彦の知っている”碧”こと冬野葵はあんな笑顔を振りまくような人間でも無いし、計算と礼節を組み合わせた挨拶をするような人間ではない。二言目には毒舌と暴言が飛び出す人間であり、あんな爽やかな笑顔よりも、人目をはばからない爆笑の方がよっぽど覚えがあるくらいだ。
共学校に通ったことなどないというが、そもそもこの春までは学校にすら通っていなかったはずである。そのことに対する彼女の主張は、
「勉強をするだけなら要らないでしょ、あんなもの。くだらない」
とのことだったのだ。だから春彦も脳内からその可能性を削除していたが、一大決心というのはこれのことだったのだろう。
「よし、それじゃ冬野の席は窓際の一番後ろだな。椅子と机は、空き教室にあるものを選んでもらうことになるが……
クラス中から文句の声が上がる。そりゃそうだ。降ってわいてきた女子転校生の好感度アップイベントが、一人の男に取られようとしているのだ。池上はパンパンと手を叩いて、
「こら、静かに。たかだか机を運ぶだけだろう。頼めるな、日下部」
「え、あ、はい」
日下部からすれば正直それどころではなかった。
が、これは一つのチャンスかもしれない。机と椅子を取りに行くのを手伝うということはつまり、彼女と二人きりということになる。そうなれば彼女に真意を聞くことも出来るかもしれない。そう思い、ふと視線を冬野の方へと移す。
「…………?」
小首をかしげて笑顔。相変わらずだった。
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