だから僕は彼女《ヒロイン》に恋をする

蒼風

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 事実は小説よりも奇なり。


 文字通り、どこかの誰かが頭の中でこねくり回して出力した、夢と希望を詰め込んだはずの物語よりも、現実に起こる出来事の方がよっぽど不思議なものであるという意味の言葉だ。


 その出所はイギリスの詩人バイロンなのだそうだが、大半の人間にとってそんなことはどうでもいい、些細な事実であって、重要なのはその言葉の持つ意味でしかないし、もっと言ってしまえば「小説のような作られた出来事よりも、現実の出来事の方が凄いね」という共感の方がずっと大事であるに違いない。


 だからこそ、日下部くさかべ春彦はるひこはこの言葉が嫌いだった。

 小説よりも事実がよっぽど不思議だというが、そんなのは本当にまれだ。色んな物事を観察していけば分かる。このフレーズを適用できるケースなんてほぼ無いに等しい。


 もちろん、そういうケースも中にはある。


 物語で作ったトンデモ設定が、現実の人物にあっさりと越えられることもあるし、物語の中では大げさな例として取り扱っていた事例が、現実には起こってしまうなどということは確かに、ある。


 しかし、しかしである。


 それらの事例はあくまでマイノリティー中のマイノリティーにすぎない。


 そして、それはもちろん高校生である春彦にとってもまた、例外ではない。


 春彦の通う藤之宮ふじのみや学院高等部にはとんでもない権力を持つ生徒会もなければ、一から部員集めをして甲子園に行く野球部も存在しない。


 バレンタインデーは大半の男子にとっては大して意味の無い普通の平日でしかないし、エイプリルフールに至っては春休みのことが多いから特に誰かに嘘をつく機会も無ければ、つかれる機会もない。


 修学旅行で男子が女子の風呂に忍び込むことだって出来ないし、入れ替えの時間を間違えてうっかり好きな子と混浴になってしまうなどということは天地がひっくり返ってもありはしない。


 いや、むしろあってはならないのだ。


 そうでなければ小説をはじめとしたフィクションは一体なんの為にあるのか。面白可笑しく、そしてちょっと恥ずかしい学園生活がどこにでも実在するありふれたものであるのならば、学園ラブコメなどというジャンルは死滅していなければおかしいのだ。


 結論を言おう。


 世界は基本、退屈なものなのだ。


 学生生活などはその最たるものと言っていい。


 それでも皆「まあ、そんなものか」とどこかで諦めをつけて、妥協と凡庸さにまみれた日々を送るようになっていく。


 そして、そんな「諦め」に満ちた選択は、春彦にとってもっとも忌むべきものだった。


 けれど、どうしていいか分からなかった。


 いや、きっと違う。現状を打破する勇気も意思も無かったのだ。


 そう。だから春彦にとって、常に諦めず、誰かに迎合することなく、自らの意思で行動する彼女の姿はとても理想的で、そしてカッコよく映った。


 だからこそ、目の前に広がる光景が信じられなかった。


 事実は小説より奇なり。


 春彦の嫌いなそんなフレーズが、今はしっくりくる。


 だって、


 彼女──冬野とうのあおいが転校してくるなんてこと、ありえるはずがないのだから。


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