十二通目の手紙

 それにしても、ここにいると、本当に話題には事欠かない。そういえば、またそろそろイタチに手紙を書かなければ。気を悪くしている頃だろうから。


 


 小さいイタチ君へ。


 ゆうれい退治は無事に終わりました。正直に言うと、退治した、というよりは、勝負が流れて消えてしまっただけなのだけれど。僕が勝ったわけでも、ゆうれいが負けたわけでもない。


 その時僕がどんな気持ちだったか。それは、リボンのついた箱を開けたら、クリームもデコレーションも何も無い、スポンジだけのケーキが出てきたところを想像してもらえば、よくわかってもらえるだろうと思うよ。そうじゃなければ、砂糖を入れ忘れたクッキーでもいい。


 食べられないわけではないけれど、美味しくはないのは明らかです。


 一体、なんだってこんなものをていねいに箱詰めまでしたっていうんだ!


 誰もがそうであるように、僕だって残念に思います。


 ケーキはきれいに飾られてたっぷりクリームのドレスをまとっているものである。クッキーは甘くあるべきである(チョコレートチップが入っていると、なおよろしい)。


 なぜなら、それが一番美味しいからだ!


 僕は、拳をテーブルに叩きつけて訴えます。けれど、その訴えは相手にもされないのです。


 そう、それはその通り。だからといって、スポンジだけのケーキや砂糖抜きのクッキーが、箱詰めされてはいけないという道理もないだろう。がっかりするのは、君の勝手だ。


 ケーキやクッキーにそう言われたら、僕はしぶしぶながらも、うなずくしかありません。どうしてかって?そんなつもりはなくても、僕もまた、四角い箱の中にいたのだから!その事実をまた残念に思ったものです(君はくれぐれもそうならないように……)。


 ずいぶん長い説明になってしまいましたが、実はこれを一言で説明することもできます。


 肩すかしをくらった。


 けれど、白くて立派な封筒の中に澄まし顔で入った手紙を、この一言だけで終わらせてしまっては、それこそ肩すかしをくらうようなものでしょうから、くどくどと書いたというわけです(もし、肩すかしをくらった方がマシだ、と思ってしまったら、君も箱の中にいる可能性があるだろうから、気を付けてください)。


 そうは言っても、心配には及びません。


 たとえ肩すかしをくらったとしても、がっかりするにはまだ早い。ここには次々にいろんな箱が送られてくるのです。一つを開けてみてがっかりしたとしても、その隣にある箱には……さて、いったいどんなものが隠されているのか。


 そう、僕が新しい箱を作ればいいのです。このまま終わらせるわけがない。何せ、僕は物語を作る詩人だ。


 きっと君が喜ぶような面白い箱を用意してみせるよ。今度こそ、肩すかしをくらうことがないことを願うばかりです。


 それからもう一つ。面白おかしい話には事欠かないこの劇団には、名探偵にでもなって解き明かさなければならない謎もまた、舞い込んできたようで、これは君が喜びそうな話だと、僕の筆も、この先の話を君にいつ話して聞かせられるかと、うずうずしています。


 君も、心をうずうずさせて待っていてください。


 しかし果たして、それが喜ばしいことなのかはわかりませんが。


 


                               おじさんより。


 

 この時は、そんな風にどことなく面白半分でいたのだが、程なくして僕は、自分の勘も馬鹿にしたものではないと知ることになる。


 断っておくが、僕はそこまで詮索好きではない(そうは言ってもあまり信じてはもらえないだろうが)。だから、図らずも盗み聞きをすることになってしまったのも、偶然の成り行きなのである。


 この手紙を、嫌がられるのを承知でまた宿の主人に預けに行くその途中のことであった。廊下を歩いていると、通りかかったある部屋の扉が半開きになっていた。中は真っ暗で明かりは点いていなかったから、誰が使っている部屋だか知らないが、不用心にも出る時にドアを閉め忘れたのだろうと思った。だが、中から人の話し声が僕の耳を掠めて行ったので、思わず足を止めてしまったのだ。


 いずれにせよ、不用心であるだろう。出かけるのにも、密談をするにも。


「よくものこのこ戻って来れたものね」


 女の声がそう言った。極力声を抑えているが、しっかり聞こえてしまう。これは、マリだかユリだかエリだか、七つの名前を持つ赤い髪の女のものだろう。少し間があってから、続いて男の声がした。先ほどの彼女の言葉から察するに、これは例のお騒がせな俳優の男だろう。


「よく聞けって。……どうやら、あいつらにここを嗅ぎつけられたらしいんだ」


「へえ、それで私を見捨てて先に逃げたんじゃなかったの?」


「違うって、確証がなかったから、確かめてたんだ。だからこうして戻ってきただろう」


「本当かしら」


「本当だって!」


「手はずは整ってるわけ?」


「もちろん、その準備もしてきたんだよ」


「そう。……でも、あんたのその能天気な顔を見ていると、不安になるのよ」


「失礼なこと言うなよ。上手く行けば、これで不安要素は一掃できる。連れてきたあの男は、協力者だ」


 また間があった。恐らく、彼女は迷っていたのだ。この男の言うことを鵜呑みにしていいものかどうか。


「簡単には信じられないけど……どの道、いつまでもこのままじゃ危ないわよね」


「だろう」


「それに、もう飽きてきたのよね……いつまでもこんな演劇ごっこをしているのは……」


「演劇ごっこねぇ……しかし、お前もよく考えたよな。普通、こんな目立つことしようと思わないって」


「だからこそ、よ。常にいろんなものに化けることが出来るじゃない。それにここなら評判の立ちようもないし」


「なるほど」


 笑い声が不気味に響いてくる。やはり、サスペンスがあったではないか。しかし、思っていた以上に、面白可笑しい話とは言い難そうではあるが。さて、どうしたものか。善人ならば、ここで二人の企みを突きとめて阻止するだろうが、僕は決してそうであるとは言えまい。一体彼らが何をしでかすつもりなのか、場合によっては野放しにして見届けるのも面白そうである。


 だが、善人はこう言うだろう。神の目は、悪事を働く者をしかと見ている、と。


「子供の頃に、好奇心は怪我の元って教わらなかった?」


 不意に背中から、咎める声が本当に聞こえてきた。驚いて、思わず声をあげそうになってしまったが、二人に気付かれてはまずいと、なんとか喉もので抑え込んだ。振り向くと、女王陛下がにやにやと笑いながらそこに立っていた。相変わらず、神出鬼没だ。


「盗み聞きとは、なかなか素敵な趣味をお持ちじゃない」


「いや、そんなつもりはなかったんだ」


「まあでも、あからさまにそこに秘密がありますよって言われて、無視できる人間もなかなかいないわよね。空耳が聞こえるのよ……さあ、パンドラの箱を開けるのだ、ってね」


 何故か、彼女は嬉々として、いたずらを企てる時の我が甥とまったく同じように、目を輝かせている。なるほど、彼女が都合主義を歓迎していたのは、そういう理由もあったのか。


「君だって盗み聞きしてたんじゃないか」


「私だってそんなつもりはなかったのよ。……じゃあこの場合は、こんなに誰にでも聞こえるように密談をする、不注意だったあちらさんが悪いってことでいいんじゃない?」


「……それは鍵をかけ忘れた家に入った泥棒と同じ台詞で、なかなか魅力的だね」


「でしょう。私にも才能があるかもしれないわね。今度脚本を書くときは、協力してあげる」


 その時、部屋の中で動きがあり、人影がこちらへ近づいてくる気配がした。騒がしくなって、気付かれてしまったらしい。さっと、場の空気に緊張が走った。


 やがて、七つの名を持つ女が戸口に現れ、目を眇めて僕らを一瞥した。体内の温度が数度下がった錯覚を覚えてしまった。今更、罪悪感や危機感が働くとは。隣にいる女王陛下は、どうということはなさそうに、泰然と構えていたが。


「いっそ、誰もが遠慮しないように、拡声器でも使って話せばよかったかしら?」七つの名を持つ女は、皮肉を言う余裕はあるようであるが、こめかみが波打っていた。「でも、それよりも、もっと素晴らしい言葉を教えてあげるわよ。……盗人猛々しい」


「だから、弁論大会は嫌いだって言ったでしょ。その気は無くても、偶然に聞こえちゃったものを責められても、こっちが困るわよ」


 悪びれた様子も見せずに、女王陛下はいけしゃあしゃあと、また盗人猛々しい理論を展開する(同じ穴の貉の僕にそんなことを言われていると知れば、彼女は気を悪くするに違いないだろうが、ここでは、棚上げ、という言葉を活用させていただこう)。しかも、その正当性についての論議を拒否している始末である。少しずつ、七つの名を持つ女の中で、苛立ちが募っていっているのを、僕は感じずにはいられなかった。


「それはごめんなさいね。……じゃあ、偶然にこんなところで、二人は何をしていたのかしら」


 さて、どう言い訳をしたものか。僕が上手い言い訳をすぐには考えつかずにいると、突然に女王陛下が、腕に絡ませてきて、ぐいと僕の身を自分の方へ引き寄せた。


「そちらさんと同じ、良からぬ密会よ。野暮ねぇ」


 しらじらしい。すぐにばれる嘘に、七つの名を持つ女は、皮肉の笑みを見せた。


「……あんたを見ていると、人間って同じことを懲りることも、飽きることもなく繰り返す、本当に愚かな生き物だって思い知らされるわ。嫌になる」


「同族嫌悪って言葉知ってる?」にやりと、女王陛下は笑って見せた。「ちなみに言うと、私はあなたのこと嫌いじゃないけど」


「そう、有難迷惑」


「その言葉こそ、何よりも有り難いわね……魔女さん」くすくすと笑いながら、彼女はわざとらしく僕の方を一度、ちらりと見た。「断っておくけど、これは勝手に人の名前を付けるのが好きな誰かさんが、あなたのことをきっとそう呼んでると思っただけで、私が言ってるわけじゃないわよ」


 余計なことは言わないでほしい。案の定、魔女の鋭い視線が、ちくちくと突き刺さって来る。僕は自分の腕に絡みついていた女王陛下の手を振り払った。


「君たちの話をそのまま劇にすれば大ウケするんじゃないか。僕の平凡な頭を力の限り捻って出てきたものより、面白いような気がするよ」


「自分で平凡と認めちゃ、お終いよ」


「君が言ったんだろう、つまらない男だって」


「それでも自分で認めたら、もうそこまでよ。一生そのまま!」


「有り難いご教示をどうも」


 横目で七つの名を持つ女を伺い見ると、目が合った瞬間に、彼女は魔女のように微笑んだ。


「あら、つまらなくはないわよ。あなた自身の話だって、そのまま劇にしたら超満員になりそうじゃない」あからさまに僕が動揺を見せてしまうと、ますますその笑みは黒い色を覗かせた。「怒らないでよ、私だって、偶然聞いちゃったのよ、あなたから預かった手紙を出しに行った時にね。……じゃあ、お詫びに私の話を洗いざらい喋りましょうか?」


「そうですね……でも、正面きっての告白は、偶然の盗み聞きよりは魅力を感じませんけど」


「だからよ」


「首を突っ込んだからには、逃げられないと言うことか」


 ため息を落とす僕とは反対に、女王陛下は楽しそうにまたケタケタと笑い出した。


「だから、好奇心は怪我の元だって言うのよ」


 そんな彼女の態度が気に食わないようで、七つの名を持つ女の右の眉がつり上がったが、その顔にはまたすぐに魔女の微笑みが戻った。


「大丈夫よ、そんなこと言っても、この人は余計なことに首を突っ込むのが好きなのよ。そうでしょう?」


「そうですね、もうこうなってしまっては、否定のしようがない」


 僕は両手を挙げて、降参の意を示した。魔女が(もうそう呼ぶことにしよう)満足そうに頷くのを、複雑な思いで見ながら。


「こんなはずじゃなかった、って頭を痛める羽目になるってわかっててもね。……そうよ、私だってね、そう思ったのよ。まあ……人生が狂ってしまった人は、誰でも好きでそうなったわけじゃないでしょうけどね、そうじゃなきゃ、ただの愚か者なんでしょう。これでもね、慎ましく生きて行こうという気はあったのよ。幸せだって何だって、ささやかでいい、難しいことは何も望んではいなくて、誰でも持っているようなものがあればそれでいいと思っていたの。でも、それが一番簡単なように見えても、一番難しいのよ」


「なんだか古い歌のようだけど……それは残念ね」


 女王陛下が、明後日の方向を見ながら退屈そうに言うと、魔女は、眉間にしわを寄せた。


「まだ何も話してないわよ」


「これは失礼しました。……それで、一体何にあなたは人生を狂わされたのかしら」

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