第50話 君とあの夜
どっちが悪いとかじゃないし、あえて言うなら悪いのは僕だ。ふたりで楽しい時間を過ごすうちに、いつのまにか、我を忘れてしまうくらい離れ難くなっていた。
猫と戯れる相川くん、男子高校生かのようにごはんをいっぱいたべる相川くん、そういう何気ない瞬間の、どれもが愛おしくて。
だから彼が時計を確認して、そろそろ帰るという雰囲気になった時、僕はつい声に出してしまったのだ。
『相川くん』
『なんだよ』
『もう帰っちゃう?』
僕はいつもこうだ。面倒くさい人間になりたくないと思いながら、感情にずるずると引きずられる。
でも面倒だと思っているのかいないのか、そんな様子はまったく表に出さずに、あっけらかんと彼は言った。
『んーそろそろかなー、明日からまた一週間が始まるし』
『だよね…。今日は、遊びに来てくれて本当にありがとう』
気を取り直して笑ってお礼を言う。また近いうちにこんな日を過ごせたらいいな。そういう願いを込めて。
『改まるなよ気持ち悪いな』
『…あのさ、僕』
『ん?』
『優也って呼んでもいいかな』
『わざわざ聞くことかよ。いいよ別に、俺なんか最初から呼び捨てだろ』
『ん、ありがと』
これ以上接近したら嫌われる。それはいまの身体の距離も、心の距離もだ。気持ち悪いと思われる。どんどん好きになってしまっているから、なおさら、それだけは避けたかった。嫌われたくないというのもあるけれど、僕みたいな人間のことで彼の日常を煩わせたくない。
見送りに行った玄関で、これ以上はだめだ、という心の声に逆らって、僕は気がついたら彼のパーカーの袖を掴んでいた。あ、ゼロ距離じゃん。と、もうひとりの僕が冷静に考える。
『?!何、離せようっとおしい』
振り払いはしないものの、今度こそ面倒くさそうな表情で吐き出された拒絶の言葉に怯みながら、もう、後戻りできないのを感じていた。飲み込まれてしまいそうだ。このまま。終わってしまう。
『…って』
『へ?』
『なんか、帰らないでほしいなって…』
『……』
相川くんはなにを考えているのだろう。怖くて顔があげられない。引いたに決まっている。このまま終わるのだろうか、せっかく仲良くなれたのに。それは嫌だ。
『ごめん、嘘嘘。じょーだんっ!』
『……』
『可愛かったろ?ちょっとくらいトキメイたりした?』
手をすぐに離し、いたずらっぽい笑みを浮かべた。せっかく友達になれたのだから、その関係を終わらせたくない。まだ間に合う、と自分に言い聞かせながら、すべて冗談で済ませる選択をする。危なかった。間違えてはいけない。友達は友達に、きっとこんなことはしないから。
しかしそんな僕に、今まで見た中で一番優しい顔と声で、彼は言った。
『…あんま寂しい顔すんなよな。またすぐ遊びに来てやるからさ』
『…ねえ、それほんと?』
せっかく冗談で終わらせたのに、彼の優しさが身に染みて、すがりつくように言ってしまう。彼は頷く。
『嘘つかねえよ』
『でも、優也、忙しいんじゃなかったの』
『ああ、めちゃくちゃ忙しーけど?…でも、また来るよ。』
『…待ってる。』
そんなの勘違いだと、思い上がりだと、分かってる。でも、好きでいてもいいのだと言ってもらえたような気がして、僕は、なにかに期待してしまう。これ以上ないくらい幸せなのに、みじめなのはなんでだろう。
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