37.酔っぱらい大家さんと究極の選択
俺の体重を量り終え、満足した大家さんはそのまま眠ってしまった。残された俺はというと、大家さんが寝ている横で彼女が作ってきてくれたおつまみを片手に一人お酒を飲んでいた。
「大家さん、まだ一口しか飲んでないのにこれって……」
にもかかわらずこの酔っぱらいよう。こんなにも弱いのに何故この人は俺を飲みに誘ったんだろう。そんなことを考えていた時である。大家さんの隣に置いてあった手提げバッグが突然ブルブルと振動を始めた。電話だろうか?
「うるさいわね。ナッキー!」
手提げバッグの中から携帯を取り出した大家さんはそれをひょいっと俺の方へと投げて渡す。え、俺が出るんすか。
「で、でも俺が出て良いんですかね?」
「……」
問い掛けるも唯一今俺の問いに答えられる者は再び眠りについていて返事などきそうにない。こうなったら仕方ないと恐る恐る大家さんの携帯の画面に映し出された通話ボタンを押す。しばしの雑音の後電話の向こう側から知った声が聞こえてきた。
『あ、やっと出た。姉さん出るの遅いよ』
『……えーと、その久しぶり。小夏ちゃん』
『えっ……もしかしてナッキーさんですか?』
『うん一応』
『もしかして姉さんと同棲でも始めたんですか?』
『何でそうなるの』
大家さんと同棲なんてそれはもう死を意味するからね。その意味を分かっているのかしら。
『だったら何なんですか? 姉さんが誰かに携帯を預けるなんてただ事じゃないですよ?』
『それは色々あったというか、お酒を飲んだというか』
『まさか姉さんがお酒を飲んだんですか?』
『うん、そういうことになるかな』
電話の向こう側の声がいきなり呆れたようなものになる。ああ、やっぱり大家さんがお酒を飲むと毎回こういう感じなのね。
『今は一通り暴れて眠った後だけど』
『そうですか。それはお疲れ様です、本当に』
小夏ちゃんも以前に大家さんの餌食になったことがあるのか、最後の言葉だけやけに心が籠っていた。
『でもどうして姉さんがお酒を。普段は飲まないはずなのに』
『そうなの?』
『はい、姉さん自身も自分がお酒を飲むと他の人に迷惑を掛けることが分かっているので普段は全く飲まないんです。もしかしてナッキーさんが誘ったんですか?』
『いやそれは向こうから誘ってきて……』
『なるほど、それで酔ったのを狙って襲おうと考えていたんですね。やっぱりナッキーさんは考えることが違いますね。でもたまにはそういう強引さも必要だと思います。グッジョブです』
何がグッジョブだ。この子話聞いてた? こういう人の話を聞かないところはホント大家さんに似ている。
『それでナッキーさんのゲスい作戦は上手くいったんですか?』
『さっきも言ったけど誘ったの俺じゃないからね?』
『じゃあ姉さんが誘ったっていうんですか?』
『そうだね』
『嘘ですね。姉さんが人をお酒に誘うなんてあり得ません…………それって本当に本当ですか?』
小夏ちゃんの声からは戸惑いが感じ取れた。大家さんが飲みに誘うのは余程あり得ないことらしい。まるで俺が冗談を言ってるみたいな反応をされてる。
『本当です』
だがしかし冗談ではないのだ。大家さんがいきなり部屋に入ってきて、俺を飲みに誘ったのは紛れもない事実である。寧ろ俺は始め大家さんからの誘いを断ろうとしていた。
『なるほど、その言い方だとどうやら本当のようですね』
『だから最初から言ってるよね。それで小夏ちゃんは一体どんな用事でこの電話を?』
『そうでした。姉さんのことで驚きすぎてすっかり忘れてましたよ。近くに姉さんはいますか?』
チラッと大家さんの方に目を向ける。彼女はぐっすり眠っていて声を掛けたくらいでは起きそうにない。
『いるけど寝てるかな』
『そうでしたね。だったら起こして下さい。胸でも揉めば起きると思いますから』
いや何言ってるのよ、この子。そんなことしたらいよいよ犯罪じゃない。
『それはちょっと無理だから普通に肩とか叩いて……』
『姉さんはそんなことじゃ起きません。だから胸を揉んで下さい。大丈夫です、私が許可します』
許可するって……良いの? 本当にやっちゃうよ? いよいよナッキーさん男見せちゃうよ?
よし、と覚悟を決め大家さんの胸へと手を伸ばそうとする。しかし彼女の胸へと手を伸ばした俺の手はまるで磁石の同じ極同士が反発するように押し戻された。それから何回試しても一向に俺の手と彼女の胸は近づく気配がない。これはもしかしてあれか、大家さんに対する恐怖心からくるものなのか。考えていると電話の向こう側から催促する言葉を掛けられた。
『さっきから何やってるんですか? 早く胸を揉んで起こして下さい。電話代が勿体ないです』
『そうしようとしてるんだけど手が上手く動かせなくて』
『だったら顔でいけばいいんじゃないですか?』
『か、顔ってそれは流石に無理だから』
『チキン』
ああそうだよ。どうとでも言ってくれ。俺はチキン。焼いても揚げても蒸しても美味しい。ちなみに俺は揚げた方が好き。
『ナッキーさん、覚悟を決めて早く姉さんの胸を揉んで下さい』
『でも……』
『早く!』
『はい』
もうどうにでもなってしまえと目を瞑って思いっきり手を前方へと伸ばす。すると俺の手は柔らかい何かを掴む……ことはなく人の手のようなものに当たった。というかそれは紛れもなく人の手だった。
驚きで目を開ければ、目の前にはパッチリとお目々を開けた大家さん。咄嗟に助けを求めようと携帯を見るが、いつの間か通話は切れていた。おはよう、大家さん。そしてお休みなさい、俺。
「ナッキーはどさくさに紛れて一体何をしようとしていたのかしら?」
「それはなんと言いますか。大家さんを起こそうとしたんですよ。ええ、そこに深い意味はありません」
「そう、でもそれにしては手の位置がいやらしすぎるんじゃない?」
そう言われて視線を下に移動させるとあろうことか俺の手は大家さんの胸の方へと伸びていて、触れる直前で大家さんの手に止められていた。うーん惜しい、じゃなくてけしからん手だ。
「これはですね……」
そう、これは全部小夏ちゃんが悪いんだ。何が胸を揉まないと起きないだ。メチャクチャ起きてるじゃないか。しかしこの状況で開き直って言い訳をするほど俺のメンタルは強くない。だから俺が出来るのはただ一つ。
「すみませんでした!」
必死に頭を床に擦りつけることだけだった。あ、意外と畳って冷たくて気持ちいいかも。
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