36.大家さんとお裾分け

 とある日のお昼、俺が部屋でパソコンゲームしていた時である。ふと玄関の方で物音がして、視線を向けるとそこにはいつも通り大家さんがいた。それにしても彼女の腕にかかっている手提げバッグはなんだろうか。


「今日はやけに来るのが遅かったですね。ところでその手提げっていつも持ってきてましたっけ?」

「いえ、いつもは持ってきてないわ。今日はたまたまよ」


 一体何が入っているのだろう、と手提げをじっと見ていると大家さんはひょいっと手提げを自分の体の後ろへと隠す。


「女性の持ち物をじろじろ見るなんて貴方ってデリカシーに欠けるわね」


 いつも勝手に部屋に入ってくる大家さんにだけは言われたくない。でもそうだな、いくら気になるからとはいえ確かに俺も見すぎだったかもしれない、反省反省。


「すみません。いつも持っていなかったので気になってしまって。差し支えなければ何が入っているのか教えてくれませんか?」

「そうね……」


 大家さんはじっくり言葉を溜めた後、先程の手提げの中から一つ物を取り出し笑顔で口を開いた。


「だったら付き合ってくれない?」


 取り出したのは一本の缶チューハイ。どうやらそういうことらしい。


「真っ昼間からお酒ですか」

「別に貴方はいつ飲んでも関係ないわよね?」

「確かにその通りですけど。流石に昼間からお酒というのは駄目人間感が否めなくなってくるというか」

「良いじゃない。元々そうでしょう?」


 きっぱりと否定出来ないのが辛い。


「分かりました。付き合いますよ。あんまりお酒強くないので程々にお願いします」

「それでこそナッキーよ。あとこれはおつまみに」


 大家さんは缶チューハイに続いてつい最近目にしたとある食べ物の入ったタッパーを取り出す。


「なるほど銀杏ですか。この前たくさん拾いましたもんね」

「そうね、今回は簡単に塩で炒めてみたわ。口に合うと良いのだけれど」

「大家さんが作ったやつですから絶対美味しいに決まってますよ。だって大家さんはこのアパート一番の料理人じゃないですか」

「そう真っ直ぐに言われると少し気恥ずかしいわね」


 まさか大家さんが恥ずかしがるなんて珍しいこともあったものだ。明日は雨を通り越して雪とか降りそう。


「とりあえず乾杯します?」

「そうね、折角冷やしてきたお酒がぬるくなってしまうものね。乾杯の音頭は任せるわ」

「分かりました。じゃあシンプルに乾杯だけで」

「ええ」

「じゃ、じゃあ乾杯」

「乾杯」


 それから俺と大家さんは静かに乾杯を済ませるとお互いまずは一口お酒を飲む。それにしてもアルコールなんて一体いつぶりだろう。仕事をしていた時でさえ、歓迎会や付き合いで何回か飲んでいただけなので実際一年以上は飲んでいないかもしれない。


「大家さんって普段から結構飲むんですか?」


 ふと気になって大家さんの方へと視線を移動させると彼女は既にテーブルの上に突っ伏していた。え、嘘……。


「あの、大家さん? 大丈夫ですか?」

「私は大丈夫よ。ただテーブルが冷たくて気持ちいいからこうしてるだけなのよ。深い意味はないわ。そう、特に深い意味はないの……」


 大家さんは突っ伏していた顔を上げ、据わった目でこちらを見る。


「いや、明らかに大丈夫そうに見えないんですが。というか大家さんお酒全然駄目じゃないですか!」

「駄目? 何を言ってるのよ。さっきも言った通り私は大丈夫よ。今なら空だって飛べそうなくらい体が軽いの。本当よ? 持ってみる?」


 大家さんはそう言うとおもむろに立ち上がり、おぼつかない足取りで俺の方へと歩いて来る。ちょ、危ない危ない。これ本当に缶チューハイを一口飲んだだけの人の足取り? ここに来る前に本当は一升瓶のお酒丸々飲んで来たんじゃないの?


「ほらナッキー、見てなさい私はこんなに……!?」

「大家さん!」


 とここで大家さんの体は大きく前方に傾き、そのままバランスを失う。すかさず俺がフォローに入り彼女の体を支えたから良かったものの、もしこのまま倒れていたらどうなっていたか。


「あら、ごめんなさい。ちょっと躓いてしまったみたい。それにしても貴方って意外と良い匂いがするのね」

「いや、そんなこと言ってないで早くちゃんと立って下さい。この体勢は色々不味いですから」


 そう結果として俺は大家さんを支えながら抱き締めている形になっているのだ。もう胸とか、胸とか、胸が当たって色々ヤバい。


「何よ、そんなに私が重いって言うの? 嘘ね、私が重いなんてあるはずがないわ。ほらもっとちゃんとよく持って」


 大家さんは俺の胸に顔を埋めると俺の体に手を回し、さらに締め上げてくる。端から見れば羨ましく見えるだろう。俺も始めのうちは役得だと思った。でもね……。


「ちょ、大家さん力が……」


 大家さんって意外と力強いんだ。それはもう骨が折れるんじゃないかと思うくらいに痛い。


「何よ、まだ重いって言うの?」

「いや言ってないですからそんなこと。それより痛いですって」

「痛い? 貴方もしかして怪我でもしてるの?」


 ええ、今まさに怪我しそうです。あなたのせいで。

 俺の必死な頷きが功を奏したのか大家さんは俺の体に回していた手を解き、ゆっくりと離れた。


「そう、仕方ないわね。だったら今度は貴方の重さを量らせなさい」


 え、なんで? しかし酔っぱらいにそんな疑問を投げたところでまともな答えが返ってくるとは思えない。まぁ例え酔っぱらっていなかったとしても大家さんからはまともな答えなど返ってきそうにないが。


 とにかく俺はそれから大家さんにされるがままだった。先程とは違って何故かお姫様抱っこ。時折、『なるほど』とか『意外と健康的な重さをしているのね』とか『合格よ』とか言ってくるのは何なの? 酔っぱらってるの? うん、酔っぱらってるんだった。


 というわけで俺の人生初のお姫様抱っこは大家さんに捧げることとなった。

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