24.大家さんと姉妹喧嘩

 八月も終わりを迎えようとしている。学生にとっての夏の終わりと言えばやはり夏休みの終わり。

 高校生だったらそれは八月の最後だ。


 というわけで今俺の部屋では小夏ちゃんが家に帰るための荷物の整理をしていた。もちろん大家さんと一緒に。


「もう家に帰らなきゃいけないなんて……姉さんの部屋から学校に通っちゃ駄目なの?」

「駄目というわけではないけれど色々と不便でしょう?」

「確かに少し遠いし、それにお風呂がないのはちょっとあれだったけど、でもなー。あー夏休みがもっとあったら良いのに……」


 小夏ちゃんはそんなことを言いながら準備していた荷物に顔を埋める。そこに小夏ちゃんらしい元気の良さはなく、ただ気だるさとため息だけが存在していた。そうか、これが噂で聞く五月病ならぬ九月病か。御愁傷様です。


「ナッキーさんは良いですよね。毎日が夏休みで、毎日がハッピーデーなんですから」


 しばらく荷物に顔を埋めていた小夏ちゃんだったが突然顔を上げると俺にそんな皮肉をぶつけてきた。

 確かに毎日夏休みなのは事実かもしれないが、それでも毎日がハッピーデーなわけではない。例えば大家さんとか、大家さんとか、大家さんとか。頭を抱えたくなる問題が山積みなのだ。


「でももうそんな季節なんだね。いやー小夏ちゃんがいなくなると寂しくなるなー」


 まぁ実際は小夏ちゃんがいなくなる寂しさよりも、俺にとっての悪魔が一人いなくなることの喜びの方が勝っているのだがそこは大人、本音と建前はしっかりと使い分ける。


「寂しいとか言っているわりには棒読みですけど」

「気のせいだよ」

「本当ですか?」


 疑いの目を向けてくる小夏ちゃん。あら、怖い。こういうところも姉妹で似てしまったのね。


「ほら、小夏。そんな駄目人間なんかと無駄話してないでさっさと準備しなさい。昼には出るんでしょう?」


 とここで小夏ちゃんに大家さんからお声が掛かる。

 それにしても駄目人間とは失礼な。俺だって働いていたんだぞ、少し前までは。


「そうだけど、もうちょっとのんびりしたら駄目かな? だってまたしばらく姉さん会えなくなるの寂しいし、今外暑いし」


 恐らく後者の理由の方が強いのだろう。


「あら、嬉しいことを言ってくれるのね。でもお昼に出ないと、明日は学校なのよ?」


 大家さんの返事に対して小夏ちゃんは頬を膨らませる。


「姉さんのカタブツ」

「どうとでも言って頂戴」

「姉さんの分からず屋」

「ナッキーさんの無職」

「そうね、その通りよ」


 あれ、流れで俺攻撃されてなかった? 気のせい? 夏の暑さが見せる幻聴?


「とにかく私はまだ帰りたくないよ」

「なんでそんなに帰りたくないのかしら。去年はすんなり帰って行ったじゃない?」

「去年と今年じゃ状況が違うんだよ!」


 小夏ちゃんはそう言うと大家さんから顔を背ける。対して大家さんも少し怖い顔をしている。何だかきな臭い空気になってきたな。


「あの、そこら辺で止めておいた方が──」

「「無職は静かにしてて!」下さい!」


 あ、はい無職です。静かにしてます。一応ここは俺の部屋ですけど静かにしてます。


 何だか面倒なことに巻き込まれた俺は静かに冷蔵庫へと飲み物を取りに行った。



◆ ◆ ◆



 それからしばらくして俺の部屋にはまた新たな来訪者がやって来ていた。

 相も変わらず小夏ちゃんは拗ねていて、大家さんも怖い顔をしたまま静かにお茶を飲んでいる。


「それでこの状況なんですか……」


 そう、部屋にやって来たのは須藤さん。この姉妹喧嘩を何とかするために俺が呼んだのだ。


「はい、須藤さんなら何とか出来るんじゃないかと」

「はぁ、私がですか……」


 一向に帰ろうとしない小夏ちゃんでも須藤さんの言葉なら耳を貸すはず。そういった俺の浅はかな考えである。


「で、どうにか出来ませんか?」

「いきなりそう言われましても……」


 須藤さんは困ったように一言呟いた後、恐る恐る小夏ちゃんに話しかけた。


「あの、小夏ちゃん?」

「はい、何ですか? 秋帆お姉ちゃん」

「そのね、話は聞いたよ」

「そうですか、だったら姉さんの横暴ぶりが分かったはずです」

「そうだね、でも大家さんは小夏ちゃんを心配して言ってくれてたと思うんだよね」


 須藤さんの言葉に小夏ちゃんは俯く。


「私だって分かってます。別に今日帰らないと言ってるわけじゃないんです。でも姉さんが話を聞いてくれなくて。私は帰る前に皆さんと少し話したり、挨拶とかしたいのに……」


 もしかしたら小夏ちゃんが今日この部屋で荷物の整理をしているのもそういう理由なのかもしれない。


 少しは融通が利かないものかと俺も大家さん掛け合ってみる。


「それで大家さん、小夏ちゃんもああ言ってるわけですし少しは……」

「私も別に小夏が嫌いで早く帰したいわけじゃないのよ。いくら夏で日が沈むのが遅いとは言え、夕方に一人で帰すわけにも行かないでしょう? でも私も少し厳しすぎたかもしれないわね……」


 どうやら大家さんも悪いとは思っているみたいだ。


「だ、だったら間をとって午後の三時くらいならどうですか?」


 須藤さんはやや遠慮気味にそう提案する。確かにそれならお昼前の今から十分過ぎるほどの時間がある。その時間の間に挨拶やら、誰かと少し話すやら色々済ませられるだろう。それにまだ日が沈む時間でもない。


「そうね、そのくらいだったら許容範囲内ね」

「私もその時間なら文句はありません」


 これで解決したのか? 解決したよね?


「悪かったわね。小夏」

「ううん、私も少し我が儘だったかも」


 良かった、これで俺も自分の部屋でようやくリラックス出来る。そう、ここ自分の部屋なんだよな。

 とりあえず部屋に蔓延していた重々しい空気から解放された俺はホッと安堵のため息を吐き、それから肩の力を抜いた。


 それにしてもこの二人の喧嘩をこうも丸く収めるなんてマジパナイです、須藤さん。うっす。

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