23.大家さんと花火

 既に辺りは暗い。あれから散々食べ歩いて出店エリアを後にした俺達一行は揃って土手の方へと上がっていた。やはり花火も他の人達より少し高いところから見た方がしっかりと見れる。そう思い、土手の方に上がったのだが既にそこには多くの人だかりがあった。


「やっぱりみんな考えることは同じね」


 大家さんは少し疲れた表情でそう漏らす。他の二人も口には出さないが顔の表情を見ている限り、疲れているのは確かだった。まぁこんなに暑い中で人混み、それに加えて浴衣で散々歩き回ればそりゃ誰だって疲れる。


「ちょっと休憩しますか?」


 というわけで休憩を提案すると彼女達は皆一様に首を縦に振った。しかし、そうはいってもこの状況では中々休憩する場所なんて見つからない。辺りを見渡しても見えるのはどこも人ばかり。困ったと内心思っていると突然大家さんがポツリと言葉を漏らした。


「それだったらもうアパートに戻らないかしら」

「花火を見ないで帰るんですか?」

「誰もそうとは言ってないわ。ただ私はアパートで花火を見ても良いんじゃないかと思っただけよ」


 そうか、確かにうちのアパートからでも花火くらいは見えそうだ。この人混みで見るよりは随分とマシだろう。

 というかこんなに奢らされるんだったら始めからアパートにいた方が良かった。おかげさまで俺の一ヶ月分くらいの食費が屋台のおじさん達の手の中に消えたからね。もう本当にみんなスゴい食べるんだから、ナッキーさん驚いちゃったよ。


「そうですね、俺も賛成ですよ。というわけなんですけど二人ともそれで大丈夫ですか?」

「そうですね、私もこんな人混みよりはアパートの方が良いです」

「秋帆お姉ちゃんがそうしたいんだったら私も賛成ですよ」


 そうして俺達は人混みを掻き分けていきながら少し早めの帰路に就いた。



 人の流れに逆らいながら進んで行き、辺りがようやく本来の静けさを取り戻した頃、後方の夜空から突然色とりどりの明るい光が届いた。それとほとんど同時に聞こえてくる花火が花開く音。どうやらもう打ち上げが始まってしまったらしい。


「ここからでこの大きさだとアパートの方はどうかしらね」

「辛うじて見えると思いますけど、怪しいかもしれないですね」


 アパートからだと最悪音だけ聞こえるなんてこともあり得る。


「それだったらこの近くで少し見ていきますか? さっきからずっと歩きっぱなしですし、近くに公園もありますよ」

「そうね、流石にこの格好で歩くのも疲れたわ」


 他の二人にも視線を巡らせば二人共にコクりと頷いている。


「じゃあ私と秋帆お姉ちゃんは近くのスーパーでみんなの分の飲み物を買ってきますよ。姉さんとナッキーさんは先に公園に行っててください」


 続けて『これはナッキーさんの奢りなので遠慮しなくてもいいですからね』と言って微笑んだ小夏ちゃんはその後須藤さんを連れて公園とは反対方向へと向かっていった。

 そういえば彼女には予め余分にお金を渡していたっけな。ここでみんなの分の飲み物を買いに行ってくれるとは小夏ちゃんも中々優しい。まぁ彼女も言っていた通り全部俺の奢りなんですけどね。


「また貴方に奢らせることになってしまって悪いわね」

「本当に悪いと思ってます?」


 彼女の浮かべている笑顔には悪いと思っているような感情が一ミリも感じない。寧ろ俺に奢らせることが出来て喜んでいるように見えた。


「そうね。思っているか、思っていないかで言えば悪いとは思っていないわね」


 ほらやっぱりね。俺にはもう分かっちゃうんですよ。伊達にこの人に毎日からかわれ続けてないからね。もう表情一つでこの人が今何をして欲しいのか大体分かるし、声のトーンで機嫌が悪いかどうかも分かる。それに自分の半径十メートル以内に大家さんがいたらその気配も分かる。あれ、なんか俺気持ち悪くない?


「そうですか、まぁ大家さんですしそうだとは思っていましたよ」

「そうだと分かって聞いて来るなんてやっぱり貴方って小夏が言っていた通りのドMね」


 小夏ちゃん、また余計なことをペラペラと。


「違いますよ、それは勝手に小夏ちゃんが言ったことで──」

「『俺はいつもの大家さんの方が良い』とか言っていたのにかしら?」


 大家さんは俺の声に寄せようとしながらも若干小馬鹿にした感じでそう言う。これもあの子の仕業だろう。


「それにも別に大した意味はないんですよ」


 そう、別にいつものように大家さんに苛められるのが好きだとかそういうことを遠回しに言った言葉があれではない。ただ変にしおらしくなるよりかはいつものクレイジーな方が安心するという意味で言った言葉なのだ。だから俺がドMなんていうのはただの小夏ちゃんの妄言。俺は正真正銘のノーマル、言うならばドNである。


「本当にそうかしらね……」

「そうですよ」


 しかしそうだと否定しても簡単に大家さんが引き下がるとは思えない。だったらと俺は今まで気になっていたことを大家さんにぶつけ、話題を変えることにした。


「そういえば大家さんの名字って『大家』なんですね。なんか面白いです」

「いきなりどうしたのかしら? 確かに私は『大家』という名字だけれど。随分と今更ね」

「だって今まで聞く機会とか無かったですし、それに知ったのも小夏ちゃんの自己紹介ですよ」

「そう、確かに教えたこと無かったわね」


 そうだ、考えてみれば俺は大家さんに関することをあまりにも知らない。妹がいたことも実際にその妹と会うまでは知らなかったのだ。


「この際ですから色々教えて下さいよ、大家さんのこと」

「いきなりそんなことを言われても困るわよ……」


 珍しく大家さんが言葉に詰まる。よく考えれば公園で浴衣美人と二人きり、この状況に何だか俺は妙に緊張してしまっていた。

 しかし次の瞬間、俺の緊張は夜空で花を咲かせた花火の音によって全て打ち消される。


「綺麗ね」

「そうですね」


 まさか俺が大家さんとこんなまともな会話をすることになるとは……。

 そんなことを思っていると大家さんは突然俺の方を見て静かに呟いた。


はるよ……」

「はい、小春?」

「そう、小さいに季節の春って書いて小春。それが私の名前」

「ああ、名前ですか。随分と可愛らしくて綺麗な名前ですね」

「あら、それは皮肉かしら?」


 大家さんは小首を傾げて小さく微笑む。


「さぁどうですかね」


 小春、確かに普段の大家さんにはお世辞にも似合うとは言えない名前だ。

 だが今日、この時に限ってはその限りではなかった。

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