22.大家さんと屋台

 夏祭り会場、そこはいつもの河川敷と違った騒がしい雰囲気に包まれていた。辺りをライトアップする白熱電球の光、そこかしこから漂ってくる食べ物の匂い、そしていつもの数十倍以上はいるだろう人々。祭り特有の匂いがそこにはあった。


 そんな会場の外れ、俺とその他三人は出店が並んでいる方を眺めながら花火が打ち上がる時間を待っていた。


「その、さっきはごめんなさい。少しからかい過ぎたわね」


 俺の隣では大家さんが若干申し訳なさそうな表情を浮かべている。


「いえ、俺も取り乱し過ぎたのでお互い様ですよ」

「そう」


 一応大家さんがそこら辺の誤解は解いてくれたということなのでもうこの件は水に流しても問題ないだろう。

 それにしても大家さんと小夏ちゃんがタッグを組んで俺をからかって来るなんて。いつかやってくるとは思っていたが実際にやられるとこう、厳しいものがある。


「でもあんなことはもう止めて下さいよ。あれじゃ俺の心が持ちませんから」

「ごめんなさいね、次回から気を付けるわ」


 次回って何だろうね。おかしいよね、もう止めてくれって言っているのに次回なんてあるはずないもんね。

 でもまぁ大家さんから今までごめん、もうやりませんとかいう言葉が出てきたら逆に正気を疑ってしまうかもしれない。


「もちろん私は今後そういうことを止めるつもりはありませんよ」


 声がした方を見ると小夏ちゃんがニヒッとイタズラな笑みを浮かべていた。どうやら今の俺と大家さんの会話を聞いていたらしい。


「二人とも良い趣味じゃないですからね、それ」


 人をからかって、貶めるなんてどう考えても良い趣味とは言えない。姉妹揃って両方これって、この家系は代々人をからかって貶めなければ死んでしまう呪いとか何かがあるのだろうか? 寧ろそういう呪いがあるからやっているんだと思いたい。


「良い趣味かどうかは私が決めることよ。私が良ければそれで良いの」


 なんか良いことを言おうとしてるみたいですが、言ってることは結構最低ですからね、大家さん。


「良い趣味じゃないですか……。分かっています、分かっていて敢えてですよ!」


 この子に関してはもう既に開き直っていてなんかもうあれだ。手遅れ。


 こうなったら俺の味方は須藤さんしかいないと彼女の方へと視線を移動させる。


「須藤さん、お願いします。あの人達をどうにか出来るのはもう須藤さんしかいないんです」

「わ、私ですか!? む、無理です! 他を当たって下さい!」


 他を当たってくれって。須藤さん、他にはもうこの二人しかいないんですよ。


「あら、貴方はそんなに私達のことが嫌なのかしら。部屋に散々上げておいてよく言うわよ」


 これって突っ込んだ方が良いの? もう良いよね。だってもう今まで散々言ってきたもんね?


「そうですよ、姉さんの言う通りです。ナッキーさんだっていつも楽しそうに私達と話してたじゃないですか」

「そんなことはないからね」


 寧ろ楽しそうにしてたのはそちらじゃないかな? 特に俺をからかっているときは最高に楽しそうな表情をしていましたよ?


「ナッキー、そんなに照れなくても良いのよ」


 照れてない、照れてない。


「というわけでナッキーさん、あそこのたこ焼きを奢ってください」


 何がというわけなのか分からないが俺はそんな人に奢れる程稼げる仕事はしてません。というか仕事をしてません。


「だったら私はかき氷をお願いするわね」


 あんた散々俺の部屋で食べてたでしょうが。


「じゃ、じゃあ私は…………でもナッキーさんに悪いですし。その、本当に良いんですか?」


 須藤さん、その反応を待っていた。このまともな反応を。そうだ、そもそも俺が何かを奢る前提からしておかしいのだ。


「あの、何で俺に奢らせようとしてくるんですか? こう見えて俺は無職なんですよ?」

「こう見えてってどこからどう見ても貴方は無職にしか見えないわよ?」


 おい。


「でも私は姉さんから今日はナッキーさんにねだれば全部買ってくれるって聞きましたよ?」

「私もそう聞きました。その、違うんですか?」


 なんで俺の知らないところで勝手にそんな約束が交わされているんですか?


 どういうことですかと大家さんに視線を移動させると彼女は悪びれる様子もなくニッコリと微笑んだ。


「だって貴方には貯金があるでしょう?」


 貯金はありますけど無限に湧いて出てくるわけじゃないですから。


「それは生活するために必要なお金ですから」

「だったら良いじゃない。これも日常、言うなれば生活の一部よ。それに私は今日お財布を持ってきていないわ」

「もちろん私も持ってきてないです、ナッキーさん」

「わ、私も必要ないかなと……」


 みんな奢られる気満々じゃん。まさか財布を持ってきているのが俺だけとは思わなかった。でもね、さっきも言ったと思うんだけど俺無職なんですよね。


「私、奢ってくれる人は好きよ」


 俺が渋っていると大家さんは突然澄ました顔でそう呟く。そういうことですか、押して駄目なら引いてみろとそういうことですか。


「私も大好きですよ、ナッキーさん…………のお金」


 大家さんに続いて小夏ちゃんは元気よく笑顔で声を発する。最後の方にちょっと本音が漏れているのは小夏ちゃんらしい。


「私はやっぱり悪いですし、お二人の分を奢ってあげてください」


 そんな二人に対して須藤さんは一人申し訳なさそうに笑う。

 正直あなたが一番奢っても良いと思える人ですよ。寧ろ奢りたい。そして彼女の本当の笑顔を取り戻したい。

 もしやこれって恋なのでは?



 とにもかくにも須藤さんを除いた二人は相当俺に奢らせたいらしい。やはり最後まで少しも遠慮しなかったのはこの悪魔達だったか。このまま渋っていても粘着して来そうだし、仕方ない。


「分かりましたよ、こうなったら三人全員に奢ります。でも条件がありますから」

「何かしら、エロいことで手を打とうとしているのなら警察を呼ぶわよ」

「そんなことしませんよ。俺の条件はただ一つ、今後一切俺のことをからかって来ないで下さいということだけです」


 どうだ、これなら俺も辛うじてこの二人に奢っても良いと思える。しかし、俺が少し目を離した瞬間に奴らはいつの間にか姿を消していた。そしてどこからか聞き覚えのある声が聞こえてくる。


「すみません、たこ焼きを一つ下さい。お代はあそこの人が払います!」


 ある方向に耳を澄ませば、元気の良い小夏ちゃんの声。


「ブルーハワイを貰えるかしら。もちろんお代はあそこのパッとしない男が払うわ」


 そしてまたある方向に耳を澄ませば、抑揚がなくどこか冷たい印象を感じさせる大家さんの声。


「そ、そのドンマイです」


 最後に俺の隣からは俺を気遣うような優しい須藤さんの声が聞こえてきた。


「あの二人、絶対俺の話聞いてないですよね」


 そんなわけで俺は一度深くため息を吐いてから先程声が聞こえてきた方へとそれぞれ、代金を払いに行くのだった。

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